戻る



 世界は私を憎んでいる。
 世界が私を殺しに来る。
 だから、私が世界を殺す。
 私が殺される前に、私が殺す。
 私の世界を使って‥‥

 東京‥‥何処までも続く群衆の中、白いパジャマにスリッパ履き、日に触れた事が無いかのような白い肌と長くのびた黒髪という、どこかの病院から逃げ出してきたかの様な少女が歩いていた。
 しかし、周囲の者は誰一人少女に気付く様子はない。誰もが、少女の傍らを行き過ぎていく。
 少女は静かに暗い笑みを浮かべた。
「もうすぐ‥‥みんな消えていくのね」

●前哨戦
 アメリカ合衆国テキサス州ウェイコ。比較的大きな民家が一つ、完全に周囲から隔離された状況にあった。
 付近の住人は、警察とFBIが既に避難させている。そして、それをさせた者達は、その民家を取り囲んでいた。
 IO2(International Occultcriminal Investigator Organization)という国際的な超常現象対策機関。非公開組織なので、民間はもちろん警察組織や軍隊にも知る者はほとんどいない。それでも、影での影響力は大きく、軍や警察を動員する事が出来る。
 そんな動員された存在であるFBIの中の一人であるフォックス特別捜査官が、現場の指揮を執っている黒服にサングラス姿の初老の男に聞いた。
「降伏はさせないのか? 中には、連中の家族‥‥子供もいるんだぞ」
 こういった籠城事件の場合、本来ならばまずは降伏させるための交渉から始めるのだろうが、IO2は交渉によって事態を収拾するつもりは欠片もなかった。
「フォックス特別捜査官。君は我々の活動に同行するのは初めてだったな。いや‥‥勘違いされては困る。これは正義でも法でもない。単なる害虫駆除だよ、フォックス捜査官」
 黒服は、遠く民家にともる灯りを見ながら、何ら感情を見せぬままに言う。
「連中‥‥虚無の境界は、ゴキブリよりもたちの悪い、テロリストだ。君はもちろん89年のサンフランシスコは憶えているな? あれは事前に防げなかったとは言え、幸い軽くすんだ」
 黒服は、何か含みを持たせて問う。そのまま、答を待たずに黒服は独り言のように言った。
「化け物も超常能力者も、人間の世界の影でコソコソ生きている分には、お目こぼしもしようがね。現実社会に影響を及ぼすならば、すべからく我々IO2が逮捕する対象となる。そして、連中は既にその一線を越え‥‥更にもう一線を越えてしまった」
 IO2の使命は、オカルト的事象から、何も知らない一般大衆を守る事。その為に、目に付く限りあらゆる怪奇事件を調査し、ほとんどの場合はその事件を無かった事にしてしまう。
 3流タブロイド紙やオカルト専門誌に記事が載って、一部のマニアが喜び、“常識人”が笑うような形で終われば成功だ。
 そして、IO2はその為に手段は選ばない。
 法も正義も関係なく。使命を遂行する。
 事件の隠蔽が不可能なら、一切を消滅させるのもまた手段の一つだ。
 それに、敵が超常能力を用いて世界の滅亡を目論むテロ組織ともなれば、IO2の中では全員抹殺するのが当然の処置であった。
「攻撃を開始。殲滅しろ」
 作戦部長のその指示に、闇の中で巨大な機械兵器が立ち上がる。
 危機状況制圧用空挺二脚機動戦車『シルバールーク』。鳥脚型の2脚で歩行する機動兵器。
 その背に装備された140mm戦車砲と二つのミサイルポッドが、虚無の境界の拠点に照準が合わされた。
 直後、容赦のない砲撃と、ミサイルの雨が拠点を粉微塵に打ち砕く。
 建物は、ただの炎の塊となった。
 燃える炎の爆ぜる音が辺りを支配する‥‥と、
 黒服は、素早く懐から拳銃を抜くと、空に向かって撃った。その直後、闇の中から何かが落ちてくる。
「これは‥‥!?」
 覗き込んだフォックス特別捜査官は言葉を失う。
 そこにあったのは男の生首。その耳はコウモリの羽のように広がっており、銃弾に破られたのか右耳に大穴が開いている。
 そして‥‥生首は生きていた。
「勝ったと‥‥思うな‥‥我々の計画は‥‥新たなる段階に‥‥移る‥‥‥‥」
 生首は、憎しみで満たされた瞳を、赤く爛々と輝かせながら、黒服に向かって言う。
「次は‥‥我々の‥‥勝ち‥‥‥‥」
 そこまで言った所で銃声が響いた。直後、生首は眉間に小さな穴を開け、同時に後頭部から頭の中身を派手に撒き散らせた。
 黒服は、硝煙立ち上る拳銃を懐のホルスターに戻し、冷たく言い放つ。
「お前達に勝利はない。何度わいて出ようと、何度でも皆殺しにしてやる」

●消えた者達
 闇の中、けたたましくベルが鳴り響いた。
「‥‥‥‥‥‥くそ! 今度という今度は、絶対に引導を渡してやる!」
 興信所のソファーで束の間の仮眠を取っていた草間武彦は、苛立たしげに跳ね起きると、机の上で自己主張を続けている黒電話に怒りと憎しみの隠った言葉を叩き付ける。
 そして、机に歩み寄ると、ひったくるように受話器を取り、それから出来るだけ冷静に聞こえるように言った。
「はい、こちら草間興信所」
 一応客なら許してやる。だが、そうじゃないなら‥‥
『私よ』
 電話の向こうで短く答えたのは碇麗香。草間は、受話器に向かって怒鳴りつけた。
「麗香か!? こんな時間に何の用だ!? いいか、抱えていた事件がようやく終わって、俺が何日かぶりに寝転がったのが夜中の1時だ! 今は‥‥2時じゃないか! これで、つまらない用件だったら‥‥」
「聞いて‥‥まずい事になったの」
 草間の言葉を遮って、麗香が言う。その言葉に、普段感じられない緊張のようなものを感じ、草間はとりあえず怒りを引っ込めた。
「どうした?」
『三下くんが、とんでもないネタを仕込んできたのよ。貴方、虚無の境界って知ってる?』
「‥‥知らないな」
 答えた草間に、電話の向こうで麗香は呆れたような溜息をつく。
『調べておきなさいよ。それでも怪奇探偵?』
「だから、俺はそっち方面で売る気はないんだよ。それより、虚無の境界がどうしたって?」
『テロ団体よ。確か‥‥「人は一度滅び、新たなる霊的進化形態を目指さなければならない。全人類が死に絶えた時、人類の霊的パワーが全て霊界に集められる。その時に起こる霊的ビッグバンによって、新たに完全な人間が転生する。その時こそ、人は真の安楽の世界を得られる」なんて妄想を信じて、何度か霊的テロを起こしている連中‥‥三下君がまったくの完璧な偶然で奇跡的にそいつらの計画を掴んだの。でも、どうやら感づかれたらしいのよ、このお馬鹿』
『へんしゅうちょぉおおう』
 電話の向こうで三下の泣き声が聞こえた。直後、受話器の口を押さえられたのが微かにくぐもって麗香の怒声が聞こえ、そしてすぐに麗香が普通に草間に言う。
『電話で説明している時間はないわ。すぐにアトラス編集部に来て。三下君と待ってるから』
 麗香がそう言った時、電話の向こうで三下の情けない声が聞こえた。
『草間さぁ〜ん。助けてくださぁ〜い』
「‥‥わかった。すぐ行く」
 草間は三下のいつも通りの情けなさに苦笑しながらも、“あの”碇麗香が助けを求めてきたと言う事は余程の事なのだろうと覚悟を決めた。
 それに、テロという言葉も気にかかる‥‥これでは、仲間に声をかけるのは危険だろう。
 と、そんな考えにいたったその時、草間の動きに気付いたのだろう。奥から出てきた零が、草間に聞いた。
「どうしたんですか、草間さん?」
 草間は、彼女に笑顔を向けて答える。
「‥‥また仕事だよ。すぐに戻る」
 草間は言い残し、部屋を出ていく。そしてそれが、零が見た最後の草間の姿となった‥‥

「ん〜〜」
 瀬名雫はパジャマ姿で、自室の机に座りラジオを聴いていた。
 そのラジオから男性アイドルの歌声でも聞こえてくれば女の子らしいのかもしれないが、聞こえてくるのは砂嵐のようなノイズ音。
 『夜中に放送が入っていないラジオから聞こえてくる不気味な男の声』とかいう投稿のリサーチ中なのである。
「ふぁ〜ふっ‥‥眠い。この情報、ハズレかな。」
 大きなあくびをして、雫は目をこすった。
「明日、学校だし‥‥でも、もうちょっと‥‥」
 言ってる側から頭が落ちる。
 眠くて眠くて‥‥雫の意識はどんどん深い所に落ちていった。と‥‥
「‥‥むに? ここは?」
 不意に感じた冷たく硬い感触。
 身を起こした雫は、自分が何処とも知れない地下鉄のホームで寝ていた事に気付いた。
「何‥‥ここ?」
 周囲を見回す。すると、壁に赤いスプレーで書き殴られた文字が見えた。
『影沼を信じるな!!』
「影沼って‥‥だれ?」

 誰もいないカフェの中、一人静かに紅茶を飲む高峰沙耶の前、少女が座った。
 白いパジャマにスリッパ履き。白い肌に長い黒髪の少女‥‥
 少女は小さな砂時計をテーブルの上に置いた。
「ダメでした。もう少しだったんですが‥‥」
「‥‥どうするの?」
 責めるでもなく、促すでもなく言う高峰の言葉に、少女は再び砂時計を手に取る。
「最後まで‥‥戦います。私の決めた事ですから」

●動き出す者達
 翌日、アトラス編集部に出社した編集者達は、台風でも荒れ狂ったかのような惨状を見せる編集部と、編集長の碇麗香が居ない事に呆然とした。
 そして哀れな事に、三下が居ない事に同僚達が気付くのは、それからしばらく経ってからのことだった。
 で‥‥
 一方、碧摩蓮の店、アンティークショップ・レン。そこに立つ二人の黒服の男は、めぼしい物をゴッソリと持っていかれたらしい店の中を見ていた。
「盗難か?」
 背の高い、長い金髪を後ろで縛り、尻尾のように垂らした男が言う。それに答え、背の低い太めの男が言った。
「いや、誘拐もだ。主人が居ない。何にせよ、出遅れたな」
「連中を侮っていたという訳か‥‥」
 尻尾髪の男が溜息をつく。
「民間術者の協力を仰ぐべきか?」
「そうだな‥‥上申しよう。何にせよ、急がなければな。連中の計画、これだけ派手に動いている所を見ると、その開始は近いに違いない」
 太めの男は、それだけ言うと、もはやこの場に興味を無くしたかのように外へと向かう。
 尻尾髪の男も小さく鼻を鳴らし、不利なこの状況への不満を示して太めの男と並び歩いた。
「虚無の境界が新たに造りだした兵器を投入したとも聞く。東京へのテロ‥‥連中は本気だな」

「草間さん‥‥何処へ行ったの?」
 零は、帰ってこない草間を捜して街を歩いていた。しかし、どうやっても探し出す事は出来ない。
 とりあえず、人造物だけに疲労する事もなく探し続ける零‥‥だが、その時、零は自分を見つめる視線を感じた。
 零はその視線の方向に目をやる。
 雑踏の中、零のいる方へ向かって歩いてくる、金色の長い髪と冷たい美貌を持つ少女の姿が見えた。
 零はその少女と視線を合わせる。だが、その少女は視線を合わせながらも、何のリアクションもせずに真っ直ぐに歩みを進める。
 そして‥‥すれ違う一瞬、その少女は零だけに聞こえるように言った。
「今は忙しいの。後でまた会いましょう‥‥姉さん」
「え?」
 振り返る先、金髪の少女の姿はない。
 ただ、零には少女の残した声が聞こえる。
「どちらが最強の霊鬼兵なのか‥‥この零鬼兵・Ωが教えてあげるわ」

戻る