【タイトル】 煌めきと鎮まりの追復曲(カノン)
【執筆ライター】 海月 里奈
【参加予定人数】 1人〜
オープニング /ライターより /共通ノベル /個別ノベル


●「海キャンプ」 オープニング

 三年A組に所属する、仲の良いと評判の二人組みは――ユリウス・アレッサンドロと大竹 誠司(おおたけ せいじ)とは、昨日の夜から海キャンプへと参加していた。
 否、正確なところ、面倒くさがり屋のユリウスが、誠司によって無理やり引っ張ってこられた、という方が正しくはあるのだが、
「そうでした、一つ思い出しましたよ」
 朝からキャンプに来た意味も無く、昨夜誠司と隣の隣のクラスの友人とが張ったテントの中で、チェスをしていたその最中、ふと何かを思いついたかのように、ユリウスは唐突に顔を上げていた。
 白いビショップの駒で、黒のポーンを取り上げながら、
「ここを離れて、ですね。少し歩きますと、……洞窟が、あるんですよ」
 はぁ? と、黒いナイトの駒で、白のナイトを取り上げた誠司が、ユリウスの表情を見上げる。
 ユリウスは悩む間も無く駒を動かすと、
「色羽(いろは)さんをお誘いになってみたらいかがです? これからの時間暑くなるでしょうし、私はそちらの方に、涼みにでも行こうかと思っているのですけれどもね」
 はい、チェックメイトですよ。
 ぎょっとする誠司に、笑顔で勝利を宣言した。
「こういう時くらい色羽さんと仲良くなさったって、まさか主がお怒りになるわけでもありませんしねぇ」
 清水(しみず) 色羽は、二年A組に所属する美術部の部長であった。――同時に色羽は、誠司の想い人でもある事を、ユリウスは良く知っている。
「夢から醒めるその前に、夢は叶えておきませんと」
「……は?」
「いいえ、何でもありませんよ?」
 眉を潜めて問うてきた誠司へと、いつもの笑顔でそう返す。そのままズボンのポケットへと手を入れると、ほんの数瞬、その中身を弄った。
 そこにはいつもと変わらず、小さなチョコレートが幾つも入れられている。
 しかし、今は同時に、
「お前さぁ、俺、ずっと思ってたんだけど……最近何か、隠してないか?」
「いやですねぇ。誠司もご存知でしょう。私達には、守らなくてはならない十戒、というものがあるんですよ。その中でも第九条には、汝、偽る事無かれと――」
「あーはいはいはい、聞いた俺が馬鹿だった」
 そこにはいつもとは違い、固い手触りの物が混じり込んでいた。
 小さな、石。
 学園で、趣味で集まっているラテン語の勉強会が終ったその後に拾った、とりわけて特徴の無い普通の石であった。ただその石が、他の石と特徴を異にする点は――、
 ……と、
「ねえ、アレッサンドロさん?」
 突然テントの入り口が開き、そこから顔を覗かせる少女が一人。
 ユリウスと誠司とは思わず、聞えてきた声音に顔を上げていた。
 ――星月 麗花(ほしづく れいか)。
 二年C組所属の吹奏楽部員であり、学園では少し有名なフルート奏者でもあった。ユリウスとはローマ・カトリックの信仰を同じくしているためか、何かとこうして親交を結んでいるのだが、
「おや、どうなさいました? 麗花さん――ああそうでした、それよりも、ですね。これから一つ、お出かけしないかという話に、」
「人の話は最後まで聞いて下さい! もうっ! そんな事より、繭神(まゆがみ)さんが探し物をしていたようなんですけれども」
「陽一郎(よういちろう)さんが?」
 唐突な話に、んー……と問い返す。
 珍しい苗字を聞けば、それがこの学園の生徒会長のことを指しているのだと、ユリウスにも良くわかる。
「月の光に照らされると、淡く輝く石だって……何だか随分一所懸命探して歩いているみたいですけれど。他の人にも、聞いていたみたいですし……」
 靴を脱ぎ、テントの中へと入り込んで来た麗花が、更にぽつりと付加えた。
 ユリウスは座ったまま、こちらを見下ろす麗花を見上げると、
「私は、そんな石は見ていませんよ? 第一、今は月も出ていませんし、そのような特徴では探しようも無いでしょうに。……それよりも、ですねぇ、」
 あまりその事を気にした様子も見せず、するりと話を摩り替える。
「これから、涼みに行こうというお話になったんですよ。麗花さんならご存知ですね? 例の、洞窟です」
「もしかして、鍾乳洞、ってやつですか? 結構大きいものだから、先生方も見ておいでって言っていたあの……、」
 ユリウスが元々、他人事にはあまり熱心な興味を示さない事を知っているからなのか、麗花もあっさりユリウスの言葉に話題を移す。
「まあ、その通りなんですけれどもね。要するに、誠司が色羽さんとデートをしたいと――」
「俺はそんな事は言ってないぞ!」
「おや、色羽さんのことがお嫌いなんですか?」
「まさか! そっ、そういう事じゃあなくてだな……!」
「では良いではありませんか。好きなら好きで、素直にそう仰れば良いんですよ」
「ユリウス!」
 途端反論してきた誠司をあっさりと制し、ユリウスは再び、麗花の方へといつもの微笑を向ける。
 取り出し損ねたチョコレートを取り出そうと、再びポケットの中へと手を入れながら、
「これから色羽さん達をお誘いして、……ああ、それから、水着を持って来ていらっしゃるのでしたら、それも良いのではないかと。洞窟を抜けると、ビーチになっているはずですからね」
 私も誠司にビーチパラソルでも持たせて、向うでのんびりとする事に致しましょうか。
 当然、と言わんばかりの口調で付加えた。





●ライターより


 大変お久しぶりにお目にかかります。まずは長々とオープニングにお付き合いいただけまして、本当に有難うございました。
 早速ですが、今回のシナリオにつきまして、少々解説させていただきとうございます。

■受注人数に関しまして
 基本的には3名様までを予定致しておりますが、場合によっては少々増減するかも知れません。

■今夏のオープニングに対しましての補足
 行き先は、会話の中にもありました通りに、海辺にあります洞窟――鍾乳洞です。鍾乳洞はかなり規模の大きな物であり、鍾乳石は勿論の事、石柱や石筍(せきじゅん)も見られるとの事です。洞窟内は夏でも気温が低く、陽の光も侵入してきません。
 皆様には、この洞窟内での出来事、または洞窟を抜けた先でのビーチでの遊びについてプレイングしていただきたく存じております。
 前者につきまして、ユリウスは、どこまで真相を知っているかはともあれと致しましても、少なくともこの現象の原因に興味を持っているようです。故に、学園の真相にお迫りになりたい方は、ユリウスと行動するのが一番効果的であると思われます。誠司達は全く、そのような事には気がついておりません。
 また、洞窟の中には様々な「曰く」があるようです。皆様方から、その曰くにつきまして話を持ち込んでいただいても構いません。ただ、洞窟の中で「何かが起こっている」というのは確かな話であるそうで、或いは霊現象に遭わずしてビーチに抜ける事は無理であるかも知れません。ユリウスの真意には、それを利用して誠司と色羽をくっつけてしまおうというものもあるようです。
 後者につきまして、ユリウスには全く泳ぐ気というものがございません。そもそも水着も持って来ておりませんので、浜辺ではずっと読書をしている予定でいるようです。誠司、麗花、色羽に関しましては、各々海で遊ぶ気でいるようで、水着もきちんと持って来ています。ちなみに、基本的な服装は、ユリウスも誠司も麗花も色羽も、ジャージではなくブレザータイプの夏服です。
 現在の日時は8月29日、ユリウス達は30日の昼から夕方頃には帰宅し、翌日の模試に備える予定だそうです。ユリウス達は既に、29日と30日の夏期講習に欠席届を提出しております。
 ――では、最後にとても重要なご連絡をば。
 明後日から統一模試でございます。是非とも皆様、その辺りのところは真摯にご覚悟をして頂きたく……。

■その他につきまして
 今回の受注は、納品期間を最大限まで延長しての受注となりますので、ご了承下さりますようお願い申し上げます。
 また、基本的なNPCの設定等につきましては、【シスター・麗花による猊座の報告録集】、その他受注の全体的な事は【Stella Cadente.〜神父様振興省広報評議会】を、必要に応じてご参照下さりますようお願い申し上げます。(誠に勝手な話ではありますが、ご発注下さります場合、後者の【お届け日に関しまして】には、一度目を通していただけますと幸いでございます)

 それでは、長々と失礼致しました。
 宜しければ、 お付き合いいただけますと嬉しく思います。


Lina Umizuki



●【共通ノベル】

I-a

 そうして、色羽達以外に集まったのは、普段からユリウスや誠司達と交流の深い、男子学生が三人であった。
「でも大竹先輩?」
 待ち合わせの場所で出会うなり、早速誠司に話しかけているのは、二年A組、つまりは色羽と同じクラスに所属する、綾和泉 匡乃(あやいずみ きょうの)であった。
 匡乃はちらり……と、今日はいつもよりも活力のある色羽へと視線を送りながら、
「こっそり清水さんをガードしている僕の身にも、なってみて下さいよ。そろそろ周囲から、僕達が付き合っているって誤解されても、知りませんよ?」
 くすり、と微笑む。
 そうして戸惑う誠司を見ていたのは、ユリウスと誠司とクラスを同じくする、制服姿のセレスティ・カーニンガムとモーリス・ラジアルの二人であった。
 セレスは日陰の涼しい風に、そっと銀髪をかきあげると、
「皆さん、相変わらずでいらっしゃるようですね」
 とん、と軽く、砂地に銀細工の杖を突く。
「ええ。……全くですよ」
 隣に立つモーリスが、セレスの言葉に微笑を浮かべた。
 その緑の瞳の向けられた先には、誰かと話をする、ユリウスの姿がある。
 と。
 ……おや?
 そこでふと、モーリスは一つの事に気が付かされていた。
 どうやら人が、一人増えているようですね?
 耳を澄ませば、ユリウスとその人物との会話が、波の音と共に聞えて来る。
「ああ、晶(あきら)さんと、同じクラスの……、フォルさんから、噂は聞いておりますよ」
 おっと、聞き流して下さって結構ですよ。……ちょっとした、冗談ですから。
 付け加えて、ユリウスが微笑む。
 話し相手の青年は、ユリウスの知った青年であった。
 シオン・レ・ハイ。
 三年C組所属の青年は、つまりは晶という名の、ユリウスの友人とクラスを同じくしている事になる。故にユリウスとしても、シオンの事情は少々知っていたのだが。
 ――こうして私は、『真夏のドキドキ☆ どこに行くんですか?!』ゲームの最中、甘い香りのする西洋人風男性に出会ったのだ!
 話しかけられた時の、一番初めの台詞がこれであった事には、流石にユリウスとしても、一瞬どうしようかと考え込んでしまった。しかも不思議とその時は、自分の傍にいた麗花や誠司達、誰一人として、誰と遊んでいるのですか? とは、問わなかったのだ。
 そうして、体操着に縫い付けられた名前から事を察し、ユリウスが笑ったところで、今に至るのであるが。
 シオンはそれきり――ユリウスに、そうです、と返事を返したきり、ふと、何の前触れも無く、ユリウスの制服のポケットに視線を投げかけたままで、じっと黙り込んでいた。
「奢って、下さい……、」
 一言。その後は再び、そのままじっと黙り込む。
 視線は、じっと、じっと、
「……あの――シオンさん?」
 それでもじっと、ポケットに向けたままで。
 そうして、暫く。
 長い沈黙の後、ユリウスがようやく、ゆっくりとポケットの中から取り出したチョコレートを、シオンに差し出せば。
 次の言葉は、ユリウスの手の内にあったチョコレートが、高速で包み紙だけを残されてシオンの口の中へと消えていったのと、殆ど同じ間合いで聞えて来た。
「ええい、聞いてしまえっ!」
 ごちそうさまでした! ともぐもぐ、シオンはチョコレートを食べ終えるなり、すぅ、と大きく息を吸い込んで、
「どこに行くんですかっ!」
 大きく問いかけられ、ユリウスは微苦笑すると、
「……あちらにあります、鍾乳洞へ。涼みに、行こうかと思っているんですよ」
 この方々と、一緒にですよ。
 周囲をざっと、一望して答えを返した。


I-b

「あれは……、」
「遠藤(えんどう)さん?」
 噂をすれば、何とやら。
 日陰になる部分に立ち、のんびりと海を眺めていたのは、間違い無く三年C組所属の制服姿の青年、遠藤 晶(あきら)であった。
 ユリウスの友人でもあり、事実上世話役ともなっているこの人物のことを、麗花は良く知っていた。はたはたと砂の上を駆け抜け、皆より先に晶へと話しかけると、頭を下げて挨拶をする。
 それから暫く、やがて、麗花と話し始めた晶も、全員の姿に気が付き、こちらの方へと数歩歩み寄ってきた。
「やあ、シオン君も一緒かね」
 挨拶がてら、思わぬところで見かけた級友の姿に、晶が軽く微笑を浮かべる。
 シオンも笑顔で挨拶を返すと、
「おや、晶さんは、どうしてこんな所にいるんですか?」
 早速、率直に思った通りに口にする。
 晶は微苦笑を浮かべながらも、
「私は少し、静かな所にいたくてね。――そういうわけで、ここに来ていたのですよ」
 簡単に述べると、今度は視線だけで、皆さんお揃いでどこに行くつもりなのです? と問いかけた。
「この先に、鍾乳洞があるそうですね。このような日ですから、私も少し、涼ませていただこうと思いまして」
 振り仰ぐのも嫌ですね……。
 言わんばかりに、雰囲気だけで空に煌めく太陽を指し示し、ほっと一息を吐いたのは、最後尾となる部分に立っていたセレスであった。
 比較的、太陽の光を避けて歩いて来たとは言うものの、
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です……」
 それでも、真夏の海は――日陰の周囲は、灼熱の世界が延々と続いている。その上日陰というものは、どこにでもあるものではないのだから。
「あまり御無理はなさらぬよう」
「――雨水の気配は、近いですから」
 多分、洞窟へは、もう少しで着くのでしょうしね。
 鍾乳洞を形成する自然の現象の一つに、雨がある。満ち溢れる海水の気配の中に、ほのやかに混じるその香りを感じ、セレスはようやく安堵のような感覚を覚えていた。
「鍾乳洞?」
「ええ」
 セレスの答えを聞いた晶が、訝し気に眉を潜める。
 晶は、微笑したセレスには応えず、唐突にユリウスの方へと向き直ると、
「ユリウス様……あなた、わかっていてやっていらっしゃるでしょう……」
「はい? どういう事です?」
「お恍けにならないで下さいっ!」
 和やかな微笑で小首を傾げられ、きっとユリウスの青い瞳を見上げて声を尖らせる。
 ユリウスはそんな晶の反応に、おやおや……と一つおどけて見せると、
「この先で今、幽霊が出ている、という話、ですか?」
「やっぱりわかっていらっしゃるんですね……でしたら、実際怪我人が出ている事もご存知でしょうに!」
「まあまあ、そう怒らないで下さいな。――見て下さいよ、ほら」
 ゆっくりと、晶の目の前から一歩退く。
 そうして晶の眼前に並ぶ事となったのは、左の洞窟の長い影元から右の光の方角に向って順に、麗花、色羽、誠司、セレス、モーリス、匡乃、シオンの七人の男女であった。
「その上私もいます。例え何かあったとしても、何も問題はありませんでしょう」
 学園の中でも著名な生徒が何人も含まれているこの構成員に、八人目のそれであるユリウスが、自信満々に胸を張る。
 それでも、晶は納得できません、と言わんばかりに一歩ユリウスへと近づくと、
「でも、しかし、」
「おやぁ、幽霊なんて視えもしないはずの晶さんが、随分と幽霊で騒いでいらっしゃるのですねえ?」
「私が言っているのはそれについてではありません! 実際に怪我人が出ているという事は、その原因がどうであれ、中は危険であるという事なんですよ?――先生方も、中には入るなと仰っていましたし……」
「でしたら、尚更の事でしょう。晶さん、先ほどまでに、洞窟の中に入っていった方々は?」
「私も先ほど来たばかりですがね。来たとしても、皆さん少しだけ中に入って、すぐに出て来ていらっしゃりましたよ」
「でしたら、」
 ユリウスはやおら、くるりと後ろを振り返り、
「きっとこの先には、誰もいらっしゃりませんよ。抜けた先の浜辺はさぞ、静かな事でしょうねえ」
 両手を軽く広げて、全員に向って微笑みかけていた。
 ねえ、でしたら皆さん、――尚更、先に行くべきだと思いません?


II-b

 外――灼熱の世界からは想像もつかないほど、ひやりと美しい世界が、ここにはあった。
 入り口が見えなくなるほどの距離まで足を進めれば、薄光の中、淡く輝く自然の織成す芸術が見て取れる。
 洞窟の天からは氷柱の様な鍾乳石。地面には、大小様々な石筍の盛り上がり。時折天井から地面まで繋がる石柱が空間を区切り、その先の世界をより広く見せていた。
 全員が、思い思いの心地で感銘を受けるその中で、更に、洞窟の奥へ。
 別れる事も無く常に一本である道を、時折話し合う相手を自然と入れ替え合いながら、ゆっくりと眺めて進む。
 そうして現在、その最後尾にいるのは、シオンと晶との二人であった。
 と。
 不意に、晶が痺れを切らしたかのような表情で、背後を振り返る。
「あの、」
「はい?」
 満面の笑顔を浮かべるシオンへと、
「――何の用なのかね?」
「別に、何も用など」
 はたはたと手を振り返される。
 晶はその答えに、渋々再び前を見て数歩進み、
「あの、」
 再び振り返る。
「はい?」
「――何の用なのかね?」
「別に、何も用など、……あ、お菓子食べますっ?」
「そんなわけないだろうがっ! ついでにお菓子はいらないがね!」
 ついに耐えかねて、怒鳴り込む。
 ――先ほどからシオンは、晶の制服を掴んで離そうとはしなかった。その上ぴたりとくっつき、少しも距離を置こうともしない。
 シオンは晶の怒鳴り声にびくり、としつつも、正面から彼を見据えると、
「だって、怖いじゃないですか!」
「だからと言って何で私にくっつくのだね! 正直、……男同士でこういう事をするのは、気色悪いのだよ……!」
「あ、晶さんったら酷いじゃないですかっ! そんな、私のこと、気色悪いだなんて……!」
 およよよ……と、その場に屈み込み、地面にのの字を何度もつづり始める。
 晶は引きつり笑いを浮かべると、
「何も君のことを気色悪いと言っているのではなくてね……男同士でくっつきあうなど、冗談ではないと言っているのだよ……!」
「じゃあ! 女の子となら良いんですねっ?!」
「ちょっと待て、どうしてそうなる!」
「じゃあ私のことを女の子だと思って下さっても結構ですからっ! ほら、そうしたら一石二鳥ではありませんか!」
「どこがだね、どこがっ!」
 あれから大分雰囲気が良くなったのか、少し先の方を並んで歩いている色羽と誠司との姿は、晶にとっては実に微笑ましく感じられるものであった。その上、いつも二人にとってはただの邪魔者でしかないユリウスが、匡乃と麗花との話に気をとられ、二人を茶化していない事も、晶にとっては嬉しい事であった。
 しかし、
 ――今度は、こっちが手のかかる!
「ああもう、この際だから言っておこうね、シオン君。私はね、君の事を前々から、クラスの変り者だと思っていたが――、」
「晶さんの方こそ変り者ではありませんか。勧められたお菓子を、軒並み断っているだなんて……」
「それは変り者とは言わないのではないかね。私は甘いものが苦手なのだよ」
 ふぅ、と一つ、大きく溜息を吐く。
 ――この時、晶の知らない所でその溜息を聞き、少し先の方にいるセレスが、くすりと忍び笑いを零していた。
「随分とお二人は、仲が良いようですね」
 呟いた瞬間、何気無く別の事が、セレスの意識に引っかかってきた。
 ふと、セレスが足を止めた所を見下ろし、モーリスがふぅん、と呟きを零す。
 そこには、石筍にしては盛り上がりに欠ける、平らかな盛り上がりがあった。
「どうやら、折れてしまっているようですね」
 元々は、かなり大きな石筍があったようですけど……ね。
 腰を屈め、冷ややかな固さにそっと触れる。
 元々脆かったのか、意図的に力が加えられたものなのか、或いは、亀裂によって折れてしまったのか。考えながら、するり、と、人差し指でその岩肌を辿ると、水の雫が絡み付いてくる。
 ――水の香りが、強くなる。
 ふと気がつけば、数歩歩み寄って来た薄いセレスの影が、折れた石筍に重なっていた。
 何気無く覚えた不思議な感覚に、モーリスは何気無く、セレスの方を振り返り仰ぐ。
「……どうか、なさりましたか?」
「いいえ。ただ――少しばかり、気になる場所だと思いまして」
 セレスは軽く首を横に振ると、立ち上がったモーリスに答えを返す。
 それから暫く、何と無しに、とん、と、凸凹の地面に杖を突いていた。
 ……どうやら、
 この場所は、やはりただの場所ではないようですね。
 この薄闇の世界を包み込む水が、そっとセレスにだけ、耳打ちをして教えてくれる事がある。ひたり……と滴り落ちる水が、揺蕩う水が、この場所に関する様々な事を教えてくれていた。
 黙り、セレスは、その声に耳を傾ける。
 人魚の血を引く、お兄さん。あのね、この場所ではね、実は昔――、
「折れた石筍、ですか」
 と。
 不意に、数歩先を進んでいたはずの匡乃が、セレスとモーリスの様子に、歩みを戻して話しかけてくる。
 その後ろからも、続々と人が引き返し、いつの間にか全員で、その石筍を取り囲む形となっていた。
「ちょっとしたお話を、思い出してしまいますね」
 次に口を開いたのは、ユリウスであった。
「話、ですか?」
「その昔、やっぱりこうやって、海キャンプに来た学生達がいたそうなんですよ」
「……ああ、」
 問うておきながらも、その言葉には、匡乃には思い当たる事があった。ふ、と、何気無く誠司と色羽との方を一瞥すると、
「仲の良いカップルが……という、あのお話ですか?」
「ご名答ですよ、匡乃さん」
 匡乃の予測に、ユリウスが笑顔を深くして頷いて見せる。
 匡乃は、何の話だ? と、こっそりと聞えてきた誠司の呟きに返事を返すかのように、ユリウスの言葉を引き継ぐと、
「キャンプに来ていた生徒の中には、随分と仲の良いカップルがいたそうです。周囲でも評判で、何でも二人は将来を誓い合った仲だったとか」
「学生なのに……」
「どこかの誰かさんとは大違いですね」
「綾和泉さんっ!」
「おや、何か気にかかる事でも?」
 少々意地の悪い問いに、誠司がうっと黙り込む。
 匡乃はさらり、と、会話を流すと、
「ところがここに二人きりでデートに来た時に、何かが原因で喧嘩をしてしまったそうでして。最初は小さな口喧嘩に過ぎませんでしたのに、いつの間にか、押し合いになりましてね。彼女が彼に、突き飛ばされてしまったんです」
 そこで、今までの話が一同に浸透するのを待つかのようにして、匡乃が一瞬言葉を止めた。
 そうして、
「ところが、彼女が突き飛ばされた所にあった石筍が、運悪く何らかの要因で尖っていたようでしてね。或いは石柱が割れてしまったものであったのかも知れませんが、それで彼女は、胸を刺されて死んでしまったそうです」
 しん……と、辺りが静まり返る。
 そこに駄目押しに、と言わんばかりに、話を最後まで知っていたユリウスが付け加えた。
「ちなみにその彼は、その後入水自殺をなさったそうですよ。――この浜辺のどこかで、ですね」
 密やかに、声音の方向を色羽と誠司との方向に向ける。
 気がついたモーリスが、その耳元にひそり、と囁きかけた。
「ユリウスさんって、なぜだか、人の恋路を邪魔しているようにしか見えませんけれどもね?」
「おや、そんな事はありませんよ? 私はお二人を、少し応援させて頂いているだけですから」
 くすり、と微笑んだその所に、
「「いい加減にして下さいっ!」」
 唐突に、先ほどまで顔を見合わせていた麗花と晶との調和した声が突き刺さる。
 怒鳴りつけた中でも行動を起こしたのは、麗花の方であった。
「もういいですっ! 行きますよ!」
 清水さんが、可愛そうじゃあありませんか!
 そのままユリウスの首根っこを引っ掴み、くるりと踵を返す。
「ち、ちょっと麗花さん、苦しいですって!」
「ほら皆さんも! 早くしないと、この人に付き合っていたら日が暮れてしまいますっ!」
「……尤もな意見でしょうね」
「匡乃さん! 今さり気なく酷い事仰りませんでしたっ?!」
「さあ? 本当の事は、申し上げたかも知れませんが……、」
「そもそもの原因は、匡乃さんではありませんか!」
「おや、先にその話題を振ってこられたのは、ユリウス先輩の方ではありませんか」
 ずりずりとユリウスを引き摺る麗花の後ろに、軽く呆れを覚えながらも皆がゆっくりと続く。
 ――ひたり、と、その後ろで。
 折れた石筍の上に、落ち来た小さな水滴が弾け飛んだ。


II-c

 更に益々、洞窟の中の闇は、深く冷たくなっていた。
 その雰囲気の中で、自然と歩みを進める全員の口数も段々と減ってゆく。相変わらず匡乃とユリウス、誠司の薀蓄は続いていたが、きちんと聞いている者は、おそらくこの場には誰もいなかった。
 そうして、先に行く匡乃達の後ろには、ゆっくりとセレス、モーリス、シオンの三人が続いている。
「何か、出そうですよねえ……本当に……」
 洞窟の入り口付近よりも巨大化した鍾乳洞を時折見上げながらも、おお、怖っ――、と身を震わせたシオンの呟きに、
「ええ、確かに、この洞窟には」
 ぴたり、と、薄く水の張った地面に杖をつきながら、セレスがほのやかに口にした。
「元々色々と、曰くがあるほどですから」
 この洞窟に、霊が出る。実際、怪我人も出ている――晶もちらりと口にしていたあの話は、セレスも随分前から知っていた。
 その上、
 ……そういう感じは、していたのですよ。
 洞窟に入った瞬間に感じた、どこか別世界に足を踏み入れたかのようなあの冷ややかさ。深く進めば進むほど強くなるそれは、おそらく、単に外と内との気温が違いすぎたから、ではなく、
 本当にこの場所は、ある意味霊的な場所なのでしょうね。
 おそらく、この曰くにおいても、全てが全て嘘だという事でもないのだろう。しかも、晶が最初に言っていた事――この場所がある意味では危険な場所である、という事についても、少なくとも一部はその通りなのであろう。
「さっきの、石筍で死んだ女の人の話も、そのイワクとやらのうちの一つなんですか?」
 問うてきたシオンに、一つ軽く頷いた。
 要するに、この洞窟に関する曰くには、色々なものがあるのだ。真も、嘘も、その中間も。
 ただ、
「……それも含めて、虚実色々ですよ。おそらく、先ほどの話は本当の事でしょうけれどもね」
 おそらく。話しながら、セレスは何気無く用いていた推量の表現に気がつき、一瞬軽く後悔してしまう。
 先ほどの話に関していえば、この洞窟に揺らめく水がそうセレスに教えてくれたのだ。つまり、
「水は、流れる時の、記憶ですから」
 そこに、嘘はありませんよ。
 付け加えて、苦笑する。
「水?」
「セレスティさんは、水にとても愛されているのですよ」
 勿論、他のものにも沢山愛されている方でいらっしゃりますけれどもね。
 小首を傾げたシオンに、モーリスがこっそりと説明をする。
「元々、水には記憶があるのではないか……と言われている事は、ご存知ありませんか? シオンさん」
「な……何の話ですか?」
「――例え水に対する科学的見解がどうであれ、セレスティさんがああでいらっしゃるのは、事実ですから」
 モーリスの言葉を聞きながら、傍にいた匡乃と話し始めているセレスの姿を見遣ったシオンは、徐々にその表情を崩してしまう。
 あからさまに、モーリスはどこかはぐらかしながら言葉を続けている。それも、事実を汲み取らせるのには十分である、限界のところで。
 だからこそ、シオンにも良くわかる事があった。しかし或いは、それが事実であったとするならば、
 ……だとしたらこの人達、恐ろしい事を言ってるんじゃあないのかっ?!
「み、水と話でもできるって言うんですかっ?!」
 そ、そんな事、それ自体が怪談話じゃないですかっ!
「しっ、声が大きいですよ、シオンさん。こういう場所は、音が良く響くのですから」
 あまり騒がしくするのは、関心できる事ではありませんね?
 モーリスが少しだけ意地悪く笑いかけ、シオンを制する。
 シオンは唐突に、正面からモーリスの肩を掴むと、
「そ、そそそんな話っ! こ、怖いじゃないですかあああああああっ!」
「おや、怖い話はお嫌いでしたか?……ああ、そういえば思い出しましたけれども、水というものは元々幽霊や魂を引き寄せやすいものである、ともされているみたいですね」
「わ、私は信じませんからねっ! そそそそそ、そんな、お、オバケが出るだなんて――!」
「特にこのような場所には、きっと集まってくるのでしょうね」
「モーリスさんっ!」
「さてと……ほら、こうしていると、置いていかれてしまいますよ?」
 いつの間にか、全員の姿が二人の先にある。
 そこに丁度間合い良く振り返ったセレスが、声をかけてきた。
「モーリス。何をやっているんです?」
「いいえ、別に何も」
 ただ、シオンさんが、少し可愛らしかったものですから。
 反応が面白かったんですよ――と、言葉の後半は口に出さずに、モーリスはセレスの横に肩を並べた。そのまま、いつも通りに会話を交わしながら、二人並んでゆっくりと歩き出す。
 そうしてその場には、ぽかん、と立ち竦むシオンが取り残されていた。


II-e

 外界からは隔離された肌寒いほどの世界の中に、淡い光が、数々の自然の技巧を映し出している。心なしか、進めば進むほど、壮厳さを増してゆくその美しさ。
 美は、隠れた自然の法の現れである。……自然の法則は、美によって現れなければ、永久に隠れたままでいるであろう――。
 ゲーテも、良く言ったものですよ。
 思い返し、匡乃はゆるりと、周囲に視線を廻らせていた。
 ひたり、と水が、石筍の上に飛る音が聞えてくる。
「それにしても、本当に静かな所ですね。……やっぱりどう考えても、何か、出てきそうですよ」
 不意に、自然と深まり行く沈黙に耐えられなくなったのか、匡乃の横で誠司が囁いていた。
「どうします? 綾和泉さん。地面から足を掴まれたりとかしたら……」
 情緒も無く、誠司が笑い飛ばす。
 ――その瞬間、
「……おや?」
 ふと立ち止まり、匡乃は後ろを振り返っていた。
 そのまま視線を、少しだけ下の方へと落とし、
「綾和泉さん?」
「いいえ、別に……何でも、」
 あった、ような気がしたのですけれども。
 僕、躓きでもしたのでしょうかね――。
 少し手前で立ち止まった誠司の問いに、疑問を覚えながらも、微苦笑して答えを返す。
 誠司の横から、色羽が心配そうな表情で、匡乃のことを見遣っていた。
「何か……あったんですか? 綾和泉さん……、」
「清水も。人の心配している場合じゃあ、ないかも知れないぞ? きちんと化学を勉強しないと、さっき話してた女の人の幽霊に、足を捕まれたりして……、」
「ちょっと先輩っ! あ、あたし、そういう話は嫌いだって……、」
 言ってるじゃないですか――!
 言いかけたところで。
「せ、せ、先輩……!」
 その場にひたり、と色羽が立ち止まっていた。
「つ、掴まれた……!」
「は?」
「何かがあたしの足を掴んだんですっ!」
 わっ――と、今にも泣き出しそうな面持ちで、色羽が誠司に訴えかける。
 少し先の方で会話を聞いていたモーリス達も、その場に足を止めていた。
 モーリスが、ユリウスの隣で考える。
 ん、もしかしたら、ここは――。
 そうしてにやりと、笑顔を浮かべた。
「子どもの幽霊も、いるそうですよ」
 どこか得意気に、モーリスは腕を組んでユリウスを見遣ると、
「あまり人の事をからかってばかりいらっしゃるような方は、チョコレートを取られてしまうんです」
「……そんな。まさか物を食べられる幽霊がいるはずがありませんでしょう――、」
 ユリウスも、そろそろこの洞窟の事実には、気がついているのだろう。
 それでも、
「ああっ、わ、私のチョコレートがあああああああっ!」
 間合い良く、慌ててリックサックを開いたシオンの叫び声が、洞窟の中に木霊して消えた。
 流石のユリウスも心配になったのか、恐る恐る、制服のポケットの中に手を入れる。
 と――、
「君ね、さっき自分で食べていただろうが、チョコレートは」
「そ、そうでしたっけ?」
「そうだ」
 間違い無い。
 冷静に、晶がシオンへと説明してくるのが聞えてくる。
 ユリウスが確認したところ、彼のチョコレートも、ポケットの中にきちんと納まったままになっていた。
「――もう、そんなわけありませんでしょうに」
 心の底から安堵し、ユリウスは手に取ったチョコレートの包み紙をくるりくるりと剥き始める。
 モーリスは、ホワイトチョコを口の中に放り込み、幸せそうにしているそんなユリウスの姿を、横目でそっと盗み見ていた。
 モーリスの考える事は、二つ。
 一つ、ポケットの中にチョコレートがあったか無かったか。その結果はどうあれ、ユリウスを一瞬でも動揺させた事――こちらの方が、モーリスにとっては意義が大きい。
 そうして、もう一つ。今の一連の流れから、モーリスはわざわざ、全員に対してある種の確信を提供していたのだ。
「ふぅん……、」
 頬に手をあて、納得するかのように何度か軽く頷いた。
 一方で、その周囲の二人――セレスと匡乃と――も、モーリスと同じ事に、気がついている。
 ユリウスも含めた四人の見解を代表するかのように、ぽつり、と匡乃が一言呟きを零し落とす。
「要するに、言った事が本当になる、という事、ですか?」
「おそらく、その通りでしょうね」
 セレスがそっと、微笑する。
 ただ、
「ただきっと、ここに入ってきた物そのものに影響を及ぼすような効果は現れないのでしょう」
「まあ当然の事ながら、願掛けなんてしても叶うはずがない、という事ですね」
 わかっては、いたものの、
 ――少々残念ですね。
 願を掛ける。自分で叶えられるこれからのものについて、わざわざそうする必要は匡乃には無い。だが、
「折角の機会だと、思うのですけれどもね」
 色羽と、誠司と。
 もう少し、仲良くして下さっても構わないと思うのですけれども。
 残念な事に、
「まあ……起こった霊現象の結果、偶々、という事はあり得るでしょうけれども。どうやら私達のように、命ある者には、触れられるみたいですから。悪戯な幽霊さんでも、住んでいるのかも知れませんね」
 要するに、その現象の対象となるのは、鍾乳洞そのものと、その空間のみである、という事なのでしょうね。
 そう納得しながら呟かれた匡乃の言葉に何を悟ったのか、セレスが微笑して一つ頷いて見せる。
「でも、」
 その一方で、少し手前の方で盛り上がる誠司達を見遣りながら、モーリスがふと呟いた。
「物は使い様、です」
 くすり、と声を立てて笑い、さて、どうしましょうか――と考える。
 原因はまだわからなかったが、折角の現象が起こっているのだ。
 利用しなくては、勿体無いではありませんか。
「ほどほどにして差し上げて下さいよ、モーリス」
「さあ……何の話でしょうね?」
「まあ、この先何も起こらなければ、あえて害になる現象でもないのでしょうけれどもね」
 軽くモーリスに釘を刺し、セレスが付け加えた。
 おそらくこの場所で怪我をした人々は、洞窟の奥で、怪談話でもしていたのだろう。或いは悪乗りした冗談でも、言い合っていたのかも知れない。
 ――いいえ。
 しかし。
 そう言ったすぐ後に、セレスは自らの言葉に、首を横に振らなくてはならなかった。
 どうやら理由は、これだけではなさそうですね。
 セレスの傍で、モーリスと匡乃とが顔を見合わせている。
 その瞬間、三人より少し先の方から、唐突に聞えて来た叫び声があった。
「だから私は言ったんですよユリウス様っ! こんな所には来ない方が良いって!」
「でも、あなただってついてきていらっしゃるではありませんか。――そうやって言いながら、実は楽しんでいらっしゃるのではありませんか?」
「ふざけないで下さいっ!」
 怒りのあまりに我を忘れかけている晶を、ゆっくりとした面持ちで、駆け寄ったばかりのモーリスが諭そうとする。
「まあまあ晶君、そんなに怒らないで、ね? 君も知っているでしょう? ユリウスさんは、元々こういう人ですから」
「……モーリスさん、それは一体どういう意味なんでしょうねえ?」
「何も、そのままの意味ですよ?――何かやましいようなお心当たりでも?」
 私にはそのつもりはなかったのですが……と、意地悪く微笑んでくるモーリスへと、ユリウスも負けじと微笑を返すと、
「いいえ。私はただ単に、その仰りたいところを聞いているだけにすぎませんよ。私のことを、誤解なさっているのではないかと思いましてねぇ」
「誤解も何も、ユリウスさんに関しては、私としましても、色々と思うところがありますからね」
「答えになっていませんよ、モーリスさん?」
「一言では言えない事も、世の中には沢山あるものですよ?」
 会話が、平行線を辿る。
 しかしそれを遮ったのは、一足遅れて匡乃と共に追いついて来た、セレスの一言であった。
「シオンさん、……後ろです!」
 何かが、いる。
 ……あれは――霊、ですか……?
 晶が叫んだあの瞬間、この場所で何があったのかは、セレスにも良くわからない。だが、確かな事は、ここで何かがあったのであろうという事であった。隅の方では、怖がる色羽を、誠司と麗花とが慰めている。
「じじじじじじじじ冗談は止めて下さいよっ!!」
 シオンが返したその途端、気配は素早く、どこかへと飛び去って行った。
 そのままぐるぐると、それは周囲を飛び回り始める。
「こ、怖いじゃないですかあっ! オバケなんてきっと嘘なんですよ! 歌にもあるじゃあないですか!」
「本当にお化けがいなかったとしたら、そんな歌を作る事はできませんよ? お化けがいるから、お化けを否定したくなるのでしょうねえ」
 法律というものが、必要に応じて作られるものであるのというのと、原理は同じでしょうかねえ?
 場にそぐわずにこやかに、ユリウスがシオンの肩を叩く。
 その傍でセレスはずっと、その影の気配に気を留めていた。
「捕まえて、みましょうか」
 呟きと共に、とんとん、と二度、杖で軽く地面を叩く。
 刹那、洞窟内から集まり始めた水達が、セレスの足元に細く収束し始めていた。
 セレスには、知っている事があった。お喋りな水達が、こっそりと教えてくれた、言葉達。
 ――あれは、違うよ。元の姿じゃあ、ないもの。
 間も無くして、セレスの意思に従い、幾本もの水で編み成された糸が、あっという間に虚空に走る影のような物を捕らえてしまう。
「モーリス」
 絡み付く水の糸は、もがかれればもがかれるほど、複雑にその影を絡め取ってゆく。
 淡い光の中に、煌びやかなゆらめきを揺蕩わせたその糸の主は、ほのやかに甘い声音で、モーリスの――調和者の名前を呼んだ。
「ええ――少々、遊び足りないような気もしますけれども」
 応え、モーリスが一歩前へと歩み出る。
 そうして、手を翳す。
 途端、それは意思も無く、加えられた力にのみ服従するかのように静かに揺らめき、あまりにもあっけなく小さく中央に収束していった。
 暫くして、からん……と軽い音を立て、虚空から小さな石が三つほど姿を現す。
 ――ハルモニアマイスター。
 ありとあらゆる物をあるべき姿に、或いは元の姿に戻す、調和者としての、調律と調和の術。
「……これは?」
 落ちた石のうちの一つを拾い上げ、事の成り行きを見守っていた匡乃が、じっくりと注意を廻らせる。
「おそらくエネルギーの、安定状態ですよ」
 つまりは、元の姿……ですね。
 つまりはあの影の状態よりも、自然状態としては、こちらの方が存在していやすい状態なのだと言える。
 残りの二つも拾った匡乃が、それをセレスとモーリスへと一つづつ手渡してゆく。
 手渡された物は、見る限りはただの石であった。――しかし先ほどまでは、これは石などではなく、間違え無くあの影であったのだ。とりわけて石からは、強い力も感じられないが、
 ただの石では、なさそうですしね……そういえば、
「石、と言いますと……陽一郎さんが探していたのも、石、でしたよね」
 セレスの言葉に、モーリス、匡乃、ユリウスの三人が顔を見合わせる。
 そこにふと、割り込んでくる姿が一つ。
「ねえ皆さん。私ね、さっきから思っていたんですけれども」
 近寄ってきたシオンが、不意に体操服のポケットに手を入れた。
 そうしてああでもない、こうでもない……と、何度もお菓子の包み紙を取り出してはポケットにしまい、また違うお菓子の包み紙を取り出してはしまい――と繰り返し、
 それから、暫く、
「ほら、あった!」
 ようやく当たりくじを引いたのか、ぐっと手に掴んだ物を、四人の方へと見せ付けた。
 匡乃はお菓子の包み紙に紛れるそれを、シオンから受取ると、
「同じ物、ですか」
 そこにあったのは、たった今匡乃達が手にしている石と、殆ど同じそれであった。
 シオンは匡乃に向って堂々と胸を張り、解説を始める。
「アートの飾りにでもしようと思いましてね。色々探していた時に、見つけたんですよ」
「……アート、ですか?」
「冬に雪だるまを作る風習がある以上、夏に浜辺でアートを作る風習があって当然ではありませんか!」
「ああ、なるほど、砂のお城でも作るんですね?」
「城に限らず色々創れますよ――」
 まあ、でも今は、それはともあれ、ですね。
「その石、月光を浴びると、淡く輝くんですよ」
 シオンの証言に、一同の間で、この石が、陽一郎の探している物であるという確信が深まってゆく。
 謎の、生徒会長の探し物。
 生徒会長自体不思議な人物ではあったが、その探し物は、どうやら何かしらの力を秘めた石であるらしい。
 それを集めて、一体どうするつもりであるというのか。――或いは石版でも完成させるつもりなのか、という予測は、一部の人の間にはあったものの、その真実は、今は誰にもわからない。
 だが。
「この学園は、不思議な学園ですから。何かしら秘密があっても、おかしい事では、ありませんでしょう。……まあ、良いではありませんか」
 唐突に、何かを納得したかのように、匡乃が笑う。
 モーリスも、セレスも、シオンもユリウスも。話についていけない誠司達は置いてきぼりにして、それに続けて口元を緩めてしまう。
 その時五人には、ある種の同意があった。
 即ち、
 ――何はともあれ、折角の学園生活です。面白ければ、それで良いではありませんか。


III-a

 あの現象の原因が、あの影にあった事は、最後に匡乃がひそり……と呟いた一言を持って、確認された。
 即ち、
 清水さんの背中が、押されたりするかも知れませんよ――。
「もっと早く、言ってみれば良かったですね」
 あの影を捕まえる前に言っていれば、おそらく色羽は誠司に抱きつく事となっていたのだが。
「何の話です?」
「いえ、別に」
 モーリスの問いかけをさらりと流し、匡乃はちらり、と海の方へと視線を投げかけた。
 そこには、早速水着姿で騒いでいる、誠司達の姿がある。
 その一方で、比較的日陰の多い部分に陣取り、用意されたばかりのテーブルの椅子に腰掛けて休んでいたのは、セレスとモーリス、匡乃とユリウスの四人であった。
 ふと、匡乃から視線を外したモーリスの目に、ユリウスの姿が目に留まる。
「そんなに熱心に本を読まれるだなんて――何か急いでいる事でも、あるんですか?」
「んー……」
 ユリウスは本から、ちらり、と顔を上げると、
「課題の提出日が、近いではありませんか。何を書こうか、どうにもなかなか纏まりませんでしてねえ……」
 所謂、読書感想文にも似たものが、夏休みの課題として、一部の生徒には課されていた。
 曰く、夏休み中に、何でも良いから一冊、或いは、インターネットのホームページでも良いから読んできなさい。それについての感想や意見や評論を、A四判レポート用紙に三枚以上手書きして提出の事。なお、参考文献やURLも明記しなさい――。
「おや? ユリウスさんは、そういうのが得意でいらっしゃりませんでしたっけ?」
 意地悪く笑いかけ、モーリスがそう問うた。
 まあ、大体仰りたい事は、わかりますけれどね。
 普段から話す機会さえあれば、ユリウスの話はとにかく長い。それも、誰が聞いていようともいなくとも、周囲の状況などお構いなしに、自分の世界へと一人で入り込んで行ってしまうほどに。
 だからこそ、逆に、
「書きたい事が多すぎるのも、逆にマイナス要素になりますからねえ。困ったものですよ」
 返された答えは、モーリスの予想通りのものであった。
「まあ、書きたい事が無いよりは、良いのではありませんか?」
 匡乃はそっと、後ろから本の中身を覗き込むと、
「それで、ユリウス先輩は、何についてお書きになるつもりなんです?」
「何が良いと思います?」
「そのくらいは、面倒くさがらずに自分で考えて下さいよ」
「おや、面倒くさがってなど……」
 っと、まあ、良いですね。――ところで、折角ですから。
「そういえば皆さんは、どのようなテーマで課題をお書きになったんですか?」
 これも良い機会でしょう、と、本を閉じたユリウスが、くるりと全員に問いかけた。
 まずは、匡乃が答えを返す。
「僕は、大学受験における予備校の役割についての論文を読みましたから。それについて、書いたくらいですよ」
 次に、セレス。
「私は……そうですね、ダーナ神話について、少し書いたくらいですね」
 そうして、最後に、
「モーリスさんは?」
「さあ?」
「さあって、」
「ユリウスさんの、考える楽しみを奪ってしまうのも、どうかと思いまして」
 ふふん、と軽く笑い、モーリスは更に、
「ただ一つ言えるのは、もう既に書き終わっているという事ですね。私は、宿題も全て終わっていますし」
「……随分と嫌な話をなさるのですね」
「何の事です?」
 さらりと受け流す。
 ほぼ間違い無くユリウスが宿題を終えていないであろう事は、モーリスにとっても容易に想像のつく事であった。
 夏休み明けまで、あと数日。当然セレスも、自分も、おそらくは匡乃も宿題は完璧に終えているというこの時期に、本当はこうしていて良い暇も無いであろうユリウス。
「そんなに困っていらっしゃるのでしたら、その本についてお書きになれば良いではありませんか」
 匡乃が、『メディチ家』――おそらく題名の通り、ルネサンス時代にフィレンツェで繁栄を極めたあのメディチ家について書かれているであろうユリウスの本を視線で指し示しながら、ふぅ……とやおら、そう指摘する。
 手元の本を見遣られ、ユリウスは微苦笑を浮かべると、
「でも、この前読んだ本も面白かったんですよ。それに、その前に読んだ本も、前の前の本も、それから……ああ、サルトルの伝記も面白かったですねえ。そういえば、『君主論』も精読しましてね。それから、」
「色々と面白かったのはわかりますけれど、期限も近いでしょうに」
「ええ、確かに。そこが問題なんですよねえ……」
「それに、こればかりにも時間を使っていられないのではありませんか? 尤も、先輩が他の宿題を終えているというのであれば……」
 話は、別でしょうけれども。
 言葉の後半は視線だけで語られ、ユリウスがうんざりと頭を押さえた。
「モーリスさんに加えて、匡乃さんまでそんな事を仰らなくても」
「という事は、図星なんですね? 宿題、きちんとなさった方が良いですよ」
 長期休業中の宿題というものは、意外と成績に深く関わってくる。いくら試験の点数が良かったとしても、そこばかりは目を瞑ってはもらえない場合が、殆どなのだ。
「そういえば、宿題をやらずに留年した方の話を、私も聞いた事がありますよ」
 不意に、一つ実話を致しましょうか――と、セレスがビーチパラソルの日陰から、静やかに微笑んだ。
「その方の成績は、相当良かったそうですが」
「授業中の居眠りで、留年した人の話は聞いた事ありませんけれどもね。私もその話は、真実だと言って聞かされましたよ――教諭から」
 ついに黙り込んだユリウスには気付かないふりで、モーリスが同意する。
「当然卒業できませんと、大学には進学できませんよね」
「何を仰りたいのです? モーリスさん……私は今まで、一度も留年なんか、」
 言いかけて。ふ、とユリウスは、言葉を止めていた。
 ――何の前触れも無く、どこからか、くぐもった声が聞えてきたような気がしたのだ。
 私はですね、自由工作の課題が、資金不足で終らないのですよ!
 途端。
 もぞもぞもぞ……と、匡乃のすぐ目の前の砂地が、大きくうねりを描き始める。
「それと言うのも、半田が足りなくなってしまいましてね……後もう少しというところで、回路の接続が終らないのです!」
 その下から、声が聞えてくる。
 四人が思わず見守る中、砂は、暫く盛り上がり続け――、
「っはぁっ! 流石に苦しかった……!」
 青年が、そこからぽっこりと、顔のみを出す。
 ――シオンであった。
「何を……なさってるんです?」
「何って、トンネルを掘っていたのですよ!」
 呆れたような匡乃の問いに答えようと、ばっ、と周囲に砂を撒き散らしながら、今度は両手を砂から引っこ抜く。
 シオンはその手と顔とで、自慢気な様子を見せると、
「地上は暑い! という事で、たまぁに日陰に入りたくなったりとかするではありませんか」
「素直にこちらに来て休んでは……?」
「まま、それはそれ、これはこれですよ」
 無意味に親指をおっ立て、グッドサインを匡乃に突きつける。
 それから、両手を地面に付き、体を砂の中から引っこ抜きながら、
「皆さんは、海で遊ばないんですか?」
 シオンの問いかけに、
「私は――ここでゆっくりとしていようかと」
「折角ですが、別の所で楽しみを見つけてしまいましたので」
「……疲れる事は、嫌いなんですよ」
 セレス、モーリス、ユリウスと言葉を続ける。
 最後に、シオンの視線が匡乃へと行くと、
「僕は、」
「折角ですから、遊びましょうよ!」
「別に、構いませんけれど……、」
「よし一人ゲット! これで心置きなくビーチバレーができますよ!」
 奇数だと二で割り切れませんからね! と、苦笑する匡乃の手前で、一人意気込みガッツポーズを決める。
 そのまま颯爽と匡乃の腕をぐいと掴むと、
「それじゃあ、早速着替えに行きますよ! ほら、早くして下さいっ!」
 あっという間に椅子から立たせ、半ば無理やり連れ去ってしまう。
 ――その後には、
「全く、皆さん元気でいらっしゃりますねえ」
「ユリウスさん、まるで私達が年寄りみたいな言い分は、どうかと思うのですけれどもね」
 のんびりと海を眺める、三人のみが取り残されていた。


III-c

 とにかくめまぐるしい、ビーチバレーであった。
 十分ほど続けただけで、元気なのは当のシオンだけとなっていた。今や色羽と誠司とは日陰の方で二人だけで休んでおり、麗花も持ってきた大きなタオルを日陰代わりに、すぐそこに座り込んでしまっている。匡乃と晶とには多少体力は残っていたものの、もう一度ビーチバレーを、と言われれば、断らなくてはならないような状態であった。
 そんな中。
「さて、メイン行事の時間が来ましたよ! 皆さんっ!」
 シオンが太陽に向って、片手を掲げる。
 そうして、一言。
「スイカ割りっ!」
 呪文の如く唱えれば。その手には大きなスイカが一つ、太陽の逆光に影となって現れていた。
 今度は何よ……と、シオンを見上げていた麗花が、刹那目を丸くして絶句する。
「ちょっと待ってシオンさん……、」
 疲れた表情で、頭を押さえて問いかけた。
 スイカを手渡された晶が、匡乃の持ってきたシートの上にスイカを乗せているのを遠巻きに見遣りながら、
「そのスイカ、今どこから取り出したんですか……?」
 シオンの方へと、視線を戻す。
「それは秘密です。世の中には、知らなくても良い事もあるのですよ」
「……えと……、」
 すかさず答えを返され、返答に困った麗花はゆっくりとシオンの方から視線を逸らしていた。
 何気無く。その先にふと、目に付くものがある。
 ――巨大な、兎。
 とんでもなく巨大な砂の兎が、自分達の方を堂々と正面から見つめていた。
「シオンさん……」
「ああ、あれは、兎のアート☆ ですよ」
 返答には、しっかりと決めポーズまで付いてくる。
 しかし重要なのは、そこではなく、
「もしかして一人で作ったんですか……?」
「先ほどちょちょっと作ったんですよ! 兎のアート☆ です。……芸術ですよ。可愛いでしょう?」
 アート☆――に必要以上の強勢を置きながら、更に脚色したポーズを決める。
 そうして、麗花が再び言葉を失った頃、遠くから波の音に流れ、聞き慣れた声が聞えて来た。
「準備、できましたよ」
 匡乃が笑顔で、手を振っている。
 その横には、呆れ顔で立つ晶の姿があった。
 シオンは手を振って二人に向かって応えると、
「それじゃあ、麗花さんが先にどうぞっ! レディ・ファーストでっ!」
「わ、私は嫌ですっ! 折角ですから、ほら、大竹先輩ですとか、清水さんに――、」
 話を振ろうと、麗花が日陰の方を振り返ったものの、そこから誠司と色羽との反応は返ってこなかった。ただ二人は並んで座ったまま、ぼーっと青空を見上げている。
 ……ちょっと待ってよ! 戦線離脱っ?! 二人してっ!
「なんだかお二人は、疲れているみたいですからね。ほら、目隠しと、バットです」
 またもどこから取り出したのか、笑顔のままで手渡される。
「ですからっ! 私はいいって、言っているでは……」
「美味しいスイカが待っています! ほら、早く叩いてくれと呼んでいるではありませんか!」
「そんな、」
 えぇい、もう……こうなったら!
 麗花は何の前触れも無くすっくと立ち上がると、自らの体を覆わせていたタオルをするりと取り上げた。
 そのまま背伸びし、長く伸ばしたタオルでシオンの顔面をしっかりと捉える。
「ち、ちょっと麗花さんっ! 何を――!」
「良いですからっ、じっとしてて下さいっ! ほら、黙って……!」
 よしっ、できた!
 ぐるぐるとタオルを巻きつけると、頭の後ろで乱雑にタオルの両端を縛り上げた。
 簡易目隠し。
 これで十分、スイカを割る権利は、シオンに譲渡された事となる。
「ま、前が見えませんっ……!」
「ほら、バットを持って! 回って下さいっ! いーち、にー、さん……よんっ!」
 バットの下を地面につけさせ、それを軸に適当な回数、回転させる。
 最後に麗花は、シオンをスイカのある方向へと、力一杯突き飛ばしていた。
「ち、ちょっと麗花さんんんんんっ?!」
 目眩に、シオンの感覚が鈍る。
 自分はどこへ向って走っているのかもわからないまま、ただ直感にしたがって、バットを掲げて浜辺を走る。
 そうして、暫く。
「そこですよ、シオン先輩っ!」
 響き渡った、匡乃の言葉に。
 バットがスイカの上に、思い切り振り落とされた。
 ――力の限り。
「スイカ討ち取ったりぃいいいいいいいっ!」
 シオンの腕に、しっかりとした手ごたえが伝わる。
 しかし、一方で、
「「あ」」
 匡乃と晶との声が、スイカの四方八方に飛び散る音に、見事に掻き消されていた。
 遠くから成り行きを見守っていた麗花が、その場で再び頭を抱えている。
「いくらスイカ割りって言ったって……、」
 それじゃあ、殆ど食べれないじゃないのよ……。


III-d

 波の音が、これほどまでにも穏かであった。涼し気な海風に、優しい時間が運び込まれて来る。
 ――チェスの終った、あの後。
 ここまで歩いて来た疲れが溜まっていたのか、ようやく訪れた安息の時間に、セレスはこくり……と眠り込んでしまっていた。
 モーリスは、荷物の中から取り出したタオルケットをセレスの背中に掛け終えると、再びその隣の椅子に腰掛ける。
 そうして、先ほどからじっと化学の公式集に目を通しているユリウスへと、
「ユリウスさんは、テストが心配なんですか?」
 くすり、と微笑みかける。
 ユリウスはゆっくりと顔を上げると、
「いえ、別にそういうわけではありませんけれどもね。……化学で誠司に勝ちますと、ケーキバイキングをおごってもらえる約束をしているものですから」
 更ににっこりと、言葉を続ける。
「ところでモーリスさんは、お勉強、なさらなくて宜しいんです? この時期のテストは、大切なテストですよ。進路選択の、重要な資料になりますからね」
「授業をきちんと聞いていれば良い――ただそれだけの、話ではりませんか。テスト前だからと言って、わざわざ焦る必要は無いのですよ」
 少しだけ教科書やノートを見直して、思い出す程度にしておけば、それで十分なのですから。
 それに、
 ……ああ、この際ですから、ついでに言わせて頂きますと、ね、
「課題だって、毎日少しずつやれば良いだけの話ではありませんか。何も無理を課せられているわけでは、ないのですからね」
 レベル的にも、特別に難しいものでもないのですから。
 面倒くさい、面倒くさいと、後回しにすればするほど、後ほどその酬いが大きくなってやって来る。
 ユリウスは、モーリスの言葉に、ぱたり、と化学の参考書を閉じると、
「モーリスさん」
「はい?」
「……それって、嫌味、ではありませんよねえ……?」
「おや」
 紅茶を、一口。
「汝隣人を疑うこと無かれ――と、十戒にあるのではありませんでしたっけ?」
「それとこれとは話が別でしょうに……、」
「そうなのですか? 私は信徒ではありませんから、良く知らないのですけれどもねえ」
 ――と、
「モーリスさんっ! セレスさん、ユリウスさんっ! スイカを持ってきましたよっ!」
 不意に後ろから名前を呼ばれて、モーリスとユリウスとが振り返る。
 そこには大きく手を振る、シオンの姿があった。
「静かになさって下さい。……眠っていらっしゃるのですから」
 モーリスは駆けつけて来たシオンへと、セレスを視線で指し示しながら、こそり、と囁く。
「普段は、休み時間と放課後くらいなものですからね、騒がしい時間と言いますのは」
 でもこのような行事になってしまいますと、皆さん終日騒ぎっぱなしですから。
 疲れていらっしゃるのですよ。
 だから、このような時くらいは、
「ですから、休ませて差し上げて下さい」
 モーリスの本心に、シオンは素直に頷いた。
 その後ろから、もう一つの人影が近寄ってくる。
「……シオン先輩、大事な物を忘れていますよ」
 匡乃が、持ってきたスイカの載った皿を差し出しながら、苦笑していた。
 匡乃はそのまま、モーリスの方へと皿を差し出すと、
「スイカ、ぐちゃぐちゃになってしまいましたが――それでも宜しければ、どうぞ」
 言われた通り。
 その皿の上には、随分と不恰好なスイカが、半々個分の量ほど乗せられていた。
「誠司先輩や色羽さん達には、もう配ってありますから。後は三人で是非、分けていただけたらと思いまして」
 ……でも、まあ。
 たまには、こういうのも悪くはないでしょうね、と、モーリスは皿の方へと手を差し伸ばした。
 匡乃の説明に、軽くと頷く。
 そうして、一言、
「ええ、では……頂くと致しましょう」
 セレスティさんの分は、後でですね――と、笑顔と共に、付け加えた。


Fine


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 ■□ I caratteri. 〜登場人物  □■ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。
======================================================================

★ シオン・レ・ハイ
整理番号:3356 性別:男 学年:3−C

★ セレスティ・カーニンガム
整理番号:1883 性別:男 学年:3−A

★ モーリス・ラジアル
整理番号:2318 性別:男 学年:3−A

★ 綾和泉 匡乃 〈Kyohno Ayaizumi〉
整理番号:1537 性別:男 学年:2−A


☆ ユリウス・アレッサンドロ
性別:男 学年:3−A

☆ 大竹 誠司 〈Seiji Ohtake〉
性別:男 学年:3−A

☆ 清水 色羽 〈Iroha Shimizu〉
性別:女 学年:2−A

☆ 星月 麗花 〈Reika Hoshizuku〉
性別:女 学年:2−C

☆ 遠藤 晶 〈Akira Endoh〉
性別:男 学年:3−C



Grazie per la vostra lettura !

04 ottobre 2004
Lina Umizuki



●【個別ノベル】

【3356/シオン・レ・ハイ】
【1883/セレスティ・カーニンガム】
【2318/モーリス・ラジアル】
【1537/綾和泉 匡乃】