【タイトル】 流星の夜に
【執筆ライター】 リッキー2号
【参加予定人数】 1人〜?人
オープニング /ライターより /共通ノベル /個別ノベル


●「海キャンプ」 オープニング

 照りつける陽差し、息を呑むほどの真っ赤な落日のあとには、やわらかな宵闇が、海辺をしっとりと包み込む。
 海キャンプの一日は喧騒とともに過ぎていった。
 水平線の彼方には漆黒の夜のとばりが降り、決して都会では見られない、驚くほどの星々がまたたきはじめる。
 そして――
 キャンプファイヤーを囲む歌、夜が更けてもなお騒ぎたりない男子学生たちの声、女の子たちのひそやかなおしゃべりと、それに混じるときおりの嬌声も、しだいに遠のいてゆき……、生徒たちがみな寝静まった頃のことである。
 ただ波の音だけを残して静まりかえる海辺の、砂を踏むかすかな足音。

「誰だ?」

 突き刺さるような誰何の声が発せられた。そして、闇に慣れた目を射抜く懐中電灯の光――。
「……きみはたしか――……。どうしたんだ、こんな時間に」
 それは、繭神陽一郎だった。
 生徒会長は怪訝な顔で問いただしてきたが、よく考えれば、そういう陽一郎自身、なぜこんな真夜中に海辺を歩いているのだろうか。
「やれやれ、困ったもんだな。今夜は……他にも眠れない連中がいるらしい」




●ライターより

海キャンプの夜、あなたはなんらかの理由で眠らずに海辺を歩いています。そこで、繭神陽一郎、または他の学生たちと出会うのですが……。
プレイングでは、あなたが「夜に出歩く理由」と、誰かに出会ってしまった時の行動を教えてください(おまかせでも結構です)。
※「海キャンプ(日常)」ですが、多少、真相にかかわる部分をほのめかす可能性があります。



●【共通ノベル】

■ 赤い竜と黒い獣 ■

「ええい、辛気くさい」
 夜の海風に、長ランの裾がまくれた。改造制服の下は素肌だ。しかし、小麦色の筋肉質の身体を風にさらしても、彼の身の内にこもる熱は、やわらぎはしないようだった。
 金色の、どこか爬虫類めいた瞳が、夜の海を睨む。羅火は、そうしていつでも苛立っているのだ。手首を飾る呪術めいた刺青に、首に戒めのごとくに巻かれた鎖、そして携えた巨大な長刀――そんな風体を見れば、いかに自由が気風のこの学園においても、彼がその枠に収まり切っておらぬことはわかろうというものだ。
 だが……
(おかしい。こんなはずではないのだ)
 そうではない。そういう、学生としてどうの、といったこととは別の……、そもそも、こんなはずではないのだ、すべてが本当とは違っている……そんな違和感が、羅火にはつねにつきまとっていた。それが彼を苛立たせる。大人しく、寝てなどいられるはずもなかった。といって、何のあて、何の確信があったわけでもなく、ただ、そのやり場のない衝動に突き動かされるようにして、夜へとさまよい出たのである。
「…………」
 砂の上の足音を聞いて、羅火ははっと振り返った。
「――」
 紅い瞳と、金の瞳が交錯する。相手は、夜の海に先客のいることに驚いたふうもなく……かといって、何を言うでもなく無感動に、羅火を見て、ただそこにたたずんでいた。
「おぬし……」
 服装を見れば、学園のものには違いない。だが、羅火の見たことのない男子生徒だった。
 背が高く、細身である。けれども肩幅は広くて、どこか動きに鋭さが感じられる。整った顔立ちではあったが、陰鬱な空気をまとっていた。
「……おぬしも脱走組か。就寝時間はとうに過ぎておるぞ」
「…………」
 話し掛けられて、まるではじめて羅火の存在に気づいたように、彼の顔に表情というものが――かすかだったが――浮かんだ。
「夢を――……夢を見る。ずっと……。ここじゃない場所の――」
「おぬし!」
 はじかれたように、羅火は相手の腕を掴んだ。
「おぬしもか? そうであろう? なにかが間違っておるのだ、これは――」
 あふれるように、言いかけた羅火の言葉は、しかし、届くことはなかった。
「――!」
 腕に触れられた瞬間――。それまで、どちらかといえば、ぼうっとしてみえたその男子生徒は、電撃のような動作で羅火の手を振払ったのだ。触れられることで、なにかのスイッチが入ったようだった。
「…………」
 つう、と、羅火の頬を血が伝う。すっと一文字に通った細い切り傷。
「あ――」
 紅い瞳が、その血の色を映したような色で、見開かれる。
「ほう」
 羅火の顔に浮かんだのは、悦びの色だった。
「面白い」
 手にした太刀にまかれた鎖が、じゃらり、と音を立てた。
「まず名を聞いておこうか」
「……紅牙」
 問われるままに、彼は応えた。
「東雲紅牙だ。…………俺は――」
「問答無用!」
 爆風でも浴びたように、男子生徒――紅牙の身体が飛んだ。
「……っ」
 巻き上がる砂。
「得物は何だ! 素手か?」
 さきほどまでの苛立ちもどこへやら、猛々しい(しかしどこか嬉しそうな)声をあげて、羅火の脚が砂地を蹴った。突き飛ばされた紅牙が体勢を立て直す間を与えずに、羅火の拳が雨のように降り注ぐ。紅牙はなんとか受け止めた。だが、反撃を許すまいと、羅火の追い討ちが猛然と切れ目なく繰り出される。
「どうした、どうした!」
 嬉々とした声が吠えた、そのとき――
「ぬ!?」
「……!」
 闇が、沸いた。紅牙の足元から、それはあふれ出す水のようにあらわれ、羅火の喉元へとまっしぐらに向う。――闇を裂く、鋭い牙!
 咆哮のぬしは、羅火か、それとも。判然とせぬまま、もんどりうって砂の上を転げ回った二匹の獣を、紅牙は呆然と見つめた。
「……威勢がいいのぅ!」
 ばさり、と、闘牛士の布よろしく翻ったのは羅火の長ランだ。夜の海辺にあってなお黒い、漆黒そのものの獣をからめとり、抑えつけた。布の下で、はげしく、それが暴れる。
「面白いものを飼っておるな、おぬし!」
 紅牙は、羅火の身体が火を吹いたような錯覚に、はっと目をみはる。あえて名付けるなら、それこそ、鬼気とか、闘気とか、言うことができただろう。
 だが。
「――ッ」
 みしり、と、鎖が――羅火の太い首に巻き付いた鎖が、締まるのを紅牙は見た。彼がそれにたじろいだように見えるや、その隙をついて、黒い獣の牙が布を引き裂く。
「…………」
 寄せ返す波の音。
 かすかに星明かりを反射するのは、紅牙の手から放たれた細い鋼の糸である。……黒い獣は、ぐるる、と恨みがましい声を残して、気体のように霧散する。抵抗を失って、鋼糸が砂浜にはらりと落ちた。
「ふん。いまいましい鎖めが。…………礼は言わんぞ」
 羅火は、どっかりと、浜にあぐらをかいた。
「…………服――」
 ぼそり、と紅牙は言った。その一言だけだった。つくづく喉になにか詰まってでもいるような男である。
「こんなものは構わん。……いや、しかし、それなりに愉快であった。おぬしのような奴がこの学園にいるとは知らなんだ」
「俺は…………やっぱり、この学園の……?」
 羅火の金の目が、寡黙な青年をぎろりと見返した。
 しばしの、沈黙。
 やがて、おもむろに立ち上がり、砂を払うと、ボロボロになった上着を、半裸の肩にひっかけ、羅火は言った。
「頭を使うな。使うても仕方のないこともある。……いつでも相手はしてやるわい。わしは羅火だ」
「羅火――」
「おもわぬ出物じゃ、夜更かしもしてみるものだな」
 言いながら、去り行く背中は上機嫌。あとには紅牙ひとりが残され、夜の海辺にはもはや激闘の痕跡などなにもない。

■ 彷徨う夢のゆくえ ■

「!」
 しばらく、そこにそうしてたたずんでいた紅牙だったが、ふいに、背後の暗がりを振り返った。血の色に燃えるその目は、獲物を追う野生動物のそれである。
「ちょっと待った。暴力反対」
 闇の中から、あらわれたのは――、
「東雲紅牙くんと言ったね。いや、立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど、その――」
 羽織ったジャージを見れば、彼もまた学園の生徒とわかる。だが、ジャージ姿が不釣り合いに見えるほど、古風で秀麗な顔立ちの青年だった。
「僕は蓮巳零樹。あらためまして、こんばんは」
「…………」
「別に先生に言い付けたりしないよ。これもひとつの青春ってやつさ」
 先程の、紅牙と羅火の一幕をうかがっていたらしい。零樹はそう言ったが、紅牙は無反応だった。
「ちょっと」
 筆で描いたような零樹の眉がかすかにひそめられる。
「なんとか言ったらどうなの。邪魔しちゃったのなら悪かったけれど」
「…………いや。こちらこそ」
 ぽつりと呟くと、紅牙は、そっと浜辺に腰をおろした。ひどく、人と話をすることに馴れていない――そんな印象だった。
「君……。夢がどうとか言っていたね」
 零樹は問う。紅牙はうっそりと頷いた。
「街を、彷徨う――夢」
「へえ」
「学校なんかには行ってない。毎日、毎日、なにかを探して、夜の街を歩いて……」
 一度話し出すと、堰を切ったように言葉があふれる。
「なにか、とても大切なものを探してる……けれども、大切といってもそれは――なんていうか、それを見つけてしまうことで、もっと状況が悪くなるような……だから、見つけてしまうことがおそろしいような気さえして…………でも、ずっと苛立ってて……いや――俺がじゃなくて、俺の――」
 いつのまにか、零樹は紅牙の隣に並んで坐り、話を聞いている。紅い瞳が、零樹を映した。
「俺の中に、棲むやつが」
「…………」
「なにもかも、殺してしまう。……手に触れたものを……壊してしまう。だから俺は学校なんかには行ってない。みんな……殺してしまうから」
「でも、夢、なんだろ」
「…………そうだろうか」
 紅牙はじっと自分のてのひらを見つめた。
「俺の中にはやっぱりあいつがいる」
「…………」
「それなのに、俺はこんな――。おかしいんだ。こんなはずじゃない」
「……夢の中の自分が本当の自分だと?」
 沈黙。それが答なのか。
「まるで胡蝶の夢だ」
 零樹は言った。
「知らないかい? 中国の昔話さ。ある人が、眠っているあいだ、自分が蝶になった夢を見る。そのうち、その人は疑いはじめる。はたして、人間である自分が蝶の夢を見ているのか、それとも本当は蝶である自分が人間になった夢を見ているのか、と」
 ふふ、と、零樹は笑った。どこかあやしい、艶めいてさえ見える微笑だった。
「でも、そんなこと……悩んでも仕方のないことなんじゃないの」
「…………」
「『うつしよは夢、夜の夢こそまこと』なんて云ったひともいたけれど、これが夢ならそれもよし。醒めるときは醒めるだろうし。さっきの彼も云ってたね。頭を使うなって」
「…………」
「まったく」
 ため息まじりに。
「なんだい、張り合いのない。君ってば本当に…………厄介な人形みたいだ」
「人形――?」
「ああ、たまに、へそまがりがいるのさ。しんねりむっつり、何を訊いても黙りこくっているくせに、肚にいちもつ溜めこんでいる。それで人のことじぃっと見てたりしてね。髪の毛が伸びたりするのはああいう手合いさ」
「人形を……? どうして」
「どうしてってそりゃ――。……あれ?」
 ぱしぱしと、目をしばたいた。
「人形? 何だって、僕……そんなことを…………?」
 零樹はすこしのあいだ、考え込んでいたが。
「まあいい。僕も夢の中では人形師かなにかだったんだろう」
 といって、微笑むのだった。
「君の夢はあまり良い夢とはいえないようだけれど――」
 そして立ち上がり、砂を払う。
「抗うも身をゆだねるも君の心ひとつだ。もしかすると、それが人間と人形の違いかもしれないね」
「…………」
「邪魔をした」
「こんな夜中に何を」
「別に。あまり団体生活に慣れていなくて。人が近くにいると寝つけなかったものだから。もうすこし夜風に吹かれてから帰るとするよ。じゃ」

■ ボーイ・ミーツ… ■

 そして、再び、真夜中の散歩を再開した零樹だったが、数分も経たぬうちに、またも人影をみとめて足を止めた。
「…………?」
 波打ち際に抜き足差し足で忍び寄ろうとしている小柄な人物――女子のようだが、彼女は確か……
「ねぇ、君」
「ひゃ!」
 ふいに声をかけられて、相手は飛び上がった。
「吃驚した! もう!」
 ぷう、と頬を膨らます。大粒の黒い瞳が印象的な、長い髪の少女だった。
「……」
 でかでかと“海人”という筆文字が書かれた大きめサイズのTシャツを着てはいるが、その下は――どうやら水着のようだった。むろん神聖都学園のスクール水着である。
「泳ぎにきたの……? こんな夜中に……?」
「海を見に来たのです」
「でも水着……」
「海は水着を着て行くもんでしょ! ったく、人を驚かせておいて挨拶もなしとは失礼です」
「……君、どこかで――?」
 零樹は首を傾げた。さきほど、確かに知っている誰かだ、と思ったのだ。だからこそ近付いたのである。しかし、いざ、顔を合わせてみても名前が出てこない。にもかかわらず、彼女の事を知っているような気がしてならないのである。
「1−B、言吹一子」
「一子……ちゃん――か」
 そう口に出してから――零樹はなにか非常にすわりの悪い、奇妙な違和感を感じた。
「あまり馴れ馴れしいのは女の子に嫌われますよ。だいたい、名乗るときは自分が先というものでしょ」
「あ、ああ……僕は蓮巳零樹――だけど」
「零樹も暗いうちなら海に近付けると思ったのですね」
「……はあ?」
「海には波があるものです」
「うん……」
「近付こうとするとざば〜んと打ち寄せてきて、人を脅かします。そうかと思えばざざん、と退いてゆくので追ってみれば、急に戻ってきて、ざぶん。塩っ辛い水でずぶ濡れになります」
 一子が真剣な顔で力説するのを聞きながら、零樹は思わず、ぷっ、と噴き出してしまう。彼女が、波打ち際で波に追い立てられ、あわてているさまをありありと想像してしまったのだ。
「だからって、夜の海に来たところで……」
「夜は暗いのです。だから波が迫ってくるのを見て怖じけることもありません」
 一子は誇らしげに胸を張った。世紀の大発見をしたように得意げな顔つきだった。
「でも波の往来がなくなるわけじゃないよ」
 零樹は言った。
「暗くて見えないぶん、いつ、波に襲われるかわからない」
「ぼくは夜目が利くから平気です」
「じゃあ波が迫ってくるのだって見えちゃうじゃないか」
「…………」
 ざん――、と波の音が、零樹を肯定するように響いた。一子はじっと海のほうを凝視した。闇夜を背景に、漆黒の海から白く泡立つ波しぶきが押し寄せてくるさまを。ぶるり、と身震いをひとつ。
「その通りです。零樹もたまにはよいことを言います」
「なんだよそれ!」
「おかげで命拾いをしました。有難う」
「可笑しな子だなぁ。……って、今、君、僕のことを零樹って言ったね」
「言いました。零樹でしょう」
「そうだけど、君、下級生だろ。僕が先輩じゃないか。呼び捨てはよくないな。それに…………たまにはいいことを言う、って僕たちは今日会ったばかり――」
「…………」
 ふたりの瞳が、互いをとらえて離さない。
「――だよ、ね……」
「そう」
 一子は言った。
「はじめて会った。でも……ぼくは零樹を知っています」
「学校で…………見かけたんじゃないの。そりゃあ同じ学園なんだから」
 ざん――、ざざん――。波の音が謎かけのように、何かを問いかける。
「……調子狂うな。君みたいな可愛い子にこんな時間に会えるなんて……本来なら感謝したいところだけど……ああもう、なんだろう。今夜はおかしな人間にばかり会う」
 零樹はかぶりを振った。その様子を、一子の黒い宝石のような瞳がじっと見つめている。
「零樹。海へ行きましょう」
「……? 何言って――」
「零樹と一緒ならなんとかなりそうな気もするのです、さあさあ」
 一子は零樹の背中を押した。
「ちょ……ちょっと、やめなよ、こら、そんなに押しちゃ……、一子兄さん――」
(え――?)
 思わず自身の口をついて出た言葉の、真意を確かめるいとまもなく――
 ざぶん。
 波が、零樹の足元をすくった。
「わっ、冷た――」
 そして潮にさらわれてゆく。
 人形たちのくすくす笑い。しんと静まりかえった骨董屋の店先。くい、と眼鏡を押し上げて、小悪魔じみた笑みを見せる少女。ビロードのような毛並みの黒猫――。
 ざざ――、ざざん――。
「あ、あれ……?」
 波が退いたとき、零樹の脳裏からすべては消え去っているのだった。

■ 夜を往く乙女たち ■

(駄目駄目)
 言吹一子は、浜辺を駆けていた。
(やっぱり海は駄目)
 後ろを振り返り、振り返り、波から逃げる。けれど、一子は海と平行に走っているため、いつまでたっても波が押し寄せてくるのから離れることができないでいるのだった。垂直に、海と反対側に逃れればいいのだということに、思い至らないらしい。
「あいた!」
「きゃ!」
 やがて、その逃避行は、黄色い悲鳴に遮られる。誰かとぶつかったのである。
「ご、ごめんなさい――……って、なんでこんな時間に、出歩いている人がいるんです?」
 自分のことは棚に上げて、一子は目の前の少女をじっと見つめた。
「そ、そちらこそ」
 野暮ったい黒ぶち眼鏡を直す。三つ編みのおさげ髪の少女だった。
「きみ、誰?」
「……私、1−Aの風紀委員、黒澤早百合ですけれど、何か?」
 いかにも優等生然とした少女――早百合は言った。きっちりと、学校指定の制服を着込んでもいる。
「隣のクラスの……?」
「あなた……、たしか、1−Bの言吹一子さんでしたわね? 授業中の居眠りの常習犯の」
 早百合の眼鏡がきらりと光った。一子はこの風紀委員のことを知らなかったが、早百合のほうでは覚えがあるらしかった。しかも、“前科”も含めて。
「こんな夜中にどうしたんですの。みだりに外出することは禁止されてるでしょ。まして、こんな夜更けに出歩くのは不良とみなされても仕方ありません。まさか、昼間は居眠りばかりしているから眠れなかったんだなんて言わないでくださいね、言吹さん」
「そういう黒澤さんはなぜここにいるのです。いくら風紀委員だからってこんな真夜中に見回りもないでしょう」
「だって、それは、八島先輩を追い掛けて――」
 するりと言いかけて、はっ、と、早百合は口をつぐんだ。
「え。誰? 八島先輩?」
「なんでもありませんわ」
 あからさまに狼狽えて、そっぽを向いた早百合の顔をじっと見つめ(どうも、一子という少女には、人をじっと見つめるクセがあるようだった)、考え込むように人さし指で自分の頬をつついていた一子だっが、ふいに、にやりと目を細めると、
「はは〜ん。……黒澤さんは、その八島先輩というひとのことが気になるのですね」
 と言った。
「なっ……。ち、違います。私はただ――」
「黒澤さん赤いですよ」
「こんな暗いのに人の顔色なんて!」
「ぼくは夜目が利くからわかります」
「…………」
「その八島先輩というひとを、ぼくは知らないけれど、そのひとも夜中の散歩をしているのです?」
「そう、そうなのよ」
 早百合は、神妙な顔つきで、一子に訴えた。
「ヘンじゃない? いつもはマジメで優等生な八島先輩なのに。きっとなにか深いワケがあるのだわ。わたし、それを突き止めたいの。言吹さん、あなた夜目が利くと言ったわね」
「言いました」
「じゃあちょうどいいわ。こう暗くっちゃどうしようもないと思っていたところですの。懐中電灯はあるけど、明りをつけたらバレてしまうし。あなた、夜中の無断外出は不問にしてあげるからわたしに協力してくださらない?」
「どうしてぼくが」
「さあ、はやくしないと見失ってしまうわ。先輩、たしかこっちのほうへ行ったのよ」
 ぐい、と強引に一子の腕を引く早百合。こうして、にわかに、真夜中の少女探偵がふたりとなった。
「こっちは岩場です。危ないですよ」
「あらそう。じゃあ言吹さんが先を歩いて頂戴」
「……黒澤さん、あなた友達いないでしょう」
「いきなり何を失礼なことを言うの!」
 しだいに、潮が満ちてきているのだろうか。岬のほうへ近付くにつれ、岩場にあたってくだける波のしぶきが高く上がるようになってきていた。
「ねえ、黒澤さん。八島先輩という人のどこが好きなのです」
「ちょ――、ちょっと、言吹さん、わたしは何も――」
「いいのです。それが青春というものだと、誰かが言っていました」
「誰が」
「覚えていません」
「……言吹さんは好きな人はいないの」
「どうでしょう」
 一子は肩をすくめた。
「……わたしにもよくわからないのよ。わたし、こういうのって……」
「恋とは毛玉のようなものです」
「毛玉?」
「そう。知らず知らずに胸のうちに溜まっていって、そのうち苦しくて吐き出さないではいられなくなる」
「それ、猫が吐く毛玉のことを言ってるの? 妙なものに例えないでくださらない? それに、これは、その……恋だなんて、わたし……」
「何ですか」
「わ、わかるでしょう。女の子なら――」
「わかりません。だいだい、ぼくは女の子じゃないのです」
「は? 何、言って……」
 そのときだった。
「しっ、話声が。誰かいます」
「八島先輩かも」
「なんです、あの光。それにヘンなにおい――」
 次の瞬間!
 耳をつんざく甲高い音を引いて、あざやかに光り輝く火の玉のようなものが、猛然と空を切って少女たちのいるほうへと襲いかかってきたのだ。
「キャア!」
「わ、わ――」
 ざぶん!
 潮だまりに、なにかが落ちる音――
「こ、言吹さん、大丈夫……?」
 早百合が言い終わらぬうちに。
「にゃあぁん!」
「え。ネ、ネコ……?」
 暗闇の中を、なにかが走り去った。そんな気配があった。
「言吹さん? ねえ……?」
 返事はない。
「誰かいるの――?」
 かわりに、早百合の背中に、声がかかった。

■ 線香花火が消えぬ間に ■

 岩影に、三人の男女の姿がある。
 かれらを照らし出す、色とりどりの光は、おのおのが手にもつ花火によるものだった。
 ひとりの女子学生はむろん、黒澤早百合である。なぜこんなことになったのかを知るためには、ほんのすこし時を遡る。
「……大丈夫でした? まさかあんなところに人がいると思わなくてね。すまなかった」
「いえ……それは……いいんですけど」
 早百合は、どぎまぎしながら、黒い詰襟に黒眼鏡(こんな夜中だというのに!)の3年生を見返した。
「あのぅ……八島先輩、こんな真夜中にどうして花火を……?」
 黒澤早百合は、目的の人物を見つけたことになるわけだが、彼は一人ではなかった。連れがいたのだ。
「いや、もともと花火をするつもりではなかったのだけど、彼とここで出くわしてしまってね」
 ふたりの視線が、第三の男へと向けられる。彼女も見覚えのある男だった。
(たしか、八島先輩と同じクラスで3年の風紀委員のCASLL・TO(キャスル・テイオウ)さんだわ。新聞部が出した神聖都ジャーナルの記事で『悪人顔ランキング』1位だった……)
 早百合の頭の中のデータベースからすばやくトリビアが引き出された。その『悪人顔ランキング』1位の男子生徒は、しゃがみこんで、線香花火を一心に見つめている。そしてなにか聞き取れない小声でブツブツ呟いているのだった。
「あ、あの……CASLL先輩」
 おずおずと、早百合が問いかけた。
「CASLL先輩はどうしてこんな夜中に」
 深夜の外出は不許可なのだ。相手が上級生なので強くは言えないが、同じ風紀委員として、それを知らぬでもあるまい、というのを言外ににじませて早百合は言った。しかし、CASLLは、くわッ、と、形容しがたい表情で、
「だって、せっかくの楽しい海キャンプなのに、眠っちゃうのもったいないじゃないですかァ〜!!」
 と言うのである。それは泣きそうな子どもの顔にも似て、また一方で「泣く子いねがー!!」と迫るナマハゲの顔にも似ていた。思わず、早百合がひっ、と、引きつった声を漏らした。
「来る前の晩も楽しみで眠れなかったんだけどね! 今日は今日でやっぱり寝られなくてさ! 花火もいっぱい買ってきちゃったし!」
 そういうCASLLの傍らには、ダンボールひと箱ぶんの花火があった。
「これ……全部……?」
「これだけ消化しようと思うと大変でしょう? だからつきあってあげることにしたんですよ」
 あきれ顔の早百合に、苦笑まじりの八島。
(ああ、八島先輩ったらなんて級友思いな方!)
 だがその言葉を聞いて、早百合の顔に決意の火が灯った。
「わ、わたくしも、できるだけお手伝いします」
 そんなわけで。真夜中の、3人きりの花火大会になっているのである。
 岩のひとつにろうそくを立て、そこから火をとって、次々と、花火を消化してゆく。
「…………」
 赤から青、青から緑へと、刻々と色を変える花火に照らされた、八島の横顔を、早百合は盗み見た。黒眼鏡に花火の光が映り込んでいるだけで、その表情はうかがいしれない。かれらは、黙々と、山ほどある花火に火をつけては、じっとそれぞれの手元を眺めているばかりだった。
 なにか話したほうがいい。早百合は思ったが、うまい言葉が出てこなかった。傍にCASLLという第3者がいるせいもあるけれど、彼の存在を無視して頭と視界から追い出してさえ(実際、早百合はずっとそうしていた)、なにか話したい、という気持ちだけが、焦りのようにつのるだけだった。
「あ、あの――」
 とりあえず、口を切る――が、ちょうどそのとき、手の中の花火がふいに終わった。「あ……」
 花火というものは、どうしてすぐに尽きてしまうのだろう。その火が明るく輝かしいほど、消えてしまったあとにはしんとした寂しさが広がるというのに――。
「ねえ、見て見て! 八島くん! 黒澤さん!」
 突然、CASLLが嬉しそうな声をあげた。
「…………」
「ほらほら!これ!僕、だいすきなんだヨー!」
 CASLLが手を叩いて悦ぶ。彼の足元では、へび花火が、地味に、うねうねとあやしい運動をしているのだった。
「………………八島先輩は、CASLL先輩と仲がいいんですか?」
 心配するような声音で、早百合が訊ねる。
「え。……まあ、仲がいいっていうか……」
 八島は言葉を濁した。
「そういえば、そもそも、黒澤さんこそ、こんな真夜中にどうして出歩いていたの」
「えっ、そ、それは――」
「いくら風紀委員っていっても、女の子ひとりじゃ危ないだろう」
 早百合はうろたえつつも、思った。
(や、八島先輩が私のことを心配下さっている! これは………………いけるわ)
 なにがいけるのがさっぱりわからないが、内心でほくそ笑む。
「あ、あの、実は私、八島先輩をお見かけして、それで――」
 しかし、いいかけた言葉は、突如として響いた怪音に遮られた。
「うわ、ちょっと、CASLLくん!?」
「ほらほら、ネズミ花火だよー!」
「こ、こんな近くで、危な――」
「わっ、こっち来た」
「八島先輩! きゃあああ」
 シャァァァーーーッと凶悪な音と火花を散らしながら、小さな小悪魔は地面を不規則に走り回り、かれらを追い回す。夜の海辺に、悲鳴が交錯した。それが収まったのは、十分も経ってからのことだった。
「…………CASLLくん、頼むからもっと周りを見てから……」
「う、うん…………」
 散々、逃げ回って息をつく。
「あら……なにか、焦げくさくありません?」
 早百合がはっと顔をあげた。
「え。…………あッ、CASLLくん!」
 岩場には、火をとるためのろうそくが立てられていたのだ。そして、CASLLが今まさにもたれかかったのもその岩で――
「あ、熱ーーーーーッ!?」
「燃えてる!燃えてる!」
「ギャァアーーーーーーーー!」
 海辺は、ふたたび、阿鼻叫喚の巷と化した。

■ 海の中でダンス ■

 カチカチ山のタヌキのように、炎を背負って、CASLLはあてもなく走り回った。
「あ、熱い! 燃える! し、死ぬ!死ぬ!死ぬ!!」
 わめきながら走るCASLLのスピードは100メートル9秒を切ったとか切らないとかだったが、その瞬間、天啓のように彼の脳裏にひらめいたことがある。
 海に飛び込めばよいのだ、と。
 エウレカ!
 浮力の定理を発見して、風呂から飛び出したアルキメデスとは逆に、夜の海へとダイブするCASLL。
「た、助かった……」
 ぶすぶすと、くすぶった煙を立ち登らせつつ、首から上だけを海面から出す。
 冷たい海の水が心地いい。しばし、この波間にひたっていたいような気になって――
 ふいにCASLLは、刺すような気配を感じた。
「…………」
「……」
 目が合ったのは、金色の瞳。
 海中には、先客がいた。
「………………こ、こんばんわ……」
 とりあえず、挨拶をしてみたものの。
「なんじゃ、おぬしはーーー!」
 吠えるような大音声。ざばん!と水を割って立ち上がったのは、あざやかな赤い髪もまぶしい青年だ。
「わーーー、ごめんなさい!ごめんなさい!」
 反射的に謝ってしまうCASLL。
 先に海に浸かっていた青年は上半身裸だったが、その身体のところどころに、まるで体内から浮き出たかのような、不思議な赤い結晶のようなものがついているのを、CASLLは見た。なにか、ボディピアスのようなものなのだろうか? それにしても、真夜中に海水浴か?
「ふん。ぬしも神聖都の学生か?」
 じろり、と、彼が――もちろん、それは羅火である――CASLLをねめつける。
「あ、ええと、3−Cの……CASLL・TO、風紀委員です……」
「3年生か。こんな夜中に何をしておる」
「う、海辺をジョギングしてて……そのあと、花火を……」
「元気が余っておるようだな」
 羅火がにやりと笑った。獲物を見つけた野獣が、舌舐めずりをするときの表情だった。
「あ、はは――、毎日、運動してるから……」
「見れば立派なガタイをしておるわい、骨のあるヤツと見た、わしと手合わせせい!」
「え、ええええ!?」
 羅火がCASLLの胸倉をつかんで、彼を海中からひきずりだした。
「身体の火照りをさまそうと、海に入ってみたが、やはりそんなことでは、この血のたぎりは癒えぬのよ。さあ、どこからでもかかってくるといいぞ。かかってこぬなら、こちらからゆくぞ!」
「ちょっと、待っ――」
 ぶん、と風を切る音さえ聞こえる、羅火の拳の一撃!
 食らったらどんなことになるか、わかったものではない一撃を、しかし、海中の砂に足をとられたCASLLは、偶然、身体が傾いて見事に避けた。
「むう! なんと素早く無駄のない動き! おぬしやるな!!」
 第二撃!
 体勢を立て直そうとし……しかし、しきれずに、膝を折ったCASLLの頭の上を、羅火の攻撃が通り過ぎた。
 そして、次に立ち上がったとき、前のめりに進み出してきていた羅火の下顎を、CASLLの石頭が渾身の頭突きを食らわせることになってしまった。
「ぬお!」
「あ痛ッ!」
 よろめきながらも、羅火は好敵手(?)にはからずも巡り会った歓喜に、天性の戦士としての雄叫びをあげた。そして次こそは、羅火の手がCASLLの身体をしっかりと捕らえる。
「これはどうじゃ!」
 軽々と――羅火の金剛力はCASLLの長身を放り投げた。
「ぎゃああああああああああああ」
 尾を引く悲鳴に続いて、ざぶん、と、水音。
「うはは、生きが良い!」
 羅火が、獲物を追って海面に身を滑らせ、波を掻いた。
「うわ……っぷ、こ、ここ――足がつかない……」
 波間に浮き沈みするCASLLのもとに、ジョーズよろしく近付いていく羅火。
「逃がさんぞ!」
 CASLLは逃げるどころか、文字通り、藁をもつかみたい状態だった。むんず、とその手が羅火の身体にふれる。
「むう、おぬし、なかなか力が強いな。ええい、離せ」
「た、助け――溺れる!溺れる!」
「おのれ、離せというに、こいつめ!」
 必死の形相で腕を絡めてくるCASLLを、力まかせに引き離さんとする羅火だったが、CASLLも、さすがに命がかかっていると思ってか、そう簡単には離れなかった。
「ま、待て待て、これでは、わしも諸共に――うお!」
 ざぶん、と波をかぶるふたり。
 そのまま真っ黒な水面がかれらを呑み込み――
 ざっぱ〜〜〜〜〜ん、
 と、魚雷でも爆発したかのようなしぶきとともに、CASLLが空高く打ち上げられるのだった。
 そしてその下では、羅火が勝ち名乗りの咆哮を轟かせている。
 もはや南海の怪獣大決戦の様相であった。
 この真夜中の異種格闘戦がいつまで続いたのかは、定かではない。

 *

 夏の星座が、ゆっくりと、天球をめぐってゆく。
 ひとりの少女が、海風を浴びながら、そこにたたずんでいる。
「…………本当に、不思議だ。キミたちは」
 かすかな呟きを吐いた唇に、笑みがのぼる。
 ときに笑い、ときに迷い、うろたえ、寂しさにふるえ、恋にとまどい、またときには争い合う。ほんのひととき、この浜辺を眺めているだけでも、そこには無数の表情があった。
「どんどん、キミたちのことがわからなくなってゆくよ」
 彼女はひとりごちた。
「でも…………たぶん、ボクは、それがキライじゃない、と、感じはじめている……」
 そのとき――
 夜空を横切ったのはひとすじの流星だ。……いや、見れば、次々とあとを追うように、星たちが流れてゆく。
 流星雨――。
 人影は、息を殺して、天にあらわれた奇蹟を眺めている。
 彼女が、そこになにかの祈りをこめたのかどうか。……それは誰にもわからない。

(完)


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1538/人造六面王・羅火/男/1−C】
【2098/黒澤・早百合/女/1−A】
【2568/言吹・一子/男/1−B】
【2577/蓮巳・零樹/男/2−B】
【2835/東雲・紅牙/男/3−A】
【3453/CASLL・TO/男/3−C】



●【個別ノベル】

【1538/人造六面王・羅火】
【2098/黒澤・早百合】
【2568/言吹・一子】
【2577/蓮巳・零樹】
【2835/東雲・紅牙】
【3453/CASLL・TO】