【タイトル】 闇光石
【執筆ライター】 間垣久実
【参加予定人数】 1人〜
オープニング /共通ノベル /個別ノベル


●「海キャンプ」 オープニング

 照りつける太陽。弾けるような笑い声、歓声。
 浜辺でビーチバレーや水浴び、遠泳等を楽しんでいる生徒達をどこか遠い目で見ている少女がいた。
 自然に出来たテトラポットのように、波に洗われて削れた岩場の隅で。
「…楽しんでないのか?」
 ふいにその背に声がかかる。
 水着姿でいるのに全く日焼けしている様子の無い白い肌を見て眩しそうに目を細めた生徒――草間武彦の声に気だるそうに振り返る月神詠子が、生徒達の見当たらないこの場に現れた武彦を不思議そうに眺める。
「ナンパなのかい?」
「――そう見えるか?」
 夏場の日差しに溶けかけたシガレットチョコを何気に物足りなさそうに咥えながら、武彦が話し掛ける。詠子には逆光で表情が見えないが、あまり気にする風も無くふいと目を逸らし。その視線の先にあるのは、『今』を十分に楽しんでいる生徒達の姿。
「違うみたいだね」
「正解。…年寄り臭いかもしれないが、ああいうのは苦手だ」
「そう」
 ひと気の無い場所を探してやって来たのが此処だった、ということらしい。
 黙ったまま、ひとしきり騒いでいる生徒達を眺める2人。
「――キミは…」
 再び話し掛けたのは、先程ぽつん、と言葉を切った詠子だった。
「キミは――楽しんでないのかい?この夏を」
 巻き紙にチョコが滲んでしまっているのを見て眉を寄せた武彦が、少し考え込み。
「楽しんでいるさ。年相応にな」
「…そうか。年相応にか」
 そこでようやく隣に並んだ武彦と視線を合わせた詠子が、ふ、と大人びた――苦い笑いを口元に浮かべる。
「ボクはどうしてここにやってきたんだろう。どうして…ここで見ているだけなんだろう」
「俺もそれは同感だ。――どうせなら、エアコンの効いた部屋でタバコ咥えながらぼーっとしている方がいい」
「チョコレートのかい?…先っぽが溶けて落ちてるよ」
「うあ、シャツに付いちまった。また怒られるな」
 名残惜しげにぽいと岩場の隙間にチョコを捨てると、染みの付いた白いシャツを情けない顔で見つめる。
「怒られるんだ」
「ああ、妹にな。気が利くのはいいんだが、こう言うのには容赦無いんだ。まいるよ」
 ポケットから新しいシガレットチョコを咥えながらぶつくさ文句を言う。家で旅行の帰りを待っている妹の事を思いながら、固いチョコの端を歯と唇で押さえて。
「いい妹さんだね。――早く帰りたいんじゃないかい?」
「いたらいたでうるさいからな…たまにはこう言うのも、悪くない」
「…そうか。悪くないんだ」
 ふふ、と小さな笑い声が詠子の口から漏れた。
「ボクはきっと楽しみたかったんだよ。表に出るなんて滅多に無かったから。…こんなに砂が熱いなんて、こんなに日差しが痛いなんて思わなかった」
「やらなきゃ痛いのも楽しいのも分からないだろうな」
「きっとね――そうだね」
 ふと、詠子が首をかしげたように見えて横を向く。その視線は、かなり昔に削られたものだろう、岩場の向こうでぽかりと空いた洞窟へと向けられていた。
「あれは何かな」
「洞窟…ってそういう答えを期待して無さそうだな」
「まあね」
「ここからじゃはっきり分からないな。だが、行かない方がいいぞ。何か祀ってあるかもしれないし、満潮になったら入り口が閉じる場合だってあるんだ」
「面白そうじゃない」
「駄目駄目。そんなんで面倒に巻き込まれたら大変だぞ」
 何か悟ったような顔で首を振る武彦を面白そうに見る詠子が、
「分かったよ。…じゃあ、ボクは先に戻るね」
 ひらひら、と手を振って去って行った。

*****

 その夜。
「詠子ちゃん、いないみたい」
「あと少しでご飯の時間なのに何処行っちゃったんだろ」
 ぱたぱたと走り回る同級生を武彦が呼び止める。
「何かあったのか?」
「詠子ちゃん――月神さんが何処にもいないのよ。心当たり知らない?」

『面白そうじゃない』

「…ある」
 嫌な予感はしてたんだ。
 もっとしっかり止めて置けば良かった。
 聞けば、午後から誰も詠子の姿を見ていないとの事。悪い方に考えれば、武彦があの岩場を去ったのを待って1人であの場所へ行ってしまったのかもしれない、と思い当たる。
 この際頼りになるのは教師…と見ると、こうした事態に一番不似合いな定年間際の女性が見え、がっくりと肩を落とした。近寄って話をすると、案の定おろおろするばかりで内心深い溜息を付く。
「お前達はここで待機してろ。んでお前らは…買出し?んじゃあ店や路上に居る連中に見なかったかって聞いといて。見つかったら連絡入れるからそっちからも、見かけたり戻ってきたら連絡くれ…携帯持ってるよな。俺も持ってく。ええとじゃあ、先生は他にも居なくなった奴いないか点呼とって探してて。俺、心当たり見回ってくるから。――それから…俺1人じゃ手が足りないかもしれない。誰か俺と行ける奴いるか?」
 普段授業も熱心に受けない生徒が――こう言っては失礼かもしれないが生き生きと生徒達に指示を与えているのを見て、
「草間君、すごーい。もしかしてサバイバルの人?」
 何か妙な勘違いをしたらしい声も飛ぶ。
「違う違う」
 丁寧にその声にぱたぱたと手を振って否定し、苦笑いを浮かべると、
「メシ前に悪いが、誰かいないか?」
 もう一度、声を上げた。



●【共通ノベル】

「チョコ、はい。救急箱と懐中電灯。――私も付いて行くわよ」
「シュラインもか?ああ、まあ、構わんが…大丈夫なんだろうな」
「あたしも詠子ちゃん探しに行くぅ!」
 詠子の姿が見えないと言う話を聞き、懐中電灯と救急箱を持ち出して来たシュライン・エマが同クラスの武彦へとその品を渡し。ほんの少し戸惑うように念を押した声に被せるように、シュラインへがばと飛びついてきた人物がいる。
「わっ。――チカちゃん、危ないわよ」
「えへへ」
 シュラインの腕に両腕を絡め、にっこにこといかにも楽しそうな笑みを浮かべた後輩に、武彦が非常に複雑な表情で見る。というのも、
「お前…本当にその格好で行くつもりか?」
 動きやすいよう、髪を結わえてジーンズに白いワイシャツと言う出で立ちのシュラインに比べ…千影は、緑色の複雑な刺繍が入った、黒のチャイナドレス。
「そうだよ、あたしも行くの。だからよろしくね武彦ちゃん」
「あのな、仮にも俺は先輩だってのに――いや、いい」
 何か思うところがあったのか額を押えてげんなりした顔をすると、呼びかけに応じてやって来た4人にもそれぞれ目を向けた。
「僕も同行しよう」
 手に携帯電話を持ち、半袖のパーカーを羽織ったハーフパンツ姿の翼がついと歩み出、
「最後に見かけた場所を教えてもらえれば、いる場所の範囲は特定しやすいと思う。――教えてくれないか?」
「ああ」
 海岸近くの、岩場の辺り――もしかしたら、その奥の洞窟へ行っているかもしれないと聞いた翼がふと眉を潜め。
「そんな所に何をしに行ったんだろうな」
 ぽつりとそんな事を呟いてから、「ちょっと失礼」と立って集まってきている皆から少し離れた位置へと移動した。
「私も行こう」
 やはり必要と思ったか、懐中電灯と救急箱を持ったタンクトップにジーンズ姿の風間悠姫が申し出る。…何か服がきつそうに見えるのは気のせいだろうか。
 とは言え、その辺りを見るのは流石に抵抗があり、目を逸らすようにして「助かる」と言いながら2品を受け取った。そしてその視線の先には、悠姫よりも目の毒になりそうな豊満な体つきの後輩が居り。
「私も参加させてもらうわ。ここでじっと待っているなんて出来ないもの」
 ジッパー式のタンクトップビキニ…だが、その中にきちんとおさまりきらないため、ジッパーをぎりぎりの位置まで下げている銀城茜がにこりとどこか頼もしげな笑顔を見せる。
「お、おう」
 目のやり場に困った武彦があらぬ方向へと視線を動かしながら答えるのをくすっと笑いながら、茜が一歩下がった。
「先輩、俺も行くよ。――荷物コレに入れてくからさ、救急箱とか寄越して。後、チョークと水…それにバスタオルとか軍手とかも入れといた」
 空にしたリュックの中にペットボトル等を詰めていた向坂嵐が、学校のジャージ姿でリュックをどさりと置く。
「それはいい考えだ。…救急箱を全部持っていったら万一こっちで見つかったり誰か怪我をしたら困るだろう。ひとつだけ入れておいて残りは先生の所に戻しておいた方がいいな」
「オッケー」
 いくつも救急箱があっても仕方ないのはそうだろうが、武彦の呼びかけに応えるために、各自で集められるだけ集めて来たのも事実。
 それらをリュックに詰め、残りの品は教師へと手渡してさあ行こうかと動き始めた時。
「私も同行しましょうか。このままですと草間君の寝覚めも良くなさそうですしね」
 一番最後に呼びかけに答えたのは、のんびりとキリの良い所まで本を読んでいた神谷虎太郎。
「…そこまで心配してくれなくてもいいぞ」
 呆れたようにクラスでいつも変わった本ばかり読んでいる同級生を見つめ、ふぅと息を付く武彦。
「冗談ですよ。ああ、私の方はこんな品もありますし。向坂君のチョークと併用して使いましょうかね」
 ひょいと取り出したのは、釣りにでも使ったのか、テグスを巻き取ったもの。そうだな、と頷いた武彦達のもとへ翼が戻ってくると、
「…間違い無さそうだ。キミの言う場の近辺に彼女がいると思うよ」
 そう、静かに告げた。
「この辺って、満潮時はどのくらい水が上がってくるの?…それに…今晩満潮になったりしない?」
 シュラインが心配そうに、この辺りの事を知る者が居れば、と思ったかそんな事を訊ね。断言は出来ないけれど、洞窟が海水で埋まることは無いだろうと生徒の1人が答えた。
「と言うわけで、海の岩場――そうそう、あの辺り。あの岩場にある洞窟へ私達は行って来ますから、もし数時間経っても何の連絡も無く、戻って来なかった場合は無理に後を追おうとせずに直接警察の方へ連絡お願いしますね。あ、それともし、彼女が先に戻ってきた時には私達の方へ連絡お願いします」
「気を付けてね、いってらっしゃい。晩ご飯、戻ってきた時に食べられるようにみんなの分は取って置くから」
 この場に残って連絡を待つものと、買出し先に話を聞きに行くものと、そして心当たりの場所へ行く武彦達8人と…3つに分かれて。

*****

「念のため水着中に着てるから、海に入らなきゃいけねえ時は任せてくれ」
「あたしも海に入ってみたーい」
「チャイナドレスではやめておいたほうがいい」
 捜索に行くと言うのにちょっとはしゃぎ気味な千影を除き、数個の懐中電灯ですっかり暗くなった外を照らしながら、昼間見かけた洞窟へと移動する。
 夜の海岸は、少し離れた所に街の灯りが見え、空にかかる月光と協力して黒々と横たわる海の表面をきらきらと輝かせている。
「きれーい…」
 シュラインと茜の2人と手を繋ぎ、子供のように楽しげな表情を浮かべていた千影がその光景を見て目をまん丸にする。
「そうね。とっても綺麗ね…」
 茜がそれに応じ、
「――でも…少し怖いわ」
 シュラインがぽつりとそう呟いた。
「確かにな。昼間と同じモノとはとても思えない」
 翼が、手に持った携帯の電波を時折確認しつつ、同じように海を眺める。
「夜の海…と言うと、いつか読んだ本にありましたねぇ。ええと、夜の海で光るモノの正体は海底人の使う灯りだと」
「………」
 一瞬。しん、となった皆…そして、
「ぷっ」
 悠姫がたまりかねたように小さく吹き出し、同じく笑いを堪えるような声と息遣いが夜闇の中響き渡った。
「捜索に行くのに、そういう呑気な事ばかり言わなくても、いいだろうに」
 文句を言おうとしている武彦の声も微妙に震えている。
「いえいえ。緊張し過ぎはよくありませんからね。それじゃあこんな話はどうです?」
「いや、もういいもういい」
 懐中電灯を降ってそれを止めた武彦が、表情を引き締めて前を見つめた。
 昼間、照りつける太陽の下では何の違和感も無かったその岩場は、夜の中では不気味なごつごつした面が強調され、人を寄せ付けない雰囲気になっていた。
「足場に気をつけろよ。テトラポットのような穴はあまり無さそうだが、波で随分削られてるからな」
 先に立ってひょいと上にあがった武彦が、懐中電灯で目的の黒々と口を開けた洞窟までの道筋を照らしながら下から見上げている皆へと告げた。
 ――生徒の誰かが言っていた通り、満潮には遠いらしい。まだ岩場を濡らすように波は上がって居らず、やや遠い位置から波が岩に当たる比較的穏やかな音が聞こえて来る。
 注意しなければならないのは足元。深い穴はないものの、凹凸が頻繁にあるために身長に足を運ばないとなかなか先へ進むことが出来ない。
「午後からずっとあの中にいるんでしょうかね」
 虎太郎の声に、意識せず洞窟を注視するいくつかの目。
「中で倒れていなければいいが。まあその場合は男が3人もいるしな」
 悠姫の言葉にえー、と声を上げたのは虎太郎。
「その時は俺と草間先輩の2人で何とかなると思うから、神谷先輩はリュック頼むよ」
「それなら了解です」
 納得行った神谷のほっとした声に、暗闇の中で誰かがくすっと小さく笑い声を上げた。
 洞窟の中は思ったよりも広く、枝分かれしてはいるもののそちらは人が通り抜けるような大きさになっていない。…ただ、その闇の中から何かが覗いているような気がしなくも無かったが、それは気のせいと言う事にしてずんずんと先へ進む。入り口から神谷が伸ばし続けているテグスと、時折嵐ががりごりとチョークで矢印を付けている他は特に何も無く、ほぼ一本道のひんやりとする通路を奥へ奥へと進む。
「――風が通っているんだな」
 静かに翼がそんな事を呟き、
「あ…あそこ。何か明かりが見えるわ」
 茜が、ついと前方――ほんの少しカーブした先へと指を向けた。
 何となく足音を殺しつつ、静かに先へ進んで行く。
 そこに――『彼女』は、立っていた。

*****

 洞窟の奥から、一本の光が縦に足元へと降り注いでいる。
 その光を浴びて、
 まっすぐ立ち尽くしている女生徒の姿がひとつ。

 後ろから僅かに窺える表情は、冷徹で。
 立っているだけなのに、その重圧感に胸が締め付けられる。

 ――振り向かれるのが――怖い。

 誰もが、圧倒的な『何か』を感じて、そう思った。

 洞窟の中は、いつ頃作られたものなのか、小さな…海の神を祭る祭壇が出来ていた。一番奥、真正面に海を臨む壁にはそこだけ人の手が加わっており、きちんと形良く掘られた壁の中には、注連縄で括られた子供の頭ほどの石が飾られている。
 細い月の光だけが一筋差し込んでいる状況で、詠子以外が見える事自体おかしなことなのだが…。
 その理由に気付いたのは、それから少しして。
 祀られている石が、僅か反射している月の光に反応したか、壁の中でほのかに輝いているののが分かったからだ。

 詠子の視線は、そこへと釘付けにされていた。
「…あの石と同じだ」
 武彦が、ぽつりと呟く。
「あの石?」
「ああ」
 シュラインの言葉にそれだけ返すと、武彦が一歩近寄る。

 じゃり、と、小石と靴が擦れ合った音が洞窟内へと思いがけず大きな音で響き渡った。

「――こんなもので――」
 そのに気付いたのか、それとも…単なる呟きだったのか。
 振り返る事もせず、身動き一つしないままに唇がゆっくりと開いて行く。
「こんなちっぽけなもので…何が変わるっていうんだい」
 相変わらず、ひたりと目はその石に縫い付けられたままで。

 ざわ。

 ざわ、ざわ。

 何かが這い上がってくるような気配に、思わず嵐と茜が粟立った肌を撫で上げ、翼がつと眉を潜めた。

「『ボク』の…何が変わるって言うんだよォォォ…っっ」
 不意に、詠子が身体を折り曲げ、今にもその場に倒れこみそうな姿勢へと体が傾ぎ。慌てて何人かが駆け寄った。翼と悠姫、それに虎太郎の3人はは駆け出さずに少し距離を開けつつ近寄り…そして、一歩先んじていた武彦がシガレットチョコを床へ投げ捨て、その手で詠子を支えるように腕で抱える。
「大丈夫か?」
 俯いたままでいる詠子に、そっと声をかけるのは一足遅れで追いついた嵐。
「…だ、め…」
 武彦の腕に身体を委ねるようにしながら、ぴくりぴくりと断続的に痙攣めいた動きを繰り返す詠子。
「ボク、に…近寄っちゃ…ダメだ…」
 今も支えなければ倒れてしまいそうな、そんな危うさと――もうひとつ、ぴりぴりするような緊張感がその場に満ちている。ほんの針の一刺しで割れそうな、ぎりぎりの何かがそこにはあった。
「とにかく座るんだ。離れて欲しければそれから――」
 言いかけた武彦がぽつりと言葉を切り、ぎぎ…と音を立てそうな、いやにゆっくりした動きで自分の腕へと視線を落とす。
「っ」
 シュラインが喉の奥で小さな悲鳴を上げた。

 ふ――ぅ、ふ――っ…

「な…」
「何をしてるの!」
 茜が呆然としている武彦の腕へと手を伸ばす。

 其処に。

 ――歯を剥き出しにした詠子が、自分を支えている武彦の腕へと、噛み千切りそうな勢いで歯を立てていた。

*****

「痛う…っ」
 武彦の悲鳴と同時にぶつり、と皮膚が切れる音がする。――ばっと洞窟内に血の匂いが溢れかえった。
 思わず駆け寄ろうとしたシュラインの前に、すっと腕が伸びてそれ以上進む事を止めた。見れば、それは詠子へと視線を向けたままの翼。
「僕が行こう」
 自信に満ちた声に、これ以上先へ進むのを諦めたシュラインが身を引き。
 そのままの勢いで翼が詠子の腕を掴み、ぐいとその顎を押え込む。
「キミ。――そうキミだ。彼女の両腕を固定してくれないか」
「お、おう」
 突如呼ばれた嵐が、それでも反応は悪くなくやや遠慮気味に詠子の両腕を掴んだ。
「両手首を捻って甲同士を付ける様にしていてくれ。今腕を引き剥がす」
 嵐が頷くのを見る事も無く、翼ががつ、と今度は両手で彼女の顔を掴んだ。片手を顎の下に置き、細い指を遠慮無しに頬へめり込ませる。片手は焦点の合わない目に触れないよう気をつけながら、額の辺りを鷲づかみにして上へ持ち上げようとしていた。
「シュライン、キミは武彦の腕を取れ。口が離れ次第すぐ腕を引くんだ」
「――分かったわ」
「それと武彦」
「…なんだ」
 ぴしぴしと翼が剣のような鋭さを見せながら、最後に武彦へ声をかけた。額に脂汗を浮かべながら…何しろ今現在も更に深く歯を食い込ませようと…噛み千切ろうと歯へ力を入れているのだから半端な痛みではないのだろう、武彦が食いしばった歯の隙間からようよう声を出す。
「耐えろよ」
 アイスブルーの瞳が一瞬炎を纏ったように見え…そして、翼は力任せに詠子の頬へめり込ませた口をこじ開け、汚れるのも厭わず僅かながら開いた口の中へと両手指を突っ込んで無理やり広げた。
「う…ぐっっ」
「ぐああああああぁぅ!」
 自然、傷口へめり込まざるを得ない翼の指に武彦が一瞬びくりと身体を震わせ、
「チョコ――ごめんっ」
 ほんの少し緩んだのを見たシュラインが目をぎゅっと閉じて思い切り腕を引張った。
「〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」
 声にならない声が、武彦の喉を震わせ…そして血まみれの腕を抱えて転がるように洞窟内の隅へと行き、荒い息を繰り返す。途中漏れ聞こえる小さな声は、恐らく激しい刺激を受けた痛みのためだろう。
「――武彦さん!」
 意識せず口から飛び出した声に、何故か違和感は感じなかった。
「…大丈夫だ。犬じゃあるまいし狂犬病の心配は無いだろ…」
「黙って…この程度ならすぐ治せます。じっとしていて下さい、先輩」
 たらたらと流れ落ちる血に構わず、深い歯型が残る傷口へ手を乗せる茜が、側で不安げにその様子を見ているシュラインへ柔らかに笑いかけた。

「さて…誰かロープか何か、縛るものは持っていないか?」
 翼が、武彦の腕が離れたと見る間に手を離して、拘束は嵐に任せながら問い掛ける。が…。
「私の方の手元には釣り糸くらいしかないですね。これは入り口からの道を繋いであるので使えませんし」
「ロープのようなものは持って来ていないの。包帯ならあるけど」
 武彦の傷の具合を心配そうに見守っているシュラインが立ち上がって、持って来ていた救急箱から包帯を取り出し翼へと投げる。
 かなりきつく締めないと、包帯のような伸びやすい素材は相手を縛るのには向かない。その代わり、一度縛ってしまえば力を入れにくいため同じように外すのも難しくなる。
 取りあえずは彼女の動きを止めて、と誰もが思っていたその直後。

 シャァァッ!

「!――つっ」
 いつの間に隠し持っていたものだろうか、獣じみた声を上げる詠子の手にはナイフのような物が握られていた。
 それを、ほんの僅か嵐の力が緩んだ瞬間手を振り払って切り付けたものらしい。ぎりぎりの所でかわした嵐がどんっ、と洞窟の壁に身体を打ち付けて顔を顰める。
「何て『気』だ…」
 悠姫が目を細めつつ呟き、その隣に居た千影がふぅっ、と唸り声に近い声を上げながらほんの少し膝を下げて弾みを付ける――バネのように。
 千影の後ろに居た虎太郎が静止する間も無く、チャイナドレス姿の少女がしなやかに跳躍し詠子の両肩を掴んでそのまま硬い床へと押し付けた。――その勢いで、手に持っていたモノがころころと虎太郎の足元へ転がってくる。
 ひょいと拾い上げると、それは…偶然か、それとも誰かの手で作られたものなのか、刺す事も切る事も出来そうな程鋭利に尖った形の石だった。
「だめだよぉ、詠子ちゃん。おいたしちゃ、ね?」
 爪を立てそうな手つきで両肩を掴んでいる千影が、詠子の上にのしかかったままでにこりと笑いかける。

「―――」

 その笑みに…にぃ、と凄まじい笑みで返した次の瞬間、
 どぉんっ!
「きゃうっっ」
 小さな悲鳴と共に、詠子の上に乗っていた千影の体が大きく後ろへと飛ばされた。
「危な――」
 慌てて抱きとめようと手を伸ばした虎太郎の目の前で、くるんと一回転したそのドレスから覗いた白い脛がとん、と壁を蹴ってバランス良くすたんっと床へ降り立つ。
「10点?」
「…え…あ、ええ。そうですね」
 不覚にもその動きに見惚れてしまった虎太郎が、こくこくと頷いた。

「狭いね――『此処』は。とても」

 その背に。
 距離を置いて見守る他の者に。
 静かな詠子の声が届いた。

「窮屈なんだよ…もう、閉じこめられるのは嫌なんだ」

 すらりとした立ち姿の彼女。――天井に開いた穴から降り注ぐ月光を浴びる、その赤く塗れた口元をぺろりと舌がなぞり。誰かを見ているようで、誰も見ていない瞳が大きく見開かれ――

「――――っっっ!?」

 刹那。
 洞窟内に走った悪寒に、皆の顔がさぁっと青ざめる。詠子の背後に感じる『何か』に加え、また新たな問題が、と思ったのもつかの間。

「ぐ…っ」

 身体を折ったのは、詠子の方だった。何かに必死で抗うように、あらぬ方向へと殺気を飛ばしていた、その時。
 注連縄がぶつりと切れ、ぴしぴしと数箇所からヒビが入ったその石から、月光よりも凄まじい大量の輝きが溢れ出す。それは洞窟内に満ち、同時に詠子を包み込んだ。
「―――あああああっっっっ………!!!」
 苦しげな悲鳴が…何かの気配が身を捩る詠子から噴出し。
 鬼に――魔に似た気配が、その場から弾け飛んだ。同時にくたりと詠子が崩れ落ちる。
「詠子さんっ」
 茜が周りの静止する声に構わず、倒れた詠子の側にしゃがみ込み、苦しくないように抱き上げて姿勢を整えてやる。その甲斐甲斐しい仕草はどこか母親のようで、目を閉じてぐったりしている詠子が静かに呼吸を繰り返しているのを確認するとほっとしたように顔を上げた。
「気を失ってるだけのようよ」
 顔にかかった髪を払い、服の裾を直しながらそう告げると、警戒は完全に解かないものの皆が一様にほっとした顔を見せた。

「…うん?」
 翼が、背後から何か聞こえたらしく不審気に振り返った。――入り口の方から何人かの足音が聞こえて来る。
 やがて、懐中電灯の灯りと共に顔を出したのは、
「――会長」
 同じクラスの男へと、翼が不思議そうに声を出した。その後ろに控えているのは、非常用担架を持っている2人の男子生徒。
「月神君がこの洞窟内へ入るところを見た、という目撃情報があってね、万一の事を思ってこれを持ってきたのが役に立ちそうだ」
 不審げな顔は尤も、と言わんばかりの表情で陽一郎が皆へと告げる。
「それで、何があったのかきみ達の誰でもいいのだが説明してくれないか」
 急に3人も増えた事で多少狭さを感じる洞窟の奥で、各自が知る限りの事を陽一郎に告げる。
「…それでね、詠子ちゃんががぶーって武彦ちゃんに噛み付いたの」
 千影が身振り手振りを交えながらそう言い、
「倒れる前に、関係あるかどうか判りませんがあの石が割れて洞窟内が明るくなりましたよ」
 あの光は何だったんでしょうねぇ、と呟く虎太郎が話を締めくくった。その言葉を聞いてもさほど不思議そうな顔はせず…と言うよりも、この場に来てから一度も驚いた表情は見せず、
「なるほど。ありがとう、参考にさせてもらうよ」
 詠子の側に担架を置いた2人が、茜の手から強引ではないものの、奪い取るように詠子を持ち上げて担架の上へと乗せる。
「気を付けて」
 そう心配そうに声をかける茜にも、ちらと一瞥したのみで応えることは無く、持ち上げる直前の姿勢で陽一郎の指示を待つ。
「会長――彼女はどうするつもりなんだ?」
「救護班の所で寝かせるつもりだが。他に何かやらなければならないことでもあるのかな」
「何って…噛み付いたんだぞ。それに、そこら辺に落ちている石を武器代わりに散々あばれてたしな」
 嵐が不思議そうな陽一郎の声にぎゅっと眉を寄せるも、それがどうしたと言いたげな目が嵐へと向けられたのみ。
「監視は当然のことだろうね。経過を見る必要がある。…きみ達も早く帰りたまえ。他の者が心配している」
 そう言って担架を促して先に外へと運ばせながら、陽一郎もその後に付いて行きかけて、思いなおしたように振り返り、
「ご苦労だったね。明日朝の炊事班になっている者が居れば申し出るといい。他の者に代えさせよう」
 そう告げると悠々とその場を去って行った。
「なーに、あれ?」
 千影がかくん、と大きく首を傾げる。
「…なんだか分からないが…いいトコ取りのように見えるな」
 悠姫がふぅっと息を吐いて肩を竦めた。やれやれ、とでも言いたげなその仕草に嵐が小さな笑みを浮かべた。
「おつかれ、先輩。――風間先輩の方は…怪我は?」
「ああ?…ああ。もうすっかり治った」
 今はまだ血の跡が筋を描いているが、それも洗えば何も無かったような状態へ戻るのだろう。
「他に怪我した人はいない?」
 茜がその場に残った皆へ向かって問いかけ、腕や肩口を押えていた何人かが手を上げる。
「超常現象を見た、とでも何処かの怪奇雑誌に投稿しましょうかねぇ…」
 数箇所割れて、今はもうどんな光も受けないただの石のかけらをひとつ持ってポケットに仕舞いつつ、虎太郎がそんな事を呟いた。

*****

 次の日の朝。
 やはり、皆よりも少し離れた位置で静かに佇んでいる詠子の姿があった。
 不審なのは、経過を見ると言っていた陽一郎達のこと。――どう見ても気が付いた詠子をそのまま解放したとしか思えない。詠子の周囲には他の人の姿も無く、どこか気が抜けたように遠くを見つめている彼女の姿だけが、そこにあった。
 …だが。

 不意に強い視線を感じた何人かがその視線の主へと顔を向け、それにつられるように残りの者も――そして、見た。

 陽一郎が、熱心さを通り越しそうな…殺気さえ漂わせた雰囲気のまま詠子へとまっすぐ視線を向けているのを。

 ――ざぁ、と風が鳴る。昨日まではあれだけ良い天気だったのが、遠くに見える薄墨を掃いたような雲の存在が、急にその場の空気まで冷やしたように感じられた。
 それはまるで。
 この先の事を暗示しているかのような――そんな、不吉な印象を見る者に与えずにはいられなかった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / クラス】

【0086/シュライン・エマ/女性/2-A】
【1511/神谷・虎太郎  /男性/2-A】
【2380/向坂・嵐    /男性/1-B】
【2863/蒼王・翼    /女性/2-B】
【3059/銀城・茜    /女性/1-C】
【3243/風間・悠姫   /女性/3-C】
【3689/千影・ー    /女性/1-B】


NPC
草間武彦
月神詠子
繭神陽一郎



●【個別ノベル】

【0086/シュライン・エマ】
【1511/神谷・虎太郎】
【2380/向坂・嵐】
【2863/蒼王・翼】
【3059/銀城・茜】
【3243/風間・悠姫】
【3689/千影・ー】