●アリアンロッド
「近いうちに堕星の遺跡が開きます。私たちはそこへ行かなければなりません」
 女神アリアンロッドの私室。いつも通り、必要最低限の物しか無く、酷く殺風景なそこに呼び出された草間・零は、窓際に立って遠い空を見やっていたアリアンロッドに唐突にそう言われた。
「堕星の遺跡?」
「‥‥クロウ・クルーハの目覚める地です」
 聞き返す零に、アリアンロッドは向き直って一言放ち、それから説明を始めた。
 堕星の遺跡。
 それは、兵装都市ジャンゴから遙か遠く離れた場所にある、絶海の森と呼ばれる場所の奥地。遙か古代に作られた、アスガルドにあるのとは全く違う技術で作られた飛行戦艦の遺跡。
 とは言え、遺跡となった今では、ただのモンスターの生息する迷宮に他ならない。しかし‥‥実はこの遺跡は、クロウ・クルーハの目覚めの場でもあるのだ。
「まもなく、クロウ・クルーハの覚醒イベントが彼の地で始まります。他の女神達は、このイベントに干渉しようとするでしょう。それは阻止しなければなりません」
 正しく世界を進める為に。言いはしなかったが、アリアンロッドの目的はそこにある。
 クロウ・クルーハが目覚めるのが世界に定められた事ならば、クロウ・クルーハは目覚めなければならない。例え、後の滅びの元凶であったとしても。
 そして、その目覚めを阻害する者、その目覚めにいらぬ干渉をしようという者は、止めなければならない。
「では、他の女神に従う勇者さん達を止めなければなりませんね」
 言って、零は小さくため息をついた。ゲーム中の事であり、実際に傷ついたり死んだりはしないとは言え、顔見知りを斬るのは少々気が重い。
 しかしまあ、それも仕方のない事だろうと、零は自分を納得させる。今の自分は、自分の意志でこの立場にあるのだから。
「わかりました。アリアンロッド様の勇者として、勇者征伐に行ってまいります」

●マッハ
「不吉の地とは、まさにこの事ぢゃのうマッハ殿」
 マッハの肩の上に腰を下ろし、遠くを見やっていた嬉璃は口端にニィと笑みを浮かべた。
 嬉璃を肩に乗せ、森の中から頭を突き出した高い木の先端近い枝に支えもなく立っているマッハも、嬉璃と同じ方向を見て挑むような笑みを浮かべている。
「あれが、邪竜クロウ・クルーハの目覚める地。その名も堕星の遺跡」
 鬱蒼と茂る森の中、埋もれるようにその巨体を横たえる遺跡。高い木の上から見ているので、その姿が確かに飛行戦艦というふさわしい形なのが見て取れた。
 その遺跡の上には、何か邪悪な存在の生誕を予感させるような暗雲がたれこめ、くぐもった雷鳴を響かせている。その雷鳴の合間、正体すらしれないモンスターの耳障りな鳴き声が遠くかすかに聞こえていた。
「さて、如何すえべきか‥‥マッハ殿」
 答えなど見通してるとでも言わんばかりにマッハに水を向ける嬉璃。と、マッハはやはり嬉璃の想像通りの答えを出した。
「もちろん、遊びに行くさ!」
 マッハは、期待に瞳を輝かす。
「こういうでっかいイベントには、腕に覚えありって連中が大勢やってくるわけだしさ。ついでにクロウ・クルーハとも殴り合ってみたいしさ。すっげーワクワクする!」
「やれやれ、マッハ殿は喧嘩好きぢゃのう」
 呆れたように言いながらも、嬉璃はそんなマッハを止める気など無かった。
「ぢゃが、わしもそーいうのは大好きぢゃ。ともかく、派手に行こうぞ。目指すは、クロウ・クルーハの前に一番乗り! 途中、遇う者はモンスターも勇者も皆、叩き潰す! そして‥‥」
 嬉璃は一瞬言葉を止め、改めて堕星の遺跡を不敵な笑みと共に睨み据えて言った。
「クロウ・クルーハとやらがどの程度か、確かめさせてもらおうかのう」

●ネヴァン
 知恵の環。無数の書物で埋められた螺旋の塔。
 ネヴァンはそこで、瀬名雫を待っていた。
「ネヴァンちゃん、今日は何?」
「‥‥あ‥‥あの‥‥」
 呼ばれてやってきた雫にネヴァンは、胸に抱いていたネヴァンには一抱えもある本を差し出す。そして、呟くように言った。
「‥‥24ページ」
「24‥‥ここ? 堕星の遺跡‥‥」
 渡された本を受け取り、開いた雫は、そこに書かれた文章を見る。
 堕星の遺跡。
 天より堕ちてきた、遙か星々の世界を渡る為の船。その奥に存在する、祭壇の間と呼ばれる場所‥‥実際にそれがどういう意図で使われた場所なのかはわからないが、まるで祭壇の様に見える事から祭壇の間と呼ばれた場所での事だ。
 クロウ・クルーハがその目を覚ます。
「あ、じゃあ見つけたんだね?」
 雫は喜びに声を上げ、本を適当に傍らの机の上に広げたままで置き、側にいたのを良い事にネヴァンを捕まえて抱きしめた。
「良かったじゃない☆」
「ん〜‥‥」
 雫の腕の中で、顔を赤くしながら逃れようともがいたネヴァンは、ややあってあきらめた様子で雫に言った。
「‥‥‥‥クロウ・クルーハとお話しするチャンス。でも‥‥アリアンロッドはダメだって言うだろうし。マッハとモリガンは、クロウ・クルーハを攻撃しちゃうんじゃないかな」
 ネヴァンの顔が暗くなる。
 おそらく、その予想は外れないだろう。
 アリアンロッドは、クロウ・クルーハと友達になるなんて本来のストーリーではあり得ない事は認めないだろう。当然、邪魔に入ってくる筈だ。
 マッハは無類の戦い好き、モリガンはクロウ・クルーハと戦う事を目的としている。二人がクロウ・クルーハに手を出さないとは思えない。この二人からはクロウ・クルーハを守らなければならない。
「だから、他のみんなよりも早く、クロウ・クルーハの所に行かないとならないの。だから‥‥お願い。ボクをクロウ・クルーハの所に連れてって?」
「おっけー。必ず、ネヴァンちゃんをクロウ・クルーハの所に連れてってあげる。だから、暗い顔しなーい☆」
 雫はより強くネヴァンを抱いて、頭を軽く撫でる。暗い表情だったネヴァンの顔は、戸惑いの表情に変わり、恥ずかしげに赤く染まった。

●モリガン
 城のバルコニー。いつもは兵装都市ジャンゴの周辺を遠くまで見通せるその場の視界を、バルコニーに横付けされた一隻の飛行艇の巨体が塞いでいた。
 その飛行艇は、搭乗用の渡り板をバルコニーに架けている。女神モリガンはその渡り板の傍らに立ち、婉然と微笑みながら言った。
「クロウ・クルーハの目覚めの時が来ました。さあ、勇者様。クロウ・クルーハ征伐に向かいましょう!」
「‥‥え? えーっ!?」
 モリガンの答えが、三下のちっちゃなハートを恐怖に染め上げるのに、そんなに長い時間は必要としなかった。
「ぼぼぼぼぼぼく、帰らせてもらいますぅ!」
 ダッシュで逃げようとする三下。が、振り向いたところで、その襟首をモリガンに捕まれる。
「敵ボスを前にしても謙虚な勇者様って素敵☆ でも、遠慮しなくて良いのよ。さあ、やっつけに行きましょう」
「遠慮じゃなぁ〜い〜」
 にこやかな笑顔で酷く適当なお世辞を言うモリガンに、三下は否応なく泣きながら引きずられていく。
 そして渡り板の上を通り、三下は飛行艇の中に放り込まれた。
「いやだぁ〜! どうしてわざわざ復活する時に行かなきゃならないんですかぁ!?」
「イベント前に行っても、何もいないのよ。遺跡の場所までは行けるけど」
 モリガンは、不甲斐ない三下を見下ろしながら、先が思いやられるとばかりに言葉をはき出した。そして、思い直して真摯に言葉を紡ぐ。
「ねえ、お願い‥‥聞いて。これが最初のチャンスなの。この世界を不正終了から救う最初のチャンス‥‥この機会をものにすれば、もう貴方も戦わなくて良くなるのよ?」
「じゃ‥‥じゃあ、もう戦わなくて良いの? やったぁ、じゃあ頑張る」
 戦わなくて良いという部分にだけ反応してアホみたいに喜ぶ三下。そんな三下に果てない不安を抱きながら、モリガンは言いつけるように三下に声をかけた。
「よく聞いてね。本来、このイベントでは、クロウ・クルーハを倒せないようなバランスになっているわ」
「え? 倒せないバランスって‥‥?」
 モリガンの台詞に、三下の無意味な喜びは凍り付く。モリガンは、軽く肩をすくめて見せてから続けた。
「強いの。むちゃくちゃにね。それに、一定時間戦ったら、自動的に逃げちゃうし。HPが一定以下になっても逃げちゃう。遭遇したパーティが全滅する直前に逃げるようにも設定されてるから、余裕もって戦う必要もあるわね」
 要するにクロウ・クルーハの顔見せイベントであり、本来、ここで倒すべきではないのだ。
 しかし、多少の無茶は覚悟の上。簡単に言うとモリガンは、制作者である創造主が想定はしたが話の主軸とはしなかった、本来ならあり得ない程の速解きを目指しているのだから。
「それでも‥‥倒せば、エンディングの一つが発生する。不正終了の発生は防げるわ」
「でも‥‥さっき、倒せないって。うわわぁ〜! やっぱり、いやだぁ〜下ろしてぇ〜!!」
 再びだだをこねる三下。モリガンを少し考えてから、外に通じるドアを開く。
「下りる‥‥でも、ちょーっと遅かったわね」
 いつの間に浮上したのか、飛行艇を既に高空を飛んでおり、地上は遙か遠くなっていた。

●黒崎潤
 女神が大きな動きを見せ始めた。それが、クロウ・クルーハの復活を悟っての事であると、かつて一度、一連のイベントの流れを体験した黒崎潤は察しをつけていた。
「行くのか?」
 旅の荷物を手に酒場のテーブルに座った黒崎に、先にそこに座ってグラスを傾けていた草間武彦は聞いた。
 黒崎は店主にミルクを頼んでから草間の問いに答える。
「放っておいてもイベントは進行する。でも、今回は女神達がいるしね。不測の事態はありえるよ」
「そうじゃない。わざわざ行く必要があるのかって事さ」
 草間は、話の根元から疑問があると指摘する。
「クロウ・クルーハを目覚めさせるという事は、世界の不正終了に確実に近づくという事だ。復活はむしろ阻止するべきだと思うが‥‥復活が必要だというのは確かなのか?」
 クロウ・クルーハの目覚め。それは、破滅までの時を刻む砂時計をひっくり返す事に等しい。時は落ちる砂と共に消えていき、元に戻す術はない。
 クロウ・クルーハが目覚めなければ、時間はたっぷりと出来る。直接の解決にはつながらないにしても、時間の猶予をもたらすのは非常に有効な手段の筈だ。
 しかし、黒崎はゆっくりと首を横に振った。
「確かな証拠なんてのは無いよ。でも僕は、それをしなきゃならないと強く確信している」
 必要なのだと確信はしている。それが、脱出の為に必要なのかどうかは、確かな事は言えない。
 しかし黒崎は、それが黒崎自身にとって重要な事であり、それなくしては目的は達成できないという確信を抱いていた。
「それに‥‥もう一つ。あそこにはアレがあったはずなんだ。テウタテスの聖鍵がね」
 鍵の形をした剣。いや、実際に剣として使う事はあまりないだろうから、鍵そのものと言うのが正しいか。
 実際に手に取った事はない‥‥しかし、記憶の中に確かに存在するその剣の事を思い出す。
 そして黒崎は、ちょうどテーブルの上に出されたコップを手に取り、中のミルクを飲み干し、口を乱暴に手の甲で拭いながら席を立った。
「何にしても、行かないわけにはいかないよ」
「待てよ」
 草間が黒崎を止める。動きを止め、苦笑を浮かべ黒崎は聞き返した。
「止めるかい?」
 草間は口端を笑みに歪め、まだ琥珀色の液体が半ばくらいまで入っているグラスを掲げてみせる。
「勘違いするなよ。この一杯を飲み終えるまで待てって話だ。俺も行くぜ、黒崎。お前のやり方を見届けさせてもらおう」

●堕星の遺跡
 神の座す、光に満ちた祭壇。眠りの中にあるのか、静かにその身を置くクロウ・クルーハ。
 周囲に満ちるのは邪悪な呪詛の声。それは、茶けた様なシミの散る汚れた衣服の上に、フード付きのマントを目深に被った人間‥‥いや、人間型モンスター達の口から紡ぎ出されていた。
 ファナティックドルイド。クロウ・クルーハを信仰する狂信者達である。
 邪悪な魔法攻撃を得意とするモンスターであり、かなりな強敵といえる。その上、ファナティックドルイド達の中には、反り身の黒い大刀を持つ者もいた。禍々しいその剣は、見た目に違わぬ邪悪な力を持つのだろう。
 また、ファナティックドルイドの周りには、アサルトゴブリンやトーチハウンドをはじめとするモンスター達の姿もあった。
 ただ一人の王を迎える為、ファナティックドルイド達は、一心に祈りを捧げ続ける。
 誰か阻止する者が来るか、時が満ちて目覚めのイベントが強制的に始まるそのときまで。