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●傍観者達
 怨霊機の破壊と同時にそれは起こった。
 地上にあった全ての建物、そして島に最初から居た人々の姿が霞み、消えていく。
 彼らはこの地に縛られた霊。
 彼らを捕らえていた怨霊機の力は消えた。今、彼らを縛る物は何もない。
 霊達は、薄紫色の光の霧となって島を包み込んだ。
 その様子を閉ざされた目で見たのか、島を見下ろす頂に立つ高峰沙耶は言った。
「終わったみたいね」
 その言葉を聞き、島の異変には興味なさげにしていた碧摩蓮が言う。
「全く‥‥回りくどいねぇ。あんたは、いつもそうだよ。もう少し、何とかならなかったのかい?」
「私は彼らが上手く事を運ぶように、見守って欲しいと頼まれただけですから」
 見ているだけ‥‥手を出さない。ただ、必要と思ったときにはフォローを入れる。それが、高峰の交わした約束。
「あんた程の力が有れば、奴等に気兼ねする必要なんか無いだろうに」
 商売上、何度か捜査を受けた事もあって、今回の依頼主に良い感情を持っていない蓮は、面白くも無さそうに言い捨てる。
 高峰は、薄く微笑んでその言葉を聞き流し、そして空を見上げて言った。
「さあ‥‥道を開いておきましょう。こうも混み入っては、迷う霊も多いでしょうから」
 天に向けて差し伸べた高峰の掌の上に、青白い光が浮かぶ。直後、それは一筋の光の矢になって天空を貫く。
 直後、島に満ちていた紫の光‥‥霊達は、一斉に空へ向かって飛んだ。光は一本の巨大な柱となり、天へと昇る。そして‥‥全ての光が消えた後、島に静寂が訪れた。
「‥‥帰ろうか」
 言いながら蓮は、何やら物がいっぱいに詰まっているらしい背嚢を担ぐ。中は、この島で手に入れた骨董価値の高いオカルトアイテム。無論、帰って売る気だ。
 さっさと歩き出す蓮の後を高峰が追った。その時‥‥ふと、高峰は眉を顰め、東の空を見る。
「‥‥少し、早すぎないかしら」
 呟いたその言葉には、微かに苦笑が溶け込んでいた。

●動かされるもの
 アメリカ合衆国カリフォルニア州エドワード空軍基地。そこで、ある命令が下されていた。
 ステルス爆撃機B−2スピリットを出撃させ、アジアの友好国の領土である孤島を空爆せよとの命令が‥‥
 その命令を記した、大統領のサイン入りの命令書を持ってきたのは、一人の黒服の男だった。

「民間人の救出?」
 輸送艦『おおすみ』のブリッジで、艦長は自らに与えられた任務に疑問を感じていた。
 もちろん、民間人の救出は自衛隊の任務の一つとして当然有り得る。そこに疑問はない。
 怪しいのは、中ノ鳥島という聞き慣れない島の名と、この命令を直接持ってきた男だった。
 黒い背広にサングラス姿。まるで映画の中から出てきたみたいな、怪しさ丸出しの男。
 しかし、彼が直接手渡ししてきた命令書は、確かに本物だった。
 艦長は、黒服に聞く。
「民間人の救出が何故極秘任務になるんです?」
「軍人が命令に疑問を持つのは良くないな」
 黒服は、まるで自分が艦長よりもずっと上位の人間なのだとでも言うかのように、たしなめた。
「命令書は本物だ。疑う余地はあるかね? 無いならば早く従う事だ」
「‥‥わかりました」
 艦長は、素早く命令を下した。
 『おおすみ』は、東へと走る。中ノ鳥島を目指して‥‥

●中ノ鳥島との別れ
 霊達が解放された為に何も無くなってしまった中ノ鳥島。そこに取り残されていた人々の救助作業が、海上自衛隊により行われていた。
 皆は自衛官の誘導の下、LCAC(輸送用ホバークラフト)とヘリを使ったピストン輸送で、次々に輸送艦『おおすみ』に移っている。
 それを後目に、草間武彦はこの中ノ鳥島での数々の事件の内、最後に残ったある意味最大の問題と向き合っていた。
「これからどうするんだ?」
「私の任務は終わり‥‥」
 草間に問われ、零鬼兵・零は呟くように返す。だが、それから先の言葉は出てこなかった。
 今まで、与えられた命令より他に何も無かった零に、これからの未来の展望などある筈もない。
 困り果てた様子の零に、瀬名雫は提案した。
「じゃあ、じゃあ、一緒に東京に行かない? みんなもいるし、楽しいよ!? ねえ、そうしようよ!」
 眼をキラキラさせて、零の答を待つ雫。
 そして、三下忠雄が、えらくお気楽に言った。
「それが良いですよ。こんな所に一人で居ても寂しいだけ‥‥痛ぁ!?」
「この、お馬鹿」
 三下の頭を小突き、その言葉を止めたのは碇麗香。彼女は、呆れ果てた様子で深い溜息をつき、三下に言う。
「何、無責任な事を言ってるの。連れ帰った零をどうするかは考えてる?」
「まあ待てよ。俺も、ここに零を置いていく事は出来ないと思う」
 止めに入った草間に、麗香は言い返す。
「私もよ。まさか、私が捨てて行けと言うとでも思ったの?」
「いや‥‥‥‥‥‥‥‥」
 草間は否定の言葉を口にしかけ‥‥言葉に詰まった。
 その沈黙の意味を悟り、麗香は怒りを秘めた皮肉げな苦笑を浮かべて言葉を続ける。
「返事がないのはまあ良いわ。で‥‥こう言う事は段取りが必要でしょ? まず、誰が彼女を引き取るのか? それを考えましょ?」
 言いながら麗香は、まず雫を一瞥する。
「まず、雫ちゃんは親に養われている身だから論外ね。で‥‥三下君だけど、かなり不安が残るので除外と」
 麗香により、三下は有無を言わせず選択肢から除外された。
 日頃から、ダメダメにドジを踏みまくる三下に預けるのは、確かに不安が残る。三下の落胆した様子を後目に、草間は頷いた。
「ま、妥当な判断だな。じゃあ、残るのは俺と麗香か‥‥やはり、女の子なんだから、麗香、お前が‥‥」
 言いかけた草間の言葉を遮り、麗香が有無を言わせぬ口調で言う。
「今の零に必要なのは人との触れ合いよ。でも、編集の仕事は不規則で徹夜も珍しくないから、私は零と一緒にいられる時間がとれない。ま、そう言う意味でも三下君ってのは有り得なかったのよね」
 そこで話がずれたが故に一度区切り、そして麗香は再び続ける。
「でも、草間興信所は大概誰かが居るし、そもそも草間の家なんだから誰に気兼ねする事もない‥‥そうでしょう?」
「待て。独身男の家に女の子を住まわせるのはまずいだろう!?」
 麗香の提案に、さすがに草間は焦った。
 だが麗香は、草間の焦りなど何処吹く風とばかりに言い放つ。
「あら、世間体でも気になる? じゃあ、籍でも入れたら? 夫婦ならそれほど問題じゃないでしょ?」
「問題、大有りだ!」
 思わず怒鳴り返した草間に、麗香は至極冷静に言う。
「シュライン・エマさんに遠慮? それとも、松本純覚さん? ひょっとして他にも手を出したの? 女の敵ね」
「‥‥俺はそんなに女好きじゃない」
 比較的、親しくしている女性の名を上げられ、強く否定も出来ずとりあえず抗弁する草間。麗香は、勝利の笑みを浮かべる。
「じゃ、女の子を預けても平気よね?」
 草間が、預かった女の子に手を出す様な、いい加減な人間ではない事は、草間を知っている者ならば誰でも知っている事だ。
 草間は疲れた表情で言った。
「‥‥面白がってるだろ。まあ良い、わかった。入籍は勘弁だが、その辺は何とかする。しかし‥‥女の子なんてどうしろってんだ?」
 草間は溜息をつくと、軽く肩をすくめた。そして草間は、零に手を差し出す。
「と‥‥まあ、そんなわけだ。一緒に来ないか?」
 零は暫し迷い‥‥言った。
「了解しました。それが新しい任務ですね?」
「違うよ! 友達からのお願い☆」
 雫が零の手をとり、草間の手の上に置いた。
「もう、誰も命令なんかしないし、零ちゃんも命令なんて守らないで良いんだから‥‥ね? 一緒に行こうよ」
「‥‥‥‥はい」
「よし、決まり!」
 返事を聞いてすぐ、雫は零の手を引き、走り出す。手を引かれて、一緒に走り出す零と雫の姿が、LCACの方へと去っていく。
「‥‥さて、俺達も行くか」
 草間はそう言ってLCACの方へと足を向け‥‥ふと、中ノ鳥島の奥に目を向けた。皇軍の狂気と、願いの詰まった場所へと。
「‥‥英霊よ眠れ。日本は後に続く俺達が守って見せるから」
 呟く草間のその言葉は、中ノ鳥島を通り過ぎる風の中に溶けていった‥‥
 と‥‥その時、空気を切り裂く音が響き、そして草間の視線の先に天を支えるかのように巨大な土煙の柱が立つ。
 直後、爆発音が轟き、爆風が荒れ狂った。
 そこにいた全ての者達が騒然とする中、爆発で巻き上げられた小石やコンクリートの欠片がバラバラと降る。
「急いで! 急いで乗って下さい!」
 自衛官が叫んだ。恐らく、本当の意味での一般人は少ないのであろう要救助者達は、大きな混乱は見せずに素早くLCACに乗り込んでいく。
 その手前の位置で、雫は空を見上げて呆然としていた。
「島がUFOに攻撃された?」
「‥‥飛行機? 私の知らない形。三角形をしてる。でも、米帝の機体だわ」
 雫と零は同じタイミングで呟く。そして、零の呟きを聞いて雫は聞いた。
「零ちゃん、見えるの?」
「遠見よ。見えるんじゃなく、感じるの」
 答える零。その時、雫と零に追いついてきていた麗香が、誰にともなく口を開く。
「三角形って言ったわね? じゃあ、B−2スピリットだわ。米軍のステルス爆撃機。落としたのはきっと対地下シェルター用の地表貫通弾。狙いは中ノ鳥島の地下基地の破壊ね‥‥」
「怨霊機の破壊にタイミングを合わせて、ここの破壊命令が下った。そう推測できる。つまり、俺達を上手く使って、楽をした奴等がいたって事だろう。そしてそれは多分、俺達をここに招待した連中と同じ筈だ」
 答を出したのは共に追いついてきていた草間。草間は、深刻な面もちで言う。
「アメリカ空軍を動かしたんだ。そいつらはアメリカ合衆国そのものか‥‥もしくは、アメリカを動かしてしまえるような存在」
「‥‥ネタになるかもね。世界の背後に存在する謎の秘密結社‥‥」
 草間の言葉を聞き、麗香は言う。その表情は至極真面目だった。
「何にせよ。今はこの島を脱出しよう。爆撃が始まったばかりなのか、あれで終わりなのかは分からないが、何にせよ巻き込まれるのはゴメンだ。それに‥‥」
 草間は、視線を落として言葉を続けた。
「三下がまたのびてるしな」
 足下には、運悪く大きな瓦礫が当たり、気を失った三下が砂に顔を埋めてピクピク痙攣していた‥‥

●中ノ鳥島忌憚の終幕
 その後、皆は中ノ鳥島を離れた。爆撃は何度か行われたらしく、遠く爆発音を聞いたが輸送艦『おおすみ』には攻撃はなかった。
 そして‥‥全ての者が東京へと帰り着く。
 中ノ鳥島の一件は、不思議な事に何処の誰もニュースとして取り上げることはなかった。
 ただ、アトラスを始めとするオカルト雑誌や、三流スポーツ紙が勝手バラバラに関連記事を載せ、“常識を持つ一般市民”の失笑を買った。
 結局、誰も気にする事無く中ノ鳥島の件は忘れられていく。今までに起こった多くの怪奇事件と同じに‥‥
 その記憶を止めたのは、中ノ鳥島に赴いた者達の中においてのみであった。
 そして、時間は流れる。

●新しい生活
「草間さん、タバコの消費量が多すぎます。贅沢は敵ですよ?」
「‥‥だから、戦時中じゃないんだから、好きなだけ吸わせてくれよ」
 箒を持って零が言う。
 草間興信所のソファに身を投げ出し、タバコを新たに一本、消費しようとしていた草間は、零に言われて溜息をついた。
 零は、草間に徹底的に倹約を推奨している。
 それは、戦時に創られた零にとって本能みたいなものらしく、煩わしがった草間が何度も止めさせようとしたがそれが止まる事はなかった。
 まあ、強制してくるわけじゃないので、草間も適当に受け流していれば良いのかも知れないが、同居している以上やっぱりそうも行かない。
 だが‥‥かといって、やっぱりタバコを止めるわけにもいかない。
 中ノ鳥島で、タバコが切れた時には禁断症状で死ぬ目にあった。そう言えば、浜辺で変な奴等の仲間になってた事もあったか‥‥
 何だか、嫌な思い出ばかりが浮かび、草間は追憶を打ち切った。かわりに、すっかり変容を遂げてしまった事務所の方に注意を向ける。
「‥‥微妙に落ち着かないよな」
 日課となった事務所の掃除をしている零の姿を見、草間は呟いた。零を引き取って、生活環境は良くも悪くも一変している。
 かつての草間興信所は、出入りしている連中が片づけなければ散らかる一方という宿命を持っていた。
 応接セットまわりはまだましだが、草間の机の上や台所なんかはもう目も当てられない。放っておけば、タバコの吸い殻とカップ麺の空き容器の上で生活する事になる。
 それなのに、零が来たその日から、塵一つ落ちていないようになった。
 草間も別に好きで汚しているわけではないので、掃除をしてくれるのは有り難いのだが‥‥ここまで綺麗だと、汚すのが悪いような気がして、無意識に気を使ってしまう。
 と‥‥そんな事を考えていたその時、来客を告げるブザーが、いつも通りの耳障りな音で鳴り響いた。
「? 誰だ‥‥零、悪いけど応対しててくれ。俺は髭を剃ってくる」
 来客の予定がなかったので、身支度はしていない。無精髭を客に見せるわけにもいかないので、草間は零に頼むと、自分は洗面所に駆け込んでいった。
 零は箒を置き、ドアに歩み寄ってそれを開ける。
「いらっしゃいませ」
 応対した零を見、客は草間興信所に女の子がいるのに驚いた。
 昔から女(しかも美人)との縁が尽きない草間だが、若い娘との繋がりは薄い。大人として一歩引いて接するので、なかなか深い繋がりにならないのだ。
 そんな草間の所に、昼間から女の子が‥‥
 客のその困惑を見て取り、零は客に静かに一礼しながら、草間に教えられたとおりに挨拶する。
「はじめまして。草間武彦の妹の草間零です。よろしくお願いします」