調査コードネーム:『蓬莱館』へようこそ
執筆ライター  :高原恵

 【オープニング】
 【共通ノベル】
 【個別ノベル】


【碇・麗香】illust by つかさ要 【オープニング】
 『蓬莱館』へようこそ――あなたは何をしに、こちらへ来られたのですか?

「ねえ、三下くん。私が今、どういう状態か分かっててやってるの?」
「でっ、でもこれに判を押してもらわないと……上の方が……」
 いつもの眼鏡を外した月刊アトラス編集長・碇麗香にじろりと睨まれ、部下である三下忠雄はもごもごと口を動かした。富士の裾野にひっそりとたたずむ古い温泉宿、『蓬莱館』の玄関先にあるちょっとした広間での出来事だ。
「私は休暇中。3年振りの長期休暇。仕事の話はしたくないの!」
 ぶつぶつと文句を言いながらも、次々に書類に判を押してゆく麗香。とっとと済ませて、せっかくの休暇を堪能したいのであろう。
「はい、終わり! 持って帰るなり郵送するなり、好きにしなさい!」
 麗香はそう言い、書類の束を三下に突き返した。
「す、すみません」
 三下が書類の束を受け取ろうとした時だ。三下のスーツの袖口から、ぽとりと名刺が1枚落ちた。麗香がそれを何気なく拾い上げ、目を通す。
「月刊誌『秘湯の盟友』杉並ゆうじ……どうしたの、これ?」
「あの、ここに着く少し前に、若い男女2人連れに声をかけられまして……その名刺を。何でも、ここの記事を書くんだとか。僕も、何泊するのかとか、色々と聞かれましたけれど。あっ、あの2人です!」
 奥を指差す三下。その先には大きなトランクを手にした若干小太りな青年と、青年よりも背の高い細身の女性の姿があった。そして廊下を曲がったのか、2人の姿はすぐに見えなくなった。
「……女性の名前は?」
「えーと……千代田雅子さんだったと。名刺は切れてたそうなので、いただいてません」
「胡散臭い2人だわ」
 名刺を三下に返しながら、麗香がそう言った。
「はい?」
「悪いけど『秘湯の盟友』なんて雑誌、見たことも聞いたこともないの。それに、取材であそこまで大きなトランクが必要? 人間1人くらい入りそうなトランクなんて抱えて……」
 と言い、思案する麗香。少しして三下にこう言った。
「三下くん。せっかく来たんだから、あの2人の周辺少し調べてみなさいな。何か記事が見付かるかもしれないわよ」
 休暇中とはいえ、やはり仕事のことは忘れられないのか。が、話にはまだ続きがあった。
「ただし私は休暇中だから、この件に関しては一切接触しないこと。さくっと無視するから。じゃ、そういうことで」
 すくっと椅子から立ち上がり、さっさと自分の部屋へ戻る麗香。
「へんしゅうちょぉぉぉぉぉぉっ!?」
 唐突な命令に困惑し、絶叫する三下1人をそこに残して……。

 麗香と三下のそんなやり取りがあった数10分後。新たな一団が『蓬莱館』を訪れていた。
「やーっと着いたね☆」
 明るく元気にそう言ったのは『ゴーストネット』の掲示板を営む少女、瀬名雫であった。ということは、この一団は掲示板の関係で集まった面々なのだろう。その中に、セクシーに見える紅いスーツに身を包んだ、童顔の女性の姿があった。
「へえ、思ったより大きいんだ」
 童顔の女性――桜桃署捜査課勤務の女性刑事・月島美紅は『蓬莱館』の中をきょろきょろと興味深気に見ていた。
「美紅さん、来てよかったでしょ☆」
「うん。何だかのんびり出来そうな所ね」
 雫の言葉に頷く美紅。非番の美紅を、雫が誘ってやってきたのだ。まあ体のいい保護者代わりなのかもしれないが。
「草間さんたちも一緒だったらもっと楽しかったのに」
 一団の誰かがそう口にした。実は雫、美紅を誘う前に草間に声をかけていた。が、仕事の都合とやらで別の日に来るのだということである。少なくとも、雫たちの滞在中に顔を合わせることはないだろう。
「とにかく、宿泊中は思いっきり楽しもうねっ☆」
 雫はにこっと笑い、皆に聞こえるように言った。

 さらにその5分後。
「何で見たことある顔が、ここに居るかな……」
 苦笑しながら『蓬莱館』に入ってきた青年が1人居た。茶髪短髪に紅いバンダナを巻いた、動きやすそうな格好をした20歳前の若い青年だ。
「美紅さんだっけか、あの人が居るんじゃ……気を付けて動かなきゃな」
 青年――西船橋武人はぼそりとつぶやき、小さな溜息を吐いた。

 その頃『蓬莱館』の外、少し離れた場所には黒い服に身を固めサングラスをかけた2人の男性の姿があった。
「……ホワイトルークより本部。西船橋、潜入しました。どうぞ」
 男性の1人は持っていた無線機でどこかに連絡をしていた。
「本……り……トルーク……解……のま……監視……報告……うぞ」
 だが電波状況が悪いのか何なのか、返信は非常にノイズが混じっていて聞き取るのが難しかった。
「ホワイトルークより本部。了解、監視を続けます。どうぞ」
 それでも大意は把握出来たのだろう、男性はそう言って無線を切った。

 『蓬莱館』へようこそ――あなたはどうやって、過ごすつもりですか?
 旅の楽しみ方など、あなた次第なのですから……どうぞご自由に。


【ライターより】
〈ライター主観による依頼傾向(5段階評価)〉
戦闘:行動次第/推理:3/心霊:5/危険度:行動次第
ほのぼの:行動次第/コメディ:行動次第/恋愛:1
*プレイング内容により、傾向が変動する可能性は否定しません


【共通ノベル】
●原稿執筆中【1】
「……ん?」
 『蓬莱館』のとある1室、ノートパソコンのキーボードを叩いていた手を止め、中華テイストな女性用浴衣に身を包んだシュライン・エマは部屋の入口の方へと振り返った。
「今、聞き覚えのある妙に抜けた悲鳴が聞こえたような……。でもまさか、三下くんがここに居るはずもなし。気のせいかしら」
 首を傾げるシュライン。碇麗香が休暇でここに逗留しているのは知っていた。が、三下忠雄の姿はここでは見ていない。
 なので、聞き覚えがある悲鳴がしたからといって、すぐに三下には繋がらなかった。もっとも、聞こえた悲鳴が三下本人の物であったということを、後に知ることにはなるのだが。
 シュラインは仕事でここを訪れていた。といっても草間興信所のではなく、本業たる翻訳の原稿の仕上げをするためである。そのため、今は草間興信所の方は長めの休暇中であった。
 原稿の終了目処はついているし、完成分はちょっと通信状況が悪いもののすでに送ってある。なので、缶詰状態ということもなく、余裕を持って『蓬莱館』を堪能することが出来そうだった。
(でも、今回の原稿に合ったいい場所を紹介してもらったわね)
 シュラインの翻訳していた原稿は、いわゆる日本文化の紹介という物だった。当然『ワビ・サビ』なんて概念も含まれていたりする。
 そんな原稿ゆえに、この『蓬莱館』を紹介してもらったのは、感覚的に大きな参考となっていた。それを紹介したのは、高峰心霊学研究所所長・高峰沙耶であった。
「……まあ、さすがは高峰さんの紹介場所だとは思ったけど……」
 1人つぶやき苦笑するシュライン。そして、ある腐れ縁の情報屋の男の顔が脳裏に浮かんだ。
(まさかこんな所で会うなんて、ね)

●おいでませ『蓬莱館』【2A】
「おいーッす……なンだ九尾の旦那じゃねェか。玄関で突ッ立ッてねェで、早く入ンな。えーッと……予約、予約ッと」
 『蓬莱館』フロント――旅館名の入った法被姿の渡橋十三は、宿泊客として訪れた九尾桐伯の姿を見付けるや否や招き入れ、べっとりと唾つけた指で宿泊台帳を捲っていた。
「おう、ここここ。ちょちょいッと、一筆頼まァ」
 と言って十三は台帳を桐伯の方に向け、筆ペンを手渡した。桐伯は台帳に署名をしながらも、十三がフロントに居ることに少し驚いていたようだった。
「しばらくお見かけしないと思ってましたが、今はこちらですか?」
「……へッ、チト身を隠す必要があッてな。高峰の奥様に頼んで、一足先に食客にさせてもらッたッて寸法よ。ッと、どーでもいいよな、そンなこたァ」
 頭を掻きながら十三が答えると、桐伯はなるほどといったように頷いた。
「しかし先日、草間さん嘆いてましたよ。『どうして必要な時に居ないんだ』って」
 署名を終えた桐伯はふっと笑って、その時の草間武彦の様子を教えた。それを聞いた十三は苦笑した。
「お、草間の旦那そう言ッてたかい? そいつァ嬉しいねェ。……ま、俺ッチもごたごたしてて連絡する暇ァなかッたモンでな。近々来るてェ話なンで、そン時にでも旦那のご機嫌窺うさ」
「そうですか。あと……預かっていただきたい物が」
「お嬢にかい?」
 桐伯の言葉に、間髪入れず十三が言った。
「……ええ。すでに到着していましたか」
「いンや、まだだけどよ……。ンで、そのブツは?」
「これを」
 桐伯は鞄から携帯用ワインクーラーと、1通の封筒を取り出してフロントの台の上に置いた。封筒には『寒河江深雪様』と自署で記されていた。
「よろしくお願いします」
「……ああ。到着したら、すぐに渡してやらァ」
 桐伯からそれらを預かった十三は、珍しく神妙な表情で言った。

●古池や三下飛び込む水の音【3A】
「へーえ、外や浴衣だけじゃなくて、中も中華テイスト入ってるんだぁ☆」
 部屋に荷物を置いてまだ浴衣に着替えることもなく、さっそく『蓬莱館』の散策を始めていた瀬名雫。その途中、渡り廊下の所で浴衣姿の銀髪の外国人女性と擦れ違った。
 そのまま行き過ぎようとする2人。だが、先に気が付いて足を止めたのは雫であった。
「あれ? あのー、プリンキアさん?」
「What? OH! Miss雫! 奇遇デース☆」
 雫のことに気付いたプリンキア・アルフヘイムは、パタパタと駆け寄ってきて、ぎゅーっと雫を抱き締めた。いわゆるハグだ。
「な……何してるんですかっ? ロケでメイクのお仕事?」
 何とかプリンキアのハグを外し、雫が尋ねた。
「ミーは今、久シ振リのホリデイ満喫してマース。ンー……タナボタホリデイ?」
 ここしばらく仕事がとても忙しかったプリンキア。それが予定されていた撮影のメイク仕事が、主演の急病でキャンセル・延期となり、ぽっかりと休みが出来たためにこの『蓬莱館』へやってきたのだった。
「Miss雫ハ?」
「あたし? あたしは『ゴーストネット』のオフ会旅行なの。20人近く集まったのかな、結局」
「OH! それハ楽しそうデスネー♪」
 と、雫とプリンキアが渡り廊下の真ん中で取り留めのない会話をしていた頃、離れた別の場所からその様子を目にしていた青年が居た。
「瀬名の小雀も居るのか」
 やれやれといった様子でつぶやいたスーツ姿の青年――上総辰巳。辰巳の居る場所からは池のある中庭――いくつかある中庭の1つである――が見え、そのだいぶ向こうに雫たちの居る渡り廊下が見えていた。
 辰巳は池を眺めていたのだが、残念ながら1人静かにという訳にはいかなかった。そばには三下が居たのである。
「あのー……上総さん?」
 恐る恐る辰巳に話しかける三下。だが辰巳はそれを文字通り『一蹴』した。
「邪魔だ」
 げし。
「はうぅっ!」
 見事に蹴り倒され通路に這いつくばる三下。
「さっきも言った通りだ」
 辰巳は三下を一瞥し、言葉を続けた。
「僕も受験生追い出した後の休暇中なんでな、面倒はごめんこうむりたい。……休暇先を面倒ごとで埋められてもたまらん」
 進学塾の数学教師である辰巳にとって、受験シーズンの終わった後というのは、1年でもっともゆっくり出来る期間。長めの休暇を取れるのも、この時期ならではだった。
 そんな貴重な休暇を、面倒ごとで邪魔されたくはない。辰巳ならずともそう思うはず。だが編集長たる麗香にああ言われ頼る人が居ない今の三下は、とにかく誰かに手伝ってほしい訳で――。
「そんなこと言わずにお願いしますぅぅぅ!」
 すがりつく三下。だが辰巳の気持ちは変わらない。
「くどい」
 げし。ドッボン!!
 池から激しく水柱が上がった。誰が落ちたかは言わずもがなである。
「……くれぐれも僕の休暇の邪魔はするなよ」
 池には目もくれず、すたすたとその場を立ち去る辰巳。遠くの渡り廊下には、もう雫たちの姿もなかった。
「だっ……誰かっ、助けてぇぇぇぇっ!!」
 溺れる三下、絶体絶命。しかし、救う女神は居た。
「……つかまりなさい……」
 三下に向かって、何か白く太い綱のような物が飛んできた。その先には、珊瑚蛇を首の辺りに巻き付け、瓢箪に入った酒を手にした浴衣姿の巳主神冴那の姿があった。どうやら、冴那が三下を助けてくれようとしているらしい。
「はいぃぃぃぃっ!!」
 溺れる者はわらをもつかむ。当然三下もその白く太い綱のような物を、必死になってつかんだ。
「た……助かりました……」
 そして何とか落ち着く三下。冴那はその場に腰を降ろすと、瓢箪から盃に酒を注ぎながら言った。
「日向ぼっこの場所……探していたのよ……ちょうどよかったわ……。ね……珊瑚?」
 珊瑚蛇に話しかける冴那。どうやらこの場所、日向ぼっこに適した場所だったらしい。
「はあ、そうなんですか……でも本当、助かりました」
「そう言ってもらえると……藤乃も喜ぶわ……」
「はい?」
 冴那の言葉に一瞬きょとんとなる三下。それから改めて白く太い綱のような物に目をやって――。
「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!」
 ダバン!!
 池からまた水柱が上がった。手を放した三下が、そのまま真後ろに倒れて再び池に捕らわれたのだった。
 それもそのはず、白く太い綱のような物に見えたそれは、何と白い錦蛇だったのだから。
「あら……どうして放したのかしら……。せっかく藤乃が助けようとしてあげたのに……」
 冴那は不思議そうに首を傾げた後、こくこくと盃の酒を飲んだ。

●女神降臨【4】
「うぅぅぅぅ……どうしてこんな目に……」
 全身ずぶ濡れとなった三下は、水の滴るいい男……もとい、スーツ姿のまま館内を歩いていた。そして曲り角に差しかかった時であった。鼻歌混じりの楽し気な声が聞こえてきたのは。
「温泉おんせん〜☆ ……っと、あれっ、三下君?」
 そこでばったり出くわしたのは三下をよく知る者。有給休暇を取って、『蓬莱館』でのんびりしようとやってきていた室田充であった。赤紫というのか、その系統の色をベースとした男性用浴衣に身を包んでいる。
「三下君も温泉来たんだ?」
「うっ……うぅぅ……室田さん助けてくださいぃぃぃぃぃっ!!」
 ずずいと充ににじり寄る三下。そして自分がここに居る理由を涙ながらに語ったのであった。
「……仕事だったんだ。相変わらず不幸なんだね」
 話を聞き熱くなった目頭を押さえた充は、少し思案してからこう三下に提案した。
「どうだろう。僕の部屋1人で取ってるけど、よかったら一緒に泊まるかい? 1人より2人の方が安く上がるし経費にも響かないと思うけど」
 願ってもない申し出である。まだ部屋を取っていなかった三下は、こくこくと頷いたのだった。
「あああああっ、どうもありがとうございますぅぅぅぅっ!!」
 まるで女神様を見るかのような三下の眼差し。充はちょっと嬉しく思った。
「じゃあ部屋を教えておくから、着替えて温泉入っておいでよ。濡れたままじゃ風邪ひくし」
 そう言って充が部屋の場所を教えると、三下は礼を言ってすぐにそちらへ向かおうとした。そこに――。
「あらあら〜、ずぶ濡れじゃないですか〜」
 ほえほえとした少女の声が聞こえてきた。充が見ると、そこにはファルナ・新宮とそのメイドのファルファの姿があった。……何故か2人揃って男性用の浴衣を着ていたけれど。
「風邪をひくといけませんね〜。ささ、温泉で早く温もりましょ〜。ファルファ、手伝ってください〜」
「……はい、マスター」
 言うが早いか、ファルナとファルファは三下の両腕をがしっとつかんでいた。で、そのまま温泉のある方へと引きずってゆく。
「お背中も綺麗に流して差し上げますね〜」
「へ? あ、あのっ、ちょっと待ってくださ……」
 三下は何とか逃れようとするが、思ったより腕のロックが固く逃げ出せない。その間に、どんどんと引きずられてゆく。
「たぁすけてぇぇぇぇぇ……!」
 三下の声がどんどん遠くなってゆく。
「……温泉入るだけだから、死にはしないよね」
 充は呆れた笑みを浮かべながら、三下の姿を見送った。そして3人の姿が見えなくなると、別の方向にもある露天風呂へと向かって歩き出したのだった。

●偶然【5A】
「本当、びっくりしました」
 と、笑顔で語るのは女性用の浴衣に身を包んだ天薙撫子であった。普段から和服を着ているためだろう、中華テイストの入った浴衣であっても雰囲気に違和感がない。
「驚いたのはこっちもだよ。連絡しても捕まらなかったのに、ここに居たんだもん」
 そう答えたのは撫子の隣を歩いていた雫。その後ろにはまだ着替えておらぬ月島美紅と、同じく鹿沼・デルフェスの姿もあった。
 まとまった人数で館内を歩いているが、こうなったのは自然発生的であった。雫が1人で歩いていた所に、別で歩いていた美紅とデルフェスが合流し、そこへさらに撫子がやってきたのだった。
「すみません。恐らくその頃には、すでにお友だちとこちらに向かっていた後だったかと……」
 申し訳なさそうに言う撫子。そんな撫子に対し、雫が手をパタパタと振りながら言った。
「ううん、いいよ。気にしないで。あ、そうだ☆ よかったら今夜の宴会に一緒に参加する? あっ、でもお友だちと一緒……だったよね?」
「いえ、こちらには数日ほど逗留する予定ですから……今日はご一緒させて構いませんか?」
「喜んでっ☆」
 雫はVサインを出して答えた。
「今夜の宴会は、より賑やかになりそうですわね」
「気付くと人がどんどん増えてたりして。『あなた誰?』みたいな」
 にこにこと言うデルフェス。それを受けて、美紅も冗談ぽく言った。
「あはは、それはないよー」
 笑う雫。すると、ふと思い出したように撫子が言った。
「そういえば、三下さんにはお会いしましたか?」
「え? 三下くん? 居るの?」
 撫子に聞き返す雫。撫子は三下の不幸話を、かくかくしかじかと話し始めた。
「へえ……教えてもらった所だけど、ここって何かあるんだ。あたしの勘ってすごーいっ☆」
 自画自賛する雫。どうやら特に何かがあるからここを選んだのではなく、ここを選んだら何かがあるらしいと知ったようである。
 てくてくと通路を歩いてゆく4人。やがて向こうから紅いバンダナを巻いた青年が歩いてきた。
「あ」
 先に気付いたのは美紅の方であった。
「あ」
 青年が若干遅れて美紅の存在に気付いた。すぐさま回れ右をし、来た方向へ駆けてゆく。
「あのっ、西船橋さん……ですよねっ?」
 美紅が青年を呼び止めようとするが、青年は振り返ることもなく逃げていった。
「美紅様のお知り合いの方ですか?」
 デルフェスが尋ねると、こくんと美紅が頷いた。
「ええ。以前……別の事件でちょっと」
 美紅はそこで言葉を濁し、それ以上は語らなかった。

●慌てん坊【6】
「あー、やばいやばい……気を付けようとした矢先からこれだよ」
 美紅から逃げ切った所で青年――西船橋武人は自嘲気味な笑みを浮かべていた。
「『誰もいない街』事件の時に、顔知られてるからなあ……。まさか、他に居ないだろうな?」
 辺りをきょろきょろと見回す武人。すると、だ。中庭を挟んで向こう側の渡り廊下に、別の者を見付けた。大きなトランクを転がしながら歩いている若干小太りな青年と、青年よりも背の高い細身の女性だ。
「……ターゲット発見。杉並と千代田だったな、一応」
 青年・杉並ゆうじと、女性・千代田雅子の後を追う武人。さて、いったい何故にこの2人を追っているのか。
 だがしかし、発見した場所が少し離れていたせいもあり、2人を見かけた場所へ到着した時には2人の姿を見失っていた。
「くそっ、この先左右に分かれてる。どっちに曲がったかな」
 間違った方へ曲がってしまうと、時間の無駄となってしまう。悩む武人。その時、渡り廊下の天井から物音が聞こえた。
「ん?」
 武人が天井に目をやると、天井の木の一部がパカッと開き、そこから何者かが飛び降りてきた。
「うわっ!!」
 反射的に身構える武人。そこにはすすや泥などで汚れた女性用浴衣に身を包んだ、髪の毛のとても長い少女が立っていた。戸隠ソネ子である。
 まるで天井裏だかを這い回ってきたかのような汚れ具合。2歩ほど後ずさる武人。
「ナニしてるの何してルノ何シテるの……」
 武人に問いかけるソネ子。武人は少したじろぎながらも、ソネ子の質問に答えた。
「あ、いや……人を探して……」
「トランクのヒト……?」
「そう、そいつ! どっち行った!?」
 手がかりを見付けたと思った武人は、逆にソネ子に質問した。するとソネ子は、ゆっくりと右の方を指差した。
「右か! サンキュ!」
 右に曲がったと解釈した武人は、ソネ子へ簡単に礼を言うと先の通路を右へ曲がっていった。が――実はそれは間違っていた。
「ミギに行こうとシテ……ヤッぱりヒダリを選んダって言おウとしタのニ……」
 教訓・話は最後まできちんと聞きましょう。
「……タノシイタノシイオンセン旅行……」
 1人残されたソネ子は、そうつぶやきながらふらふらとどこかへ歩いていった……。

●気にする者たち【7A】
 さて――今の一連の流れを、誰も見ていないと思ったらさにあらず。しっかりと見ていた者が中庭に居た。
「くつろごうと思った矢先に、何やら胡散臭い連中を見てしまうとは……。陽の気も台無しだな」
 黒系統の色をベースとした男性用浴衣に身を包み、中庭を散策していた真名神慶悟である。
「これも陰陽のなせる業か?」
 軽く溜息を吐く慶悟。そもそも中庭に出る前、自室の窓から妙な黒服の男たち2人を見付けてしまった時点で、くつろぎから遠ざかってしまったのかもしれない。
 杞憂かとも思いつつ、慶悟は見付けた黒服の男たちに式神を2体打っていた。だが、それがどうやら杞憂ではなかったように今は思えてならない。
(ここ『蓬莱館』と状況の把握もしておくか)
 懐より式符を取り出し、新たに数体式神を打つ慶悟。うち1体は西船橋に、また他の1体はその式神に対して、そして別の2体を黒服の男たちにつけた式神の監視として送り出した。万一に至近の式神がやられても、確実に情報を入手するためであった。
「……とりあえず何か起きる前に、温泉に入っておくか」
 現時点でやれることはやった。後は状況を知ってからの話である。温泉に入っている間に、情報は集まってくることだろうから。
 それにだ。温泉に来て入りそびれては本末転倒、勿体無いことこの上ない。かくして慶悟は中庭から上がると、温泉へと向かったのだった。

 同じ頃――慶悟が見たと思われる妙な黒服の男たちを、自室から見ていた女性が居た。教会を他の者に任せ、高峰の誘いで家族と一緒に遊びに来ていたシスター・隠岐智恵美である。シスターといっても、今の智恵美の格好は女性用の浴衣姿であるのだが。
「あら、あらあら」
 黒服の男たちを見付けた智恵美は、思わず苦笑していた。そして微笑みを浮かべ、こう言葉を続けた。
「せっかく楽しみに来たのですが……何かありそうですね」

●猫を探して【8A】
「ねこー☆」
 『蓬莱館』館内を、おかっぱ頭で幼稚園くらいの可愛らしい女の子が、子供サイズの浴衣を着てパタパタと走っていた。
「ぜーちゃんどこー? こまこはここだよー」
 時折立ち止まっては辺りをきょろきょろ見回し、またパタパタと走り回る女の子――寒河江駒子。どうやら猫を探しているようだが……。
「OH! Miss駒子! 何シテマスか?」
 その最中、駒子はばったりとプリンキアに出くわした。
「あ、ぷーちゃんだ! あのねー、さーちゃんのぜーちゃんおいかけてたのー☆」
 にこぱーとプリンキアに笑顔を見せる駒子。分かるように翻訳すると、高峰に付き添う黒猫ゼーエンを駒子は追いかけていたのだ。
「ソレは楽しそうデスネー」
 駒子が猫を追う微笑ましい様子を頭に思い描き、プリンキアからも笑顔が浮かんだ。
 そして駒子とプリンキアはしばし会話を続け、最後にプリンキアが凄く嬉しそうにこう言った。
「そのヘンについては、ミーが責任を持っテ深雪に説明してあげマショー」
「ぷーちゃん、ありがとー☆」
 またしても、にこぱーと微笑む駒子。そしてプリンキアに手を振って別れると、またゼーエンを探して駆けていった。
「ぜーちゃんどこー? こまこはここだよー」
 駒子が向かったのはフロント方面であった。

●猫を捕まえて【10B】
「あ、ぜーちゃんだー!」
 ゼーエンを探していた駒子は、ようやくその姿を見付けることが出来た。ところがゼーエンは駒子の姿を見るや否や、タタッと走って逃げてしまう。
「まてー、ねこー☆」
 追いかける駒子、逃げるゼーエン。渡り廊下を越え、中庭を抜け、通路を走り、ぐるぐるぐると敷地内を追いかけっこ。
 しばらくして館内に戻ってきた駒子はゼーエンを腕に抱き、蓬莱に連れられてであった。その時、ゼーエンを呼ぶ者が居た。
「ゼーエン」
 その女性の声を聞き、ゼーエンは駒子の腕の中からぴょこんと抜け出し、女性の所へ駆けていった。
「あ〜」
 追おうとする駒子。だがそれよりも早く、ゼーエンは女性――高峰の腕の中に入っていった。
 他の宿泊客同様、女性用浴衣姿の高峰。漂う神秘的な雰囲気ゆえだろうか、あるいは浴衣のデザインゆえか、仙女ぽく見えないこともない。主観の問題かもしれないが。
「あ、さーちゃんだ……」
 駒子がぼそっとつぶやいた。
「ゼーエンと遊んでくれていたのね。どうもありがとう。……行きましょう、ゼーエン」
 高峰は静かに駒子に礼を言うと、くるっと背を向けて歩き出した。
「ぜーちゃんまたね〜☆」
 ぶんぶんと手を振る駒子。その隣では蓬莱が腕を組み、深々と頭を下げていた。

●傷付いたヒロイン【11】
「おう。ようやッと着いたか、お嬢」
 十三は夕方近くなって『蓬莱館』に到着した深雪の姿を見て、ニヤリと笑った。仕事の関係で、深雪は来るのがこの時間となったのである。
「……こんばんは」
 フロントに十三が居たことに一瞬驚いたようだが、すぐにぺこりと頭を下げた。
「ここに一筆頼まァ」
 フロントにやってきた深雪に、十三が宿泊台帳と筆ペンを手渡す。署名する深雪。
「……九尾の旦那はとッくにおいでだゼ」
 十三がぼそっとつぶやいた。その瞬間、深雪の書いていた字が僅かに震え崩れた。
「桐伯さんが……」
「旦那から預かッたもン、受け取ッてくンな」
 奥から桐伯より預かった物を持ってくる十三。携帯用ワインクーラーと、『寒河江深雪様』と記された1通の封筒である。
「……私、に?」
「他に誰が居るッてかい?」
 そう言い、やや意地悪く笑う十三。沈黙し、思案顔となる深雪。
「……あのっ。お部屋なんですけど……あ、いいえ、何でもなく……」
 少しして口を開き、深雪は言おうとしたことを途中で止めた。だがそれを受ける形で、十三が口を開いた。
「あー、部屋に案内しないとなァ」
 わざとらしい十三の口調。その後にはこのように続いた。
「……九尾の旦那の隣の部屋なんだがよ」
「えっ?」
「不満か?」
 十三が尋ねると、深雪はふるふると頭を振った。
「そんなこと……」
 深雪はフロントの台の上に置かれていた、携帯用ワインクーラーと手紙を手に取った。
「ありがとうございます」
 そして小さな声で礼を言う深雪。
「よせやい」
 照れ隠しなのかどうなのか、十三はぼりぼりと頭を掻いた。

●イッツ温泉ターイム☆【12A】
 夕方――夕食や宴会を控え、先に一風呂浴びようとする者が多くなる時間帯である。
 ここ『蓬莱館』には男女各々2か所の露天風呂が存在していた。男性用は『甲子の湯』と『乙丑の湯』、女性用は『甲寅の湯』と『乙卯の湯』と名前がつけられている。
 この時間帯、どの露天風呂にも満遍なく宿泊客が入っていた。それでは順番に様子を見ていってみよう。

 『甲子の湯』では桐伯が1人湯舟に入っていた。が、何故か洗い場や垣根、その他あちこちをちらちらと見ては首を傾げている。
「さて……どうしてやたらめったらと、泡が飛び散っているんでしょうねえ」
 『甲子の湯』の洗い場は床の部分こそきちんと流されていたが、垣根のてっぺんの方やら洗い場より遠く離れた場所に泡がべっとりと残っていた。
(マナーが悪いと言うよりも、何か惨劇があったような……そんな雰囲気がありますね)
 はて、いったいここで何があったのだろう?

 『乙丑の湯』に居たのも1人、辰巳が岩に首をもたれかけるようにして湯舟に入っていた。
(ああ、いい湯だ)
 両目を閉じ、全身で温泉を味わっている辰巳。1人ゆったり湯舟に浸かっていると、1年の疲れがじわじわと溶け出すようにも感じられた。
(あれ以降、三下も姿を見せないしな……このまま邪魔なく休暇を過ごしたいものだ)
 辰巳がそう考えていた時だった。『乙丑の湯』に誰か1人やってきた。杉並である。
 まあ貸切ではないのだから、他の宿泊客がやってくるのは当たり前なのだが……明らかに変だった。何故なら、トランクを持ち込んでいたのだから。
「…………」
 人の感情が頭上に見えるなら、辰巳の頭上には大きな『?』が浮かんでいたことであろう。温泉にトランク、インパクトは十分にあった。
 そして杉並と辰巳の視線が、ふっと合った。杉並がニヤリと笑ったような気がした。

 『甲寅の湯』には冴那とソネ子が湯舟に入っていた。他には誰の姿もない。いや、2人が入るまでは数人居たのだ。だが、2人が入ると皆そそくさと上がっていってしまったのである。
 また、後から入ってきた者も身体だけ洗うと、同じくそそくさと逃げるように上がっていた。
「……皆、早風呂なのね……」
 湯舟に酒の入った瓢箪と盃の載った盆を浮かべていた冴那が、ぼそりとつぶやいた。皆の行動だけを見ると、確かにそう思うことだろう。だが、その行動を取るだけの理由はちゃんとある訳で。
 原因は2つ。1つはソネ子で、湯舟を覆わんばかりに長い髪の毛が広がっていたことだ。
「ゴクラク……極楽……」
 湯の中でだらんと全身を投げ出しているソネ子。相変わらずの無表情ながら、ソネ子本人的には堪能しているらしい。だが、ヴィジュアルとしては、水藻に絡まれた水死体としか見えないような……。
 もう1つは冴那だ。冴那自身は湯舟に浸かりながら、酒を飲んでいるだけである。しかし、そのそばには白い錦蛇や珊瑚蛇、その他何匹かの蛇がうねうねと這い回っていた。ごくごくたまに、他の宿泊客の方へ向かったり向かわなかったり。
 以上2点……そりゃ、他の宿泊客が逃げるはずである。
 やがてソネ子が先に湯舟から上がった。髪から水を滴らせながら、脱衣所へと向かう。それと入れ違いに、千代田が『甲寅の湯』に入ってきた――。

「あー……やっぱりあれは、三下くんの悲鳴だったのね」
「そうよ。休暇中だから、私には一切関係ないことだけど」
 事情を聞き納得した様子のシュラインの言葉に対し、麗香がさらっと言い放った。
 『乙卯の湯』は『甲寅の湯』を避けてやってきた宿泊客で賑わっていた。もちろん『甲寅の湯』の様子を知らず、まっすぐにこちらへやってきた者も居る訳だが。シュラインと麗香もその中の2人であった。
「3年振りの休暇よ? 邪魔されてたまるものですか」
「……そうは言っても、麗香さんのことだから気にはなってるんでしょう? 三下くん残したくらいですもの」
 意地悪くシュラインが尋ねた。
「そりゃあ、ね。あんな三下くんでも、居ないよりはましだし。ほんと、つくづく因果な商売だわ」
 ふうっと溜息を吐く麗香。シュラインが話を本筋に戻した。
「で、その2人の名前ですけど……やっぱり偽名なのかしら?」
「やっぱりかどうか分からないけど、偽名ぽいわよね。そもそもの『秘湯の盟友』って雑誌の名前すら聞いたことないんだもの。……聞いたことある?」
 麗香から質問を返され、シュラインは頭を振った。
「でしょう? ありもしない雑誌をでっち上げて調べるようなこと、ここにあるのかしら」
 思案顔となり麗香がつぶやいた。

●よくある風景【13C】
 風呂上がり、シュラインは自分の泊まっている部屋へ戻るため通路を歩いていた。
(戻って少ししたら、ちょうどいい頃合かしら)
 何がいい頃合かというと、夕食の時間のことだ。夕食は部屋で食べるか広間で食べるか選べるので、シュラインは部屋でのんびり食べることを選んだのだった。
 その部屋へ戻る途中、公衆電話の所で智恵美の姿を発見した。ちょうど電話を終え、どこかへ行こうとしていた所であった。
「あら……」
 シュラインのつぶやきが聞こえたのか、振り返る智恵美。視線が合った。
「どこかへお電話されてたんですか?」
 シュラインが何気なく話しかける。すると智恵美は微笑みを浮かべてこう答えた。
「ええ。教会のことが気になりまして」
「あー……なるほど」
「それではまた」
 智恵美はぺこりと頭を下げると、どこかへ行ってしまった。
「シスターの鑑ねえ……」
 感心したようにシュラインがつぶやいた。

●夕食【14A】
 食事場所となっている広間には、宿泊客たちの姿はそう多くはなかった。結構皆、部屋で食べているようだ。
「少ないねえ……」
 ぐるっと広間を見回し、充が苦笑した。今、部屋に居たのは自分を含め10人前後であった。この人数で、各々の膳が間隔空けて置かれているのだから、なおさら少なく感じられた。
「知っている人は多いんですけど」
 充に向かい合う形となっていた三下が、ぼそっとつぶやいた。確かに充や三下の他、桐伯やソネ子、それから辰巳の姿も広間にはあった。
「……あ」
 広間を見回していた三下だったが、急に顔を背けた。どうやら辰巳と目が合ってしまい、じろりと睨み付けられたようだった。
「ごちそうさまでした」
 膳の上の物を綺麗に平らげ、手を合わせる桐伯。そしてすくっと立ち上がり広間を出てゆこうとする。その時、蓬莱が広間に入ってきた。
「もうお召し上がりですか?」
 蓬莱が部屋に戻ろうとしていた桐伯に話しかけた。
「ええ、どれも山の幸がふんだんに使われていて美味しかったですね。ああ……とろろですか、あれは天然の自然薯を?」
「はい。よくお分かりですね」
「どうりで濃厚だと思いましたよ。……と、寝る前で結構ですので、何かよい地酒などあると部屋に持ってきていただけるとありがたいのですが」
「分かりました、お持ちいたします」
 頭を下げる蓬莱。そして桐伯は広間を出ていった。
 蓬莱も少し片付けをしてから、また広間を出てゆく。それと入れ違いに1組のカップルが入ってきた。
「あの2人です!」
 小声で三下が充に教えた。杉並と千代田の2人であった。
「……変だよね」
 充はちらっと杉並たちの方を見て、呆れたように言った。何故なら杉並は、トランクを転がして広間に現れたからである。
 辰巳もそのトランクを目にし眉をひそめたが、すぐに何事もなかったかのように食事を続けた。
「人が入りそうって、大げさな表現じゃなかったんだ」
 充が妙な所を感心した。ともかくしばし様子を見てみようと、杉並たちの動きをそれとなく観察してみる充と三下。
「1口食べてはメモを取ったりしてますね」
「こうして見てみると、ライターぽい行動なんだけど。いかんせん」
 再びトランクに目をやる充。どうしてもこれが気になってしまう。
 やがて杉並たちが食事を終え、部屋に戻るのか立ち上がった。
「それとなく、後を追ってみるかい?」
「はい」
 充の提案に三下が大きく頷いた。そして三下はすくっと立ち上がって歩き出そうとしたのだが――。
「あっ……足がしびっ……痺れっ……!」
 変な座り方をしていたのか、足が痺れてしまったようである。
 さて、この後の展開は容易に予想出来るだろう。足が痺れた三下は見事にすっ転び、まだ食べに来ていないグループの膳の上に華麗なるダイブを――。
 激しい物音と、飛び散る料理。それから勢い余って、ごろごろと転がってしまう三下。転がるのが止まったのは、何の因果か辰巳の目の前であった。それも食べ終わっていたとはいえ、辰巳の膳をも吹き飛ばして。
「三下……そんなに僕の休暇を邪魔したいのか。だったら僕も邪魔してやろう」
 辰巳は淡々と言うと立ち上がり、倒れたままの三下を足蹴にした。……ああ、怒ってる、怒ってるよ、この人。
 げし、げし、ふみっ。
「はうっ!!」
 三下の身体が一瞬海老反った。辰巳は三下を見ることもなく、そのまま広間を出ていった。
「……生きてるかい?」
 充が三下に近付いて尋ねた。
「な……何とか……」
 よろよろと起き上がる三下。膳にダイブしたせいか、顔や腕や浴衣が料理で汚れてしまっていた。
「あーあ、せっかく綺麗になったのに。しょうがない、露天風呂行こうか。僕が綺麗に流してあげるよ」
 少し嬉々とした様子で言う充。だが『流す』という言葉を聞いた瞬間、三下は大きく頭を振った。
「いっ、いえっ、結構です!!」
 何か『流す』で嫌なことでもあったのか、三下。
「何遠慮してんのさ。さ、行こうよ」
 三下をぐいと起こし、引っ張ってゆく充。三下は逃れられない。
「1人で流せますからぁぁぁぁっ!! 泡は嫌ぁぁぁぁぁっ!!!」
 ……だから何があったんだ、三下。
「……モッたいナい、もっタイナい……」
 三下の声が遠くなってゆく中、ソネ子は無事だった料理の皿や腕を回収して、もぐもぐと食べていったのだった。

●『ゴーストネット』宴会中【16】
 広間とは離れた場所にある宴会場。こちらでは今から『ゴーストネット』オフ会の宴会が始まろうとしていた。
「えーっと、今回は急に企画したにも関わらず、こんなに参加してくれてどうもありがとう☆」
 雫による乾杯前の挨拶が始まった。宴会場に居るのはざっと20人前後。その中には美紅やデルフェス、それから撫子の姿があるのはもちろん、宴会場の前を通りがかった時に雫に引っ張り込まれた桐伯の姿まであった。
「今日は目一杯楽しんでねっ☆ それじゃあ、かんぱーいっ!!」
「かんぱーいっ!!」
 乾杯の声に合わせ、あちこちでグラスがぶつかり合う音が聞こえてきた。
「美紅様、どうぞ」
 空になったグラスを見付け、デルフェスが美紅にお酌をしようとした。
「あ、すみません」
 グラスを差し出す美紅。それに気付いて、撫子が少しびっくりしたように言った。
「えっ。もう空に……?」
 乾杯からさほど時間は経っていない。1杯目だからなのか、あるいはペースが分かっていないのか。
「昔は1滴も飲めなかったんですけどね。だから一息にゆかないと……」
 照れた笑みを浮かべ、美紅はデルフェスからのお酌を受けた。……どうやら後者のようだ。
「いただきます」
 こくこくとビールを飲み干す美紅。一息である。が、もうすでに頬が紅くなり始めていた。
「おかわりくらさい」
 美紅がまたデルフェスにすっとグラスを差し出した。だが今度はデルフェス、お酌をしない。
「……少し間を置いた方がよいかもしれませんわ」
 懸命な判断である。
「もう少し、飲み方を考えた方がいいでしょうね」
 苦笑気味に美紅に言う桐伯。確かにこんな飲み方をしていたら、簡単に酔い潰れてしまうことだろう。酒を楽しもうと思うなら、飲み方を変えないと大変だ。
「れもぉ……マナミ刑事は、いつもこうひゃってのんれまひたひょ?」
 美紅が反論するが、明らかにろれつが怪しくなっている。ちなみに『マナミ刑事』とは、美紅憧れのドラマの中の女性刑事である。
「酔ってると、事件が起きた時に対処出来ませんよ?」
「らから、今日は非番れす!」
 桐伯が笑いながら言うと、美紅がきっぱりと言い返した。
「それに管轄もひがうんれす! 変に動くと怒られるんれす!!」
「……以前怒られたことがおありなんですね」
 撫子がぽんぽんと美紅の頭を撫でた。その顔は笑っていた。
「聞いた話ですけど、ここは100年に1度現れる温泉らしいですよ。事件の匂いがしませんか?」
 ほんの少しだけ美紅を煽るかのように、聞いた話を持ち出してくる桐伯。それに対し、美紅がきょとんとしてつぶやいた。
「蜃気楼れふか?」
 違います。
「あはは、そんなことないよー。だって高峰さん、前にも来たことあるって言ってたもん。100年に1度現れるんじゃ、来れないよ」
 笑いながら雫が会話に加わってきた。撫子が雫に聞き返した。
「え? 雫ちゃんがお決めになったのでは?」
「決めたのはあたしだけど、ここの温泉のこと教えてくれたの高峰さんだよ? それ含めていくつか候補にして、結局ここにしたの。ほんと、タイミングいいメールだったなー」
 何だか妙に出来過ぎた話である。
「おーい、ビールちょうだーい!」
「こっち、ジュース回してくださーい」
「はい、ただいま」
 にこり微笑み、声の上がった方へと向かうデルフェス。この分だと宴会中、人の世話に追われて終わりそうだ。
 そんな賑やかな宴会場。楽しそうな声が外の通路にまで漏れ聞こえてくる。
(……今の声……)
 たまたまその前を通りがかった深雪は、ちらりと宴会場に目を向け足を止めた。
「空耳よね……」
 深雪はそうぽつりつぶやくと、また何事もなかったかのように歩き出した――。

●訪問者【19A】
(ソロソロ、オ話シないトいけマセンネ)
 深雪に大切な話のあったプリンキアは、深雪の部屋の前にやってきていた。そしておもむろに中へ向かって声をかける。
「Miss深雪? 起きてマスカー?」
「はっ、はいっ!?」
 部屋の中から、何故かドタバタという足音が聞こえてきた。いったい何をしていたのか。
「ど、どうぞー」
 ややあって深雪のプリンキアを招き入れる声がした。中へ入るプリンキア。
 プリンキアはそれから10分ほどして部屋から出てきた。その表情は非常に満足げに見えた。

●どうぞごゆっくり【21A】
「あ……」
 桐伯の部屋の前でうろうろとしていた深雪は、頼まれた酒を渡して中から出てきた蓬莱とばったり顔を合わせてしまった。
 思わずくるっと背を向ける深雪だったが、蓬莱がぐいと肩をつかんだ。
「こちらのお客様にご用事ですか?」
 にこっと微笑み、深雪に尋ねる蓬莱。
「あの……あの、私……」
 言葉の続かない深雪。しかし言いたいことを察したのか、蓬莱は深雪の腕をつかむとまた桐伯の部屋に入っていったのだった。
「お客様、こちらのお客様が」
 そして深雪を部屋の中に押し込むと、蓬莱はどこかへ行ってしまった――。

●新たなる獲物【22B】
 人気のない通路に、シュラインと全身汚れた武人が向かい合って立っていた。
「……まあ、頑張ってね」
 シュラインが武人にそう声をかけた。
「頑張らないとなあ……」
 大きく溜息を吐く武人。
「あ〜、シュラインさんです〜」
 と、そこにファルナがやってきた。当然ファルファだって一緒である。腰にはタオルをぶら下げている、また温泉に入るつもりなのだろう。というか……何度入った?
「こちらは、お知り合いの方ですか〜?」
 武人に気付き、シュラインに尋ねるファルナ。
「そんな所かしら」
「それにしても〜……ずいぶんと汚れていらっしゃいますね〜」
 ファルナがじーっと武人の姿を見る。そしておもむろに、手をポンと叩いた。
「そうですね〜、汚れを流して差し上げますからご一緒に温泉に入りましょう〜」
「はい?」
 武人は一瞬耳を疑った。だが、冗談などではない。
「ファルファ、手伝ってください〜」
「……はい、マスター」
 言うが早いか、ファルナとファルファは武人の両腕をがしっとつかんでいた。もちろん、そのまま温泉のある方へと引きずってゆく。
「あっ、おいっ、ちょっと待った……!」
「ご遠慮なさらなくていいです〜。お背中も綺麗に流して差し上げますね〜」
「……円を描くようにでしたね、マスター」
 武人の意志など無視して、ずるずると連行してゆくファルナとファルファ。腕のロックは完璧だった。
「あぁぁぁぁぁぁぁっ! ちょっ、ちょっと見てないで助けてぇぇぇぇぇっ!!」
「何だかねえ……」
 シュラインは小さくなってゆく武人の姿を、呆れ顔で見つめていた。
「……と、こうしちゃいられないわね。三下くん大丈夫かしら……」
 そしてシュラインは、三下の姿を探して通路を反対方向に歩き出した。

●不幸を呼ぶ【23A】
 さて、その頃、三下はどうしていたかというと――充の部屋に居た。
 ぴったり並んだ2枚の布団。三下は何やら財布を探しており、充は奥の方の布団に転がりうとうととしていた。
「今日はお世話になりっぱなしなんで……僕、ジュースでも買ってきますね。室田さん、何がいいですか?」
「三下君の好きなのでいいよー……あー、眠いや……布団ふかふかで気持ちいいねえ……」
 もう半分睡魔の虜となっている充。温泉で温もった後のふかふか布団というのは、人を眠りに誘う見事なコンボであるらしい。
「じゃ、行ってきまーす」
 小銭を手に、部屋を出てゆく三下。
「行ってらっ……くぅ……」
 充は三下に見送りの言葉をかけようとして、そのまま撃沈した。
 三下はまっすぐ自動販売機の所へ向かった。ジュース2本買って、すぐに部屋に戻るつもりであった。しかし……。
「あれ? ……出ない……」
 硬貨を入れてランプはつけども、押しても商品が出てこないのである。幸い返却レバーは動いたので硬貨は戻ってきたが、この自動販売機が故障しているのは明らかであった。
「フロントに連絡した方がいいのかなあ……」
 きっと、この選択が三下にとっては不幸だったのだろう。まっすぐ部屋に戻っていれば、何事もなく眠れたはずなのに。
 フロントへ向かう三下。フロントには未だ十三の姿があった。
「お、三ちゃんじゃねェか。どしたい、こンな時間でも女王のパシリかァ?」
 ニヤニヤと笑って、三下に話しかける十三。
「ち、違いますよっ! 自動販売機が壊れてて……」
「あァ? ……とうとうイカレちまッたか、あの自販機」
 三下の話を聞き、舌打ちする十三。
「昨日くらいから動作が怪しかッたしよォ……ま、明日になッたらちょいと見てみッから。わざわざ知らせてくれてあンがとよ」
「……今すぐはダメなんですか?」
「見りャ分かンだろォ? 勤務中で離れらンねェしよ」
 フロントの台を叩き十三が言った。
「何のです?」
「俺ッチはここで胡乱な奴が来ねェか見張ッてンだ。あーあ、忙しいッたらありャしねェ」
 今見る限り暇そうに見えるのだが……まあ、三下がいくら言った所で無理だろう。力関係は完全に十三の方が上なのだから。
「……分かりました、すいません」
 とぼとぼとフロントを後にする三下。そして充の部屋に戻る途中のことだった。
「あ」
 何という偶然か、こそこそと辺りを窺いながら歩いている千代田の姿を発見したのである。
(どこ行くんだろう)
 三下は三下なりに千代田の後を追うことにした――。

●本性【24】
 真夜中――中庭の1つ。トランクをそばに置く杉並の所に、千代田がやってきた。
「誰にもつけられてないな?」
 杉並が千代田に小声で尋ねる。しかし、千代田は首を横に振った。
「……子羊が迷い込んできたわ。出てらっしゃい、そこの人。分かってるのよ」
 振り返ることなく言う千代田。すると後方から、短い悲鳴が上がった。
「ひっ……!」
「出てらっしゃい!」
 再び、今度は厳しく言う千代田。すごすごと姿を現したのは……三下である。
「どうしてここに連れてきた」
 杉並がじろりと千代田を睨み付けた。それに対し、千代田はしれっとこう答えた。
「仕事の前に、景気づけしたっていいでしょう……ね?」
 意味ありげな妖しい笑みを浮かべる千代田。それを見て、杉並もニヤッと笑みを浮かべた。
「そうか、そういうことか。だったら……ここは俺に任せてもらおうか」
 杉並がトランクに手をかけ、鍵を開け始めた。
「好きにしたら」
 素っ気無く答える千代田。三下もこの隙に逃げればよいものの、何をされるのかと足が竦んで逃げることが出来なかった。
 やがて杉並のトランクがパカッと開き、中から何か物体が転がり出てきた。
 肉塊? いや、違う。ゆっくりと起き上がったそれは人の形をした物――身体のあちこちを継ぎはぎされた生ける死体。
 ゾンビが……そこに居た。

●VS『虚無の境界』【25】
「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!」
 絶叫し、腰を抜かす三下。こんな物を目の当たりにすれば、普通の人間ならば三下でなくともそうなってしまう。
「ひいっ! ひいっ! ひいぃぃぃっ!!」
 三下は必死に後ずさろうとする。けれどもその速度より、ゾンビの歩く速度の方が明らかに速かった。ゾンビといっても、何か特殊な処理が行われているのだろうか。
「『虚無の境界』ゾンビ使いのゾンビ……その身体でとくと味わいな……ひひひっ!!」
 不快な笑い声を上げる杉並。そして操るゾンビに命令を下す。
「こいつを八つ裂きにしろぉぉっ!!」
 するとゾンビの両腕から、刃が飛び出してきた。武器が埋め込まれていたのだ。そのまま三下に飛びかかるゾンビ。三下絶体絶命!
「ああああああああああっ!!!」
 三下の悲鳴が中庭に響き渡った。
 ザクッ!
 ゾンビの刃が貫いた――つい今まで三下が居たはずの場所の地面を。
「『虚無の境界』か……どうりで凶兆が空の星に見えるはずだ」
 そんなつぶやきとともに、姿を現したのは慶悟だった。慶悟がすかさず式神を飛ばし、三下を後方に連れて行かせたのである。
「ちっ、邪魔だぁ! 先にそいつを八つ裂きにしろぉぉぉっ!!」
 目標を慶悟へと変えた杉並。地面から刃を抜いたゾンビは、慶悟の方へ向かっていこうとした。
 次の瞬間、ゾンビの左腕が肩から地面にぽとりと落ち、右側頭部を練気の弾丸が貫いていた。その場に膝をつくゾンビ。
「邪魔なのはおまえだろ」
 中庭の奥から、愛用のベレッタM8045を構えた辰巳が姿を現した。
「せっかく人が夜の庭を堪能していたというのに……。露天風呂でのことといい、そんなに僕の休暇を台無しにしてくれるつもりなんだな」
 そう言って辰巳は、ベレッタの銃口を杉並へ向けた。
「皆が温泉ライフを楽しんでおられるというのに……それに水を差すなど、言語道断です」
 反対側からは鋼糸――『妖斬鋼糸』を手にした撫子が現れた。ゾンビの左腕を斬り落としたのは、撫子の仕業だった。
 3対3……いや、2対3か。頭数は互角でも、ゾンビ使いの杉並に他に何か能力があるとは思えなかった。
「はっ!」
 撫子の『妖斬鋼糸』が舞い、今度はゾンビの右腕を肩から斬り落とす。これでもう腕の武器は使えない。
「あんたこそつけられてんじゃないの!!」
 千代田から杉並に叱責が飛んだ。
「知るかよ、そんなこと!! それよりどうすんだよ!!」
 逆切れする杉並。何とも情けない姿だった。
「逃げるわよ……」
 唇を強く噛み締め、千代田がつぶやいた。
「逃げられると思うのか?」
 慶悟がじっと千代田を見据えて言った。
「逃げるのよ……絶対に! 邪妖精たちよ、我が元に集え!! 目の前の者どもを切り刻むがいい!!! 殺せ、殺すのよ!!!!」
 印を結び叫ぶ千代田。すると千代田の周囲に、身長20センチほどの羽根妖精の群れ――100匹以上は確実に居るのではないか――が出現した。
 しかしそれは羽根妖精に似ているが、そうではない。背中の羽根が蝶ではなく蛾である妖精――邪妖精だ。
「クスクスクス……コロスノ? コロスノ?」
「メンタマエグッテモイイ? ミミキッチャッテモイイ?」
「アタマノカワモハイジャエ!」
「コロソウ! コロソウ! ミンナヤッチャエ!」
 物騒な言葉を口々につぶやく邪妖精たち。無邪気な口調とは裏腹に、その性質は非常に残酷で邪悪であった。
「殺せ!!!!!」
 もう1度、千代田が邪妖精たちに命令を下した。無数の邪妖精たちが慶悟、撫子、辰巳、そして三下へ襲いかかってきた。
「いかん!」
 咄嗟に結界を張る慶悟。そこへ他の3人も逃げ込んでくる。撫子は『妖斬鋼糸』で邪妖精たちを払い除けながら、辰巳はベレッタで何発か威嚇射撃を行い邪妖精を掻き分けて、三下は……とにかく必死に転がり込んで。
 そして結界内より邪妖精たちを攻撃してゆく3人。そのうちに邪妖精の姿は減ってゆき、やがて中庭に邪妖精の姿は見えなくなった。
「た……助かった……?」
 周囲をきょろきょろ見回しながら、恐る恐る三下がつぶやいた。
「……逃げられましたね」
 ほうっと溜息を吐く撫子。今の邪妖精たちの襲撃に対処している間に、杉並と千代田はどこかへ逃げてしまったのだ。
「どうしたの!?」
 そこへ、三下の悲鳴を聞いて走ってきたシュラインが現れた。
「ああっ、シュラインさぁぁぁんっ! トランクがっ、ゾンビがっ、蛾の妖精がっ、うわあああああってぇっ!!」
「……何が何ですって?」
 三下の泣きそうな訴えに、意味が分からないシュラインは首を傾げたのだった……。

●とばっちり【26】
 中庭より姿を消した邪妖精たち。しかしその一部は消えたのではなく、気紛れに他の所へ向かっていたりする。そう、例えば露天風呂なんかに――。

「いいなあ……2人ともスタイルよくて」
 『乙卯の湯』の洗い場にて、デルフェスに背中を流してもらっていた雫がうらやましそうにつぶやいた。
「そうですか? でも、雫様はまだまだ成長期ですから……」
 雫の背中をごしごしと流しながらデルフェスが言った。美紅もそれに頷く。
「そうそう。これから私たちよりスタイルよくなるかも」
「でもぉ……」
 美紅とデルフェスの胸元をちらちらっと見る雫。そして最後に自らの胸元を見て、小さな溜息を吐いた。ちなみに擬音で例えるなら、ボン・ボン・ストンッ……か。
「あれ? 何か虫が……」
 邪妖精の接近に最初に気付いたのは美紅であった。続いてデルフェスが邪妖精の姿を認識する。
「いけませんわ!」
 邪妖精からはっきりとした敵意を感じ、はっとするデルフェス。即座に2人に換石の術をかけ、それから自らにも術を施す。こうして邪妖精たちをやり過ごそうというのだ。
 その狙いは正しく、3人に群がった邪妖精たちはしばしちょっかいをかけていたが、そのうちに何の効果もないと分かると、どこか別の所へ飛んでいった。
(行きましたわね……)
 自らに施した換石の術を解いて邪妖精の姿がないことを改めて確認してから、デルフェスは2人にかけた術も順次解除した。
「……あれ、さっきの虫は?」
 きょとんとして、デルフェスに尋ねる美紅。
「え、何なの何なの? 何かあったの?」
 その美紅の態度に、雫も何がどうしたのか尋ねてくる。それに対しデルフェスは、にこっと微笑んでこう答えた。
「さあ……気のせいではないかと」

 さて、『乙卯の湯』を去った邪妖精たちが次にどこへ向かったかというと、『甲子の湯』であった。そこに居るのは、ファルナとファルファ、そして武人の3人で――。
「もうやめてくれぇぇぇぇっ!!!」
「まだすすぎが終わってませんよ〜」
 泡だらけの武人は、湯の入った洗面器を手にしたファルナとファルファから洗い場を逃げ回っていた。ここでどのようなことが起こっていたのか、それは察してもらいたい。
 最初に邪妖精の接近に気付いたのはファルファであった。
「マスター!」
「ほえ?」
 ファルナを自らの背中に隠すように、立ち塞がるファルファ。次いで武人も邪妖精に気付いた。
「邪妖精! 何でこんな所に……!」
 3人に襲いかかってくる邪妖精たち。武人は洗面器を手に取ると、群がろうとする邪妖精たちを何とか叩き落としていた。
「マスター、動かないでください!」
 ファルファも同様に、手にした洗面器で邪妖精たちを次々と叩き落としてゆく。だがしかし、叩き落とした邪妖精たちも時間が経つと復活してきりがない。
「おい! 邪妖精たちを湯舟に叩き落とせるか!?」
「……不可能ではありませんが」
「じゃ、やってくれ!」
 武人からそう言われたファルファは、武人がファルナのカバーに入ると同時に湯舟へ飛び込み、邪妖精たちを叩き落としていった。当然叩き落とされた邪妖精たちは、湯舟の中にはまってゆく。
「飛び出ろ!」
 武人が叫んだ。湯舟から飛び出るファルファ。そこですかさず、武人が湯舟に手を突っ込んだ。
「これで……一網打尽だ!」
 湯舟に一瞬、青白い閃光が走った。
「ギャアァァァァァァァァァッ!!!」
 邪妖精たちの断末魔の叫び――後には何も残っていなかった。
「……水は電気をよく通すからなあ……」
 武人はその場にぺたんとしゃがみ込んだ。

 こうして他の所へ向かった邪妖精たちは、1匹残らず消え失せたのであった。

●無理【27B】
「なるほど、事情は分かったわ。でも……その2人、どこへ行ったのか分からないのがあれね」
 三下や、他の3人から事情を聞いたシュラインがそう言った。確かにあの2人の行き先が分からない以上、不安はある。
「……2度と現れることはない」
 慶悟はぼそっとつぶやいた。だがすぐに訂正をした。
「いや、現れることは出来ない……と言うべきか」
 それはつまり意味することは――。

●朝帰り【28A】
 騒がしく危険な夜が明けて、穏やかで平和な朝がやってくる。
 早朝、桐伯の部屋からそっと深雪が出てきた。そして辺りに人が居ないことを確認すると、そそくさと隣の自分の部屋へ戻っていった。
 ややあって、桐伯も部屋から出てくる。タオルを手にしている所からすると、朝風呂に入りに行くのだろう。桐伯は小さなあくびをしつつ、露天風呂に向かっていった。
 その様子を小さな影が見ていた。駒子である。駒子は2人の元気そうな姿を確認すると、とてとてとどこかへ駆け出していった。

●朝食【30】
「無事でよかったよねえ、ほんとに」
「うう……本当によかったです」
 朝食場所の広間に向かう途中、充は昨夜の出来事を三下から聞いて、ねぎらうようにぽんぽんと背中を叩いてあげていた。
「取材も出来たようだし、万々歳かな?」
「でも……どうやって記事にしたらいいんでしょう」
 不安げな顔を充に見せる三下。取材出来たからと言って、雑誌に載せられる記事が書けるかというと……また別の話。
「そこまでは、ねえ」
 苦笑する充。そして2人が広間に入った時、昨日の夕食時とは違って人は多かった。朝食は全員広間で食べるのだから、まあ当然の光景である。
「夕べ……うちの子たち、なかなか寝付けなかったようだけど……何かあったのかしら?」
 広間では、冴那が近くのシュラインに尋ねている所であった。
「まあ……ちょっとしたことが……ね? いずれおいおい」
 言葉を濁すシュライン。さすがにこの場で言うにははばかられるのであろう。
 さらにその近くでは、雫たち『ゴーストネット』のオフ会参加者が朝食を食べている。しかし、その大半は顔色が悪い。
「結局何時まで宴会やってたの?」
「……何でも5時前までだったようですわ」
「身体に悪そう……」
 雫の問いかけに答えるデルフェス。それを聞いた美紅が苦笑いを浮かべていた。宴会も度を過ぎると、ちとあれである。
「最後まで居たって聞いたけど……元気だよねえ」
 雫がちらっとソネ子の方を見た。最後まで宴会場に居たという話なのに、昨日と変わらぬ食べっぷり。顔色の悪い者たちの分まで、食べてしまおうかという勢いであった。
「オカワリ……」
「あ、7杯目だ」
 ぼそりつぶやく雫。数えてどうする。
「はう〜……」
 そんな広間に、ファルナが現れた。ファルファにしっかと支えられて。ファルナはとても疲れているように見えた。
「……マスター、大丈夫ですか」
「何だか疲れました〜、あんなに温泉入ったんですけどね〜……」
 それは……湯当たりしたのではないでしょうか? 温泉の度を越す入浴は逆効果です、念のため。
 ファルナたちのすぐ後で、麗香がやってきた。眠い目を擦りながら、自分の席へ向かう麗香。そこへ三下が近付いていった。
「編集長! 何とか取材は出来ました!」
 意気揚々と言う三下。褒めてもらえる、三下はそう思った。けれども、麗香の口から出た言葉は予想を裏切る物だった。
「あら三下くん……まだ居たの? 昨日も言ったでしょ、ここで仕事の話はしないでね」  一瞬、広間の空気が凍り付いたような気がした。
「へんしゅうちょぉぉぉぉぉぉっ!?」
 ……哀れなり、三下。

【『蓬莱館』へようこそ 了】


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 整理番号 / PC名(読み) 
                   / 性別 / 年齢 / 職業 】
【 0060 / 渡橋・十三(とばし・じゅうぞう)
           / 男 / 59 / ホームレス(兼情報屋) 】
【 0076 / 室田・充(むろた・みつる)
                / 男 / 29 / サラリーマン 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま)
     / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0158 / ファルナ・新宮(ふぁるな・しんぐう)
              / 女 / 16 / ゴーレムテイマー 】
【 0174 / 寒河江・深雪(さがえ・みゆき)
        / 女 / 24 / アナウンサー(気象情報担当) 】
【 0291 / 寒河江・駒子(さがえ・こまこ)
         / 女 / 幼稚園児? / 座敷童子(幼稚園児) 】
【 0328 / 天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)
               / 女 / 18 / 大学生(巫女) 】
【 0332 / 九尾・桐伯(きゅうび・とうはく)
                / 男 / 27 / バーテンダー 】
【 0376 / 巳主神・冴那(みすがみ・さえな)
          / 女 / 妙齢? / ペットショップオーナー 】
【 0389 / 真名神・慶悟(まながみ・けいご)
                   / 男 / 20 / 陰陽師 】
【 0645 / 戸隠・ソネ子(とがくし・そねこ)
           / 女 / 15 / 見た目は都内の女子高生 】
【 0818 / プリンキア・アルフヘイム(ぷりんきあ・あるふへいむ)
          / 女 / 35 / メイクアップアーティスト 】
【 2181 / 鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)
     / 女 / 19? / アンティークショップ・レンの店員 】
【 2390 / 隠岐・智恵美(おき・ちえみ)
               / 女 / 46 / 教会のシスター 】
【 2681 / 上総・辰巳(かずさ・たつみ)
                 / 男 / 25 / 学習塾教師 】

【個別ノベル】

【0060/渡橋・十三】
【0076/室田・充】
【0086/シュライン・エマ】
【0158/ファルナ・新宮】
【0174/寒河江・深雪】
【0291/寒河江・駒子】
【0328/天薙・撫子】
【0332/九尾・桐伯】
【0376/巳主神・冴那】
【0389/真名神・慶悟】
【0645/戸隠・ソネ子】
【0818/プリンキア・アルフヘイム】
【2181/鹿沼・デルフェス】
【2390/隠岐・智恵美】
【2681/上総・辰巳】