調査コードネーム:『蓬莱館』の真実
執筆ライター  :高原恵

 【オープニング】
 【共通ノベル】
 【個別ノベル】


【碇・麗香】illust by つかさ要 【オープニング】
 富士の裾野にひっそりとたたずむ古い温泉宿『蓬莱館』。
 でも……あなたは本当に普通の温泉宿だと思いますか?

「あー……いーいお湯……」
 早朝から優雅に岩造りの露天風呂に入っていた月刊アトラス編集長・碇麗香は、大きく背伸びをしてからほうっと溜息を吐いた。
「三下くんも帰ったし……これで何の心配もなくなったわ……」
 ただ今3年振りの長期休暇真っ最中、そして『蓬莱館』の逗留5日目を迎えていた。
「でも、どーしてこう……温泉に入ると気怠くなるのかしらねー……」
 まだ夜も明け切らぬ空を見つめ、麗香はつぶやいた。眠さなのか心地よさなのか、麗香の目はとろんとしていた。普段のクールな色気とはまた違う、穏やかな色気が感じられる。
 麗香は完全にリラックスモードに入っていた。そんな麗香が、何気なく周囲を見回した時である。一瞬視界がぼやけ、奇妙な光景が見えたのは。
「ん?」
 麗香はごしごしと目を擦り、改めて周囲を見回した。けれどもその時には、もう奇妙な光景は見えなくなっていた。
「何、今の。のぼせたのかしら……」
 思案顔になった麗香は、今見た光景を思い返していた。それは『蓬莱館』の中華テイストが感じられる浴衣によく似た衣服に身を包んだ、少年少女たちの姿であった――。

 同じ頃――暗く湿気のあるどこかの洞窟の中。茶髪短髪に紅いバンダナを巻いた青年が無線機で、どこかに連絡を入れていた。
「サンダーアローより本部。『蓬莱館』敷地内にて洞窟を発見。これより探索を始めます、どうぞ」
「本……り……ダーア……解……のま……調査……報告……うぞ」
 だが電波状況が悪いのか何なのか、返信は非常にノイズが混じっていて聞き取るのが難しかった。舌打ちする青年――西船橋武人。
「ジャミングされてんのかな。ここに来てからずっとだよ。おまけに何だか、身体もだるいし、変な気配も感じるし。危険手当出るんだろうなあ?」
 武人はぶつぶつと文句を言いながら無線機を仕舞うと、洞窟の奥に向かい歩き出した。そして下に傾斜する洞窟を10分ほど歩いただろうか、武人は突き当たりに何かを見付けた。
「ん? これは……扉? ……石の扉か」
 武人は石の扉に手を触れ、慎重に調べ始めた。
「中央に小さな窪みが……丸いな……ビー玉サイズか……何かはまりそうな……」
 暗闇の中、手探りで熱心に調査を続ける武人。だが熱心に調べるあまり、警戒が疎かになっていたのだろう。武人の背後に何者かが忍び寄り――後頭部に激しい一撃を加えた。
「がっ!! ……ぅくっ……」
 その場に昏倒する武人。ぴくりとも動かない。
「申し訳ありませんけれど、しばらく眠っていただきますね。邪魔をされると、困るんです……今は」
 足元に横たわる武人を見下ろし申し訳なさそうに言ったのは、丸太の棒を手にした少女、蓬莱であった。
「もうすぐです。もう少しで終わりますから。後は……仕上げの儀式さえ済めば」
 蓬莱は武人の足を持つと、どこかへとずるずる引きずっていった……。

「西船橋からの連絡が途絶えました」
 午前中の某所、サングラスに黒いスーツという姿の男たちが詰める部屋。若い男の1人が、鼻の下に髭を生やしている金髪の男――背は高くがっしりとした体格の中年男だ――にそう報告をした。
「西船橋クンもか」
 金髪の男の眉がぴくっと動いた。
「『蓬莱館』近辺で様子を窺わせていた者たちの方はどうだ」
「いえ、こちらも一向に連絡が……。いったい何が起きているんでしょう、ゲルマーさん」
「さあな。ただジャミングの影響で連絡が取れないだけならいいんだが」
 金髪の男――IO2捜査官のアルベルト・ゲルマーはそこで言葉を止めた。
「……すでにこの世には居ないと?」
「その可能性もあるということだ」
 アルベルトは淡々と答えた。
「まさかとは思いますが、『虚無』の仕業でしょうか」
「さあな。それらしい報告はあったが、確証が得られた訳でもない」
「では、新たに捜査官を送り込みますか。それともバスターズの要請を」
「いや、まだいい。……私が直々に行くとしよう」
「それは危険過ぎます!」
「いたずらに若い捜査官を送り込んでも事態を悪化させるだけだ。かといって、バスターズを呼ぶに値する証拠が十分ある訳でもない。私との連絡が途絶えたら、その時には躊躇せずバスターズを要請だ。私の失踪が証拠になる。いいかね?」
「了解しました」
 アルベルトは会話を終えて他の者たちに指示を与えると、『蓬莱館』へ向かうべく部屋を出ていった。

 正午過ぎ、『蓬莱館』へ向かう2人の者の姿があった。草間興信所の所長である草間武彦と、その妹――ということになっている――草間零だ。
「……正直、気が進まないんだよな」
「はい?」
 ぼそりつぶやく草間を、零が不思議そうに見た。
「何のためにこんなものを送りつけてきたのか、だ」
 と言って草間が懐から取り出した1通の招待状。高峰心霊学研究所所長・高峰沙耶から送られてきたものである。
「高峰さんのご好意じゃないんですか?」
「向こうさんの好意か。なるほど」
 零の言葉に笑みを浮かべる草間。しかし、目は決して笑っていない。
(また何か、厄介事が待ってるんじゃないか?)
 草間は内心、疑いを抱いていた。何しろ沙耶には前例――いや、前科があるのだから。
「雫さんも楽しかったって言ってましたよ」
 零が瀬名雫の『蓬莱館』の感想を草間に伝えた。ちょうど前日、草間たちと入れ替わる形で雫は『蓬莱館』を後にしていたのである。
「あ、あ、あ、待って〜!」
 その時、2人の前方より少女の声が聞こえてきた。見れば短髪のボーイッシュな少女が、2人の方へ向かって駆けてくる。少女の前には、転がってくる硬貨があった。追いかけているのだ、硬貨を。
 やがて硬貨は草間の靴にぶつかり止まった。拾い上げる草間。
「すみません〜! それ、あたしのですっ!!」
 パタパタと少女が草間たちの所へやってくる。年は高校生くらい、背格好は零と同じくらいだろうか。違いといえば髪型と、首からビー玉サイズの何やら青い宝石がついたネックレスをかけていることくらいか。
「ほいよ」
 草間はその少女に硬貨を返した。
「すみません、助かりました!」
「あなたも『蓬莱館』に行かれるんですか?」
 ぺこんと頭を下げる少女に、零が話しかけた。すると少女はにっこりと笑ってこう言った。
「はい! チケット同封の招待状が届いたんで、せっかくだから来てみたんです」
「えっ、そうなんですか。私たちもなんですよ」
「あ、そうなんですか? じゃあご一緒ですね! あの、あたし羽田由香里っていいます」
 少女――羽田由香里が名を名乗ると、草間たちも各々自己紹介をした。そして他愛のない話をしながら、一緒に『蓬莱館』へ向かってゆく。
「でも凄いですよねー、招待状を送ってくれるなんて」
 招待状が届いたことがよほど嬉しいのか、にこにこしながら言う由香里。
(いったい何通ばらまいたんだ?)
 話を聞きながら、由香里も沙耶に呼ばれた1人なのだろう、草間はそう思っていた。だが、それは間違っていた。
「旅館が直接送ってくるんですもんねー。不況だからお客さん集めたいのかな、あはは……なーんて」
 由香里の言葉に顔を見合わせる草間と零。旅館が直接……?
(この娘は別口で呼ばれたということか? しかし何のために)
 草間は怪訝な表情を浮かべ、改めて由香里を見た。胸元の青い宝石が、きらりと光ったような気がした。

 草間たち3人の姿が消えて少しした頃、1人の少女が新たに姿を見せた。金髪で紅い瞳と豊満な身体を持つ少女だ。少女は『蓬莱館』のある方角を向いて、くすりと笑みを浮かべた。
「あの娘が来るのを張っていて……まさかこんな所で姉さんに会えるだなんて、ね」
 少女――エヴァ・ペルマネントはそうつぶやくと、前髪を掻き揚げた。
「邪魔はさせない。姉さんより優れているのは、この私なのだから」

「出せーっ!! ここから出せーっ!! おーいっ、誰か居ないのかーっ!?」
 同じ頃、薄暗く狭い部屋。鎖でがんじがらめにされ、床に転がされた武人が助けを求めて絶叫を繰り返していた。その声が外へ聞こえているかどうかは神のみぞ知る。

 富士の裾野にひっそりとたたずむ古い温泉宿『蓬莱館』。
 さて……あなたは普通の温泉宿だと思いますか?
 そう思うのであれば、どうぞごゆっくり温泉をご堪能ください。
 世の中には、何も知らない方が幸せなことだってあるのですから……。


【ライターより】
〈ライター主観による依頼傾向(5段階評価)〉
戦闘:行動次第/推理:4/心霊:5/危険度:行動次第
ほのぼの:行動次第/コメディ:行動次第/恋愛:1
*プレイング内容により、傾向が変動する可能性は否定しません


【共通ノベル】
●再会【1A】
「……ここに居たのか、お前は」
 草間武彦は『蓬莱館』のフロントの中に居た旅館名の入った法被姿の渡橋十三に対し、ぶすっとした表情で言った。
「いやさ旦那、久し振りだなァ」
 苦笑いを浮かべ頭を掻く十三。すると草間はじろっと十三を睨んだ。
「誰が『切られ与三』やれって言ったよ。俺は『お富さん』か」
「まあまあ、武彦さん。はいはいそこまでね」
 そこに割って入ったのは、草間の到着を玄関で待っていた女性用浴衣姿のシュライン・エマであった。
「ほら、彼女が戸惑ってるわよ」
 と言って、シュラインが羽田由香里を見た。由香里はきょとんとした顔で、草間たちのやり取りを見ていた。いきなりこんなやり取り見せられたなら、こういう表情にもなるだろう。
「……ま、元気そうで安心したけどな。電話の1本でもよこせっていうんだ……たく」
 草間が小さな溜息を吐いて十三に言うと、筆ペンで台帳に名前を書き始めた。
「へッ、旦那も相変わらず尻に引かれてンなァ」
 ニヤッと笑う十三。一目瞭然……か?
「あら、その宝石……」
 シュラインの目が、由香里のネックレスについていた青い宝石に止まった。
「え、これですか? 安物ですよー」
 由香里がパタパタと手を振って、照れたように答えた。
「どこで買ったのかしら。パワーストーンとか、そういったお店?」
「違いますよー。母からもらったんです。母もお婆ちゃんからもらって……何か、昔からうちにあるみたいなんですけど、そう見えませんよねー?」
「へえ……。じゃあ」
「何か特別な物なんですか?」
 シュラインと由香里の会話に、ひょいと榊船亜真知が首を突っ込んだ。草間零の誘いを受けた亜真知は、従姉の天薙撫子が先にここ『蓬莱館』に逗留していることもあって、草間たちに同行していたのである。
「先に言われちゃったわね。いわれか何かあるのかなって……」
 シュラインが苦笑して、中断された言葉の続きを口にした。
「えー、別にー……。けど、大事にしなさいってよく言われるくらいで。でも、それがどうかしましたか?」
 シュラインと亜真知の顔を交互に見る由香里。
「あ、ううん。ちょっと聞いてみただけ」
 シュラインが慌てて言った。
「触っても構いませんか?」
 何故かちらっと天井の方を見てから、亜真知が由香里に尋ねた。
「うん、別にいいよ」
 由香里の許可が出たので、さっそく宝石に触ってみる亜真知。特に変わった触り心地もなく、普通の宝石のようには見える。
「おーい、そこの嬢ちゃん。台帳」
 草間が台帳に名前を書き終えたのを見て、十三が由香里を呼んだ。
「あ、はーい」
 由香里がフロントに向かうと、宝石を触っていた亜真知も一緒に歩いていった。それと入れ替わりに、草間がシュラインの所にやってくる。その表情は、微妙。
「……何もおかしなこと起きたりしてないだろうな」
「おかしなことってどんなことかしら。ゾンビが出たりとか、変な妖精たちが出たりとかのこと?」
 草間の質問に淡々と答えるシュライン。それを聞いた草間の口が、への字に曲がった。
「だから俺は気が進まなかったんだ……」
「武彦さん。そのことで、ちょっとお話があるから……零ちゃんも一緒にね」
 シュラインは神妙な表情で言うと、2人から少し離れた所で物珍し気に周囲をきょろきょろ見回している零に目を向けた。

●離れて見つめし者【1B】
 『蓬莱館』、通路を歩く距離としてフロントよりもっとも遠い一室、ほぼ離れ小島といっていい所――何故かそこにはモニタが所狭しと並べられていた。モニタには館内各所だろうか、その様子が若干のノイズ混じりに映し出されていた。
 そのモニタの中で一際大きい物には、天井から映しているのだろうか、フロントの十三と会話している草間の姿が映し出されている。
 恐らくメインと思われるそのモニタの前にはキーボードがあり、1人の少女が鎮座していた。傍らには女性用浴衣があるが、きちんと折り畳まれた状態のままで袖を通した様子はない。
『だ……が『切られ与三』や……て言ったよ。お……『お富さん』か』
 少女がキーを叩くと、スピーカーを通じて草間の声が流れてきた。ノイズで多少聞き取りにくいが、内容は十分に把握出来る。
「草間……がここに……」
 草間の声を聞いた少女――ササキビ・クミノは一瞬嬉し気な表情を見せ、ぼそっとつぶやいた。が、嬉し気なその表情はすぐに複雑に感情が入り混じった物へと変化した。
(……私が直接会うことは出来ないからな)
 溜息を吐くクミノ。そう、クミノには草間に限らず他人と接触を避けねばならぬ事情があるから……。
 だがしかし、その代わりにクミノは自らの目となり耳となる監視機器を設置してあった。草間を今映し出しているのもその1つである。
 クミノがまたキーを叩いた。メインモニタに次に映し出されたのは、蛇たちとともに池のある中庭のそばに腰を降ろし、日向ぼっこしていた女性用浴衣姿の巳主神冴那であった――。

●日々平安【1C】
「……どうしたの、藤乃……?」
 冴那は鎌首をもたげて1か所をじっと見つめていた白い錦蛇、藤乃に不思議そうに尋ねた。傍らにはバスケットが置かれていた。
 しかし動かぬ藤乃。何か見付けでもしたのだろうか。
「カメラでも探してるの……? そういえば……ライターじゃなかったんですってね……あの人……。残念だわ……」
 いつの間にか姿を消していた、千代田雅子――今となっては本名かどうかも怪しい物だが――をふと思い出す冴那。昨日の朝食後、シュラインから経緯を聞いたのだ。
「……本当お利口ね……この子たち……」
 冴那は池の周囲を這っている、散歩中の蛇たちに目を向けた。思えば蛇たちは、露天風呂で決して千代田に近付こうとはしなかった。やはり何か嗅ぎ取っていたのだろう。
 しばし、その場でぼーっとする冴那。そのうちに浴衣の胸元がもそもそと動き、中から蛇が1匹顔を出した。珊瑚蛇の珊瑚である。
「あら……飽きたの……? 翠蓮はおとなしくしているのに……」
 顔を出した珊瑚に話しかける冴那。どうやら懐にはもう1匹、翠蓮という名の蛇が潜んでいるようである。
「……また後で温泉……入りましょう……いいお湯ですものね……」
 冴那は珊瑚の頭を撫でながらそう言った。

●とろける麗香【1D】
 冴那が日向ぼっこしている頃、女性用露天風呂の1つ『乙卯の湯』にはちょうど入浴中の者の姿が2つあった。2人ともここに入って、もう30分ほどになるだろうか。
「極楽ねえ……」
 岩に腕を回しながら、碇麗香が気怠くつぶやいた。恍惚としてかつ艶やかさを帯びたその表情は、普段ならまず見せない表情である。マニアであればこの表情をおかずに、白飯を5杯は余裕で平らげられることだろう。
「……生き返るって言葉、本当だわ」
「ええ、いいお湯ですね……」
 岩の上に頭を載せ、気持ちよさで半分目を閉じている撫子が麗香の言葉に同意する。麗香もこの逗留中よく温泉に入っていたが、撫子もそれに負けないくらいよく入っていた。
 きっと他人から見れば『ふやけるんじゃ?』と思われるほどだろうが、2人がそれについて気にしている様子はここまでは見られなかった。
(そろそろ亜真知も到着している頃でしょうか)
 従妹を思う撫子。30分も温泉に入っていた撫子は、亜真知がもう到着していることをまだ知らなかった。実際この時点では、亜真知は撫子の部屋に向かって歩いていた。
「……けど入り過ぎるのもよくないのかもねえ……」
 のてっとして言う麗香。さすがにふやけると思い始めたのか。
「今朝なんて、変な幻覚見ちゃったし……でもやめられない……はふう……」
 心底気持ちよさそうな表情で麗香が言った。……ふやけるのはどうでもいいんですね。
 ところが、だ。麗香の口から『幻覚』という言葉が出た途端、撫子の目がぱちっと開いた。
「幻覚って……どのようなです?」
「えー……? 少年や少女たちの姿だったかしら……。何か、ここの浴衣に似た格好してて……。まあー……いいじゃない。……温泉気持ちいいしー……」
 面倒そうに答える麗香。だが撫子は気になるのか、無言で何やら考えているようだった。
「……後でお部屋にお伺いしてもよろしいですか?」
「……いいわよー……にゃんでもー……」
 撫子の問いかけに、半ば投げやり気味に答える麗香。いやはや全く、普段の編集部じゃ決して見られない麗香の様子である。

●謎の動き【3A】
「やはり見当たりませんねえ……」
 隠岐智恵美は浴衣に身を包んだまま『蓬莱館』の周囲を歩いていた。その姿は、まるで何かを探しているようにも見受けられる。
 いや、実際何か探しているのかもしれない。『蓬莱館』の周囲を巡るのは、今でもう4周目に入っていたのだから。散歩にしてはちと長過ぎる。
 ふと足を止め、『蓬莱館』に目を向ける智恵美。今居る所からは、窓から物憂気顔で外を見つめている寒河江深雪の姿が目に入った。
(何を思われているんでしょうねえ)
 深雪の物憂気な表情が気にかかった智恵美。だがじきに、深雪の姿は窓から離れていった。
 智恵美が再び歩き出す。どこか遠くの方から、乾いた金属音が聞こえてきたような気がした。

●酒に溺れて【3B】
「…………」
 窓のそばに座り、ただ外の景色を目にしている深雪。だが、その瞳にきちんと景色が映っているかは分からない。何しろ今の深雪、浴衣が着崩れて胸元が少しはだけているというのに、それに気付いた様子はないのだから……。
「……く様……?」
「…………」
「お客様?」
「……あ」
 ようやく自分が呼ばれていることに気付いた深雪は、部屋の方に振り返った。そこには瓢箪を手にした蓬莱の姿があった。
「ご注文のお酒をお持ちしました」
 にこっと微笑み、瓢箪を差し出す蓬莱。頬の紅い深雪ははだけた胸元を直しながら、蓬莱の方へにじり寄っていった。
「すみません……」
 深雪が申し訳なさそうに瓢箪を受け取る。
「では、失礼いたします」
 蓬莱は頭を下げると、そのまま部屋から出ていった。1人になり、溜息を吐く深雪。
「馬鹿みたい……。飲んだって、どうにかなるものでないのに……ね」
 深雪は自嘲気味な笑みを浮かべると、大きく頭を振った……。

●警戒【4A】
「……ふむ、やはりこの格好の方がしっくりくる」
 宿泊している部屋でいつものスーツに身を包み直した真名神慶悟は、自分でそう言いながら苦笑いを浮かべた。
(慣れというのもあれだな)
 まあ長く同じスーツを身にまとっていれば、身体の一部のような感覚となって当然であろう。
「さて……」
 慶悟は足元に脱ぎ捨ててあった男性用浴衣を拾い上げると、何やら丹念に調べ始めた。
(別に何もおかしな所はないようだが)
 浴衣からは霊的な物を感じることもなく、また何やら呪いが施されている様子もない。ごくごく普通の浴衣に過ぎなかった。
「考え過ぎだったか」
 浴衣を畳の上に落とす慶悟。しかし、である。
(……ここに来てから、ほんの僅か術のキレが悪くなっているのが気になる。何か、理由があるはずだ)
 着いた当日はそうではなかった。けれども昨日今日と式神を操っていて、素足でほんの僅かの砂を踏んでしまったような感覚があったのだ。気のせいなどではない。
「ともかく……足取りから追ってみるか」
 慶悟はそう言って、部屋を出ていった。

●トラップ! トラップ!【5】
「零様、武彦様、居られますか?」
 草間の部屋の外より、女性の声が聞こえてきた。
「あら、誰かしら」
 草間たちと大切な話をしていたシュラインがすくっと立ち上がり、部屋の入口へ向かった。
「おや、シュライン様も居られたのですね」
 入口には浴衣姿の鹿沼・デルフェスが立っていた。一瞬きょとんとなるシュライン。
「え? 確か、雫ちゃんたちと一緒だったんじゃ……?」
「零様たちが来られると聞き、わたくしだけ逗留を延ばしたんです」
 にこっと笑顔で答えるデルフェス。
「そうだったの。で、ご用件は?」
「あ、はい。館内をご案内させていただこうかと思いまして……」
「ですって。どうするの?」
 振り返り、シュラインが草間たちに尋ねた。
「どうする?」
 零に尋ねる草間。すると零はデルフェスの方を向いて、笑顔でこう言った。
「ぜひお願いします」
「よし、決まりだな」
 立ち上がる草間。こうして草間と零は、デルフェスに『蓬莱館』の館内を案内してもらうことになった。シュラインもそれに同行する。
「由香里さんも誘ってみませんか?」
 零がそう言ったので由香里も加わり、総勢5人でぞろぞろと歩くことになった。
「……あちらをまっすぐ進むと男性用の『甲子の湯』がありまして……」
 要所要所、必要と思われる場所を草間たちに教えてゆくデルフェス。何故か用意されていない館内図を、昨日のうちに自分の足で歩くことによって頭に叩き込んだのであろう。
 やがて一行は、とある十字路に差しかかった。デルフェスの案内も、ほぼ終わりに近付いた頃だ。
 まっすぐ行くと3メートルほど歩いた所で突き当たりになり、壁には水墨画がかかっている。つまり通路として機能しているのは、残り3方向だけということだ。
「ほう、水墨画か。せっかくだから、見ておくか」
 1人水墨画の方へと歩き出す草間。残り1メートル半といった所だったろうか、草間の足元がほんの僅かに下に沈んだ。
 すると突然、草間の前方に床から2メートル近くある棒が3本、行く手を阻むようににょきっと生えてきた。
「何だっ!?」
 咄嗟に左前方へ避ける草間。またもや足元が僅かに沈んだかと思うと、今度は左の壁から太い棒が突き出てきて草間を直撃した。
「おうっ!」
 衝撃でよろけつつ、草間が右の壁の方へふらふらと。案の定、足元が僅かに沈んで右の壁より太い棒が。またもや直撃されてしまう草間。
「はうっ!」
 またもやよろけ、草間はそのまま水墨画の前へとふらふら進んでゆく。やっぱりここでもまた足元が僅かに沈み――草間の頭上に一斗缶が降ってきた。
 がいん。
「あー……いい音」
 一連の様子を見ていたシュラインが、呆れた風につぶやいた。
「……だ、大丈夫なんですか、あれ……?」
 頭を抱えてうずくまっている草間を見ながら、零が誰とはなしに尋ねた。
「大丈夫、ああいうのは痛そうに見えて、そう大きなダメージはないから」
 さらっと答えるシュライン。草間のことを心配している様子は微塵も感じられなかった。まあ……この場合は当然だろう。
「痛いに決まってるだろーっ!!」
 それが聞こえたのか、草間が怒って叫んだ。
「……おやおや、誰が引っかかったのかと思ったら」
 音を聞き付けたのだろうか、左の通路よりひょいと顔を出した女性が居た。浴衣姿のレイベル・ラブである。
「そこにはトラップが仕掛けられているから、気を付けた方がいいぞ。さっき私も引っかかった」
 未だうずくまっている草間をじーっと見ながら、真顔でレイベルが言った。
「だったら早く教えろーっ!!」
「無茶を言う。私も今またここに来たばかりだ。目の前に居たなら、さすがに止めている」
 怒りの草間に対し、淡々と答えるレイベル。
「くそ……俺はコントしに来たんじゃないんだぞ……」
 頭を押さえながら、ぶつぶつ文句を言う草間。そして十字路の方へと戻ってくる。
「怪我をしていないか診てやろう」
「……一応医者だったな。頼む」
 草間はレイベルの申し出を受けると、通路にどっかと座り込んだ。
「……あの、あたし部屋に戻りますね」
「あ、一緒に行くわ。武彦さんは任せて大丈夫だろうから」
 部屋に戻ろうとした由香里に、シュラインがついてゆこうとした。
「零ちゃんたちは?」
 零とデルフェスに尋ねるシュライン。
「ええと……」
「よろしければ、露天風呂に行きませんか? 今の時刻なら人もなく、悠々と温泉を堪能出来ると思いますけれど」
 悩む零に、デルフェスがそう提案した。確かにまだ夕食まで結構時間があるし、入る人も少ないだろう。
 零はちらっと草間の方を見た。草間はレイベルに頭を診てもらいながら、手で『行ってこい』の仕草をしていた。
「じゃあ……ご一緒に」
「決定ですわ」
 デルフェスがポンと手を叩いた。
 かくして草間とレイベルをその場に残し、由香里とシュラインは部屋へ戻り、零とデルフェスは露天風呂へ向かうことにしたのだった。

●ヴィジョン・IO2【7A】
「あれが『蓬莱館』か」
 森と一体化しているようにも感じられる『蓬莱館』の外観を遠目に見て、ぼそりつぶやくサングラスに黒いスーツの金髪中年男が居た。
 金髪で髭を生やしている男は懐より無線機を取り出すと、どこかへ通信を始めた。
「カイゼルよりサンダーアロー。聞こえているのであれば至急応答されたし。どうぞ」
「…………」
 しかし、相手より返信はない。男はまた別の所へ通信を行った。
「カイゼルよりホワイトルーク。聞こえているのであれば至急応答されたし。どうぞ」
「…………」
 こちらも同じく返信はない。男は舌打ちをすると、無線機を懐に仕舞った。
「部下を1度に3人失ったか……」
 男――IO2捜査官であるアルベルト・ゲルマーはそうつぶやくと、『蓬莱館』に向かって再び歩き出した。

●ヴィジョン・虚無の境界【7B】
(どうしてこう、邪魔者が多いの)
 『蓬莱館』周辺に潜んでいたエヴァ・ペルマネントは、アルベルトの姿を遠目に見てそう思っていた。
(それに、あの娘とあの人の目……。どうして私に対して、ああいう目を向けるのか……私には理解出来ない)
 小さく頭を振るエヴァ。誰か、気になる者たちの姿もここにはあるのだろうか。
(まあいいわ。私がすべきことは……与えられた命令を速やかに遂行すること。そのために一番邪魔なのは……)
 潜んでいた場所より姿を現し、『蓬莱館』の中へ向かって歩き出すエヴァ。
「……ともかく、姉さんをどうにかしておかないと」

●重い会話【9A】
「てェ……たくよォ。直しても直しても壊れやがる、あのポンコツ自販!」
 十三はぶつぶつと文句を言いながら通路を歩いていた。自動販売機を修理した帰りなのか右手に工具箱を、左手にはスポーツ飲料の缶を何本か抱えていた。おまけにズボンの後ろポケットには、水か何か液体が入っている小振りのペットボトルが突っ込まれていた。
 そこに厨房の方からやってきた、おにぎりの皿を手にした深雪が現れた。しかし歩き方がどこかぎこちない。
「よォ、お嬢。つまみ食いかい?」
 ニヤッと笑って深雪に声をかける十三。
「あ、十三さん……」
「……どうしたい、何やら浮かねェ顔だなァ」
「…………」
 深雪は答えない。そして足元がふらついてよろけ、十三に寄りかかった。それから後、深雪はぽつりぽつりと十三に話を始めたのだった。

●招き猫【10A】
 十三と深雪がしばし会話をしていたその時、どこからか猫の鳴き声が聞こえてきた。
「んあ?」
「猫?」
 振り返る十三と深雪。そこには黒猫が1匹、通路の角より顔を出していた。
「何でェ、高峰の奥様の飼い猫か」
 それは高峰沙耶のそばに付き従う黒猫、ゼーエンであった。
「……何だか、『ついてこい』って言ってません?」
 ゼーエンの仕草を見ていた深雪が言った。見ればゼーエンは、2人に顔を向けたかと思うと、何度も人を誘う仕草をしていたのだ。
「へッ、まるでここ掘れワンワンだァな。いや、こン場合ニャンニャンかァ?」
 ニヤリ笑って方向を反転し、ゼーエンの方へ歩き出す十三。
「行き先に何かある……んですか?」
 深雪は戸惑いつつも、十三の後を追ってゆっくり足を踏み出した。
「俺ァ正直爺さんだぜ? 埋まッてンのはお宝に決まッてらァ」
 ――本当に?

●新たなる世界【11】
「どこまで行くのかしら」
 ゼーエンの後を追いながら、深雪がつぶやいた。ゼーエンは深雪と十三を引き連れ、『蓬莱館』館内をうろうろと歩き回っていた。
「この先は確か、水墨画がかかッた十字路か……」
 十三はそう言うと、ふっと今朝蓬莱から言われた言葉を思い出した。
(そういや『近付くな』とか言ッてたよなァ)
 さて、やがて2人と1匹が十字路に差しかかるとそこは、水墨画の前方の床や左右の壁から棒が何本も突き出ていて、その棒に大小の蛇たちがうねうねと絡み付いているではないか。……何故か水墨画の近くの床には一斗缶が転がっていたが。
「……そりゃ近付かせねェ訳だ。おおクワバラクワバラ」
 この光景を目の当たりにし、呆れたように十三が言った。
「十三さん、あれ!」
 あることに気付いた深雪が、水墨画の方を指差した。正確には水墨画の下の壁。そこはぽっかりと穴が開いていた。
「隠し通路けェ。お嬢は待ッてな。俺ッチがチョチョイッと見てくらァ」
 そう言うと十三は深雪を残し、工具とスポーツ飲料を置いて奥の探索に向かった。
 中腰になって穴をくぐり、数メートルほど進むと十三は薄暗く狭い部屋に出た。
「あら……どうしたの……?」
 そこに居たのは冴那、そして――鎖でがんじがらめにされ、紅いバンダナで目隠しをされている西船橋武人が床に転がされていた。
「最近のSMプレイも変わッたなァ……」
 やれやれといった表情を浮かべ、十三は肩を竦めた。確かにまあ、この図柄は女王様と哀れな下僕といった雰囲気がびしびしと漂ってはいるが……冗談言ってる場合ではない。
「SMじゃないっ!!」
 武人が抗議の声を上げると、十三はニヤッと笑った。
 そして冴那からも促され、十三が武人の鎖を1本1本外していった。
「しかしえれェ汗だな。とりあえず水……」
 自然に十三の手は、ズボンの後ろポケットに回った。そこには小振りのペットボトルが突っ込まれていた。
 ペットボトルを抜き、しばし凝視する十三。
「……また汲みゃァいッか」
 『仕方あンめェ』といった表情でキャップを開け、十三はペットボトルを武人に手渡した。
「よォ坊ン。冷めちゃーいるが、ここ蓬莱の飲用温泉だ。効能あらたかだぜェ。ささ、ぐーっと1口飲ンでみな?」
 十三に促され、武人はごくごくごく……と一息に中の温泉水を飲み干した。
「ふう……」
 水分補給して、武人も一息ついたようだ。
「たく、どこの女王様にご褒美いただいたんだか……ま、この女王様じゃねェのは明白か」
「さっき見付けたのよ……」
 十三にちらっと見られ、冴那が答えた。
「……一瞬のことだったから、誰にやられたのか分からない。気付いたらここだった……」
 悔し気につぶやく武人。
「で、坊ン。名前は?」
「IO2捜査官、西船橋武人……ですって」
「ほう。坊ン、たいそうな肩書き持ッてンなァ」
 ニヤッと十三が笑みを浮かべた。そして武人を連れ、冴那とともに深雪の待つ通路へと戻った。
「ほれ、結構なお宝だったぜェ?」
 十三が深雪におどけてみせた。すると武人がちらっと深雪を、いや深雪の持っていたおにぎりの皿を見た。
「腹……減った……」
 へなへなとその場に座り込む武人。閉じ込められていたのだから無理もない。
「あ、あの……ご一緒しませんか……?」
 武人に近付き、深雪が皿を差し出した。
「感謝します!」
 と言うが早いか、武人はおにぎりをわしづかみにし、口の中に頬張った。その瞬間――。
「西船橋!」
 武人を呼ぶ男の声が響き渡った。驚き喉を詰まらせたか、どんどんと胸を叩く武人。
「居たのか西船橋!!」
 そこへ駆け付けてきたのは、武人を探していたアルベルトであった。
「……ゲルマーさん、どうしてここに」
 食べかけのおにぎりを手に、武人がアルベルトの顔を見上げた。
「ご心配かけてすみません」
 そして武人は深く頭を下げた。
「君たちが見付けてくれたのか……部下を救出してくれて深く感謝する」
 アルベルトはその場に居た3人の顔を、1人1人見つめて言った。
「探し人は見付かったようですね」
 いつの間にか智恵美もこの場にやってきていた。頷くアルベルト。
「お知り合いの方なんですか?」
 深雪が智恵美に尋ねた。すると智恵美は首をゆっくりと横に振った。
「いえいえ。人を探していると仰られたので、館内をご案内差し上げていた所だったんですよ」
 智恵美はにこっと微笑んで答えた。
「……ここの責任者にお会いしたいのだが。直接会って、色々とお尋ねしたいことがある」
 ややあって、アルベルトが言った。
「責任者? そらァ……蓬莱ちゃんのこッたな。さァて、どこに行ッたか……」
 思案顔になる十三。そして一同は、蓬莱の姿を探して館内をまた歩くことになる。
 気が付けば、ゼーエンの姿はどこにも見えなくなっていた――。

●逃亡者たち【12B】
「お風呂に大勢居ると、何だか恥ずかしいですねー」
 露天風呂へ向かう途中、由香里がシュラインに言った。2人は連れ立って『乙卯の湯』へ向かう所だった。誘ったのはシュラインの方だった。
「温泉初めて?」
「それは違いますけどー……回りが知らない人ばっかりなのは、今回初めてかも」
「んー、まあ近頃は内風呂ばっかりで銭湯に行く人もずいぶん減ってるから、そういう人も珍しくないみたいだけど」
 シュラインは由香里の言葉にうんうんと頷いた。
 そんな時だった。不意にシュラインが足を止めたのは。
「あ……」
「どうかしましたかー?」
 きょとんとして、由香里がシュラインに話しかける。するとシュラインは由香里の腕をつかみ、ぐるりと方向転換をした。
「やっぱりこっちやめ! 『甲寅の湯』にしましょ!」
「えっ、あ……いいですけど」
 シュラインに引っ張られ、『甲寅の湯』へ向かう由香里。
(今の足音って……!)
 『甲寅の湯』へ行くというのはシュラインの方便だった。本当の理由は――行く手から聞き覚えのある足音が聞こえてきたからであった。
(確か……霊鬼兵・Ωだったかしら……)
 霊鬼兵・Ω、それはエヴァの別名。いや、本当はエヴァという名の方が別名になるのか。もっともそんなこと、逃げているシュラインは知るよしもない。
「お、お前たちも温泉か?」
 シュラインたちの前に、やはり一風呂浴びようかと思い露天風呂に向かおうとしていた草間が現れた。シュラインはそんな草間の腕をぐいとつかむと、強引に同行させた。
「お、おいっ!?」
 何が何だか分からぬうちに、同行させられてしまった草間。由香里も『どうして?』といった表情をシュラインに向ける。
「あの、混浴はないですよねー?」
「……ごめん、行き先変更は嘘。追われてるわ」
 シュラインが申し訳なさそうに、由香里に言った。
「どういうことだ」
「『虚無の境界』よ。それも最悪……霊鬼兵・Ω」
「……なっ!」
 絶句する草間。そして忌々し気に言葉を続けた。
「否応無しって訳か……。どうあっても、俺たちを事件に巻き込むつもりらしいな」
「そんな……! あたしは関係ないです!」
 頭を振る由香里。だが草間が冷静に言った。
「いや、そうとは限らない。……俺たちは追手とは因縁はあるが、こんな所でわざわざ追いかけてくるとは思えない。だったら事務所を急襲した方が手っ取り早いはずだ。しかし、君が目標だとすれば話は別だ。君の何かを狙っているのかもしれない。何か狙われる心当たりはないのか」
「そんなこと言われたって……」
 エヴァから逃げつつ、草間は由香里から情報を引き出そうとした。けれども由香里に心当たりはないらしい。
「……武彦さん、向こうスピード上げたわ」
 無表情でシュラインが言った。スピードを上げたということは、エヴァも本気を出しつつあるのだろう。
「やばいな。行き止まりになったらおしまいだぞ」
 草間の額に汗が浮かんでいた。通路を歩いている限り、いつかは行き止まりになってしまう可能性がある。かといって部屋に逃げ込むと、それこそ袋の鼠である。
 さてどうしようかと思案していた時だ。中庭の方で、撫子が手招きをしていた。
「……行くしかないな」
 草間はシュラインと由香里を促して、中庭に飛び降りた。そして撫子の方へ向かう。
「こちらへ!」
 御神刀『神斬』を携えた撫子が草間たち3人を先導した。
「助かったぞ」
「どうも様子が妙でしたから……」
 草間が礼を言うと、撫子がそう答えた。
「まだ追ってきてるわ」
 エヴァの足音を聞き、シュラインがつぶやいた。ともかく今は逃げ続けなければならなかった……。

●集約【13】
 どのくらい逃げ続けただろうか。たった5分であっても1時間くらいに感じられる密度の濃さである。
 4人は地下に続く緩やかな坂道がある場所へ出ていた。地中へ潜ってゆく坂道だ。
「……これは何だ?」
 眉をひそめる草間。そしてそのまま通り過ぎようかとした時であった。
「真名神くん!?」
 シュラインが坂道を上ってくる慶悟の姿を発見したのである。
「草間……裸足で何を」
 慶悟はそこまで言うと、はっとして坂道を駆け上がってきた。突発的な事態が起こったことを、瞬時に把握したのであろう。
「お客様方! ここで何を……!!」
 導かれるかのように、人は集まってくる。今度はその場に、亜真知とレイベルを連れた蓬莱が姿を見せたのだ。
 いや、それだけではない。蓬莱と反対側からは十三や深雪、冴那、智恵美、武人、そして――アルベルトまでもが姿を見せたのである。
「こらァまた……集まりも集まッたもンだぜ」
 総勢14人となった一団を見て、十三が呆れたように言った。
「じきにもう1人来るわよ……」
 シュラインが溜息混じりにつぶやく。その言葉通り、もう1人はやってきた。エヴァである。
「霊鬼兵・Ω……」
 エヴァの姿を見て、アルベルトが言った。それが聞こえたのだろうか、エヴァはぴくっと眉を動かすと一団の10メートルほど手前で足を止めた。
「その名前を知っていて格好がそれ……あなたIO2ね」
 エヴァはアルベルトの方を見て、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「悪いけど、IO2なんかに用はないわ。用があるのは、あなたと……あなた」
 エヴァが蓬莱と、由香里を続けて指差した。驚く由香里と、表情を変えぬ蓬莱。
「あなた。宝石をこちらに渡してもらえないかしら」
 由香里に向けて手を差し出すエヴァ。するとすかさず蓬莱が言った。
「渡す訳には参りません。これはあなたが持っていても意味のない物ですから」
 この口振り、蓬莱は由香里のネックレスの宝石の正体を知っているようであった。
「どうあっても渡さないつもりなの?」
「渡せません」
 再度のエヴァの言葉にも、蓬莱はきっぱりと言い切った。
「そう。出来れば、力尽くは避けたかったんだけど……」
 エヴァは一団の皆の顔を順に見ていった。亜真知と智恵美の所で、少し見ていた時間が長かったのは気のせいだろうか。
「……仕方ないのかしら」
 そう言って笑みを浮かべるエヴァ。それは実に、楽し気な笑みであった。そしてエヴァが一団の方へ歩き出そうとした時――また別の声が響き渡った。
「ダメです!!」
 足を止め、振り向くエヴァ。目の前には零が、また零に付き従うようにデルフェスの姿があった。
「絶対ダメ……!!」
「……姉さん」
 エヴァを見つめ、ゆっくりと頭を振る零。エヴァも複雑な表情で零のことを見つめていた。
「わたくしもエヴァ様のされることを、黙って見過ごす訳には参りません。……どうか矛を収めてはいただけませんか」
 デルフェスが神妙な表情でエヴァをじっと見つめて頼んだ。
「姉さん」
 デルフェスの言葉は耳に入っているのかいないのか、エヴァが零を呼んだ。
「どうあっても私の邪魔をするつもりなの」
 エヴァの言葉に、こく……っと頷く零。表情は固く、決意に満ちていた。
 一団の方に振り返るエヴァ。それからまた零たちの方を向く。沈黙がこの場を支配していた。
「……持ち越しね」
 エヴァはぼそっとつぶやくと、一団にくるっと背を向けた。
「勘違いしないでね、姉さん。私は分の悪い勝負を避けただけ。さすがに姉さんとこの人数を同時に相手にするほど、私は愚かじゃない。またいずれ……決着をつけましょう。それまでよーく腕を磨いておくことね、姉さん」
 歩き出すエヴァ。このまま『蓬莱館』を後にするつもりらしい。エヴァの姿が次第に小さくなってゆく。
「忘れないで。姉さんより優れているのは、この私なのだから」
 この言葉を最後に残し、エヴァの姿は見えなくなった。

●その名は【14A】
「百聞は一見にしかず、です」
 エヴァが居なくなった後、蓬莱はそう言って一同を地下へ続く坂道へ誘った。
 坂道はじきに暗く湿気のある洞窟へと姿を変え、緩やかに下に傾斜を続けている。そうして10分近く歩いた頃に突き当たり――石の扉の前に出た。
「あ。ここで誰かに殴られて……」
「すみません。私です、それ」
 武人の言葉を聞き、間髪入れず蓬莱が謝った。
「でも、あの時は仕方がなかったんです。まさか明け方の結界が弱まった一瞬に入ってこられるとは思いませんでしたから」
 言い訳する蓬莱。それを聞いて、慶悟が納得したように言った。
「なるほど。どうやってあの結界を越えたのか不思議だったんだが、それで合点がいった」
「そうそう、勝手に結界を解除しないでくださいね」
 慶悟に釘を刺す蓬莱。慶悟は苦笑いを浮かべた。
「……あと、純粋な存在であれば入ることは出来るようですね。一昨日もそうでしたから」
 蓬莱がにこっと微笑んだ。
「それを貸していただけますか」
「あ、はい」
 蓬莱は由香里からネックレスを借り受けると、宝石を外して石の扉の中央にあった小さな窪みにはめ込んだ。するとどうだろう、石の扉の一部がスライドして開いたではないか。
「寒ッ!!!」
 思わず十三が叫んでいた。石の扉の向こうにも洞窟は続いていたが、強烈な冷気がこちらへ流れ込んできたのである。
「眠……」
 途端にうとうととし始める冴那。冷気は冴那の天敵のようだ。だがその強烈な冷気も一瞬のことだった。
「こちらです」
 蓬莱は宝石を石の扉から外すと、中へ一行を誘った。洞窟の様子は暗く湿気のある物から、暗く冷たい物へと変貌した。
「向こう……明るくないですか?」
 遠くに見える明かりに気付き、深雪が言った。他の者たちが冷気で少し肌寒く感じている中、深雪1人けろっとしていた。
「見ていただければ分かります」
 やがて、一行は明かりの場所へ出た。そこは床に大小様々な複雑な紋様が記された東洋系の魔法陣が記された場所であった。
「凄い……」
 撫子は圧倒され、そうとしか言えなかった。
「1つ1つに意味があるんですか?」
 亜真知が蓬莱に尋ねると、蓬莱はこくっと頷いた。
「よほどの術士が描いた、ということになるのか」
 レイベルが感心したようにつぶやく。
「そうなのでしょう。1つ1つに意味を持たせられるのですから」
 智恵美もレイベルの言葉に同意したようだった。
「ねえ。真ん中に石棺があるんだけど……何か妙じゃない?」
「ええ。石棺の蓋が、何故か人の形に窪んでいますわ」
 中央の石棺を見付け、シュラインとデルフェスが言葉を交わしていた。
「あれは?」
 アルベルトが蓬莱に石棺について尋ねた。
「……あの中には私たちをこの地に導いてくださった偉大なる術士様が眠っております」
「その術士の名前は」
「――徐福」
 一瞬、場が静まった。

●『蓬莱館』の真実【15】
「……徐福伝説ですか?」
 最初に口を開いたのは撫子であった。大学は民俗学専攻であるゆえ、調べたことがあるのだろう。
「確か秦の始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を探すため、多数の童男童女と兵士を船に乗せ東方海上にある蓬莱山に向け旅立った……という話だったか。だがその伝説では、着いたのは紀伊の熊野ではなかったか?」
 慶悟も知っていたとみえて、徐福伝説について知識を口にする。が、撫子がそれに対して補足をした。
「いえ。熊野ではなく、富士を目指したという説もあるんです。その説の出典は『宮下文書』でしたでしょうか……」
「今、仰られた通りです。私たち3000人余りの者たちは徐福様に付き従い、不老不死の霊薬をを求め世界中を巡りました。熊野……でしたか、そこにも立ち寄ったかもしれません」
 撫子の言葉を肯定し、蓬莱が説明を始めた。
「ですが、徐福様は長い放浪の末に確信されました。不老不死の霊薬なぞ、この世にないということを」
 ゆっくりと石棺へ歩いてゆく蓬莱。
「しかし、こうも確信されたのです。この世にない物であれば、あの世にこそそれは有ると」
「……死を選んだんですか?」
 深雪が蓬莱に尋ねた。けれども蓬莱は首を横に振った。
「少し違います。死は目的ではありません。手段です。不老不死を可能とするための」
「どういうことだ?」
 草間が蓬莱をじっと見据えたまま尋ねた。
「徐福様は訪れていた東方の地……つまり日本のことですが……そこで霊力に大変優れた土地を見付けました。それがここです。そして、徐福様はある儀式を行いました」
「……儀式だと?」
「不老不死を可能とする空間を生み出すための儀式です。徐福様はその空間を、『蓬莱』と名付けられました」
「……異界か」
 アルベルトがぽつりつぶやいた。
「ちょっと待った。それはあなたの名前じゃなかったのか」
 レイベルが蓬莱と草間の会話に口を挟んだ。確かにそうだ。目の前に居る少女と、その異界の名前が同じというのは不思議な話である。
「……何も不思議ではありませんよ」
 蓬莱はレイベルの方を向いて、にっこりと微笑んだ。
「今の私はこの空間と同一なのですから」
「……それって、儀式の時に名前を捨てたってことかしら」
 シュラインが尋ねると、蓬莱はにこっと微笑んだ。答えるまでもないことのようだ。
「私は当時、徐福様の従者の1人でした。徐福様に強くお願いされ、断ることなど出来ません。私は徐福様の言葉を受け入れました。こうして儀式は行われました。儀式を執り行う徐福様の生命、徐福様に付き従ってきた3000人の生命、そして……『私』という存在です」
「……胸糞悪くなる話だぜ」
 十三が他の者に聞こえるか聞こえないかの声で言った。
「儀式は成功し、この地に『蓬莱』は生まれました。以来私は、この『蓬莱』を管理するため過ごしているのです。100年毎に目を覚まし……『蓬莱』を維持するための霊力を集めるために」
「それがこの『蓬莱館』ってことか」
「その通りです。お客様より霊力を分けていただき、この『蓬莱』の力として蓄えるべく……現世にて1ヶ月を過ごすのです」
 蓬莱は草間の言葉に大きく頷いた。
「もちろんお客様を死なせるような真似はいたしませんが」
「当たり前だ」
 草間が蓬莱に突っ込みを入れた。
「もしそうなら……どこかの組織が全力で潰すだろうよ」
 ちらっとアルベルトを見る草間。アルベルトは肯定も否定もしなかった。
「こちらへ来ていただけますか。いえ、何も危険なことはありません。仕上げの儀式を行うために、あなたが必要なんです」
 蓬莱が由香里を手招きした。恐る恐る蓬莱の所へ向かう由香里。すると蓬莱は、懐より由香里の青い宝石とは別に、紅い宝石を取り出した。
「青い宝石をこちらの手で、紅い宝石をこちらの手で挟みます」
 蓬莱はそう説明すると、石棺を挟んで立つよう由香里を促した。由香里は言われた通りに立つと、青い宝石は右手で、紅い宝石は左手で蓬莱とともに挟み込んだ。蓬莱からすれば、ちょうど逆の手となる。
「では……」
 準備が終わり、蓬莱は何やら詠唱を始めた。すると床に記された魔法陣が光を放ち始めたではないか。
 やがてまばゆいばかりの光が、この場を包み込んだ。この瞬間、周囲に蓬莱と同じ装いをした多数の若き男女の姿が見えたような気がした――。
「これで儀式は終わりました。これでまた『蓬莱』は安泰です。私1人でも不完全ながら儀式は出来るのですが……この方がより完全な形で執り行なえるのです」
 光が消え失せた後、蓬莱が静かにつぶやいた。

●離れし場所より、遥かな者と【16A】
「全て終わったらしい……」
 クミノは半自律式の移動監視装置のカメラとマイクを通じ、ここまでの一部始終を『蓬莱館』の離れた場所より見ていた。
 ふと、モニタの1つにゼーエンを抱えた高峰沙耶が映し出されていることにクミノは気付いた。
 クミノがキーを叩くと、メインモニタの映像は沙耶の姿へと切り替わった。

●そして、また日常が始まる【18】
 某月某日――『蓬莱館』が現世より姿を消した翌日。その日も、現世はいつものように動いていた。
「寒河江さん! 去年のこの時期の気象データは?」
「あ、はい! こちらにまとめてあります」
 テレビ局の報道部では、ディレクターを相手に深雪が忙しく働いていた。
「あらまあ。それはお困りでしょう……」
 教会では智恵美が困った人の相談を受けていた。
「……瓢箪が気に入ったのね……」
 ペットショップ『水月堂』では、『蓬莱館』よりもらってきた瓢箪に白い錦蛇の藤乃が巻き付いているのを、冴那がじっと見つめていた。
 このように、どこもかしこもいつものように動いている。当然、草間興信所や月刊アトラスの編集部、アンティークショップ・レンなども同様だ。

 まず、アンティークショップ・レンだ。
「こちらに帰ってきてから知ったのですが、『蓬莱館』にはうちからいくつか物品を納品していたんだそうです」
 デルフェスは店を訪れていた月島美紅と瀬名雫にそんな話をしていた。帰ってきた日にオーナーの碧摩蓮から教えられたのである。
「へえ、そうだったんですか。何かしら繋がりってあったんですね」
 感心する美紅。
「でもあそこいい所だったよね。また行きたいね☆」
 笑顔でそう言う雫。美紅も頷く。ただデルフェスは笑顔のまま答えなかった。次に『蓬莱館』が現れるのは100年後のことであるから。

 続いて、月刊アトラス編集部だ。
「……どうされたんですか?」
 従妹の亜真知とともに編集部を訪れていた撫子は、小声で三下忠雄に尋ねた。
「休み過ぎたせいで、仕事モードに切り替わってないんだそうです」
 ひそひそと答える三下。というのも、編集長である麗香が机に突っ伏していたからであった。それも、休暇モードの壊れたままで。
「うにゃー……儀式見たかったにゃのー……」
 そういえば、麗香は『蓬莱館』に居たにも関わらず、部屋で眠っていたためにあの儀式の場には居なかった。
 たぶん、未だ壊れているのは儀式を見ることが出来なかった悔しさがあるのかもしれない。……これはこれで、マニアが増えそうではあるが。閑話休題。
「ところでその、IO2の方々はどうされたんですか?」
「撫子姉さまが説得なされて、何事もなくお帰りになられましたわ」
 亜真知が三下の質問に答えると、撫子は若干照れたような笑みを浮かべた。儀式の後、撫子はアルベルトたちに対して無理な介入をしないよう心を込めて説得したのであった。
 それも後押ししたのか、アルベルトはこう言い残して武人と帰っていったのだった。
「……『蓬莱』の件は申し送り事項にしよう。100年後、出現時にはただ監視をするのみ。悪用する者現れし場合には阻止をする……以上」
 『蓬莱』の存在は、悪影響はないと判断したのであろう。
「ふにゃー……三下くーん……ジュースにゃのー……」
「あ、はい!」
 麗香に言われた三下は、ジュースを取りに走った。

 最後に、草間興信所である。
「じゃあ頼んだぞ。言われた通りにまとめてあるから。よろしく伝えておいてくれよ」
 草間はそう言って、クミノの所のメイドアンドロイドであるモナを送り出した。ちょっと調査を頼まれていたのだ。
 草間にぺこりと頭を下げ、モナはクミノの待つ『ネットカフェモナス』へと戻っていった。
 1人減っても、草間興信所にはそこそこ人数が居た。零が居て、シュラインが居て、慶悟が煙草を吸っていて、レイベルが新聞を読んでいた。
「……そろそろ消えた頃かしらね」
 皆にお茶を出しながら、シュラインが何気なく言った。
「かもしれん。まあ、連絡があるはず……」
 その時、電話が鳴り出した。
「噂をすれば、だ」
 苦笑して電話に出る草間。
「もしもし。ああ……そうか……消えたんだな。分かった。で、お前はどうするんだ? ……なるほど、そういうことなんだな。分かった、身体にだけは気を付けろよ。じゃあまたな」
 電話の相手は十三だった。『蓬莱館』の消滅を見届けた十三は、また別の所へ向かうらしい。
「そういえば真名神くん。儀式の後で、由香里さん口説いてなかった? どこに住んでるのか聞いたりして」
 不意に思い出したように言うシュライン。慶悟が思わずむせていた。
「それは違う」
 苦笑し、否定する慶悟。
「生い立ちなどを聞いていただけだ。何でも祖先は、山中湖の方に住んでいたらしい」
「へえ。でも、それがどうかしたの?」
「何故彼女だったのか……帰ってきて調べ、その上でようやく納得出来た」
「秦の始皇帝の『秦』という字は『はた』とも読むんだそうだ」
 草間がニヤッと笑ってシュラインに言った。
「『はた』? えっと……それって……」
「あの娘は徐福たちとともに渡ってきた者たちの末裔なんだろうな」
「『秦』が転じて『羽田』となる。富士吉田や山中湖周辺には、『羽田』姓が多いという話がある。恐らく、ごく一部の者たちは儀式から除外したと思われる。『蓬莱』を完全な形で存続させるために」
 草間の言葉を受け、慶悟が話を続けた。
「どういう意味なの?」
「あの『蓬莱』は、つくづく陰陽のことを考慮していたということだ。どちらが欠けても存続はしない……」
 慶悟はそう言うと懐より地図――完全なる太陰大極図だ――を取り出すと、灰皿の上でそれにライターで火をつけた。
「地下洞窟の地図を描いてみたら、地上の『蓬莱館』の形に呼応していた。……この地図を残す必要もないだろう」
 やがて地図は灰となってしまった。
「草間さん」
 それまで無言だった零が草間の名を呼んだ。
「どうした、零」
「不老不死って、そんなに尊いことなんですか?」
「む……」
 沈黙する草間。
「『平穏を得るために生きるのではない、平穏をもたらすためだ』……と誰かが言っていたな」
 ふとレイベルがつぶやいた。零がレイベルの方へ振り向く。
「はい?」
「尊いと思うか、そうでないか、当人の認識次第かもしれない。物事は表裏一体だから」
 レイベルはそう言って、お茶をすすった。
「まあ、つまりは生き方次第なんだよ。不老不死であっても、悪いことにしか使わないんじゃ……尊くはないからな。徐福って奴の選択が正しかったのかどうか、正確に判断出来るのは時間くらいだろうな……きっと」
 草間はちらっと零を見た。
「……彼女の生き方はどうなんでしょうか」
 ぽつりつぶやいた零は窓の外、どこか遠くの空を見つめていた。心の中でエヴァに対し、何を思っているのだろうか。
「零ちゃん」
 シュラインが心配そうに零を呼んだ。ややあって、零は皆の方へ振り向いて笑顔を見せた。
「大丈夫です。私がこうして居られるのは、皆さんのおかげですから」
 それは零の心からの言葉であった――。

【『蓬莱館』の真実 了】


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 整理番号 / PC名(読み) 
                   / 性別 / 年齢 / 職業 】
【 0060 / 渡橋・十三(とばし・じゅうぞう)
           / 男 / 59 / ホームレス(兼情報屋) 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま)
     / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0174 / 寒河江・深雪(さがえ・みゆき)
        / 女 / 24 / アナウンサー(気象情報担当) 】
【 0328 / 天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)
               / 女 / 18 / 大学生(巫女) 】
【 0376 / 巳主神・冴那(みすがみ・さえな)
          / 女 / 妙齢? / ペットショップオーナー 】
【 0389 / 真名神・慶悟(まながみ・けいご)
                   / 男 / 20 / 陰陽師 】
【 0606 / レイベル・ラブ(れいべる・らぶ)
           / 女 / 20代? / ストリートドクター 】
【 1166 / ササキビ・クミノ(ささきび・くみの)
   / 女 / 13 / 殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。 】
【 1593 / 榊船・亜真知(さかきぶね・あまち)
  / 女 / 中学生? / 超高位次元知的生命体・・・神さま!? 】
【 2181 / 鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)
     / 女 / 19? / アンティークショップ・レンの店員 】
【 2390 / 隠岐・智恵美(おき・ちえみ)
               / 女 / 46 / 教会のシスター 】

【個別ノベル】

【0060/渡橋・十三】
【0086/シュライン・エマ】
【0174/寒河江・深雪】
【0328/天薙・撫子】
【0376/巳主神・冴那】
【0389/真名神・慶悟】
【0606/レイベル・ラブ】
【1166/ササキビ・クミノ】
【1593/榊船・亜真知】
【2182/鹿沼・デルフェス】
【2390/隠岐・智恵美】