調査コードネーム:囁き声。
執筆ライター  :とらむ

 【オープニング】
 【 共通ノベル 】
 【 個別ノベル 】


【蓬莱】illust by 倣学 【オープニング】
 蓬莱館に来てから既に丸一日以上が過ぎている。
 無料という触れ文句と、温泉という言葉に釣られて、招待されて来ては見たものの、どうにも気持ちがざわざわして落ち着かない。何かが妙なのだ。
 日本の象徴ともいえる富士の裾野に隠れるようにして存在する中華風の建物。広大な敷地の中に、大勢の招待客。何人か話を聞いたところだと、誰一人飛び込みの参加者はいないらしい。ツアーの温泉旅行ではないと聞いていたけれど……。
 どんな観光案内にも乗っていない取って置きの秘湯。秘密の場所。しかし、広い。
 大きな広間に整然と並べられた御膳の用意。誰かに聞いた話だと、こういう広間がまだいくつもあるとか。徐々に宿泊客は集まってくるけれど、世話役の仲居さんが一人もいないのはどういうこと?
 そう言えば、ここへ来てから客以外で見たのはあの可愛らしい女の子だけ。この温泉宿と同じ名前の蓬莱という女の子だった。
 彼女の姿もあまり見ないけれど、これだけ広くて大きい建物の中を彼女一人で仕切っているのだろうか?
 たくさんの客の声と喧噪に混じって、時折感じる蓬莱館のスタッフの気配。けれども姿が見えない。
 昨日からいくつか妙な話を聞く。誰もいないはずの場所で懐かしい声を聞いたとか、幻を見たという話も聞く。どれも皆怖さを伴うものではないようだ。むしろ逆の事が多いという。
 けれど、何かが妙なのは確かだ。
 危ない事はないという事は何となく分かる。けれども、やはり分からないままというのは気持ちが悪いものだ。
 とりあえず、この旅行の主催者である高峰沙耶かさっきの女の子にでも事情を聞いてみよう……。


【ライターより】
 館の彼処で何処からか聞こえる囁き声の正体と、様々な幻影の数々の正体とを調べて突き止めてください。聞こえたり見えたりするのはどうやらあなたの過去の体験のようです。
 どのような体験を見たのかを書いて頂いても結構です。


【共通ノベル】

<心の奥より囁く……>
 廊下から聞こえる微かな声に、ササキビ・クミノは目を細めた。
 二つの意味でありえない筈の事だった。
 一つはあらかじめ自分のいるこの離れには誰も許可なしに近付く事を禁じておいたから。その事は碇麗香にも十重に伝えてある。旅行の同行者達にも。皆彼女の能力の事は知っている。二十四時間という時間の猶予があるにしろ、命あるものを死に至らしめる障壁だ。好んで近付く者などいるはずもない。そしてまた不用意に近付いてはいけない類いのものである事もわかるだろう。
 そしてもう一つ。
 彼女はもう一度警備のシステムをチェックした。これで何度目だろう。だが、異状は何処にも見当たらない。
 彼女の警戒網をすり抜けてこの部屋付近にたどり着く事はよほどの手だれでない限りは不可能のはず。
 ならばプロの仕業か?
 ……いや、それもないだろう。
 彼女の障壁内において如何なるものであっても気配を完全に絶つ事などありえはしない。そう、この声達には殺気のような危険な感じは一切しない。
 故に、不思議で且つ、ありえない事なのだ。だが、現実として……。
 クミノはもう一度部屋の外から聞こえる複数の微かな声に耳を澄ました。しかし内容が今ひとつはっきりと聞き取れない。人の気配もしない。
 わずかに戸を開け、様子を探る。やはり何処にも人の姿はないようだ。おかしいのは、聞こえている人の声がまるで部屋の中にいる時と同じに聞こえるという事だった。
 もう一度耳を澄ます。人の声であるのは間違いがなさそうだが、どうにも聞き取り辛い。
 クミノは荷物を探って、機器をいくつか取り出した。手早くそれらを組み立てる。
 集音装置に、録音機器。探査用の機器ならば人間の耳で聞くより確かだ。
 しばらく音を採り、それを聞いてみるがあまり結果は芳しくはなかった。確かに人間の声である事はわかったが、内容がわからない、言葉としては聞き取れないという点では変わりがない。微妙に分りそうなところもあるのだが、鮮明ではない。まるで複数の声がでたらめに混ざっていて、しかもそれでいて言葉としては聞き取れない何かの仕掛けを成されているようだった。しかし暗号のような物ではないような気がする。
 三度繰り返し聞いて、ふとクミノはひとつの事に思い当たって、機器をさらに一つ取り出した。録音した物を機器にかけ、いくつかの操作を繰り返す。
 音の種類を特定し、分ける。様々に交じり合う音の中から同種類の物だけを取り出すための補助装置だった。それをラップトップにつないで、さらに分析し個々の音を取り出す。取り出した物を順番に聞いていき、クミノは一言「……やはりな」と呟いた。
 耳に聞こえていた音は複数の人の声が混じりあったもの。それは分っていた。ただしそれだけであるならある程度は聞き取れるはずだった。それがまったく分らなかったのには理由がある。
 音の速度がでたらめだったのだ。早くも遅くもない。いや、そもそも音の流れ方が一定ではない。時に早く、時に遅く。あるいは無規則に緩急を繰り返す。
 そしてもう一つ。時性が一致していない。
 さすがに未来のものはないようだが、少なくとも現在この場所にある音だけではないのは間違いない。そんなものが入り混じって聞こえてきていた。
 「どういうことだ?」
 ここが普通の場所ではない事ぐらいは見当がついていた。だがどう普通でないのかについては調査している最中だ。あるいはこの現象も関係があるのかもしれない。それを踏まえてもう一度調べなおした方がいいだろう。

<時の狭間>
 送られてくる調査結果に目を通しながら、クミノは柳眉を寄せた。
 「誰もいない……?」
 蓬莱館で起こる不可思議な現象は多岐に渡っていた。だが、どれもこれもさほど危険な物とは思えない。少々荒っぽいアトラクション程度の物ばかりだ。中でも自分の潜在能力が覚醒する金の温泉卵という物にはわずかばかり興味が引かれたが、今は調査する事が先だ。
 クミノはもう一度送られてくる映像を見直す。だが、いない。
 そう、この蓬莱間には来客以外に誰も人の姿がない。
 正確に言うならば一人を除いて、である。
 ここへ着いた時に出迎えてくれた蓬莱という少女の他は、人が見当たらないのだった。
 蓬莱という少女の姿は確かにあちらこちらで見かける事ができた。まさか彼女が一人で全てをまかなっているわけではもあるまい。
 この蓬莱館に現在どれだけの人数の客がいるとしても、それら全ての食事の用意や何かをできよう筈がない。
 となれば、調べ方が悪いのか、あるいはこういった電子機器には映らない何か特殊な存在がこの館に蠢いているのだろう。
 「この声と、何か関係があるのか?」
 呟いた声は、送られてくる映像に聞こえる客の声に掻き消されてしまった。
 クミノの聞いている声に関しても幾つかの情報が集まってきている。どうやら聞こえているのはクミノだけではないようだ。館の彼処で誰もいないのに声がするという話を聞く。
それに……。
 ふと頭の片隅に何かが浮かんだ気がしてクミノはこめかみの辺りに手をやった。目を閉じる。すると瞼の裏に何か映像が浮かぶ。
 自分の姿?
 「……まやかしだ」
 はき捨てるように言いながら、少し強めに頭を振る。拍子に瞼が開いた。微かな駆動音を発する機械達。流れる映像と音。それらが組み合わさって、何らかの場を作ってしまったに違いない。
 クミノは全ての機器の電源を落とし、大きく溜息をつく。自分でも気がつかない内に立ち上がって、フラフラと部屋を出た。考えがあったわけではない。
 自分の障壁の事はよく知っている。だからこそわざわざこんな離れを指定した。ここなら多少動き回っても他の客に迷惑がかかる事はない。
 廊下に数歩進み出た所で、クミノは再び脳裏に浮かぶ映像を感じてこめかみに手をやる。
 「やめろ。何をする気だ?」
 語勢も弱く言葉を漏らすと、膝を折る。瞼を閉じたい誘惑に辛うじて抗いながら、クミノは壁に半ばもたれかかるようにして身を預けた。だが、そこで動けなくなる。苦し紛れに身体をよじる。完全に背を壁に預ける形になって、そこで意識が途切れた。
 
 「……。……、起きて。いつまで寝てるの? いい天気よ、今日は」
 ……誰?
 呼ばれているのは、自分の名。誰も知らないはずの自分の名。私の名前を呼ぶのは誰。
 目を開ける。眩しい光が差し込んできて、また目を閉じる。けれどくすぐったさに直ぐ目を開けた。何かがじゃれ付いて来て、顔を舐めている。私はそれを捕まえて抱き上げる。
 ……子犬?
 「スポットも起きろって言ってるわよ」
 スポット? そうだ、スポットだ。ずっと飼っていた白い子犬。私の友達。いつの間にかいなくなって。良かった、無事だったんだ。
 「分ったわ。お母さん。起きればいいんでしょ? スポットも、もう分ったから。起きるから、よしてよ。くすぐったいの!」
 スポットを頭上高く持ち上げて、舐められない様にする。
 開け放たれたカーテンから、陽射しが差し込んできて眩しい。いい天気だ。今日は友達とサイクリングに行く予定。そう、スポットも連れて。
 何も知らない私は起き上がる。何も知らない私。世界の事も、自分の事も、誰を殺した事もない純粋な心で、何を疑う事も知らない純粋な心で、笑う。心から。
 幸せそうだ。本当に。
 私を見るもう一人の私。これが本当の私、今の私。あんな風には笑えない。
 目の前で幸せそうに笑う少女は、確かにクミノと同じ容姿をしていた。あるいは彼女はもう一人の自分なのかもしれない。平行世界の向こう側。この世界と同じ時を、まったく別の次元で歩む世界。その世界では、もう一人の自分が何事もなく平和に暮らしている。
 空中に浮かぶようにして映像が展開されている。あたかも自分自身が体験しているような感覚さえある。いや、本来ならばこのようにして外からこの光景を見つめる事もないはずなのだろう。だが……。
 クミノは無表情に自分の手を見つめ、そして力一杯握った。
 己を取り巻く障壁は、命ある物を二十四時間で確実に死に至らしめる。さらには如何なる物理的な攻撃さえも、魔力でさえも尽く軽減してしまう。
 この館の、もしくはこの館に棲む何者かの強力な力でさえ、クミノを完全に捕える事はできなかったようだ。
 皮肉なものだ。術が不完全にしかかからなかった事で、クミノにはこの現象の正体がわかってしまった。懐柔するどころか逆にヒントを与えてしまうとは思いもよらないことであろう。
 耳に聞こえた無数の声。それは無数の人達の無数の想い、あるいは思い出。次元の違う世界からの声。欲望、あるいは希望が生み出す幻影の声。時間の流れなど、感じ方は人それぞれだ。だからこそ、自分には判別しづらかったのだ。
 しかし正体が分ってしまっても、驚きには変わりはない。とてつもない数の声だ。一体この館はいつから存在しているというのだろうか? 一体どれだけの人の想いを飲み込んでこの館は在り続けているというのか。
 クミノは握った掌を解いて、しばしの間見つめた。そして徐に顔を上げると、幸せそうに笑う映像の中の少女に向かって、軽く手を上げた。
 「さよなら、私。あなたは幸せにね」
 小さくそう呟くと、踵を返す。数歩を歩く時には、既に幻影は消え失せもとの廊下に戻っている。クミノは再び部屋へと戻った。
 この茶番を終わらせる。
 鍵を握るのは、おそらくこの館でただ独り実体を見る事のできるあの少女、蓬莱だ。
 
 <時の狭間より>
 「ここがそうか……」
 思ったよりは簡単にその場所は判明した。温泉の広がる敷地のずっと奥、洞穴の奥、蓬莱館そのものにも多少の仕掛けは施してあったが、フェイクである可能性が高かった。おそらくこちらが本命であろう。調査の結果で見てもほぼ間違いはない。
 洞穴の奥にある鉄製のドアをクミノは無造作に押し開けた。鉄の軋む音が岩盤に反響して長く尾を引きつつ、闇へと消えていく。
 特に警戒はしなかったのには理由がある。
 ここにたどり着くまでに、おおよそ妨害らしい妨害には一度たりとも遭わなかった。もし近付いて欲しくないのであるならそれなりの手段をこうじてきてもおかしくはない。それがないという事は、手段がないか、あっても行使する気がないかのどちらかだ。
 前者であれば、ここに来る事で何らかの進展があるだろうし、後者であれば変に警戒して行動の幅を自ら狭める事はない。下手に勘ぐって行動を制限したりなどすれば、相手にとって判断が容易になるばかりか、選択肢をわざわざ減らしてやって自ら罠にはまりにいくようなものだ。こういう時はむしろ大胆に行動するに限る。それが相手の意表をつく事にもなるからだ。
 だが、あまりに自分の思った通りに展開があるというのもまた不気味ではある。
 洞穴の奥にあったのは、まさしくクミノが想像していた通りの施設だった。
 所狭しと並べられた謎の機器が不気味な光を湛え、低い駆動音のようなものが響いていた。今にも絡み合ってしまいそうなコードがうねりながら一つ所へと向っている。
 その先にあるものは。
 「……蓬莱」
 クミノは液体の満たされた透明なカプセルに浮かぶ少女の名を口にした。
 薄暗い洞穴内で、蓬莱のいるカプセル内の液体が薄い緑色の光を放っているように見える。彼女は目を閉じ、液体の中に漂っていた。
 「ようこそ。ササキビ・クミノ様」
 背後で聞こえたその声に、クミノは思わず飛びずさった。見を低くし、懐に手を伸ばす。鋭い視線を飛ばした先で、蓬莱が出迎えたときの様子そのままににこやかにこちらを見ていた。
 「驚かせてしまいましたね。ごめんなさい」
 「……お前は、一体?」
 「答えなくても大体は分っているみたいですね」
 クミノの問いに答えるでもなく、蓬莱は表情を崩さずもう一人の自分を見た。カプセルの中に、液体に浮かぶ自分の姿を。
 「あれは、お前なのか?」
 二人の蓬莱を同時に見るように身体の向きを調整しながら、クミノは尋ねた。
 「ええ、そうです。私です」
 「理由を聞いたなら、教えてもらえるのか?」
 余計な手間を省き、核心を尋ねる。もし予想が当たっているのなら、彼女がここに呼び寄せた、この私を。
 「そのつもりで、お呼びしました」
 少しだけ表情が曇ったように見えた。光の加減だったのかもしれないが。
 
 事の始まりは遥かなる昔。中国が秦と呼ばれていた頃。
 秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬を探し求めて世界を彷徨った三千人もの者達がいた。長い放浪の末にやっと彼らはこの東方の土地に強い霊力を有する土地を見つけた。
 不死の山(富士)と呼ばれる神山の麓にあるこの土地を。
 命を受けた者達の長であった徐福は、長い旅の末に一つの答えにたどり着いていた。
 「不老不死の薬は、この世界には存在しない」と。
 そして、代わりにこの場所に「不老不死」を可能にする異世界を拓く実験を行った。そこならば彼の主たる始皇帝の求める物があるに違いないと。
 だがこの実験には多くの犠牲が伴ってしまった。
 供に連れてきた三千人の従者の命。術者たる自分の命。そして異界を固定させる為の人柱となった一人の少女。
 「……それが」
 「そうです。私です」
 クミノは蓬莱の言葉と表情に不思議なものを感じた。酷い話だ。たった一人の人間の欲望を叶える為に、三千人もの命を犠牲にするなどと。
 しかし、と思う。
 自分はどうなのだ。生き残る為とはいえ、多くの命を奪ってきた。その行いは、数千年前の一人の人間の罪とどう違うというのだろう?
 「二千年の間。私達はここに留まってきました。そしてこうやって数多の人達を迎えてきたのです。自分達の苦しみをほんの一時でも癒す為に。皆さんに愉しんでもらう事で、私達の苦しみがほんの少しだけ和らぐから……」
 「二千年も……」
 蓬莱は悲しそうに笑った。
 「分った」
 一切の説明もなく、クミノは懐の銃を抜き放った。そのまま、カプセル内の少女の額に狙点を合わせる。蓬莱は何も言わなかった。
 「一つ、聞きたい」
 「何でしょう?」
 「私の見たものは、何だったんだ?」
 視線は動かさなかった。答えは聞くまでもなく、もう知っている。それでも聞いておきたかった。
 「ササキビ・クミノさん。あなたが望んでいる事です」
 蓬莱は、愛らしい笑顔を見せてクミノに告げた。
 「いや、違う。残念だが、違った」
 クミノは意識を集中する。ただの弾丸では、この呪縛は打ち破れまい。
 意識を集中して、自らを取り囲む障壁の力を凝縮させて弾丸に送り込む。
 「あれは、かつての私が、望んだ事だ」
 静かにそう言って、ササキビ・クミノは引き金を引いた。
 轟音が洞穴内に反響する。破砕音。ガラスの砕けるような儚い音。
 「けど、ありがとう」というクミノの声は掻き消されて誰にも聞こえる事はなかった。
 
〜了〜
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号1166/ササキビ・クミノ/ 女 / 13歳 /殺し屋じゃない、断じて殺し屋ではない】

【個別ノベル】

【1166/ササキビ・クミノ】