調査コードネーム:百年に一度だけの夢
執筆ライター  :深海残月
関連異界    :東京怪談 remix KALEIDOSCOPE

 【オープニング】
 【 共通ノベル 】
 【 個別ノベル 】


【蓬莱】illust by 倣学 【オープニング】
 良い事教えてあげようか。
 蓬莱館は不老不死の泉が湧くって話なんだよ。

 あれ? 不老長寿だったかもしれない。
 …てゆーか泉じゃなくて温泉だっけ?
 ま、どちらにしろね、有難い御利益がある事に変わりはない訳で。
 別に危ない反動が出る訳でもないし。
 …本当は別に何も効果は無くって、単なる謂れだけなのかも知れないし。
 とにもかくにも、百年に一度だけ、外からの賓(まろうど)を許す場所。

 ………………そのくらい高峰さんから聞いてる?

 じゃあもうひとつ教えてあげるよ。

 蓬莱館ではね。
 二度と会えない人に会う事が出来るんだ。
 ってまぁ、これもさっき言った泉の御利益と同じでボクの記憶も結構あやふやなんだけどさ。
 …え? 幻だろう夢だろうって?
 そうだよ。それは夢の話。
 だけどね。
 夢こそ現。現こそ夢。
 どちらでもあり、どちらでもない。
 ボクらの『道』の始祖と言ってしまっても良いかもしれない、とある隠者の御心が。
 偶然にも、そのまま体現されている。

 そう、蓬莱館に於いては『どちら』も真実になるんだ。
 …つまりね、単なる夢でも幻でも無いって事。
 何故なら蓬莱館は、『ヒトの執念が勝った』場所。

 ………………だから、『死んだ者だって生きている』。

 大いなる『道』の流れは誰にも把握出来るもんじゃない。
 ボクらだって例外じゃない。
 ボクらみたいなイレギュラーじゃなく、真っ当な仙人だって…自分の歩む『道』、それがすべてに於いて正しいなんて言い切れない筈だよ。
 そもそも単純に、仙界の…結局世俗と変わらず雁字搦めの上下関係、義務、決まり事…あの世界が『道』を追う者が目指す真理なんて到底思えない。あれはただ『ひとつの形』であるだけの話さ。ヒトが皆自分の手で決めたもの。だからヒトにとっては正しい事かもしれない。
 けど、他から見て正しいかどうかなんて、本当のところは何もわからない筈さ。
 だって『真っ当な道』と言われる『それ』が絶対の真理であるならば、ボクらはそもそも存在しない。
 それ『だけ』が正しいと言うのなら、ボクらや蓬莱の存在が許される訳がない。

 ………………『道』は、もっとずっと大きいよ。
 それだけはボクにも言い切れる。

 だからきっとね、『道』って言うのは…わからないなりに、生涯求め続けるべきものなんだよ。
 幾ら仙籍にあるからって――『道』を識っているなんて、思い上がる事なんて出来ないよ。
 ひとりひとりはとても小さなものさ。
 どれ程強大な力を持つ存在であってもね。

 ………………真っ当な神仙に嫌われる蓬莱の理は、ボクらとは馴染み易いのさ。
 だからボクたちはこの件を知っていた。
 蓬莱は言わば偉大なる先達。
 ま、成り立ちは全然違うけど。…結果として似た者同士になっている事は確かだよ。

 ボクみたいな若僧でも、訪れれば蓬莱は歓迎してくれる。
 彼女と茶でも酌み交わすのは楽しいよ?
 蓬莱は百年に一度のボクの話を楽しみにしてくれる。
 他の場所に行く事が出来ない以上、必然的に娯楽は少ない事になるからね。仕方無い事だと思う。

 で、色々余計な事は言ってるけどさ、特に今回、一番お願いしたい事があるんだ。
 キミが蓬莱館に行くってんならさ、良かったら…蓬莱と遊んでやっちゃくれないかな?
 折角この「時」に居合わせた縁なんだ。
 …ボクは彼女を楽しませてあげたいんだよ。

■■■

「…と、あっちゃこっちゃに声掛けてはみたけれど…まさかキミが行くなんて言い出すとはね」
「まぁ、ついでだからな。それに折角の…百年に一度の特別な一ヶ月。かなり今更だが、出来るなら『あいつ』にも穏やかな日常ってモンを味わわせてやりたいと思ってね」

 蓬莱娘々と一緒に遊ぼう、ってのが丁の頼みならちょうど良いだろ?

 にやり、と口許で笑んでいたのは凋叶棕。
 ダークスーツを着込んだ…少々堅気とは思えない夜の臭いのする男。
 風体や口調は危険そうだが、性格的には人懐っこくて豪快で面倒見が良くて人間好きで――殆ど無害と言える。
 彼と共に話している小学校高学年から中学入りたて程度の年頃に見える性別不明の子供――出来たら蓬莱ちゃんと遊んでやって、とツアーに参加しそうな方々に話をバラ撒いている丁香紫――の方が、害のあるなしで言うと、余程色々やらかしそうなところがある。
 丁香紫はまるで女の子のような可愛らしい外見をしてはいるが、それに誤魔化されない方が賢明だ。
 そもそも、実年齢は凋叶棕より丁香紫の方が年上である。

 彼らふたり、見たところは全然似ていないが、決して無視出来ない共通点が存在する。
 …それは、ふたり共に『鬼』の名を持つ仙人であると言う事。
 仙人は各々の好みで外見年齢や姿を決める。故に、外見と内面は一致するとは限らない。
 まぁどちらも、見た目は人界に確り馴染んだ、それなりの空間では違和感の無い格好をしてはいるが。
 それでもふたりが同席しているとちょっと首を傾げたくもなる。
 危うい魅力の三十路男と――天真爛漫、ややボーイッシュな元気少女、と言った風だからだ。
 …何も知らない者が見掛ければ、色々な意味で問題に思いそうな。
 だが、彼らふたりとしてはお互いは――同胞、と言うか兄弟のようなものである。

「何も――してやれなかった訳だからな」
「それはただの自己満足とわかっていても?」
「…夢こそ現、現こそ夢。魂まで喪った『奴』が安息を得られるのなら、それは百年に一度の特別な夢の中だけでしか無いさ」
「ま、ね。納得出来てるのならボクはこれ以上何も言わないよ」

 丁香紫は珈琲の入ったカップを取る。
 凋叶棕の何処か儚い笑みを見れば、それは確かにわかっているのだろうと丁香紫も思うから。

「高比良くんにとって良い供養になりますよう」
「…有難うよ」

 ぽつりと礼を言いながら、凋叶棕も自分の前に置かれた酒の入ったグラスを取る。
 そして、ふたりは軽くカップとグラスの縁を合わせ乾杯した。

「単純に温泉郷でもある訳だから、ま、ゆっくりしてこようね?」

 店の仄赤い照明の下、珈琲を唇に流し込んだ丁香紫は誰にとも無く静かにそう告げる。


【ライターより】
…と言う訳で。
丁香紫の目的は単純に蓬莱嬢を楽しませてあげよう、と言う事ですので、宜しかったら遊んであげて下さいまし。そんな路線でひとまずお願いします。…彼女はお外に出れないので大抵の事には興味を持つと思います。特に用意が必要な場合(遊ぶのに何か物が必要な場合)は事前に用意して参加してやって下さい。
それから恐らく、丁香紫の言う高比良くんこと「高比良・弓月」も恐らく一緒に遊んでる事になると思います。●高比良弓月は15歳で他界してます。銃の扱いは相当ですが一般常識はやや乏しく、ちょっと強がり気味な寂しんぼで結構素直な性格です。凋叶棕と彼の関係については「ゴーストネットOFF:迷い幽霊預ってます」&「ゴーストネットOFF:死神さんのお手伝い」などにあります。宜しかったら御参考にどうぞ。

また、高峰温泉ツアー前の時点で丁香紫の言い出した『二度と会えない人に会う事が出来るんだ』と言う件を心の片隅に置いてしまった貴方は、実際蓬莱館に来た時に『二度と会えないけれど会えるものなら会いたい人物』を無意識の内に捜してしまう…と言った裏側もひっそり考えてやって下さると幸いです。●と言う訳で自PCの関係者で、『二度と会えないけれど会えるものなら会いたい方』が居る場合、プレイング内に軽くその方の説明も書いて頂けると有難いです。●但し、その対象が登録してあるPC様の場合は反映出来ません。

それから、『二度と会えないけれど会えるものなら会いたい人物』と言うような相手が当方のNPC(当方の総合異界「東京怪談 remix KALEIDOSCOPE」内に記載してある、通常登場の登録NPCと情報内に書いてある未登録NPCのニ種類+異界に記載してなくとも過去の調査依頼やゲームノベル等で登場しているNPC)の中でそんな相手が居るのか等の過去が気になる奴が居ると言う場合があったなら、裏側でそちらにちょっかい掛けに走っても構いません(もし誰か指定されたらそのNPCは何らかの形で蓬莱館に招待されていた事になります)。…ちなみにOP通りNPCの丁香紫と凋叶棕(双方共に「東京怪談 remix KALEIDOSCOPE」にて『鬼』が姓として付いた状態でNPC登録済)だけは予め蓬莱館に来訪予定です。

●今回の路線としては、基本お任せ、但し最終的に結構しんみりする可能性があります。

●また、当方の総合異界「東京怪談 remix KALEIDOSCOPE」の「情報」内にある「『例外』NPC」こと特に『存在と名前だけは出てきますが登場はしない』としていた未登録NPCの中でも、『幽霊状態でも存在していない、既に死亡しているNPC』が『今回に限り出て来る可能性』があります(ちなみに高比良弓月はそれです)

●それから『幻・美都(登録NPC)』や『間島・崇之(未登録NPC)』辺りが通常のように『幽霊として』ではなく『生きているように実体化した状態で』のほほん居る可能性もあったりします。

相変わらず要点が掴み難いOPですが(汗)お気が向かれたらどうぞです(礼)


【共通ノベル】

■ちょっとした問題発生のこと■


「はぁ…」
「申し訳ありませんっ、本っ当に申し訳ありませんっ」
 蓬莱館のロビーにて。
 そこで困ったように佇んでいる、神父らしき風体の銀髪の美丈夫に、ぺこぺこと頭を下げている中華風の少女。桃色の髪を飾るように結い上げた、まだ幼いと言って良いような年頃の彼女――蓬莱は、客人である銀髪の美丈夫――シュラブローズ・セラフィンにひたすら謝り倒していた。
「…男物の浴衣が無い、と」
 すべて貸し出し中で、と。
「申し訳ありませんっ」
「頭を上げて下さい。…それ程謝らなくても大丈夫ですよ」
 シュラブローズは苦笑しつつ気遣うように蓬莱の肩に触れる。でも…これで本当に良いんですか、と、その事自体に心底済まなそうに、犬がへにゃんと耳を垂らしたような姿で蓬莱はシュラブローズに力無く呟いている。
 で、蓬莱が持っている浴衣――取り敢えずの代わりとばかりに用意されていたそれは、袖口や襟が淡い青色で仕上げてある…大きいサイズの『女物』の浴衣。
「それで構いませんから」
「申し訳ありません…」
 蓬莱はやっぱり謝っている。
 と、そんな遣り取りをしているところに。
「あのお」
 ひょこんと顔を出して来たのはぽややんとした印象の金髪の青年。その雰囲気からしてやや違和感もあるが、ピアスやらイヤーカフスやら指輪やらブレスレット…と、ひとつひとつはシンプルなものとは言えど、数的な意味で装飾品の類が妙に派手。額にも何やら小さな痣と言うかむしろタトゥーと言った方が正しいかもしれない、何かを象った如き小さな印がひとつ。…実は聖印らしいが由来を知らねばそう見える。
 着用しているのは、醸す雰囲気通り――袖口や襟を秘色で仕上げた生成りの生地、と言う優しい色合いの浴衣。胸元にはクロスまで掛けられているこの彼の、年頃だけを言うならシュラブローズとあまり変わらない様子。
「…何か、お困りのようですが」
 お手伝い出来る事でしたら、私も何か致しますが…。
「いえ、あ、とあの…ラグモンド様のお手を煩わす事ではなくて、純粋にこちらの不手際でありまして」
 焦る蓬莱。
 ラグモンド様と呼ばれた彼――アリステア・ラグモンドはきょとんと小首を傾げる。
 じゃなくてあの、御好意有難う御座いますとアリステアに頭を下げつつ、蓬莱はシュラブローズに向き直る。
「え…と普段ならお客様がお求めの浴衣が無いなんて有り得ないので…こんな事無い筈なんですが…って言い訳ですね、本当に申し訳ありません…」
 そうは言いつつ、なんで無いんだろうと内心で密かに悩む蓬莱。
 …実際、無い訳が無いのだ。本来なら。…何故ならこの蓬莱館の浴衣、お客様に合わせて、お客様の思考や趣味、性別、サイズなどを読んだようにぴったりのものが『蓬莱館側で自動的に用意されている』ものなのだから。
 なのにどうして、女性用のものが出て来たんだろう…お客様は男の人なのに…。
 蓬莱が悩んでいるのはそこである。
 …二千年もやってればたまには間違いもあるのかな。
 そのくらいしか可能性が見付からない。
 ともあれ、蓬莱としては…『自動的にそのお客様の為に用意されていたもの』しか、渡せない。
 …なのですべて貸し出し中と偽り、平謝り中である。
 サイズだけはどうやら殆ど合っている辺り、今回出された浴衣は…よくわからない。
 蓬莱のそんなちょっとした疑問も露知らず、シュラブローズはちょっと不毛になりつつある会話を終わらせようと、小さく肩を竦めた。…このくらいの事、それ程畏まらなくても構わない。
「部屋で着替えてきますよ。と、それから…良かったらここから動かないで待っていてくれるかな?」
「え?」
「幼い姿の仙人から『例の話』を聞いていてね。きみにちょっとしたお土産がある」
「あ、そうでした、私もその為に蓬莱さんを捜していたんです」
 ふわりと微笑んだアリステアは数冊の絵本を蓬莱に見せた。
 急な話に、蓬莱は目を瞬かせている。



■皆さん、御暇?■


「…神父さんがふたりもいらっしゃるとわちょっと予想が付かなかったな、と」
「神父さん?」
「キリスト教って宗教の…特にカトリックって呼ばれる系統の、庶民の皆さんに一番馴染みがある聖職者さんの事」
「きりすと…景教でしたっけ?」
「キリスト教としては間違いじゃないけどそれとカトリックはちょっと違う」
 細かくは忘れたけど。
 ぱたぱたと団扇で自分を扇ぎつつ、ロビーに置かれた椅子で寛いでいたのは丁香紫。シュラブローズが部屋に着替えに行ってから殆ど入れ違いでロビーに来ていたらしい。
 丁香紫は深い紅色で袖口や襟を仕上げてある女物の浴衣――つまり蓬莱とお揃いなのだが――を着ている。…この丁香紫、正確には性別が無い上、同胞内では兄で通っていた気がするが…ファッション的には大抵女の子寄りだったりした。
 その隣にはアリステアの持参した絵本を、文字がわからないながらも興味深そうにぱらぱらと見せてもらっている蓬莱。
 そのまた隣には、蓬莱館のサービスで出る中国茶――特に中国紅茶なんぞあったのでその一種類を選んで幸せそうに啜っているアリステア。そのままだとやっぱり読めませんよね? …やっぱり翻訳して聞き語りにしましょうか、などと絵本をざっと見ている蓬莱に確認してもいたりする。
 で、ついでにぽろりと出て来た疑問にも答えていた。…何処か遠くでついでに聞いた程度の事でも、アリステアはそうそう忘れない。
「…景教と呼ばれていたのは、東方教会のネストリウス派から分かれたものですね。…現存はしていませんが、昔の中国や日本ではそちらの方が御馴染みになるんでしょうか。取り敢えず私の場合は西方教会、ローマ・カトリックの司祭になります」
「…俺もそちらの方と似たようなものですね」
 お待たせしてしまったようですね、と続けつつ、シュラブローズが再びロビーに現れる。
 …女物の浴衣を着用しているせいか、近寄り難いくらいに冷たい印象の美貌が、ちょっと優しくなったように思えたのは気のせいか。
「…何となくそんな気はしていましたが。きみも神の僕でしたか」
「はい。あの服を着てらっしゃったと言う事は、貴方もですよね?」
 アリステアの科白に、シュラブローズは謎めいた微笑みを見せる。
 と。
「あ、なかなか似合ってる」
 シュラブローズの浴衣姿を見、意外そうにぽつりと呟く丁香紫。
 ………………改めて言いますが幾ら中性的な容貌だとは言えシュラブローズ氏は男性です。で、浴衣は女物です。
「…ちょっと丁さんっ――すみませんセラフィン様っ」
 慌ててぺこりと頭を下げる蓬莱。
「でも丁香紫さんの仰る通り、本当にお似合いですよ?」
 きょろん、と小首を傾げ、全然悪気無くアリステア。
 そこにまたわたわたとフォローしようと慌てる蓬莱。
 ………………シュラブローズ、やっぱりちょっと後悔。
「…まぁ、それはさて置いて」
 シュラブローズは持参した紙袋を無造作に蓬莱に手渡す。
「?」
 蓬莱、なんだろうとシュラブローズの顔を見上げる。
「…そこの仙人さんの外見と同じ程度の年頃と考えれば良いと言われたのでね、その年頃の少女が読むような情報雑誌を持って来てみた」
 外の世界の事は知りたいだろうと思ってね。
「情報雑誌、ですか」
 開けて良いよ、と蓬莱に優しく告げつつ、シュラブローズもその場の椅子に着く。
 読めない絵本の方は一旦置いて、蓬莱は紙袋をがさがさ。
 確かに、外の世界では一般的だろう、ティーンエイジャー向け情報雑誌数冊が入っている。
 ぱらぱら見ると、ファッションチェックやら占い、恋愛相談やおすすめの甘味処云々とその手の少女が好みそうな情報満載。ついでに、蓬莱としては内容さて置いて単純に見た目だけでも、様々な色や構図にレタリングが使ってあって面白いらしい。
「色々と工夫して作ってありますねー」
「…見るとこはそこな訳、蓬莱ちゃん」
 苦笑しつつ、丁香紫。
「これはある意味日本文化の参考にもなりそうですね」
 蓬莱の見ている横からひょこりと雑誌を覗き込み、アリステア。
「…お兄さんくらいの歳のそれも男の方がこれ参考にするのもどうかと思いますが」
 やっぱりさくっと丁香紫。
 けれどアリステアは困らない。
「そうですか? …お若い方って時代の先端走るような部分があるじゃないですか」
「…お兄さんだって充分若いと言う事はお忘れなく」
 ぽむ、とアリステアの肩を叩いて、言い聞かせるように丁香紫。
 そこに。
「…なんか色々な本が転がってるが」
 机の上のこれ、蓬莱娘々への土産か何か?
 ぽつりと呟きつつ雑誌をひとつ手に取りぱらぱらぱらと開いていたのは何処か夜の匂い――都会の裏街道を歩いていそうな、少々危険そうな雰囲気を持つ三十路っぽい男。素直にこちらの浴衣を着ている以上客人のひとりではあろうが。
 ちなみに着ている浴衣の配色は蓬莱や丁香紫と殆ど同じ物…とは言えシュラブローズとは違い確り男物。
「あ、凋」
「よ。丁。…初めましての人が多いな。俺は凋叶棕。この丁香紫の弟分と思ってくれて間違いない。…見た目逆だが」
 宜しくな、と簡単に挨拶し、後ろを向く。
 と。
 複雑そうな顔で考え込んでいる少年がひとり居た。
 黒を基調とした浴衣を着ている彼の背丈はアリステアと張る程度。だが印象がかなり若い…と言うより何処か幼さが残っている。
 ショートヘアをそのまま伸ばしたような長い髪は、そろそろ目の辺りが鬱陶しそうに見えた。
「…俺なんっでこんなトコ居るの」
 ぽつりと呟き、それっきり。
 そんな彼――高比良弓月を、凋叶棕はこいこいと手招いた。
 そんな凋叶棕に弓月は言い募る。
「ねぇ、なんでだよ凋。俺確か死んだよね? …つか消えたよね? や、でも最期に居たのあんたン中だし、ひょっとして何かした? あんた仙人だったし、なんか俺にした?」
「…いーや、なんにもしちゃいねえよ。何も間に合わなかった。…だからわざわざ『この場』を借りてるんじゃねえか」
 ふたりのその会話に、シュラブローズがぴくりと反応した。
 ………………この少年は。
 そもそも、元々不老不死の身――なのだ――であるシュラブローズがここに来たのは、二度と逢えない人に逢う事が出来る、と言う話を聞いた故。それは慰安も兼ねてはいるが、本来はそちらが先で。
 …今ここに居る少年は、別に自分の逢いたい人では無い。
 けれど。
 この凋叶棕と言う男にとっては、『逢いたかった者』なのだろうと容易く察しは付く。
 だからこそ、シュラブローズにとっては気になる訳で。
 即ち、この少年が現世では既に亡き身だと言うのなら――俺の望む『きみ』も、ここには?
 そんな事をシュラブローズが密かに考えている頃、アリステアは…良い事を思い付いたとばかりに、ぽむ、と両手を合わせた。
 で、現れた弓月に声を掛ける。
「貴方も童話に興味はありますか?」
「童話? …いや、童話なんか読んだ事ねえし」
「でしたら。これから聞き語りやろうと思っているんですが、御一緒に如何ですか。…何ならトランプも持ってきてますんで、それで遊んでも良いですし。その場合人数が多い方が良いでしょう? 是非」
 ふわりと微笑みかけるアリステア。
 弓月は変な顔をする。
「はぁっ?」
 が。
「お、有難いねえ」
 代わりに、にやりと答えたのが凋叶棕。
「ちょっと待て凋っ」
 慌てる弓月。
 そんな弓月を凋叶棕は真っ直ぐ見つめた。
「…お前にゃ『普通』が足りねえ。物心付かねえガキの頃から厳しいくらいの現実の中で生きて来たお前にすりゃ確かに意味の無え事だとも思うかも知れねえが、場所が場所なんでな。…下手な意地張るのはつまらねぇぜ?」
 言って、凋叶棕は引き摺り込むように弓月を椅子に座らせる。
 それを確かめてから、では、始めましょうかと一冊絵本を手に取り、アリステア。
 やっぱり興味深そうにじーっとアリステアを見ている蓬莱。
 一方の弓月は、童話なんて…と少々憮然としている。が、凋叶棕の手前か一応大人しく聞くつもりではあるらしい。


 …そんな風に、ロビーにて皆でのほほんと寛いで?いる。
 アリステアの童話聞き語りの合間に、蓬莱はお客様の応対をしなくて良いのか――との素朴な疑問もちらりと出たが、丁香紫曰く、お客様をお迎えする蓬莱館管理者としての蓬莱は言わば『蓬莱館にプログラムされている外部対応インターフェイス』だから、ここでこうやって遊んでたって、必要がある人の元にはその用件を果たす為にいちいち現れてるから問題無いのとあっさり爆弾発言。
 つまり、彼女は『ひとりであるがひとりでは無い』と言う事らしい。
 …ややっこしい。
 まぁ簡単に、今ここで蓬莱を捕まえていても、特に蓬莱館の運営に支障は無いと考えておけば良いらしい。


■■■


 …その日の綾和泉汐耶(あやいずみ・せきや)は何処となくぼーっとしていた。
 否、その日、と言うより近頃、と言った方が間違いないかもしれない。
 そもそも、『それ』があったので高峰温泉こと富士の裾野の蓬莱館に来た訳で。仕事先で曰く付きの書物が大量発生、で、それらを立て続けに封印する羽目になり、すべてこなした結果、目に見えてお疲れの御様子に。…但し本人自覚無し。よって館長の英断を戴き…と言うか汐耶にしてみればかなり強制的に長期休暇を取らされた…と言うのが、公務員である彼女に『いきなり暇が出来た』、事の次第である。
 で、仕方無し、高峰沙耶からの温泉のお誘いに、療養も兼ねて乗ってみたと。
 そんな汐耶だったが、一応事前に丁香紫のお話も聞いていたりしたので…ロビーにでも行けば蓬莱さん居るかしら? とふと思い付いて廊下を移動中。
 …やっぱり自分の状態にはあまり拘っていない。
 と。
 ふと視界に入った見慣れた姿。
 丁香紫である。
 性別の無いこの仙人が果たして男女どちらの浴衣を身に着けているのか…とどうでも良い事を思いつつ見ていたら、どうやら男物。配色は自分の物と殆ど同じ、黒系色で袖口や襟が仕上げてある白地のもの。
 彼と言うべきか彼女と言うべきか、とにかく何故か瞑目して佇んでいる。
 声を掛けようかと思ったが、どうも、下手に触れない方が良いような雰囲気。
 結局、汐耶は声を掛けるのを止め、真っ直ぐロビーへと向かう事にした。


■■■


「…あら?」
 それがロビーに着いた汐耶の第一声。
 何事かとそこにのほほんと寛いでいた一同が汐耶を見る。
「お、綾和泉のお嬢さんも来てたのか」
 のほほんとお茶を飲みつつ、凋叶棕。
「えと、どうかなさいましたか、綾和泉様?」
 椅子から立ち上がり、蓬莱。
「何びっくりした顔してるの? どーかした?」
 小首を傾げつつ、丁香紫。
 そう。丁香紫。
「…丁香紫さん、ですよね」
「うん」
「…その様子では…ずぅっとここにいらっしゃった…ようですよね」
「うん」
「…勿論別の浴衣に着替えてなんからっしゃいませんよね」
「うん」
「…」
 汐耶は考え込む。
 …ではさっき廊下で見かけたのは、誰だ。
 幻か。
 …だったら本当に自分は疲れているのかもしれない。
 そこでちょっと自覚。
 と。
「ひょっとして、『ここに来る途中でボクを見た』?」
 ぽつりと確認する丁香紫。
 …はい、と申し訳無さそうに頷く汐耶。
 すると丁香紫が、あ、それ気にしないで、とあっさり。
「それ幻じゃないから。『ここにはもうひとりボクが居る』んだよ」
 にこっと悪戯っぽく笑ったかと思うと、丁香紫は、まま、座りなよと汐耶に椅子を勧め出す。で、汐耶はその場に居た見慣れなかった面子にも挨拶して腰掛ける。その見慣れない面子こと――むしろ凄みすらある怜悧な美貌のシュラブローズと、装飾がやたら派手な割に雰囲気が柔らか過ぎるくらい柔らかいアリステアのふたりがどちらも神父と言う偶然にちょっと驚きつつも、凋叶棕が連れている少年が高比良弓月だと言う事に更にまた驚いた。名前だけは聞いている。…彼にまつわる幾つかの話も。
「…初めまして」
 弓月は申し訳程度にひょこんと頭を下げてくる。
 汐耶も会釈した。
「こちらこそ。逢えて良かったです」
「…俺に?」
「ええ。キミの生前のお話は色々聞いてしまってるから。…私に出来る事があったら何か言ってくれても」
「…てゆーかあんたの方が大丈夫かよ?」
 ぼそ、と言いつつ、汐耶の顔をじーっと見る弓月。
「なんか顔色悪い気がするぜ?」
「確かに」
 弓月に同意するアリステア。そして、少々宜しいですか、と椅子から立ち、汐耶の元へ。
 で、目を瞬かせる汐耶の額にそっと手を翳す。
 直後。
 汐耶の顔色が戻っていた。
「…ほらやっぱり顔色悪かったじゃん」
 弓月の言葉に、確かに少し回復した自覚のある汐耶は少し途惑う。…今、アリステアは何をした。
「あ、あの、ちょっと」
「倒れてしまっては困りますでしょう?」
 静かに微笑みを向けるアリステア。
「お疲れなんでしたら、無理なさらず、お休みしていて下さい」
「無理してるつもりは無かったんだけど…やっぱり休んでた方が良いのかしら? 話し相手ぐらいで良ければ蓬莱さんにお付き合い出来るかと思ってロビーに来てみたんですが」
 とは言え、私に詳しく話せそうなのって本についての事くらいなんですよね。
 汐耶は苦笑する。
 逆に気遣われてしまっては本末転倒な。
「取り敢えずお茶どーぞです。医食同源、疲労回復に良い物をお選びしてみました」
 と、サービスの中国茶が入った湯呑みを、さ、と汐耶の前に出したのは蓬莱。
 ありがと、と礼を言いつつ、それでも折角だから暫くここに居る事にするわ、と汐耶。


■■■


 …童話って結構おもしれーな、と弓月。
 間抜けな奴が居て、頭良い奴が居て、弱い奴が居て、強い奴が居て、悪い奴が居て、どれでもない奴が居て。力技だけじゃない、ちょっとしたきっかけ、頓知、機転、そんな方法で強者と弱者、善悪がひっくり返る。
 鳥が歌う。動物たちが居る。
 祝福される。
 優しいものが最後に残る。
 他のもあるんですか? と期待するように蓬莱。
 ええ。とアリステア。
 …彼にすると喜ばれている事が嬉しくて。
 師父が昔、自分にしてくれたのと同じようにして、喜んでくれる子供たちが居る。
 子供たちの、心からの微笑みはそれだけでも嬉しいもの。


 取り敢えず、今アリステアが持ってきた絵本が尽きた頃。
 次は何をしようか、と言う話になって、じゃあ、さっき綾和泉さんが言ってたみたいに何かお話でもしよっかと言う事になる。丁香紫にすればいつも通りとも言える事。けれど今はお付き合いしてくれる人が多い。汐耶からは本の事を少しだけ(疲労の事を気遣われてか周囲があまり話させなかった模様)、丁香紫と凋叶棕からは百年前から今日までに外の世界であった事を幾つか。ふたりのその話の中、さりげなく挟まれるシュラブローズの注釈やまるで見て来たようなリアルな話の発展に、他の者は気付いているのかいないのか――特に何も言おうとしない。
 …この場は現世とは違う。そんな漠然とした印象が場を支配しているようで。
 不思議を不思議と感じない。


 シュラブローズはふと思いつく。
「そうだ、聖歌でも教えてあげようか」
「聖歌?」
「神を称える歌だよ」
 …綺麗な言葉だから。きっと気に入ってもらえると思うけど。
 シュラブローズは神と言う時だけ、ひどく優しい顔をする。
 そうでない時は、何処か…つかみどころの無い微笑に見えるのだが。
 その時、だけは間違いなく、優しい。
「聖歌、良いですね! …でも全部ではちょっと難しいかもしれませんから…何番が良いでしょう」
 シュラブローズの提案に、アリステアは素直に同意し、けれどどれを選ぶかで…考え込む。


 …で、その後――ロビーでは、綺麗なテノールが暫く響く事になり。


■■■


 …捜すって言うか、誰かが蓬莱嬢捕まえてたらロビーが一番確率高いと思うんですけどね。
 あっさり言う間島崇之を先導に、シュライン・エマと紫藤暁は蓬莱を捜しがてら廊下を歩いている。シュラインは一旦部屋に戻って『それ』用にと思っていた物を持参の上。
 そこに。
 すたすたと足早に歩いて来たのは丁香紫。
 シュラインの着ている浴衣とほぼ同じ配色の、黒系色で袖口や襟が仕上げてある白地の…男物の浴衣を着ている。
「あ、こんにちは」
 すたすたすたとそのまますれ違おうとした時、シュラインがその姿に声を掛けた。
 …ら。
 歩き去ろうとしていた足が止められた。
 で、ふと振り返ると、何処と無く不思議そうな表情でシュラインを見る。
 そして、ああ、と納得したように微笑み、頷いた。
「…失礼しました。無視して通るところでしたよ」
 そう告げ、ぺこりと丁寧にお辞儀をすると、再び向き直りすたすたすたと歩き出す。
 その背を見送るシュラインの頭に疑問符が幾つか。
 何か、変だ。
「どうしました?」
 紫藤。
「いえ、『音』は同じなんですけれど」
 今の方。
 足音や息遣い、心音等からして、丁香紫、その人だと思った…のだが。
 …印象や口調がどうにも別人である。
「今の人?」
「ええ、…丁香紫さん」
「じゃないよね」
 あっさり、間島。
「え?」
「あれ、丁香紫さんじゃないでしょ」
「………………え?」
「今の人、瞳の色が違いましたよ」
「…」
「丁香紫さんの瞳の色は紫色でしたよね」
 …今の人は、琥珀っぽい透けたような黄色でしたよ?


■■■


 …密かに悪戯心が生まれる。
 ロビーに近付くにつれ、聴こえてくるテノールの歌声。
 シュラインは歌われているそれが何番の聖歌かを確認しつつ、極力静かにロビーに入り。
 入ったところで、合わせて声を出して歌ってみた。
 びっくりしたような顔がそこに居た面子から向けられる。が、入って来たのがシュラインや紫藤――即ち、話の通っている面子らしいとわかるなり、続けて続けてと無言のままで促され。俄かに聖歌が混声合唱になる。シュラブローズにアリステア、そしてシュラインの三人の声。
 歌い終えた時には惜しみない拍手が。


「凄いです、綺麗」
 感動している蓬莱。
「…いや、まじ、うん」
 何だか言葉が出ない状態で、それでもこくりと頷く弓月。凋叶棕がその肩に手を回し、宥めるようにぽんぽんと叩いている。
「素敵なハーモニーになりましたね」
 飛び入りで参加したシュラインに向け、にこっと微笑みかけるアリステア。
「初めまして。アリステア・ヨハン・ラグモンドと申します」
「シュライン・エマです。…飛び入り失礼致しました」
 と言って、ぺこり。
 いえいえと慌てたようにアリステア。
「綺麗な声ですね。…ああ、俺はシュラブローズ・セラフィンと申します」
 どうぞ宜しく、とさりげなく挨拶するシュラブローズ。
 こちらこそ、と会釈を返すシュライン。
「エマさんも来てくれたんだ」
 相変わらず団扇をぱたぱたさせつつ丁香紫はお茶を飲んでいる。
 ちなみにお茶請けは蓬莱館の温泉饅頭(…)らしい。
 声を掛けられ、シュラインは丁香紫に訊くべき事をひとつ思い出した。
「…ところでちょっとお伺いしても良いですか?」
「あ、そろそろ『皆さんの視界に入って』ます?」
 ボクのそっくりさん。
「…やっぱり御関係のある方なんですか」
「その内わかるよ。…ま、今は特に気にしない気にしない。明日になれば合流してくれるような事言ってたから、詮索はそれからね」
「はぁ」
 誤魔化す気が無いなら構いませんけど、とシュラインは一応そこで退く。
 で、そこに居る面子を改めて見渡した。
 この蓬莱館の蓬莱嬢、お話を事前に教えてくれた丁香紫、ちょっとお疲れモードっぽい汐耶、共にカトリックの聖職者ででもあるのか、聖歌を歌っていたアリステアにシュラブローズ、そして、草間興信所や暁闇で見掛ける事もある凋叶棕と、そのすぐ側に居る…ちょっと見覚えの無い少年。
 シュラインはちょっと考えてみる。
 …この黒い浴衣を着た少年への、凋叶棕さんの親密そうな接し方から考えて。
「…ひょっとして」
「ええ、こちら、高比良くん」
 汐耶のその答えを聞き、シュラインは自分と共にここに来たふたりの、『暁闇』のマスターである紫藤では無い方の、いまいち年齢不詳の謎の青年?をちらりと見、示して紹介。
「こちら『暁闇』の常連でらっしゃる間島さん。『姿は亡くなった頃のまま』らしいの」
「…」
「…」
 シュラインに汐耶、お互いに紹介された相手を、思わずじーっ。
「………………なに」
 シュラインの視線にちょっと警戒している弓月。…あまり人に懐かぬ、毛を逆立てた猫のようである。
「あ、綾和泉さんって」
 一方の間島は汐耶の顔を見返し、ぽむ、と手を合わせて何事か納得している。
 いやーこんな形でお逢い出来るとは、と、先程ロビーに来る前にシュラインにやられた影響か(?)今度は間島の方から汐耶に握手を求めたり。…何故。
「…えーと?」
「真咲が御世話になってます」
「…はあ」
「俺にとってはどーも歳の離れた弟だか息子みたいな感じなんだよねあいつって」
「…そうなんですか?」
「まぁね。ある意味身代わりしてもらってる部分もあるし」
「?」
「ま、それはそれで置いといて。…その辺が色々気になるようだったら後回しにして帰ってから『手紙』で書いても良い事だし。外の世界じゃほんのちょっと騒霊現象と自動筆記が使える程度の単なる浮遊霊の俺が生身で色々出来る時間は限られてる訳ですから、まずは蓬莱嬢って事で」
 久々に紫藤とビールが飲めたり谷中が風呂に入れたりした訳ですんで、お礼のひとつもさせて下さいな。
 にこ、と微笑み当然の如く間島は椅子に座る。
「っつってもここ来て初めて実体化叶った訳なんで…こちらとしては急な事でもあるんで特に何の用意も出来てませんから何したら良いのかがわからなかったりしますがね」
 適当に駄弁るくらいなら即時お付き合い出来ますが。何かのゲームで頭数が足りないとかの場合もね。
 そうじゃなかったら…ちょっとは考える時間も欲しい訳で。
 あっさり言いつつ、何かあります? と蓬莱に。
 そう振られた蓬莱も蓬莱で考え込む。
「えと、でしたら…そうですね…」
 今の歌、綺麗だったんで、何か、他に歌とか。
 ぽつりと漏らした言葉に、だったら。とシュラインが立候補。
「ここ百年の間に各国で流行った歌を拾って来て見たの」
 と、言いながらシュラインが机上に置いたのは取り敢えず見付けられただけの楽譜と歌詞。
 …歌って教えるだけじゃなく、何か記してある物があった方が、残るかなってね。
 シュラインは楽譜の一枚を取り、良く通る声でそこに記されている曲を歌い出す。楽譜を覗き込んでくる蓬莱に、シュラインはその楽譜を見易いように半分手渡して、今は譜面の何処に当たるか指でなぞって見せていた。
 で、こんな曲もあったのよー、と、ひとつ歌い終えたところで。
 シュラインはそのまま、ひょいと横を見る。
「高比良くんはどんな感じの曲が好き?」
「どんなって…」
 悩む。
「高比良は好き嫌い論じられる程ろくに何も聴いた事無いよ」
 さらりと言う凋叶棕。
「…そうなの?」
 受けて、弓月に振る。
 頷かれた。
「…あんまそーゆー環境じゃなかったし」
「そっか、じゃあ…子守唄なんかどーかしら?」
 にこっと微笑み、シュラインは弓月の頭を撫でてみる。
「ちょ、ま、あの、え」
 焦る弓月。
「何焦ってんだ?」
 それを面白そうに見ている凋叶棕。
「だってっ、いや、えっと」
「どうせだから唄ってもらえば良いんじゃねえ? 子守唄」
「…てめ、凋っ」
 弓月は真っ赤になって凋叶棕に怒鳴る。
 それでもシュラインから逃げない辺りが…まぁ、彼の本心は推して知るべしと言う事で。
 で、汐耶やシュラブローズにくすくすと笑われていたり。
 蓬莱はと言うと、なりゆきにきょとんとしている。


 そこに。
「こんにちは。皆さん」
 ロビーの入り口に現れたのは、部下らしい黒服をひとり引き連れたセレスティ・カーニンガム。
 そして、その後ろには…そこに居る面子には見覚えのない男性と、見覚えのある人物――身体と魂が一致しない不思議な存在――にとてもよく似た、少女のふたり。
「カーニンガム様」
「お言葉に甘えてこちらの都合で参りました。…それから、この御二方もこちらで御一緒にお付き合いしたいと思うのですが構いませんか」
「それは構いませんけども…どなたでしたっけ」
「…ああ、そうですね、彼らは…、少々、珍しい御方をお連れした事になりますね」
「…そーいう紹介をして下さいますか総帥」
 苦笑しつつぼやいたのは誰も見覚えの無い背の高い男の方。彫りの深い顔立ちに縁無し眼鏡、栗色がかった黒髪。着用している浴衣はやや紫と灰みがかった青色で袖口や襟を仕上げてある物で、上着は着ていない。
 男のぼやきに、セレスティは肩を竦めた。
「だって、珍しいでしょう? 『その姿』を拝見する事なんて、恐らくはもう『ここ』以外では無理なんじゃないですか?」
「や、俺も確かにそうは思いますが。…って珍獣扱いはちょっと寂しいかも」
「珍獣だなんて、誰もそんな事は言ってませんよ。真咲君」
「え?」
 セレスティからぽろりと言われた真咲の名に、シュラインと汐耶、丁香紫に凋叶棕がちょっとびっくりしたように男を見る。
 男は、はぁ、と盛大に溜息を吐いた。
「改めて名乗らせて頂きましょ。真咲誠名です。…四年前までのね。で、こっちが刑部沙璃。ここの外で俺が使わせてもらってる身体の本来の持ち主ね」
 紹介されてぺこりと頭を下げる少女――沙璃。
「…って…本当に真咲誠名さんなんですか」
 半信半疑そうに、汐耶。
 …それは見た目が全然違う訳で。
 男――誠名は苦笑する。
「ま、そうらしい。…そりゃ、綾和泉さん辺りにだけなら草間興信所に依頼に行ったあの時に居合わせてるから眼鏡外せばすぐ信じてもらえるでしょうが…ここでそれやっちゃあ、ちぃと問題ありかもしれなくてね。つか、俺の信頼度はこの場合どーでも良い訳で。こいつ仲間に入れてやってくれりゃあね」
 と、誠名が肩を叩いて示したのは少女――沙璃の方。
「生きてた頃は全然表に出れねぇ奴だったらしいから。蓬莱嬢と高比良のついで、っちゃなんだが…ま、そんな感じでさ」
「…あの、でも、御迷惑でしたら」
 ぽつりと言う沙璃。
「迷惑なんて事は全然ありませんよ。人数多い方が楽しいですし」
 相手の素性がどうのなんて特に気にもせず、にこにこにこと受けるアリステア。
「…本っ当にこちらでは色んな方がいらっしゃって」
 間島の存在でも驚いた上に、誠名の昔の姿…にもまた、ちょっとびっくりしてしまっているシュライン。
「ひょっとして真咲の…御言の兄貴ってひと?」
 そこに、恐る恐る確認してみる間島。
 誠名はきょとんとした顔で受けている。
「はい? 義理ですがそうなりますが…どちら様で――ってああ、待って言わないで」
 と、そこで止まる。
「兄さんひょっとして間島の旦那ですか」
 紫藤の姿をちらと視界に入れての誠名の答えに、その通り、とにやりと笑う間島。
 やっぱり、とこちらもにやりと笑い返す誠名。
 …このふたり、普段なら他の面子にも増して、どうあってもこんな形では合わせようの無い顔である。


 ………………ただの死どころか魂まで滅びている筈の高比良弓月の存在、そしてろくに力も無い、ごくごく儚い何処にでも居る浮遊霊程度の力しか持たない筈の間島崇之が自然に実体を得て存在する事実。更には、刑部沙璃と言う少女の方は身体だけが生きており、真咲誠名と言う男の方はその少女の身体の中で魂だけが生きている状態で――外の世界ではひとりの人間として生きていると言う彼らふたりが、この場ではひとりではなくそれぞれの姿で別の人間として居る、と言う事に。
 今ここでは特殊な状況が起きているのだと改めて知らされる。
 シュラブローズやアリステアにとっては誰も初対面の相手ではあるが、どうやら外の世界では普通に接する事の出来ない相手がここには居るらしいと言う事くらいはわかる。
 ふたりはそれぞれ考え込んでしまっていた。


 ………………神はここに居てくれるだろうか。
 ………………ひょっとすると、師父もいらっしゃったりするのでしょうか。


 異教の理に頼ったまやかしである、とは言え、目の当たりにしてしまえば…思わず考えてしまうのを責める事は出来ないだろう。
 ひとまず、神の僕である、と言う理性の部分では有り得ないと打ち消していたとしても。


「…ああ、やっぱりロビーに」
 そろそろ賑やかになって来たそこに、何やら色々詰まった様子のバックパックを持って入って来たのは黒系の浴衣を着た少年――作倉勝利(さくら・かつとし)。彼は何処か、見た目の年頃より物静かな印象がある。
 で、その後ろ。
「たくさん居るみたいっすね? …すごろくで正解かな?」
 勝利に続いて入って来たのはこれまた黒系の浴衣を着た背の高い青年――真柴尚道(ましば・なおみち)。百九十の長身のみならず、ウェーブがかった長い長い黒髪がまた目立つ。
 彼らふたりもどうやらロビー内で寛いでいる方々と目的は同じよう。勝利が廊下で通りすがりに尚道に声を掛け、尚道の方も尚道の方で目的が同じだったので何となく同行。で、ひとまずロビーから捜しに行ってみようと言う事になり、今ここに来た。
 尚道はセレスティやシュラインと言った見知った面子も見つけ軽く挨拶。勝利も初めましてと声を掛けつつ、机の側へと移動。広げられている雑誌やら絵本、楽譜を見、では、こう言った物には興味はありますか? とバックパックから取り出したのは――小さな切り込みが不揃いに入っている、お手頃サイズの…『樽』。
 と言うか、樽型の玩具。
 …つまりは、中に海賊の格好したちんまい人形が入っていて、切り込みから付属のプラスチックの剣を次々刺して行って…当たりの場合は中の人形がぎゃーとばかりに飛び出る仕掛けのアレである。
「なんですか?」
 ひょこんと蓬莱がその樽を覗き込んでいる。で、横からは弓月が何となく樽の上側を開いて中を見ていたり。中にガラの悪い髭面のオッサンを可愛く(…)デフォルメしたような人形が入っているのを見て、疑問符頭に浮かべつつ改めてちょっと離れてじーっと見ている沙璃。
 一方。
「…ヴァイキングの私刑を模してる物ですか?」
「これ…いったいなんでしょう?」
「取り敢えず玩具みたいだと言う事はわかるけど…」
 などと、子供たち同様、よくわからない様子でじーっと観察しているセレスティにアリステア、シュラブローズ。…それは確かに、幾ら長く生きていようが彼らの今までの人生とは縁は無かろう品である。
「はい。仰る通り、玩具です。…ヴァイキングの私刑…を模しているのかどうかは申し訳ありませんがちょっとわかりません。ただ、海賊の人形って事は確かですね。剣も似た形だし樽ですし。取り敢えず遊び方としては、まず遊ぶ面子の順番を決めて、その順番に従って、好きな切り込みからこの剣を刺して行く訳です」
 言いながら勝利、さくさくと実践して見せる。
「…で、何事も起きなかったらセーフ、中の黒ひげ人形を飛び出させた人が当たり…と言うか負けで」
 ちょうどそこで、刺し入れた剣に反応したか、人形がぴょーんと樽から飛び出した。
「罰ゲーム用意したら面白いんじゃないかと思って幾つか考えて来ました」
 …例えば、「ゴーヤに青汁センブリに高麗人参をミキサーでかき混ぜた特製ドリンク一気飲み」とか「顔に落書き」とかそう言った類のものを籤引きで。
「俺はすごろく持って来たんですよね」
 と、今度は尚道が、持っていた大きな厚紙をぱらりと開く。
 なんだなんだとそこをまた覗き込む子供たち。…あ、これは一応わかります、と沙璃だけ。さいころ振って出た目の分だけコマを進めて、ゴール目指すんですよね、と説明。そう、と尚道は頷くと、で、止まったコマに何か特別な指定があったらもう一回さいころ振れたり、幾つか余計にコマを動かせたり、一回休みだったり色々ある、と沙璃の説明に補足する。
「皆さん色々御用意されていますね」
 ちなみに私はチェスやらカードゲーム等を持って来てみたのですが。
 セレスティは、ふむと思案しつつ蓬莱を見た。
「どれからやってみましょうか?」
 よりどりみどり。
 …何なら、今日出来なくても後日やってみても良いですし。


■■■


 で。
 結局選ばれたゲームは一番皆の興味を引いた――と言うか知らない人が比較的多かった、勝利のもの。
 プラスチックの剣を樽に刺すにも――セーフであってもいちいち手応えがあるので、誘われた皆して結構どきどきしている。シュラインの耳には内部ギミックの微かな音も当たりと外れでは明確に違って聞こえると言う事で、刺し入れた先端、少しでも手応えを感じたそこから引き返して別の場所を刺すと言うのは公平を期す為に反則とする事になっていた。
 誰かが剣を刺し入れるその時には、刺している当人以外も固唾を飲んで見守る始末。
 いや、どうと言った事は無い筈なのだが。
 …罰ゲームも他愛も無いものばかりな訳だし。
 ただ、それでも…こう言った場では冷めている方がむしろつまらない。
 …ちなみに先程、初っ端に計ったように飛び出させてしまったのは蓬莱で、籤引きの結果「特製ドリンク一気飲み」をやったところ。…めちゃくちゃにがいです…と呟きつつ涙目になっていた。
 で、はいはいお口直しお口直し。と周囲の皆からお茶と甘い御菓子など渡されていたり。勝利もいきなり大当たりになるとは思わなかった。大丈夫か? と持参していた甘めのジュースを手渡したりしている。


 暫し後。
 何度か番が回って来、切り込みがいよいよ少なくなって来た時の事。
 汐耶がさくりと刺した――セーフ。
 …次。
 更に切り込みが残り少なくなった中、セレスティがそーっと刺したその刹那。
 びょーん。
「…」
 おやおや、と目を瞬かせるセレスティ。
 で、カーニンガムさんの負けですね〜、と嬉々として籤を回される。では、と引いたら――「下着姿で旅館内一周」と出た。
「…車椅子でも構いませんよね?」
 籤を見ての、そんなあっさりしたセレスティの科白に、ひょこりと籤を覗き込んだ蓬莱は――げ、と呟いて停止する。
「どうなさいました?」
「…えと、車椅子とか罰ゲームとかそれ以前に…あの、『下着姿で旅館内一周』は…ちょっとこの場所では物理的に無理な気がします」
 この蓬莱館、実は私ですら全容掴み切れてないところがあるので…一日二日じゃとても回り切れないような…。
 申し訳無さそうにぽつりと呟く蓬莱の科白に、そうなんですか? と籤を引いたセレスティは問い返す。


 ………………いやさすがにそれはちょっと色々と問題が。



■次の日■


 次の日。
 結局昨日、後日と言う事で見送られた卓上ゲーム系が蓬莱館のロビーでは繰り広げられていた。
 やっぱり大人数だったので、取り敢えずセレスティが持参したチェスも見送りで。
 で、取り敢えずトランプ組とすごろく組に分かれて、のほほんとお茶もしながら、語り込みつつ寛いでいる。
 …ちなみに先日のセレスティの罰ゲームは、籤の引き直しで結局「顔に落書き」で決着が付いた。…特にお子様な面々に色々書き込まれていたのだが…。蓬莱や沙璃はごめんなさいと謝りつつも、顔は笑っていたりして楽しそうではあった。
 とは言え、当然ながら今日は確り落としているが。…その落書きを落とすに当たり、部下の黒服が嘆かわしやとばかりに男泣きに泣いていたらしいとも言う噂もあったりする。本当か嘘か。


 それから。
 昨日、汐耶やシュライン、間島、紫藤が通りすがりに見掛けたという「丁香紫のそっくりさん」についても今日になって判明した。…丁香紫が昨日言っていた通り、当の人物が今日はロビーに来ている。昨日は私の姿でお騒がせしてしまった方もいらっしゃるようですね、と早々に謝っていた。…その人物のその姿、確かに丁香紫と瓜二つ。外見的な違いは、丁香紫とは違った配色の男物の浴衣を着ている事と、その瞳の色くらい。身長体型に髪の長さや色までほぼ同じ。…なのに、印象が随分違って見えるのは口調や表情のせいか。
 名前は牙黄と言うらしい。
 が。
 同時に、これはもうひとりのボクだからと丁香紫が言い切っている。
 曰く、それは比喩でも何でもなく、昇仙時に『人間』として分かたれ残された、元はひとつの命なのだと言う。ただ、牙黄の方には命としての主体性がまったくなく、生死のイニシアチブは全面的に仙人である丁香紫にあるらしい。結果、牙黄の方は特に異能も何も持たない『人間』のまま常識外れの不老長生を得ているとの事。
 そんな牙黄が何故ここに居るか。…それは約束を果たす為だけだと言う。
 百年に一度ここに来て、丁香紫と牙黄は接点を持っておく。それだけが分かたれて以来の約束で、その間はお互い何をしているかまったく知らないし知るつもりもないらしい。
「決別でもあり独立でもあり…まぁ、私たちの事を他の方に理解して頂こうとは思っていませんよ」
 話しながらも牙黄はさいころを振っている。
 そう、蓬莱や他の子供たちの為に、一緒に遊んでいる訳で。
 ちなみに入っているのはすごろく組。尚道の持ち込んだすごろくの上には八個のコマが置いてある。ひとつだけ飛び抜けて先のマスにあるのはシュラブローズのもの。次いでゴールに近い同じマスの中にあるのは丁香紫と沙璃。次は暫く離れて尚道に汐耶に蓬莱が前後して。その次は…誠名と牙黄がスタート近くの蟻地獄――運悪くコマが止まったマスには「三つ戻る」やら「スタートに戻る」と言った指定ばかりで――に嵌って抜けられなくなっている。
 で、牙黄の番だった訳で。
「…やっと抜けられそうですね」
 出た目によりコマを進めた先のマスは、その「スタートに戻る」のひとつ先。あ、ちくしょ、と誠名がちょっぴり毒づいている。
「不老長生、ですか」
 牙黄の話を聞きつつ、ぽつりと呟いたのはトランプカードを扇形に持っている勝利。こちらはトランプ組。単純なものからやってみる事にしようと言う話になり、いわゆる『ババ抜き』をやっている。ジョーカーだけが一枚。他は同じ数字を引いたら捨てられる、手札がなくなったら一抜け。ジョーカーを最後に持っていた人が負け。
 トランプ組は勝利に、トランプカード自体を持参していたセレスティとアリステア、シュラインに間島に紫藤、弓月に凋叶棕のこちらもプレイヤーは八人。ちなみに今現在一番手札が少ないのは紫藤で三枚。だがなかなか合わない模様。
 牙黄はお茶をに口を付けつつ、勝利の呟きに答えている。
「ええ。今は…六百六十四歳、になりましたか」
「そうですか…」
「貴方も、何か気に懸かる事でも?」
「俺は…今年で七百五十七年、生きている事になります」
「私より百年程年長になりますね」
「…牙黄さん、貴方はとても穏やかに見える」
「そうですか?」
「…人魚の肉を口にして…不老不死になったと言う話を聞いた事は」
「仁羹ですか」
「…ええ」
「ありますよ」
「…ならば、その不老不死を解除する方法を御存知ではないですか」
「残念ながら。…仁羹の効能は薬効と言うより呪いに近いと聞いています。それに、そう言ったお話は、私に訊くよりもあちらに訊いた方が早いと思いますよ」
 ある意味、専門家とも言えますので。
 言って、牙黄が指したのはトランプ組の凋叶棕とちょうどその手札を覗いて見ていたすごろく組の丁香紫。
 勝利はちらりと彼らを見る。
 と。
「…残念だが人魚の呪いは解けない」
 問われる前に凋叶棕が言う。
「残念だが、な。…俺たちには術は無い」
「可能性は無いとは言い切れないけどね、ボクたちじゃ駄目」
 ごめんね、と丁香紫。
「そうですか」
 あまり期待はしていなかった風で、勝利。
 …トランプカードの手札がセレスティに一枚引かれている。
「本意ならず生き続けるのは、辛いでしょうね」
 私も…永く生きてはおりますが、作倉君とは違うような気がしますから。
 君の気持ちがわかるとは言えません。
 セレスティは残念そうに緩く頭を振る。
 牙黄はふと、呟いた。
「私は、自身が発狂するのを防ぐ為にここに来ています」
 その為の丁との約束で。
 約束は一方的に私がしているだけでして。
 丁は蓬莱の為に毎回ここに来ますから。ですから、ここだけは丁に逢うのに確実な場所なんですよ。
「私が穏やかに見えるなら、それは丁が居るからだと思います」
 ただひとり、何の約束も当ても無いまま永く行き続けるのは、やはり辛いものがあると思いますから。
「…特に、愛する者を喪った後、永劫に生きろと言うのなら…それだけで地獄とも言える」
 さいころを手の中で遊ばせながら、ぽつりとシュラブローズ。
「…きっと、ね」
 相変わらずの謎めいた微笑み。
 勝利はその真意を見ようとでも言うのか、じっ、とシュラブローズの顔を見ている。


 そこに。
「よぉ、何辛気臭ぇ話してんだ?」
 デリカシーの欠片も無いような声が飛んでくる。やっぱり蓬莱館の浴衣を着た(思いっきり似合わない)大柄な男。洗面器やらタオルやら持っている上、ほこほことその身から湯気が立っている。…風呂上がりな様子。
 ちなみにロビーに居る面子で彼に視覚的に見覚えのある人間は紫藤と間島だけ。
「………………お前、空気読む気あるか?」
 ぼそりと紫藤。
「たりめぇだろ。…折角温泉宿来てるのにややっこしい事考えてるのァ勿体無えじゃねえか。そこの兄さんたち不老不死ってんなら考える時間は山程あるんだろ。で、ここに居られンのって百年に一度たった一ヶ月だったっけ? だったら今しか出来ねえ事やった方がよっぽど建設的じゃねぇの?」
 つーかここに居る手前らはガキと遊ぼうって話なんじゃなかったんかい。辛気臭いのガキが好むか?
 あっけらかんと風呂上がりの男。
「…ただの無神経じゃなくて安心した」
「手前安心させても嬉しかねーわ」
 け、と風呂上がりの男は毒づく。
 一方。
「いきなり喧しい男で申し訳無い」
 と、話をしていた勝利や牙黄に、代理のように頭を下げている間島。
 そこでまたシュラインがはたと気付く。
「…ひょっとして…谷中さん?」
「あ? …ってあんた、あの時の赤いスーツのおねえちゃんか?」
「…はい」
「おー、浴衣姿もなかなか色っぽいじゃねえの。…もうちょっと着崩してもらうともっとね〜」
 イイ感じ♪
 と、名前についてまともに答える前に何やらスケベ親父全開な発言をしていると。
 表情も変えず対象を見もしないままで、べし、と間島の拳が彼――風呂上がりの男こと谷中のこめかみ辺りに容赦無く炸裂した。
 その瞬間を目撃してしまった方々、絶句。
「…我妻もこちらさんに世話掛けてんのにわざわざ実体化してお前まで世話掛けさせんなっての」
「俺我妻と同列!?」
「いや、我妻以下。…奴は本気で惚れた対象以外にそーゆーセクハラはしない」
 殴られた事も殴った事も気にもせず軽ーく続く会話。
 …中に入れない。
 ただ、一部の方々には少々気になる名前が出ていたような。
「…あの、今我妻さんって仰いました?」
 複雑そうな顔で呟く汐耶。
 その名前、比較的最近何処かで聞いた――確か『別の名前』は碧とか…。
 汐耶の声に、ぴたりと間島は停止する。
「…ひょっとしてエマさんや草間さんだけじゃなく綾和泉さんにもあいつ御迷惑掛けてます?」
 汐耶、言われるなりこくりと首肯。
「…『あの店』のママさん、知り合いなんすか?」
 こちらも恐る恐ると言った風に問うてみる尚道。
 問われるままに尚道にも向き直る間島。
「…うわひょっとしてお兄さんも?」
「………………ええ、まあ」
 濁す形で…それでも尚道は肯定。
「ああ我妻による被害がじわじわと大きくなっている…」
 がく、と額を押さえつつ、間島はトランプの手札を手持ち無沙汰げに眺めている。…枚数は六枚。
 と。
「よっしゃやっと抜けたー!」
 すごろく組から元気な声が飛んでくる。聞き慣れない声――だと思ったら本来の身体の誠名で。
 曰く、やっとスタート近所の蟻地獄から抜けたらしい。
「…このすごろくそんなに難しかったっすかね」
 ぼそりと尚道。
「そう言う問題じゃねぇと思うんだが…」
 ちなみに誠名がひとりスタート付近をぐるぐるしている間に、他の面子は皆ゴール近くまで行っている。
「…なんでこんなに出目が悪かったんだか。ったくよ」
 愚痴る姿に、他の面子からくすくすと笑われている。…蓬莱たちもその笑っている中に入っていたり。


■■■


 すごろくのコマをゴール近くまで進めている尚道は、トランプ組でたまたま近くに座っていたアリステアの残っている手札を何となく見に行って。
 停止。
 ふと手札では無くアリステア当人に目を奪われる。外見では無い。自分は何か、もっと深い部分で、本質的な部分で、この相手を識っている。今気付いた。…何故今まで気付かなかった?
 一方のアリステアは自分を見ている尚道を見て不思議そうに小首を傾げていたり。…尚道同様、何か感じるところはあるようだが、それが何かはわからず途惑っているような。
「あのお」
「…はい」
「何処かでお逢いした事…ありませんよね?」
 困惑しつつ、それでも真っ直ぐに尚道に問うてみるアリステア。
 私、記憶力は良い方な筈なんですが…なんでしょうこれは?
 そんな姿に尚道は安心する。
 ぽわわんとした印象にしては多過ぎる気がするピアスやらブレスレットやら、装飾が派手な理由に納得した。
 これはすべて封印だ、と。
 だから自分も気付けなかった。
 この相手の魂が、前世では、尚道と対なる半身――喪われた世界の創造神のものだった、と。
 尚道は改めてアリステアの様子を窺ってみる。
 ひどく、優しい雰囲気。
 そして、力の封印をしてくれるひとがいる。
 …それは、守ってくれているひとがいると言う事でもあるから。
 安心した。
 ただ、この様子では、記憶は無さそうだが。
 …だから、尚道はこうしてみる事にした。
「俺も何処かで逢ったような気がするんだけど…」
 両方でそんな事言ってても何だけど、つまりは…気が合いそうな気がするんだけど?
 と、それもそうですねとにっこり微笑むアリステア。
 …その反応に、やっぱり尚道は懐かしいものを感じたりしている訳で。


■■■


 殆ど何も話そうとしない気がする。誰かと言えば汐耶の事。話し掛けても何処と無く反応が鈍い。何と言うか少々ぼーっとしている気配がある。とは言え、別にすごろくのコマを動かしたりさいころを振る手、湯呑みを持つ手に危なげは無い。
 が、どうも違和感がある。
「…高比良くんたちに逢えたって事は…もうひとり気になるひとが居るのよね」
 汐耶が久々に自分から口を開いたのは、そんな科白。
 視界には凋叶棕と弓月が居る。
「誰の事?」
「…あの時の死神か?」
「当たりです。凋叶棕さん」
「ま、あれも確かに気の毒な奴と言えるか」
「死神さん…ああ、あの…」
 思い出して静かに息を吐くシュライン。
「あの時ちょっと思ったんだけど、お疲れ様、って言いたかったのよね」
 汐耶は言うだけ言ってみる。
 と。
「…別に労いなど要らん。それよりこんなぬるいところに呼び付けるな」
 憮然とした声がロビーに響いた。
 …いつの間にかロビーの内側に背を預け寄り掛かっていたのは、何処と無く陰気な男。
 今、汐耶たちの話題になっていた、弓月の魂を狩る為に死神の役を振られた神の一柱である。
 その死神は改めて汐耶を見る。
「…そもそも、お疲れ様はそちらだと思うが?」
 あっさりそう返され、汐耶は苦笑する。
 そこに。
 また別の背の低い男がロビーに入ってくる。身に付けているのは黒の浴衣。
 全体的に目立たない容姿だが、瞳の色だけは金色と言う異形。
 その姿を認めるなり、凋叶棕の声が飛んだ。
「…ちょうど良かった真咲。部屋まで連れてってやれ」
 ロビーに来るなり金の瞳の男――真咲御言は凋叶棕にそう言われ何事かと思うが、汐耶がちょっと困ったような顔をしている事に気付くと早々に察する。…見たところそれ程深刻な事態ではないが、間違っても健康と言うには首を傾げる。疲れ過ぎ…オーバーワークによる体調不良とでも言ったところか。
 死神は視線で凋叶棕と同じ事を御言に訴える。
 他の面子もそうした方が良いよとそれとなく気遣っている。
 …わかりましたと御言は小さく肩を竦めると、じゃ、行きますかと汐耶を促した。


■■■


 汐耶が御言に連れられロビーから出ていく。
 と。
 がたんと椅子を蹴る音がした。
 …誰かと思えばずっと静かにすごろくにお付き合いしていた、シュラブローズが椅子を蹴り立ち上がっている。
 彼の急な行動に驚き、皆の視線が集まった。
「セラフィンさん?」
「ん、あ、ああ、すまない。途中だが…暫く俺の番は抜かしてくれるか?」
「それは構いませんけど」
 きょとん、とした顔で蓬莱。沙璃も似たような感じで何だろうと見ている。
 が、シュラブローズはそんな視線もあまり気にしない。
「じゃあ…失礼する」
 結局、それだけ言って。
 シュラブローズは足早に、別の出入り口からロビーを出て行っていた。


■■■


 シュラブローズが去った後。
 暫くして。


 ………………勝利様。


 女性の声が。
 響いたような、気がした。


 最後の二枚のカードを持ったまま、勝利は止まっている。
 今の、声は。
 思うが、勝利は動かない。
 …俺の気の迷いかもしれない。
 そうも思うから。


 更に暫し後。
 最後に一枚、シュラインは考えてから勝利の手札から一枚抜く。
 勝利の手許に残されたのは、ジョーカー。
 そして他のプレイヤーの手許には、手札は一枚も残っていない。
「兄さんの負けだな、作倉さんよ」
「…ですか」
「ちょうど良いから次にやるゲームはあんた抜きでやろう」
「え」
「…用事出来たんだろ?」
 行ってやんなよ。な?
 言葉の軽さに反し、深い何かを湛えた瞳で、静かに告げたのは、凋叶棕。


■■■


 半ば追い飛ばされるような形で、勝利がロビーを去った後。
 ちょうど良いタイミングですから、と蓬莱が皆に語り掛けていた。


「…他の方も、お逢いしたい方、探したい方がいらっしゃるのなら、そちらを優先してあげてください」
 それこそが私の存在理由でもあるので。
「存在理由、ですか?」
 セレスティが問いかける。
「はい」
 …頷き、蓬莱は語り出す。
 この場所は私そのもの。
 私は蓬莱館と言う異界の核霊です。二千年の間、百年に一度だけお客様をお迎えしています。
 だから初めに丁香紫さんが言っていたように、皆様の御世話をしている姿ある私は、お客様に対して細やかなサービスをする為に組まれたプログラムなんですよ。
 他の機能も、不具合は滅多に起きません。
 ………………なので、セラフィン様の浴衣が女物だったのが実は未だに疑問だったりします。


「だからこそ、こんな他愛無い事を頼みたくもなるんだよ」
 …ただ、遊んでやって、なんてね。
 丁香紫がぽつりと言う。
 蓬莱は、背負うものが大き過ぎるから。
 プログラムのひとつが相手とは言え…まぁ、本人と繋がっている事は確かだから。
 ひとつひとつの経験は蓄積される。


 …二千年もの昔から。
 百年に一度の賓の為に。
 ひとときの夢を。


 徐福伝説、聞いた事があるかい?
 その昔、秦の始皇帝ががむしゃらに不老不死を求めていて。
 当時、結構名が売れていた方士の徐福に、不老不死とは存在するのかと訊いたんだ。
 …だが、それはすぐ手に届くところには無い。けれど海の向こうにある蓬莱になら。
 徐福はそんな事言った訳だね。
 そして、そこに辿り付く為に必要なのは若い良家の男女三千人。
 金銀珠玉、五穀に資材。
 それを船団に乗せてくれるなら探して見せましょうと、まぁそんな無茶な要求してみた訳だ。
 が、始皇帝は言われるままにそれらを用意して、旅立たせた。
 けど、徐福はとうとうそのまま帰って来なかった。
 …で、帰って来なかった事がまた、昇仙したんだと、不老不死はあるんだと憧憬の的になったとも言われるんだけどね。更にはその辿り着いた地が、蓬莱があるのは日本だと言う話もある訳だ。


 まぁ概略はこうだけど。
 厳密にはちょっと違う。
 徐福は、始皇帝が言うような不老不死など無い事を知っていた。
 ………………いや、実際ある事はあるよ。
 今回ここにだって、少なくとも『ふたり』はお客さんで来てたし。
 つまりさ、細かく注釈を付けるならね、『幸せで居られる不老不死』が無いんだ。
 仙人だって不老不死じゃない。…それは不老長生ではある。でも、実は死の余地は作ってあるものなんだ。
 …本当に逃げ場の無い不老不死は、こわいよ。


 それで徐福は禁忌の術法を使おうとしたんだよね。
 始皇帝の御命令だから。
 命令されただけならどうしようもなかったけど、自分の要求も受け入れられてしまって、準備だけは整えられてしまった訳だから。
 やらざるを得なくなったんだよね。


 そこでつまりは…殺された。
 優しい不老不死の理を創り出す為の贄として。
 この蓬莱は元々、徐福に一番可愛がられてた宝児だったらしいよ。


 恨んだって良いと思う。
 だけど、蓬莱はこのままで良いと言う。
 それどころか、優しい異界を創ってくれた徐福に感謝して。
 幸せそうに微笑んでいる。
 一ヶ月だけの営業期間が終わったら、蓬莱館は再び百年の眠りにつく。
 次に出逢える時を楽しみに。


 …宜しければまた、いらして下さいね。
 永く生きる方も。
 そうでない方も。
 ………………貴方と言う『心』がこの世の何処かに残されているならば、皆、いつまでも…蓬莱館のお客様になるのですから。
 無論、捕らえる事なんてしません。
 訪れるのも去るのもお客様の自由です。


 徐福の儀式により創られたこの蓬莱館と言う優しい異界。
 ――――――結局、ここで体現された不老不死とは、その永久なる人々の『心』の事で。


 異界の理は核霊のもの。
 人の世の理はここでは通じない。
 ………………蓬莱の理では、人の生死に境はつくらない。
 すべて等価に『生きて』いる。


 所詮現れては消える泡沫。
 けれど、消えた後のその泡沫さえも、蓬莱館は大切に時を留めてとっておく。


 百年に一度だけの特別な夢の為に。


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■2180/作倉・勝利(さくら・かつとし)
 男/757歳/浮浪者

 ■3043/シュラブローズ・セラフィン
 男/22歳/神父 (堕天使)

 ■2158/真柴・尚道(ましば・なおみち)
 男/21歳/フリーター(壊し屋…もとい…元破壊神)

 ■3002/アリステア・ラグモンド
 男/21歳/神父(癒しの御手)

 ※表記は発注の順番になってます

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 以下、発注時に登場指定頂きました当方NPC

 ■真咲・誠名(しんざき・まな) ※異界にてNPC登録済
 男/33歳/画廊経営・武器調達屋・怪奇系始末屋

 ■間島・崇之(まじま・たかゆき) ※未登録NPC(異界情報内に記載)
 男/享年38歳/幽霊(生きていれば53歳)

 ■死神 ※未登録NPC(「ゴーストネットOFF:死神さんのお手伝い」登場済)
 男/?歳/魂の行方不明者を任されたらしい死神、現在は消滅

 …他NPC(名前だけ出されたり関係者としてだけ指定されたり登場を任されてしまった人、オープニング時点で居た人やら話に出た人、話の流れ上居る方が自然だったり必要になると私が判断した人等)も成り行きで出ていたり出ていなかったり

【個別ノベル】

【0086/シュライン・エマ】
【1449/綾和泉・汐耶】
【1883/セレスティ・カーニンガム】
【2158/真柴・尚道】
【2180/作倉・勝利】
【3002/アリステア・ラグモンド】
【3043/シュラブローズ・セラフィン】