調査コードネーム:赤根草
執筆ライター  :間垣久実

 【オープニング】
 【 共通ノベル 】
 【 個別ノベル 】


【蓬莱】illust by 倣学 【オープニング】
「あのぅ…宜しいでしょうか?」
 蓬莱が、おずおずと話し掛けてくる。
「こんなことをお客様にお願いするのは非常に心苦しいのですけれど…手が、足りま
せんで…」

 蓬莱が言う所に因ると。
 蓬莱館の中庭――と言っても想像が付かない程広いのだが――其処に、ある特殊な
薬草が生えている、というのだ。
「今度いらしたお客様が是非にとそれをご所望なのです」
 困り果てた顔の蓬莱。余程その客にしつこく頼まれたのか、憂いは消えず。
「お客様は、その…高峰様の言う所では、普段探偵のようなお仕事をされていると
か。…私が依頼いたしましたら、引き受けて下さるでしょうか?」
 薬草の見た目の特徴は、小さな白い花が咲く植物で、根元が血のように赤いのだと
言う。それが日を追う毎に下から赤みが増し、最後には花までが真赤になるのだと
か。生ではアクが強くて食べられないが非常に美味らしい。また、染料として使うこ
とも出来ると言う。
 根が大きめなので根は一部だけで良いとのこと。草自体の大きさは高さ2〜30セ
ンチ程。なるべく茎を折ったり切ったりしないで持って来て欲しい、と蓬莱は結ん
だ。
「お願いします。どうか…」
 ちなみに、何の効能があるのか、という問いには言い難そうに躊躇った後で、
「…惚れ薬の材料になる、と伺っております」
 そんな薬草のことで、申し訳ありません、とひたすら小さくなって謝る蓬莱。で
も、出来ればお願い致します、とぺこぺこ謝る様子はなかなかに哀れを誘った。
「群生しますから見つかれば採取するのはそう苦では無いと思われますが、持って帰
るのが少々大変かもしれません。籠や掘る道具はお貸し致しますので、欲しい物があ
りましたらお申し付け下さいませ。…本当に、こんなことをお頼みして…」
 再び謝りだしそうな雰囲気に、慌てて其れを止めた。続く、
「まだ今は無害と思いますが、どうかお気をつけて」
 その言葉に嫌な予感を感じながら。


【共通ノベル】

 蓬莱の頼みを聞いて集まって来た皆が一室で顔を合わせる。何人かは浴衣――と言っても蓬莱館独特の作りで、和物と言うよりチャイナドレスの変形のようなものだった――に着替え、物珍しげに袖や帯の意匠に目を凝らしている。
「奥は灯りがありませんので明るいうちに…」
 そう言いながら、蓬莱が席を立って広々とした庭のとある方向を指し示す。
「あの林の奥に咲いております」
 首を伸ばしてみても此処からでは、しんと広がっている林の奥は見えそうもない。
「そう言えば」
 ふと重いついた口調で、浴衣の黒い色が映りそうな程、透き通るような肌の白さを見せる少年が小さく笑みを浮かべながら蓬莱を見やり、
「今は害がないと言っていたようだが、害がある時はどのように有害なのか、聞いておきたいね」
 少年――夢崎英彦が、歳に似合わず冷めた目と口調で呼び止めた蓬莱へ訊ねた。その言葉を聞き、
「詳しい害に付いては私も遭遇したことが御座いませんので答えられないのですが、白い花の時には問題は無い筈なのです。今の時期ですと、赤くなるのにはまだ日数が掛かると思います」
 ええと、と呟いて再び蓬莱が言葉を紡ぐ。
「お客様が仰るには、花が真赤に染まった時には誰にも摘むことが出来なくなる、と言うお話で…詳しいことは私も知りませんが、真赤に染まった花は私も見たことが御座いません。それに、原液は薬草とは言え、服用など絶対になさりませんようお願いいたします」
「それに、持って帰るのが大変って…なんで?」
 軽い苦笑いを浮かべながら、英彦の質問に次いで隠岐明日菜が腕を組んだ。蓬莱が困った顔をし、
「それは、あの草の特性に因るものです。根に多く液を溜め込むので、根を削ると其処から薬液が流れ出してしまうようなのです。なるべく逆さにして持ち帰るようお願いいたします」
 それに、と集まった中でも女性達へ特に目を向け、
「染料だと言うことはお話していると思いますが、非常に強い染料ですので生半可なことでは取れません。其れに付きましては此方で染料を落とす道具が御座いますので安心していただきたいのですが、ご自宅へお戻りになられてから染みに気付かれましても恐らく落とす手段は無いかと思われます。…また、髪の毛等が染まってしまった場合、落とすことは出来ますが髪の色も暫く脱色したようになるかと思われますのでお気をつけ下さいませ」
 何故そこまで知っているかというと、蓬莱自身が染物の材料として摘みに行った事があったからだという。目的は根にあった為に、まだ花も咲かない内に採ってきたとは言うが、その時服についた染みを落とすのに試行錯誤したのだとか。あの草が薬草になるとは聞いてはいたが、効能までは知らなかったと言いほんのりと頬を染めた。
   *  *  *
“赤根草――ほうれん草の別名”
「…ほうれん草が惚れ薬の材料になるって初めて聞いたぞ…」
「何を見てるの?」
 ひょい、と後ろからノートを覗き込む女性の姿。理知的な、やや冷たいとも取れる視線を受けて、2人で一緒に調べ物をしていた青年と女性、加賀見武と朋矢明莉がほぼ同時に顔を上げて、目が合った途端にこりと人懐こい笑みを浮かべた女性、シュライン・エマに、
「ネットで例の植物のことを調べてみようと思って、調べてるんだけど…ほうれん草だって」
 武が口を開くより早く、明莉が答えた。先に答えられたのが悔しいのか明莉の後ろから口を尖らせて見せた武だったが、
「韻を踏んでいたり、通称だったりすることが多いからね…平仮名で調べてみたら?」
 なるほどな、そう答えた武が早速指を走らせた。
“あかね――茜・アカネ・赤根――漢方薬の材料・染物の材料。漢方では止血剤や利尿剤として使用される”
「白い花を咲かせる、って言う部分までは似ているけど…少し違うみたいだね。全然違うお花なのかな」
「――或いは、この場所だからかもしれないですね」
 3人の会話を耳にしたか、いつの間にか更に後ろから静かな声がかかって明莉が武の腕を無意識にか掴んだ。シュラインが、声を出した人物を目で確かめて軽く会釈する。
「此方へは仕事で?」
「いえ。でもこの『依頼』は職業柄ですよ」
 軽く指先で眼鏡を押さえ、悪戯っぽい視線でシュライン達へと告げるケーナズ・ルクセンブルク。
「…製薬会社の人なの」
 会話を不思議そうに聞く武と明莉の2人へ、シュラインが軽く目線を送って紹介した。
   *  *  *
「これでどうですか?」
 蓬莱の声が部屋の隅から聞こえて来る。なにやら衝立で隠しつつ着替えを行っている者がいたらしいが。
 ぺったん、ぺったん、と奇妙な音を響かせながら、現れたのは――1匹のペンギン。
「…………」
 どうだ、とでも言うのか、丸っこい身体に良く着せたと思うくらい綺麗に浴衣を着、ねじり鉢巻姿でふんぞり返っている。その後ろでふー、と息を付いた蓬莱がそれでも綺麗に着せられた事に満足しているのかにこにこ笑いながら衝立を邪魔にならないよう壁に移動させた。
「―――――」
 何で此処にペンギンが。
 同じく浴衣を着た少女が、思わずまるまっこい相手の体型と自分を見比べてしまい、そのあからさまな目の動きに気付かれなかったかとちょっと顔を赤くしつつ視線を外した。其処にもう2人、やはり同じ事を思ったらしい呆然とした目付きの人物が居り。
「…本物ですね」
 くん、と何かの匂いを嗅ぎ取ったかその少女――柚木シリルが呟き、
「着ぐるみかと思ったが」
 随分と着慣れた皮ジャケットにジーンズの、一見強面そうな青年、向坂嵐が逆にじろじろとペンギンを無遠慮に見つめ――そのペンギンも無言のまま、じぃぃぃぃぃぃ、と嵐を見つめ返した。
「文太様、他の道具などの御用はありませんか?」
 帯の様子を確認していた蓬莱の言葉に、
 のーぷろぶれむ、と言うつもりかふんぞりかえったままひらひらと左右にヒレを振った。
「一応言葉は分かるみたいですね。これで意思疎通の出来ない方だと、一緒に行くのはどうかと思いましたが」
 ぱちぱち、とシリルが、次いで嵐がもう1人傍に居た人物…女物の浴衣を着た少女へと瞬きして視線を移した。いつの間にか文太と呼ばれたペンギンも不思議そうにその少女を見上げている。
 淡いブルーをポイントにした文太とも、赤とオレンジを配した華やかなシリルとも違う、裾、襟、帯に赤を置き淡い地の色との対称を際立たせている浴衣で穏やかに微笑んでいる、その人物。
 だが。その声は。
「…男か?」
「おかしいですか?」
 こくんと勢い良く頷いたシリルが慌ててぶんぶんと首を振り。少女、改め少年――奉丈遮那がくすりと微笑む。
「色々試着して、面白そうだったので此れを着てみたのですけれど」
「似合うがな」
 ぼそりとそれだけぶっきらぼうに言い、さてと、と何も見なかったことにしようと言うのか背を向けて採取用の支度をしに移動する嵐。見れば、何人かは思い思いの準備を整えており、それに遅れまいと他の者も集まって来ていた。
   *  *  *
 此処は何処なのだろうか。…本当に、日本なのか。
 ふと、そんな考えが浮かんで来る。
 広々とした庭園を、途中まで皆を送ってきた蓬莱の指し示す方向へ進みつつ。
 しっとりとした緑は露を含んで足元を濡らし、誰が踏んだか獣道よりはやや広めの細道が奥へ誘うように続いている。
「何で俺が」
 丈夫な縄を肩に下げた嵐がぼやき、
「…一番丈夫そうに見えたから、じゃないかな」
 明日菜が手ぶらで足を濡らさないよう気を配りつつ、そう呟いた。他の者もほとんどが手ぶら状態。
 というのも、嵐の持つ縄の先には、古めかしい木製のソリがあり。その中に皆が荷を詰め込んでいたせいで。
 危険回避の為と考えたらしいシュラインが発案者だったが、運び手は別だったらしい。

 そして。
 いつの間にか、じわりと乳白色の霧が辺りを包んでいた。湿気が高いのか、と思ったが、数人が微妙に顔をしかめつつ辺りを見回す。
「どうした?」
「…味の付いた霧って言うのが、ね…」
 その味に何か嫌な予感でもするのか、なるべく深く呼吸をしないよう気を付けて進んでいく。
 やたらとやる気になっているペンギン並みの速度で進みながら…要するに、辺りを警戒しながら、ゆっくりと進んでいるわけだが。
 霧は、微妙にだが甘味を感じさせる物だった。特に体調に異変は無いのだが、だからと言って深呼吸などする気にもなれないもので。明日菜がハンカチで口を押さえつつ移動するのに見習って何人かは同じように口に布をあてがっていた。
   *  *  *
「あった…これね」
 花弁の中途まで滲むように朱が上がっている花が、わだかまって咲いている。まだ白いままの花もあり、言われたような姿かたちの花に、見つけた、とほっと息を付く。…もっとも息苦しさは消えず、薄暗い林の中、更に霧と言う事もあり妙な威圧感が消えず残っている。
「ありましたね…」
 露に濡れた足や掛かった時間、それに気のせいか濃くなっているような甘い霧のことを思えば楽ではなかったが、意外にあっさり見つかったせいか、これで何度目になるか、曇った眼鏡を拭きながらケーナズが思わず呟いた。
「…で、掘るの?」
 暫く後。
 なかなか次の一歩を踏み出せない皆の気持ちを代表するように、明日菜がぽつりと呟き、そしてその言葉に触発されたかよしっ、と声に出したシュラインが、
「さ、やっちゃいましょう」
 木のソリからどう見ても中華風の剣を一振り持ち上げ、腰から方位磁石を取り出して磁場の狂いがないかを確かめると、
「…万一ね、万一」
 同じく『何か』を想像していたらしい何人かが耳栓をするのを見ながら言い訳のように呟き。
「こんな花を咲かせるなんて聞いた事がないけれど…マンドレイクという可能性だって捨てきれないし」
 興味深げに皆が見守る中、苦労しながら花をぐるりと取り囲むように3重の円をがりがりと描いていく。
「後は西の方向を見るだけで、大丈夫…らしいわ」
 最後の言葉はおぼつかなかったが、モノは試しと耳栓をしている者以外が先ずシュラインの言葉に従って西を向き、遅ればせながら耳栓をした者がその後に続く。
 …ある意味では凄い光景かもしれなかった。
「これで大丈夫でしょうか?」
 結局女物の浴衣のままやって来た遮那がまだやや不安そうな視線を向け、
「…それは、やってみないと分からないんじゃない?彼女だって今は大丈夫立って言ってたんだし」
 それよりもこの息苦しさから逃れる方がマシと、ソリからがさごそと各々の用意した、または用意してもらった道具を取り、すぐさま作業へと取り掛かった。
   *  *  *
 ざくざくと地面を掘る音と、軽い息遣いが辺りに響く。
 気のせいかと思われた霧は――既に、一メートル先すら見えない状態にまで濃さを増していた。
 白くねっとりとした霧に包まれた庭からは、すぐ近くに居る筈の互いの姿さえ見えず、ましてや旅館の姿など見える訳はない。歩いて何時間もかかっていなかったと思ったが、もしかしたらずっと森の奥深くまで踏み込んでしまったのかもしれない。そう思わせる何かが、この場にはあった。
 地面を掘り、聞いた形の花を根と共に少し削り取って…それだけの作業ですら、躊躇いがちになり、帰りたくなってくる。
「きゃ」
 ぷしっ、と妙な音がして、ほぼ同時に小さな悲鳴が聞こえてきた。
「大丈夫か」
「ええ…ちょっと手にかかって驚いただけ。…ほんとに、赤いんだね…なんだか、怖くなってきちゃった」
 そう言う2人の声は聞こえても、姿はぼんやりとしか見えてこない。手を伸ばせは触れそうな近さの筈なのに。

 がつがつがつがつ。
 がんがんがんがんがんがん。
 そういった情緒というか雰囲気をものともしない、勇ましく掘り進める音が無遠慮に辺りに響き渡った。花の固まって咲いている中央辺りから聞こえて来るその音は、少しして、
 ぬぅ、と各自の傍を通り抜けた浴衣姿のペンギンが出したものだと分かった。根を掘り起こすのに出た土をせっせと外へ運び出しているらしい。
 ぺたぺたぺた、と再び中央に戻り、
 がつんっ
 がつんっ
 ――ガキンッ。

 何やら妙な音――まるで金属の何かにぶち当たったような音を立てて止まった。

「…なんだ?」
 ざわざわと、声が。
 中でも一際良く通ったのは嵐の声か。

 ぺったぺったぺった。
 其れを気にする様子も無く、今度は数本の根の一部が付いた花を湯桶に入れ、再び運んで行く黒い影。
 何が起こった訳でもないのだろうか。

 だが。異変が起こったのはその直後のことで。

 ぐらり。
「わ…」
 急に揺れた地面に慌てて飛びのく一行、そして。
 ぶちぶちぶちぶちッッ
 細かく地面に張った根を抜き取る音と、ぱらぱらと地に細かい土が落ちていく音。それらが聞こえる場に、もわりと急に増えた霧の合間を蠢く何か。
 肌に触れる細かな霧が、まるで何かの触手のようで、思わず顔を顰める。
 そこに。

 るぅぉおおおおおん!

 るぅあぁあああんん!

 吼え声が、霧を一瞬震わせ…そしてぽかりと円形に霧を吹き飛ばした。
 其処に居た『モノ』を目にとめて、霧から一時的にせよ逃れられた面々が顔を見合わせる。
「武サン…」
「――後ろに下がってろ、明莉」
 うん、と小さく声を上げた明莉がほとんど真後ろに周り、きゅっ、とシャツの背を指先で掴む。
 ちらと振り返って其れを見た武が曖昧に笑みを浮かべながらも、そのすぐ後ろに控えている霧を見やり、それ以上後ろに下がるようには言わないまま前へと顔を向けた。
   *  *  *
「な…なんて言ってるの?」
「言葉が分かれば苦労しませんよ…」
 前面、まるでドレスのように赤と白の花弁をふっさりと揺らしながら、何処で音を出しているのか吼える『何か』。
 人の姿に似て、腕らしきものが一対、足らしきものが一対。頭なのだろう、突き出した部分が湿り気のある土を撒き散らしながらぶんぶんと『腕』を振るう。その体から滴り落ちる赤い液体が、地面をじわり、と染めていく。
 すわ、マンドラゴラ――マンドレイク――呼び名は様々だが、引き抜かれる時に悲鳴を上げ、聞いた者を死に至らしめる植物か、と身構えたものの。
 考えて見れば身悶えしながら吼えている『それ』を見ても聞いても皆の身体に異常も無く。ただ、意思らしきものだけが聞こえ。
「だが、怒ってることには違いないな」
 根の一部から花までを数本しっかりと確保している英彦が、すす…と『それ』がすぐには届かないであろう位置――彼のところへ届くまでには他の人間が障害になる場所まで後退し、持ってきた新聞紙で手早く巻き取ってビニール袋へそっと仕舞った。根から滴る赤い液が新聞紙にじわりと赤い染みを作るのを何気なく見ながら。

「あんまり近寄るなよ…気味が悪いや」
 『それ』が動くたび、白い花が気のせいか赤みを増しているように見えてくる。いや、気のせいではない。
「見て。真ん中あたりがあんなに赤く…」
 怒った事で血の巡りが良くなり、其れを咲き誇る花が吸い取っているような、そんな光景。
 じわじわと中央から、赤が次第に広がっていく。――それと同時に、先程から微妙に漂っていた甘い香りが、むせ返る程の甘さになってあたり一面ぱっと匂い始めた。
「息苦しい…」
 小さく呟いた…呻いたのはシリル。先程から必死でハンカチとその上から浴衣の裾を何重にもしているが、匂いに敏感なのか香りを防ぐことが出来ずにいる。
 その彼女を庇うように、女物の浴衣を身に纏った遮那が、シュラインが木ソリに置いていた剣を手に、す、と僅かに前に立ち塞がった。

 のろのろ、と。
 標的を探しているのか、何か気だるげにも見える動きで目の前の『それ』が動いている。その度にゆらり、と空気が動く――甘い香りでそれと分かる。
 しゅるん!
 突如、腕から垂れ下がっている太い根が鞭代わりに、範囲内の者の手元を狙った。狙いは――恐らく各自が摘み取った薬草。
 落としては大変と何歩か下がればすぐにすぽりと霧の中に包み込まれてしまうため、逃げる方向がいまいち良く分からない。故に、見当たらないからと言って皆が遠くに居るわけではないらしい、そう見当を付けるよりなかった。

 ぱしっ!
 手近に居た1人へと投げた鞭が狙い過たず、吸い込まれるようにしなるのを避け切れなかった青年が、口元を歪め、
「痛ぅ。…やってくれるじゃないか」
 手首を叩かれた嵐が、ひくりとこめかみを僅かに痙攣させると、落とさずしっかりと掴んでいた草を庇いながらずかずかと近寄って行き。
「――しゃっ!」
 そのすぐ傍から、シリルの、やや破れかぶれな鋭い叫びと共に、ふわりと霧をまとわせた人の姿が飛び掛ったのが見えた。
 どぅ、と鈍い音がし、ほぼ同時にどすどす、ぺきぱき、と蹴りを入れた鈍い音に続いて一緒に揺れていた花の茎が寂しげな音を立てて折れるのが聞こえ、甘い香りが濃さを増す。…薬の効果とは違うのだろうが、とにかく息苦しい。酸素が微妙に足りていないのか一瞬ぼぅ、としかけて何人かが頭を振る。
 ――うぅるるぅぅぅぅ…
 霧が再びじわりと皆を包んでいく。救いは着いたばかりの時より大分薄くなっているということと、霧が包み始めると水分に香りが包まれるのか、匂いそのものも一緒に薄れていく事。――その代わり甘味を持った霧を呼吸する度に味わう羽目になるという、いささか不快な状況には変わりない。

「麒麟さん、やっちゃって!」
「明莉も後ろに下がってろ。――くそ…具現化が足らん。ヤツの攻撃の意思にかろうじて掛かっているだけか」
 しゅ、
 風を切る音と、同時に霧をも切り裂く一筋の光。
 霧が晴れたその場には、もう飛び掛っていったシリル、嵐2人の姿は見当たらない。
 すぱッ、綺麗な切り口を見せるものの、それはあくまで切り口に過ぎなかった。

 ――だが。

 ぶつん。
 突然、霧に呑まれずに居た者の目の前で、鞭代わりの蔓が音を立てて千切れ、其処からどうっと赤い液が噴出した。次いで、見えない敵に切り裂かれでもしたのか、ぱっぱっと切られた花弁が宙を舞い、そして遮那が手元から消えた剣をいつの間にか傍に立っていた明日菜の手が握り締めているのを見てぽかりと口を開けた。
「な…なんなんですか…」
 恐らくは、この少女の手に因ったものなのだろう。その証に、つぅ、と手の中の剣の刃から小さな雫が地面へと滴り、そして吸い込まれた。

 るあぁぁぁん!
 悲鳴、なのだろうか。そんな『声』を上げた其れから、じわりと赤い液体がせり上がり、そして傷口から溢れていく。…まるで痛みを感じているかのように、よろ、と一歩下がる『それ』。
 どぉぉぉぉん!
 その勢いを待っていたように、ぐっと頭を縮めて一気に跳躍した…伝説の生き物の麒麟が、頭から体当たりをぶちかました。

 よろ。
 よろ…
 ずず…ん!
 人のような姿をしているからといって柔軟性には乏しいらしい。土色をした『それ』が、自分が起き上がった窪みへと地響きともうもうたる土煙を上げながら倒れ。
 そして、再びじたばたともがきかけ――びく、びく、と数度痙攣した後でぐたりとその動きを止めた。
「………」
 息を詰めて見つめあう。目も耳も見当たらず、ましてや脳があるなどとはとても思えないその姿は、だが、どこか人に似ていた。
   *  *  *
 ぎぃ。――ぎぃ。
 赤い花のドレスに身を包んだ『それ』は、甘い香りを散々辺りに撒き散らしながら、用意の木箱に当然ながら入りきらず、『腕』や『足』を投げ出し地面にその線を付けながら引きずられている。
「…重いぞ」
「我慢だ我慢。力仕事は強そうに見える男の仕事だとさ」
 縄を引くのは、嵐と武の2人きり。残りの面々はやや遠巻きに其れを眺めながら付いて来ている。
 ぼやく嵐に、軽口を返す武。その傍に寄り添いながら取るのは縄ではなく武の腕、という明莉。
 蓬莱館の庭が見え、霧がようやく晴れた時には流石に皆がほーっと息を付いて深呼吸を繰り返す。近くで甘い香りがするもののそれに倍する価値の極上の空気の誘惑に抗える訳が無い。
 土や赤い草の露を点々と身体に受けて戻ってきた一群は野戦の後のようで。半分程がぐったりと疲労感漂う様子でいる。
「お疲れ様でした」
 ぱたぱたと駆け寄ってきた蓬莱が庭の隅に置かれた木箱を見て「!」と口を押さえた。
 その中には、皆が少しずつ採取した物が隅に置かれている。だが蓬莱の驚きは当然、そのど真ん中に鎮座している――いや、箱からはみ出している一体の『それ』の姿を認めたせいだろう。
「あ…あの…あれは…」
「ご要望の根よ。倒したから、いっそこのまま持ってきちゃえってことになったの」
「………」
 明日菜の言葉に恐る恐る近寄っていく蓬莱。直に触ろうとはしなかったが、暫くそれを見つめて何か小さく呟き、
「根は広く張っていると思ったのですけれど…こんな形をしていたんですね」
 これでは、危険と言う話が伝わる筈、と納得したかふぅ、と小さく息を吐く。
 いつ、誰に聞いたのか覚えていないが、危険なものだという知識だけはあったのだという。
「ですけど、そんな急に花が赤くなるなんて…初めてのことです」
 皆から話を聞き、申し訳ありませんと謝り縮こまる姿は嘘を付いているように見えない。
「たく。どこのどいつだ、こんな物を注文したのは」
 ふいと横を向きながら旅館の奥、客室が広がっている方向をちろりと見る嵐に、同意か頷く数人。
「それは分かりますが、興味深い事もありましたし良いのでは?…マンドラゴラじゃなかったのが少しばかり残念でしたが」
 ケーナズの言葉に、おいおい、と呟く嵐。
 その脇をするりと動いた黒い頭に、思わず皆が視線を動かして後を追った。
「――ぉい」
 ぺったぺったとさり気なく皆の中に混じろうとしているペンギンの頭に手を置く。
 ……あたたかい。
 ほかほかと湯気の立ちそうな体。ずるずると地面を引きずっている帯と浴衣は、作業の崩れとは思えない酷さで。
「皆が必死こいてアレと戦ってた時に…」
 しかも確か、アレに悲鳴を上げさせたのはコイツのクチバシの一撃じゃなかっただろうか。
「…………」
 器用にヒレでひらひらと否定の動きをしてみせるものの、そのヒレからも漂う温泉の香りは紛れもない証拠。
「あ、あの…もう、十分集まっていますから…それに、皆様が無事に戻られていますし」
 フォローに回る蓬莱も困った顔のまま。
「ちょっと待って。確かこのぺんぎんさんも草、摘んでなかった?…今何処にあるの?」
 武の背にずっとくっついて来ていた明莉が、その背からひょこんと顔を出す。
「……………」
 その言葉を聞いて暫く考える、文太。その浴衣の襟に小さく引っかかっている葉の切れ端を見つけたシリルが、
「もしかして…置いて、きたんですか?」
 ほんの少しだけ頬を引きつらせて聞く。
「………」
 ちょっとだけ考えてぷるぷる、と首を振るペンギン。だが、その場に居る全ての者が疑いの眼でじぃぃぃ、っと見つめていた。

「…汚れモノは御預かりしますし、新しい浴衣も用意いたします。…あ、あと、温泉は私が責任持って『ちゃんとした場所』に案内させていただきます」
 何か含みを持たせた言葉を告げる蓬莱。
 ペンギンの入った温泉には入らないでおこう。
 その温泉の近くに行くのも止めておこう、きっと…騒動が起こっているから。
 何も言わず。
 無言のまま、皆の心が通じ合った一瞬がそこにあった。

 ぺった、ぺった、ぺた、ぺた。
 ――1匹の、別の温泉に浸かるために移動し始めたペンギンを除いて。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ    /女性/ 26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1481/ケーナズ・ルクセンブルク/男性/ 25/製薬会社研究員(諜報員)     】
【0506/奉丈・遮那       /男性/ 17/占い師              】
【0555/夢崎・英彦       /男性/ 16/探究者              】
【2380/向坂・嵐        /男性/ 19/バイク便ライダー         】
【2409/柚木・シリル      /女性/ 15/高校生              】
【2768/朋矢・明莉       /女性/ 19/専門学校生            】
【2769/ぺんぎん・文太     /男性/333/温泉ぺんぎん(放浪中)      】
【2776/加賀見・武       /男性/ 24/小説家              】
【2922/隠岐・明日菜      /女性/ 26/何でも屋             】

NPC
蓬莱

【個別ノベル】

【0086/シュライン・エマ】
【0506/奉丈・遮那】
【0555/夢崎・英彦】
【1481/ケーナズ・ルクセンブルク】
【2380/向坂・嵐】
【2409/柚木・シリル】
【2768/朋矢・明莉】
【2769/ぺんぎん・文太】
【2776/加賀見・武】
【2922/隠岐・明日菜】