調査コードネーム:囚われの女神を助けてくださいませんか?
〜in高峰温泉〜

執筆ライター  :神無月
関連異界    :〜異界〜井の頭公園・改

 【オープニング】
 【 共通ノベル 】
 【 個別ノベル 】


【蓬莱】illust by 倣学 【オープニング】
 仕事の虫として定評のある碇麗香が、なんと三年ぶりに休暇を取り、富士の裾野の温泉へ出かけてしまった。GW合わせの特集を抱えたアトラス編集部では、留守番の三下がてんてこまいである。
「へんしゅ〜ちょ〜。どうして僕を置いていったんですかぁぁ〜〜!」
 鳴り響く電話に片っ端から答えながら、三下は眼鏡を外し、額の汗を拭う。
「ああ良かった、三下さん。いらっしゃいましたか。――お願いです、助けて、助けてください!」
 開けっ放しのドアから、何やら大きな袋を持った白衣の青年が駆け込んできた。彼は袋を床に置くなり三下の手を握りしめ、三下的には非常に聞き慣れない言葉を発したのだった。
「助けて……って、何を? えっと、蛇之助さん、でしたよね。あのおっかない弁天さまの眷属の……あれぇ?」
 三下は蛇之助の背後をそっとうかがう。いつもなら、『何と気の利かぬサンシタじゃ。さっさと茶を出さぬか! 今日の気分は極上の玉露、適温はぬるめの50℃じゃ!』などという怒号が飛んでくるのに、なぜか弁天の姿は見えない。
 代わりに――鉄の鎧に漆黒のマント、腰にバスタード・ソードを携えた、これから戦地に赴く剣士のようないでたちの男が立っていた。右目を黒い眼帯で覆った、隻眼の青年である。額にかかる前髪が、ひとつだけの青灰色の瞳に濃い影を落としている。
「あのう……。どなたですか?」
 不審げな三下の手をしっかと握ったまま、蛇之助は答える。
「こちちは闇のドラゴン、デューク・アイゼン公爵です。異世界エル・ヴァイセ王国から配下のキマイラ騎士団と共に亡命なさって、今は井の頭動物園内の亡命者移住地区におすまいで――そもそもの発端は、前国王の宰相であったデューク公爵に、光のドラゴン、ゲオルク・ヴュッセルが敵対し……っと、詳しく話せば長くなりますが、お聞きになりたいですか?」
「いいえっ。ぜんっぜん」
 ぶんぶんと音のしそうな勢いで、三下は首を横に振った。
「私たちを匿ってくださった女神を巻き込んでしまうとは慚愧に耐えぬ。まさかゲオルクの追っ手がこの世界にまで伸び、弁天どのが拉致されようとは――!」
 苦悩に満ちた表情で、デュークは声を絞り出す。三下が驚いて目を見張った。
「えええっ。弁天さま、さらわれちゃったんですかぁ?」
 デュークは頷いて、懐から折りたたんだ半紙を取り出した。
 
 ◇弁天からの手紙◇
【デューク。ついでに蛇之助。わらわは今、異世界の神殿に囚われている。
 岩に穿たれた地下通路の奥にある、不可思議な建物の一角じゃ。確信は持てぬが、おそらくここはエル・ヴァイセ王国であろう。わらわを拉致した悪漢が誰であるかは、よくはわからぬ。金髪碧眼で、金色の額飾りをつけた気障ったらしい男であった。
 よもやあれは、人間形を取った光のドラゴンではあるまいな……? いくら蓬莱館の露天風呂の岩に異界通路が発生しているとはいえ、ゲオルクが自ら、わらわをさらうために女風呂に乗り込むとは考えがたいのじゃが。
 まったく……。とんだリゾートになってしもうた。わざわざ高峰沙耶に頼み込んで、早めに蓬莱館に逗留したというに。
 わらわは麗香やら他の客やらが来る前の静かな時間に、露天風呂のハシゴを楽しんでいたのじゃ。湯に浸かってすっかりリラックスし、不覚にも少々油断しておった。岩陰から出てきたそやつは、気配もなく背後から忍びより、わらわを湯から引きずり出して布のようなものでぐるぐる巻きにし、引っ担いだのじゃ! この座敷牢にはすっぽんぽんで放り込まれたのじゃぞ! 不敬にもほどがある! 文句を言ったら、蓬莱館のロゴ入り浴衣が差し入れられたがの。
 地域限定神のわらわゆえ、この場所では霊力は使えぬはずじゃが、次元が違うせいか、はたまた百年ぶりに蓬莱の湯に身を浸したせいか、何故か力は衰えておらぬ。牢番に水の目つぶしをくらわせて逃げだそうと試みたのだが、座敷牢のまわりには強い炎の結界が張り巡らされていて、わらわの手には負えなかった。
 思うに、これはデュークをおびき出すための罠であろう。おぬしたちに連絡を取りたいと牢番を通じて申したら、届けるから手紙を書けと言いおったからの。……だからデューク、気にするでない。おぬしはまだ、戦いの疲れを癒さねばならぬ身じゃ。ゆめゆめ、わらわを助けようなどと思うでないぞ。美しいわらわに妙な気を起こしたゲオルクに、もしかしたらあーんなことやこーんなことをされるやも知れぬがのう。
 助けにくるでないぞー。よよよよよ】
 
「あまり要領を得ない内容ですけどー、思いっきり、助けにこい! って言ってますよね……。ひとりで抜け駆けして露天風呂を堪能してた自分のことは棚に上げて」
 手紙に目を通した三下は、鋭く真実を読みとった。さすがは編集者である。
「強がっておられるのだろう。本当はどんなに心細い思いをしてらっしゃることか。あのように気高く、しとやかな女神が、なんとおいたわしい」
「……気高い?」 
「……しとやか?」
 三下と蛇之助が同時に発した突っ込みにも、闇のドラゴンは真剣な面もちを崩さない。
「一刻も早く弁天どのを救出しなければ。たとえゲオルクと刺し違えることになろうとも」
「ですが、公爵さまはまだお身体が本調子ではないですし、私とて、弁天さまを幽閉してしまうような強い相手に太刀打ちできるかどうか……。ですから、三下さんにもご助力いただけないかと思ったわけでして」
 ようやく本題に入った蛇之助に、三下はとんでもないとばかりに後ずさった。
「だだだだめですよ、僕は。すぐに気絶しちゃいます。役に立ちませんってば。……あのう、他にいないんですか?」
「共に亡命した幻獣たちは、私の身体が心配だし罠に違いないからと言って引き留めるだけだ。まったく、頼み甲斐のない」
「ですが公爵さまの固い決心に打たれた幻獣の皆さまは、そっと私にお手持ちのアイテムを託されましたよ。武器系、防具系、お助けグッズ系等よりどりみどりで、特殊能力のない方でもモンスターとの戦闘が可能です」
 蛇之助はちょっとため息をついてから、持ってきた袋の口を開いてみせた。
「ですから三下さんも立派な戦力になります。ああでも、三下さんは人気者でいらっしゃるから、他の方々からも別のご相談が寄せられていそうですね。拘束するのは申し訳ないような気もします」
「あ、あのぉ。蓬莱館で現地募集をするのはどうでしょうか? いろんなひとたちが高峰温泉に招待されているようですし、中には手伝ってくれるひとがいるかも……」
 おずおずと発案した三下の言葉が終わらぬうちに、デュークはマントを翻してアトラス編集部を後にする。蛇之助は袋をかついで、足早にその後を追うのだった。


【ライターより】
 露天風呂(しかも女風呂)の岩に異世界への入口が! 
 いまひとつ緊迫感に欠ける弁天誘拐事件in高峰温泉ではありますが、どなたか、デュークや蛇之助と一緒に、弁天救出にご協力くださいませんか……?
 ・途中でデューク班と蛇之助班の二手に分かれるかも知れません。班のご希望があれば、お知らせくださいませ。
 ・アイテムはお好きなものを(持てる限り)お選びください。特殊能力を補強する形でも使えます。もともとの戦闘能力に自信のある方は、あえて手ぶらという選択もアリです。
 ・闘ってみたいモンスターのご希望がございましたら、お書き添えください。
 ・デュークも蛇之助も、どうも推理力がアヤシイです。今回の件について思うところがありましたら、どうぞご助言くださいませ。
 
 それでは、ご参加をお待ちしております。


【共通ノベル】

ACT.1■温泉旅館に勇者よ集え

++++++急募! 勇者求ム++++++
【資格】不問
【年齢】不問
【性別】不問
【経験】不問
【報酬】応相談
【勤務地】高峰温泉『蓬莱館』露天風呂内
【業務内容】誘拐された女神の救出
※備考 各種アイテム貸与あり

        文責/デューク・アイゼン
++++++++++++++++++++

 蓬莱館は、あやかし荘もまっさおな、広大な迷宮に似た建物だった。
 いったん建物の中に入ってしまったら最後、現在地がどこなのかよくわからなくなる。
 しかし、頭の中で俯瞰図が描けないというのに、曲がりくねった廊下をどう折れればロビーにつながり、どの連絡通路が宴会場に通じていて、どの階段を上れば露天風呂に到達することが出来るのかが「何となく」判別がついてしまうのだ。常識で判断してはいけない場所のようである。
 ともあれ、その不思議な旅館の招かれざる客として、デュークと蛇之助はおもむいた。
 だが、この館は闖入者には冷たかった。フロントに従業員らしき人影はなく、呼びかけても誰も出迎えてはくれない。
 ふたりは仕方なく、手頃な壁に上記の募集告知ポスターを貼り、宿泊客が通りすがってくれるのを待ったわけであるが――
「なぜでしょう……? お客さんがいる気配がしませんね。かなりの人数が招待されていると聞いたんですが」
 アイテム袋を床に置き、蛇之助は不安そうにあたりを見回した。
「こうしている間にも弁天どのの身に危険が迫っているかと思うと、いてもたってもいられない。露天風呂に行ってみよう」
 焦れて近くの階段を駆け上ろうとしたデュークを、蛇之助が慌てて止める。
「待ってくださいっ。公爵さま」
「しかし、このままでは」
「弁天さまがさらわれた露天風呂は――女湯ですよ?」
 途端にデュークは、焦燥に満ちた顔をさらに曇らせた。
「……そうだったな」
「それもあって、こうやって募集してるんじゃないですか。もちろん男手も必要ですけど、メンバーの中に女性がいた方が好都合ですから」
 ポスターの両脇に、ふたりが立ちつくして約15分後。
「あなたがた! 誰に断ってここに貼り紙をしてるんですか!」
 空中から、いきなり少女が出現した。中華テイストの衣装に身を包み、結い上げた長い髪も愛らしい彼女は、現れるなりふたりを叱る。
「無断で申しわけありません。こみいった事情がありまして。……あなたは?」
「私は蓬莱。この蓬莱館の――そう、いわば管理者です」
「管理者!」
 デュークはさっと膝を折り、蓬莱に礼を取った。
「知らぬこととは申せ、失礼いたしました。私はデューク・アイゼン。大恩ある女神がこの地から通じる異世界に囚われてしまいまして、ここにお泊まりの方々の助力を乞いたいのです。どうぞお目こぼしを」
「すみませんすみません。ご迷惑をかけてしまって。もともとは弁天さまが抜け駆けのあげく油断したのがいけないんです。でも放っておくともっとご迷惑をかけるかもなので、どうか募集告知させてください」
 デュークと蛇之助は交互に蓬莱に詫びた。ふたりとも、仕切るタイプの女性には頭が上がらないのである。
「ご事情は、なんとなくわかりました。ですが蓬莱館はお客さまのために存在するもの。お客さま対象の告知や各種施設のご利用を、外部の方に認めるわけにはまいりません。おふたりとも、高峰さんからのご招待状は?」
「持ち合わせておりません」
「では、おあきらめ下さい」
「そんなっ。そこを何とか!」
 蓬莱はふたりを見つめ、何事かを思案していたが不意に空中にかき消えた。そして声だけで、ふたりに呼びかける。
「今からでもお客さまとして、蓬莱館にご滞在いただけますか?」
「はっ、はい」
「それが必要であれば、そういたしましょう」
 滞在を了承したとたん、蓬莱は再び姿を現した。両手いっぱいに7種類の浴衣を抱えている。
「その無粋なお召し物をお脱ぎになり、お好みの浴衣にお着替え下さい。――お客さまであれば、歓迎いたします。ようこそ、蓬莱館へ」

 案内された客室で、デュークは『男性用3番』、蛇之助は『男性用4番』の浴衣に着替えた。
 そのとたん、世界が反転したように回りの雰囲気は一変した。
 それまでの、人気もなく冷ややかに静まりかえっていた空気は消え失せて、代わりに、さんざめく宿泊客の声が聞こえ、どこかの客室で行われている宴席の料理の匂いが漂いはじめる。
 大勢の人々が立ち働いているような気配も感じられたが、しかしそれは気配だけで、やはり従業員の姿は見えない。
 温泉旅館特有の、ほのかな湯の香までが立ちのぼる中、デュークは浴衣姿のまま剣を持ち、蛇之助はアイテム袋をかついで、取りあえず近くのロビーに移動した。
 9.02階(そういう表示があった)の第3ロビーは、女性用露天風呂近くに位置しているらしい。上気した肌もまぶしい浴衣姿の女性客が多数、あちらこちらで立ち話をしている。
 その中に3人、顔なじみの女性たちがいた。そのうちのひとりが、蛇之助が声をかけるより先に気づいて、手を振ってくれた。
「やっほー♪ 蛇之助も来てたの? ――デュークまで。いいじゃないその浴衣。美形度3割増よ」
「しえるさん」
「しえるどの」
「ここの温泉、すごい効能よ。見てよ湯上がりのこの肌! すべすべよ♪」
 女性用4番の浴衣をまとい、洗いたての髪をアップにまとめた嘉神しえるは、いつにも増して艶めいている。
「これから定番の宴会に雪崩れ込むんだけど、ふたりとも一緒にどう?」
「いえ、私たちは、その」
 蛇之助がつい募集告知を失念し、ぼお〜っと見とれている間に、しえるは後ろを振り返って他の女性たちに声をかけた。
「シュラインさーん。みなもちゃーん。デュークと蛇之助が来てるわよー」
 大勢の友人知人に取り囲まれて話し込んでいたシュライン・エマは、人の輪から苦労して抜けだしてやってきた。浴衣は女性用3番、シックな色合いがぴったりである。
「驚きだわ。意外なところで会うものね、公爵さん。弁天さんの姿が見えないけど、何かあったの?」
 聡明な瞳が、ふっと細まる。既に異変を感じ取っているようだった。
 高峰沙耶の招きにより蓬莱館に集った人々は、それぞれがなにがしかの縁で結ばれているらしい。誰が誰の知り合いで友人で兄妹で腐れ縁で居候でetc、蜘蛛の巣のような放射状の人間関係が形成されているようだ。
 ことに人脈豊かなシュラインは知人の数も多いようで、そんな彼女に弁天救出のために時間を割いてくれとは、なかなかに言いにくいことだった。
 それでも、デュークは頭を下げる。
「弁天どのがさらわれてしまいました。おくつろぎのところ申しわけありませんが、どうかご助力を賜りたく」
「浴衣、似合うわね」
「――は?」
「まずは落ち着いて。ここは温泉宿よ」
「しかし、事は急を要します」
「あの弁天さんに、誰がどんな危害を加えることができるっていうの。そんなヤワな女神じゃないはずよ。焦らなくても大丈夫」
「え? 弁天さまが! 大変。放っておけません!」
 やはり友人知人に囲まれていたみなもも、息せき切って駆けてきた。ちなみにみなもの浴衣は、しえると同じく女性用4番。4番、人気である。
「家族から、家のことはまかせて楽しんでいらっしゃいって言われてきましたけど、弁天さまにはお世話になってますし。何とかしなくちゃ」
 言って、みなもはしゅんとうなだれる。
「『ちとコネがあるゆえ、わらわはひと足先に蓬莱館に逗留する。みなもも後から来るのであろう? 蓬莱館の露天風呂はやたら広大だそうじゃ。中で水芸をしても迷惑にはならぬゆえ、どうじゃ? わらわと共に新しい技術を磨かぬか?』って、お花見の時にそっと誘ってくださったから楽しみにしてたのに。誰が誘拐なんかしたんでしょう。……ひどい」
「――13歳のみなもちゃんに、露天風呂で水芸レッスンですって? 」
 そこが引っかかりポイントだったらしく、しえるの眉がぴくっと動いた。
「ちょっと蛇之助!」
「は、はい?」
「あなた、弁天さまにどんな教育をしてるのよ!」
「私に教育できるような方なら、こんな苦労はしませんよぅ……」
「あの、すみません。この辺で、左目に白い眼帯をした男の人を見かけませんでしたか?」
 肩を落とした蛇之助に、柔らかに問う声があった。13、4歳の、中性的な少女に見える。
「右目に黒い眼帯なら、そこのデューク公爵がそうですが……。白い眼帯をなさった方には心当たりがありませんね。申しわけありません、お嬢さん」
 答えた後で、蛇之助は目を見張った。
「って、あれ? 月弥さんじゃないですか」
「あ。蛇之助さんだ」
 見覚えのあるブルームーンストーン色の瞳は、確かに石神月弥のものだった。
 無性のつくも神は、先日のお花見の時には少年に見えた。が、今はしえるやみなもと同じ女性用4番の浴衣を可愛らしく着こなしているため、少女寄りの魅力が漂っている。
「そっか。性別が決まってないから男女どっちの浴衣でもOKなんだ。選択肢が広くていいわねえ」
 しえるが得心して頷く。
「しえるさん。シュラインさんに、みなもさん。デュークさんも。……ごめんなさい、回りじゅう浴衣だから、すぐにはわからなかった」
「どうしたの? 誰かを探してるの?」
「保護者と外れてしまって。蓬莱館にはついさっき、連れてきてもらったんです。きっと月が綺麗だろうからって。でもここ広いから、迷子になっちゃった」
「蓬莱さんにご相談したほうがよろしいのでは?」
 空中に呼びかけようとした蛇之助を、月弥が止めた。
「いいんです。そのうち見つかると思うし。それより大変なんでしょ? 誰かがさらわれたって、聞こえたけど」
「弁天どのです」
「えっ?」
 驚く月弥に、デュークは苦渋に満ちた面もちで、噛みしめるように言う。
「おそらくは光のドラゴン、ゲオルク・ヴュッセルによって、異界通路よりエル・デューク公国に拉致され、幽閉の憂き目に遭っておられるのです」
「そうだったんですか」
 月弥はふわっと、デュークに笑いかける。
「助けに行くのなら、俺もお手伝いしますよ」
「なんと」
「戦闘力はないけど、回復は出来るから。後方支援の回復要員として、ついていってもいいですか?」
「ありがとうございます。恩にきます」
 デュークは思わず月弥の手を握りしめた。表情が少し、穏やかさになる。
 どうやら月弥の力の影響で、落ち着きが戻ってきたようだった。
 
「すみませーん。デューク・アイゼンさんって、どの人ですか? これ、剥がれて床に落ちてましたよ」
 募集告知ポスターを片手に、一同に声をかけてきた宿泊客がいた。年頃は中学生くらいであろうか、女性用2番の浴衣がをキュートである。
 そういえばポスターは、蓬莱に叱られた場所に貼りっぱなしであった。予備があったし募集許可は出たしで、そのままにしておいたのである。
「デュークは私です。わざわざすみません、お嬢さん」
「……僕、男です」
「しかし、その浴衣は女性用……。ああわかりました、月弥さんのように無性でいらっしゃる?」
「男ですってば。これは一緒に来た友人に、面白がって着せられたんです!」
「あらぁ? あなた遮那くん? 奉丈遮那くんでしょ? ウチの兄貴の弟子の」
 しえるに話しかけられ、遮那は大きな目をぱちくりさせてから頷いた。
「はい、そうです。先生にはいつもご指導いただいてます」
「……入り組んだ人間関係ねぇ」
 シュラインが呟くと同時に、遮那は勢い込んで言った。
「それであの。勇者に応募したいんですけど。女神さまを助けるんですよね?」

ACT.2■火サスか土ワイか月ドラか

「ものすごく素朴な疑問があるんだけど」
 作戦会議のため、一同はロビーを後にして、隣接した大宴会場『始皇帝の間』の丸テーブルを囲んだ。あちこちでグループごとの宴会が行われていて、無礼講がスペシャルにぶっちぎりであるが、どの階も似たようなうるささだというから、特に気にしないことにした。
 蓬莱が料理の注文を取りにきたので、ソフトドリンクだけをそれぞれの前に置いてもらう。
 ウーロン茶の氷を軽く回しながら、シュラインは片手を頬に当てる。
「怒らないでね、公爵さん。弁天さんは本当に拉致されたの? 狂言の可能性はないの?」
「そんなことは……」
 絶句したデュークに、しえるも言う。
「そうねえ。実は弁天さまの暇つぶしだったとか言わないわよね。彼女、敵だって利用しそうじゃない?」
 遮那も考え考え、言葉をつなぐ。
「井の頭公園の女神さまの噂は聞いたことがありますし、今お話を伺った限りでも、弁天さまっておとなしく捕まっているような方だとは思えませんね……。みんなを呼び出したくてお芝居してるとか。……考えすぎかなぁ」
 どれも、弁天の日頃の行いが色濃く反映された鋭い推理である。さらにシュラインはたたみかける。
「そもそも光のドラゴンは、公爵さんが弁天さんに囲われていることを知ってるのかしら?」
「いや、別に囲われているわけではなく。あの――ゲオルグは周知しているはずです。彼自身には異世界の情報を知る術はありませんが、ゲオルグに仕えている聖女マリーネブラウならば異界通路に詳しいので」
 ささやかにデュークは反論した。マリーネブラウの名を口にした瞬間、何とも言えない苦渋の色が浮かぶ。シュラインはちらとデュークを見たが、特に追求せず、話を進める。
「そうね。知らなければさらう理由もないから、知ってたと過程しましょうか。でもね、ここの露天風呂はかなり湯気が立ち上ってるのよ。その中で、しかも後ろからいきなりの犯行でしょ。さらう前に、それが弁天さんだってわかるものかしらね? 女性客はたくさんいるのに」
「あのー。それならあたし、わかると思います」
 みなもがそっと手を挙げる。
「弁天さまは高峰さんにお願いして、私たちが来る前からひとりで蓬莱館に滞在してらっしゃいました。だからその時期、露天風呂に女性がいたら、それは弁天さまなんです」
「だけど」
 月弥が、ふっと言う。
「別の世界からだと、なかなか情報収集って難しいと思うよ。同じ世界にいる俺だって、百年間蔵の中だったからわからないことだらけだし。弁天さまがひとりで早めに来てるって情報はかなりレアだから、異界通路とか使って出入りしてたとしても、なかなか掴めないんじゃないかな。どうやって、そんなことを知りえたんだろう?」
「蓬莱館スタッフに内通者がいれば、簡単よ」
 シュラインはあっさり言って、皆を驚かせた。
「スタッフって。あの、謎なんだけどもあんまり詳しく知りたくないからスルーしてる、気配はすれども姿は見えない誰かさんたちのこと?」
 首を傾げるしえるに、シュラインは首を横に振った。
「姿の見える人が、ひとりだけいるじゃない。管理者よ」
「ええーっ」
 蛇之助は思わず、丸テーブルに手をついて立ち上がった。
「ほ、蓬莱さんが、内通を!」
 叫んだ途端。
 当の蓬莱が空中から現れた。
「お呼びになりましたか?」
「あああの。お聞きしたいことが」
「何なりとどうぞ」
 蓬莱はにっこりする。悪びれない笑顔に一同は拍子抜けするが、デュークはひとり進み出て詰め寄った。
「あなたなんですか? 光のドラゴン、ゲオルグ・ヴュッセルに、弁天どのの逗留予定を漏らしたのは」
 蓬莱の肩に手を置いて強く揺さぶるデュークに、月弥は駆け寄ってその手を押さえる。
「あまり乱暴にしちゃだめです、デュークさん」
 当の蓬莱はデュークの剣幕もどこ吹く風で、「えっと……」とのんびり考えていたが、ようやく、にこにこと答えた。
「どこのどなたかは存じませんが、背の高い金髪の方がいらして、井の頭公園の弁財天さま……ですか、その女神さまのご予定をお聞きになられたのでお答えしました。逗留期間と、何時頃露天風呂に入るかも、こと細かに」
「ずいぶんと危機管理が甘いのね。お客さま最優先が蓬莱館のモットーだと思ってたけど」
 シュラインの厳しい指摘にも動じずに、蓬莱は笑顔のまま首を横に振る。
「私は、あの女神さまをお客さまとは認めておりません」
「そんな。だって弁天さまは、高峰さんの特別招待だって」
 みなもがそういっても、蓬莱は首を振り続ける。
「高峰さん直々のお話なので、追い出すわけにはいかなかっただけです。蓬莱館の浴衣にただの一度も手を通していらっしゃらない方を、お客さまとは呼べません」
「え? 弁天さま、浴衣着なかったんですか? こんな可愛いデザインなのに」
 月弥が、自分の浴衣の袖を持ち上げる。蓬莱はそこでやっと笑顔を消して、ため息をついた。
「お客さまに喜んでいただこうと、男女別に7種類も揃えてありますのに……。あの方ときたら、『もっとゴージャス&ハイセンスな浴衣はないのか? どれもこれもわらわの趣味には合わぬわ。ええい、もうよい! わらわは自前のリゾートドレスで通させてもらう!』と、こうですよ……。蓬莱館を管理し続けて気の遠くなるような年月が経ちましたが、あんな仕打ちを受けたのは初めてです……。私だって……私だって……何も好きでここにいるわけじゃ……」
 蓬莱の声がだんだん小さくなる。とうとう、ぽろぽろと泣き出してしまった。
「デュークさん。女の子を泣かせちゃいけませんよ」
 遮那に言われ、デュークは狼狽える。
「いや、あの。私はそんなつもりは」
「わかったわ。少なくとも弁天さんの狂言ではなさそうね。彼女は確かにさらわれたのよ――それはそうと」
 シュラインはデュークに向かって右手を差し出した。
「弁天さんから来た手紙があったでしょ。あれ見せて」
 デュークが折りたたんだ半紙を渡す。シュラインは広げて眉を寄せた。
「あのね。蓬莱さんも聞いて。ここの記述なんだけど」

【(前略)この座敷牢にはすっぽんぽんで放り込まれたのじゃぞ! 不敬にもほどがある! 文句を言ったら、蓬莱館のロゴ入り浴衣が差し入れられたがの(後略)】

「蓬莱館の『ロゴ入り』浴衣なんてあるの?」
「ロゴ入り……? あっ、そういえば」
 蓬莱は涙をぬぐうと、すっと姿を消し、すぐに戻ってきた。手には見慣れぬデザインの浴衣がある。
「これのことでしょうか? 今のデザインに決定するまでに、いろいろ作ってみた試作品のひとつです。露天風呂近くの物置に入れておいたのですが、今確認しましたら、この女性用プロトタイプ5番がひと揃い紛失していました」
「手近にあったから、誘拐犯が適当に盗んでいったんでしょうね。――というわけで蓬莱さん。例え試作品だろうと、弁天さんは蓬莱館の浴衣に袖を通したことになるんだけど?」
「あ!」
 蓬莱は口に両手を当てて、シュラインと一同を見る。
「浴衣をお召しになった以上、女神さまは蓬莱館の立派なお客さまです。お客さまが拉致されたとあっては蓬莱館の恥。この蓬莱、全面的に協力いたします。女神さま救出のため、さっそく露天風呂にまいりましょう。さあさあさあ」
 蓬莱は『始皇帝の間』を後にして、すたすたと歩き始める。
「現金ねえ」
 しえるは肩をすくめ、蛇之助は天を仰いだ。
「まぁ、管理者と名のつく方は、どなたも気丈でいらっしゃいますけどね」
「ようやく救出活動開始ですね。光のドラゴンだろうとなんだろうと、人質を取るなんて小物の証拠。そんな連中には負けません!」
 勇ましく立ち上がった遮那は、それでもどこか可愛らしい仕草で、とことこと蓬莱の後を追う。
「でも、弁天さまをさらったのが誰なのかはわからないんだよね……。ともかく行きましょう」
 月弥は首を捻ってから、駆け足で続いた。
「せっかくの温泉なんだから、みんなで仲良く入りたいですよね。弁天さまと水芸するためにも、頑張ります!」
 みなもはこぶしを握りしめ、歩き出す。
「ふふっ。面白くなってきたじゃないの。やっぱり温泉にはミステリーが似合うわよね。家政婦が見てたりOLが愛憎劇を繰り広げたり新妻が謎の失踪をしたりバスガイドが超絶密室殺人トリックを解明したりするのよ。行くわよ蛇之助。湯けむり異世界ぶらり旅に突入よ!」
「待ってください弁天さ――じゃなかった、しえるさん!」
 しえるの勢いに思わず弁天をダブらせつつ、蛇之助は追いかけた。
 取り残されたシュラインは、かたわらのデュークをちらと見た。
「ねえ、公爵さん。あなたはまだ、光のドラゴンが犯人だと思ってる?」
「思ってますが?」
「――ふうん。他に心当たりはないわけね? 本当に?」
「……それは」
 デュークは押し黙り、その場を動かない。露天風呂方向から、ふたりを急かす声が口々に聞こえてきた。

ACT.3■女湯の迷宮

 女性専用露天風呂『霊芝の湯』には、何人かの女性客が残っていたらしい。
 幸い、蓬莱が話を通してくれたおかげで、いきなりの突入による阿鼻叫喚の地獄絵図は、無事回避された。
「それでは、上首尾でのご帰還をお待ちしております」
 霊芝の湯【効能:貴女に永遠の若さと美貌を】と大きく染め抜かれた暖簾の前で蓬莱に見送られ、一同は問題の露天風呂へと足を踏み入れた。
 
 夜はとっぷりと暮れ、見上げた空は、くっきりとした満月と満天の星で彩られている。
 ばさばさと羽音を立てて、ヒヨドリが飛び交う。
 ――常識外れに広大な露天風呂だった。完全に富士の山々の自然と一体化していて、お風呂というよりは、森の奥の湖のようである。
 異界通路は、すぐに見つかった。
 露天風呂を取り囲む右側の岩山に穿たれているのだが、あまりにも堂々とした洞窟なのでかえって違和感がない。すでにこの湯に浸かったことのあるシュラインとしえるとみなもも、露天風呂の演出の一部と考えて気にしなかったとのことだった。
「異界通路は、この世界の住人である私たちがそのまま入っても、何も起こりません。異世界に通じる道として使うには、幻獣の加護が必要です。具体的には、幻獣さん方が託してくださったアイテムを1つ以上、お持ちいただくことになります。異界通路には時々はぐれモンスターが出現しますので、その対策もご考慮の上、お選びください」
 洞窟の前で、蛇之助はアイテム袋を広げる。しえるは横から中を覗き込んだ。
「私は刀剣類が欲しいわ。防具は動きづらいからいらない」
「しえるさんは武芸先般がお得意でしたね。それではこれを。切れ味抜群な〈ケルベロスの長刀〉と〈フェンリルの短剣〉です」
「あら。さすがにいい剣持ってるじゃない。ポチもリルリルも」
 柄に象眼の施された長刀と、細身の短剣を、しえるは浴衣の帯にさした。
「それから……あら、これなあに?」
 しえるはさらにアイテム袋から、大粒の真珠のピアスを取り出した。
「あの……。それは恥ずかしながら、にぎやかしに私が提供させていただいた〈白蛇真珠〉です。武器の命中率が多少上がるくらいで、大した効果もなく、そもそも私は幻獣ではないのでお持ちにならずとも」
「効果はどうでもいいわ。綺麗だから頂戴♪」
「はあ。よろしければ」
「蛇之助さん。私は――そうね、炎属性の盾か衣はあるかしら?」
 シュラインの言葉に頷いて、蛇之助はアイテム袋を探る。
「かしこまりました。たしかぴったりなのが。――あった。これをどうぞ。〈グリフォンの盾〉です」
 重そうに見えた黄金色の盾は、手に取れば驚くほど軽かった。よく見れば、グリフォンの尾羽を巧みに組み合わせて作られているのだった。
「ありがたいわ。ふもふもさんに感謝ね」
「すみません。僕には何か防御系のアイテムをお借りできますか? 武器はいいです。自分のカードで何とかしますから」
「防御系――防御系と。いろいろありますが、遮那さんにはあまり重くないものがいいですね」
 遮那用アイテムを探していた蛇之助は、やがて、薄手のショールを取り出した。
「これなど如何でしょう。井の頭動物園の管理者、ハナコさんご提供による〈世界象のショール〉です。敵の物理攻撃・魔法攻撃の効果を半減します。色もサーモンピンクで、その浴衣にお似合いですよ」
「……似合ってなくても、別にいいんですけど」
 困惑しつつ、遮那はショールを羽織る。
 女性陣からは、「あら似合う」「ぴったりだわ」「可愛いですよ」等の声が飛んだ。
「俺は……。回復能力を増強できるアイテムがあれば」
「ああ。月弥さんには逆指名で、イシュアさんよりお預かりしているものがありますよ。もし月弥さんがいらっしゃったら是非にということで」
 これです、と蛇之助が月弥に差し出したのは、虹色の光彩を放つ、ひとかけらの小石だった。
「〈賢者の石のかけら〉と、イシュアさんは仰っていました。効果や使用方法は、お渡しさえすれば月弥さんにはおわかりになると」
 手のひらに置いた石のかけらからは、賢者の石から生まれた騎士、イシュア・アーダムの言葉が伝わってきた。
『こんにちは、月弥さん。これは私が作られる土台となった賢者の石『松の特Aスペシャル』のかけらです。握りしめて念じれば、速効で回復能力がMAXになります。ご存分にご活用ください』
『ありがとうございます』
 心の中で礼をのべる月弥だった。
「あたしは、武器や防具はいりません。出来るだけ戦闘は避けたいし、ここの温泉水は霊力が強いから回復も大丈夫だと思います」
「わかりました、みなもさん。ですがアイテムは必要ですので、どうぞこれを。〈夢魔の指輪〉〈スキュラの腕輪〉〈ラミアの首飾り〉の三点セットです。敵を魅了する効果があります」
 渡されたアクセサリーは、薔薇色の光と薔薇の芳香を放っていた。身につけたみなもを、三重のオーラが包む。
「素敵ですね。アケミさんとシノブさんとミドリさんにお礼をいわなくちゃ」
 みなもは改めて、そっとアイテム袋を見る。
「あのう、別件なんですけど、弁天さまの衣装があれば、あとでお借りしたいな。お着替えとか、お持ちですよね?」
「よくおわかりですね。――そうなんですよ、救出後のことも考えて、片っ端からアイテム袋に放り込んだせいでこんな大荷物に――着替えは、これかな……いや、この……ああもう、何がなんだか」
「この可愛いお洋服は?」
 みなもが手に取ったのは、レースのフリルやリボンや造花がびっしりとあしらわれた、乙女の最強ロマンティックブランド『PINK HAUSE』のワンピースであった。スカート部分をふくらませるペチコートつきである。
「ご購入の際、弁天さまには似合わないからやめたほうが……と、助言はしたのですが、『リゾート先では乙女な気分に浸りたいのじゃ!』と、かえってムキになられてしまって……。そうか、これを持ってきてしまいましたか」
「じゃあ、これを予約します。お借りするのは、救出したあとで弁天さまに直接お願いしてからにしますね」

 アイテムが行き渡ったところで、一同は異界通路に足を踏み入れ――立ち止まった。
 入口は、3つに分かれていたのである。
 
 右は、細く狭く、曲がりくねった道が。
 中央は、半分以上が水に満ちていて、進むには潜水が必要な通路が。
 左は、幅も広く、天井も高く、容易に通過できそうな道が。
 それぞれ、続いていた。
 
「通じる先はひとつのはずだから、左を選んでも問題はないと思うが……しかし」
 考え込むデュークに、蛇之助が言う。
「でも、いかにもここを通ってくださいって道を、全員で行くのはどうでしょうか。三手に分割したほうがいいのでは?」
「真ん中の入口は、あたしが行きます。人魚になって、潜水できますから」
 言うなり、みなもは水路に身を躍らせた。
「いかにもな左の道は、私が行こう。蛇之助どのは右を頼む」
「かしこまりました」
「それじゃ、私も左へ行かせてもらおうかしら」
 シュラインがデュークの後を追う。
「俺もデュークさんと行きます」
 月弥が続く。
「私は蛇之助と行くわ。放っておけないし」
「僕も右に行きます。がんばりましょう!」
 しえるが笑い、遮那が先に走った。

ACT.4■誘拐犯の正体

【右通路・蛇之助/しえる/遮那】
「あれっ? そういえば蛇之助さんご自身は、アイテムをお持ちになられましたか?」
 狭い通路を、勇敢にも先頭切って進みながら遮那が言う。
 狭い道の中、アイテム袋を引きずりながら蛇之助は答えた。
「はい。これをハナコさん経由でお預かりしました。〈陽光の聖女の剣〉です」
 しえる同様に帯にさした剣は、大振りの見事なものだった。
「あら? その剣、見覚えがあるわ。たしか、デュークが亡命の憂き目にあった元凶の、聖女マリーネブラウの剣じゃない?」
「――何か、います」
 通路に立ちふさがる、妖しい気配がある。
(ウツクシイ乙女ヨ。ソナタの血ガ欲シイ……)
 それはいきなり遮那に襲いかかり、首すじに噛みつこうとした。
 吸血鬼系のモンスターのようである。この場合、世界象のショールは無力だった。
「うわぁぁ。あのっ。僕、男ですっ」
 遮那は抵抗しながらも、『法王』のカードを構える。具現化した法王は、聖なる威厳と聖なる光で、吸血鬼を遮那の身体から弾きとばした。
 しえるはケルベロスの長刀を鞘から抜き放ち、吸血鬼に怒鳴った。
「うざいわ! 私の血を吸おうなんて、百万年早いのよ!」
 まだしえるには近づいてもいなかった吸血鬼は、早々に恐れをなしたらしく、通路の壁にかき消えてしまった。
「あきらめの良いモンスターで良かったですね」
「で、今の話の続きだけど」
 あっさりと、しえるは刀をおさめる。
「てことは、聖女マリーネブラウも幻獣なの?」
「ええ……」
 腰の剣を眺め、蛇之助は呟く。
「聖女マリーネブラウは、サラマンダーだそうです」

【中央通路・みなも】
 水路の通行は、考えていたよりもずっと快適だった。
 柔らかに肌に触れる温水は、露天風呂よりもぬるめだが、身体のすみずみまで染みわたるような霊力を有している。
(あれは……?)
 ゆらりと、水が動いた。
 真向かいから、大きな影が泳いでくる。
 それは9つの頭を持つ、ヒュドラのようだった。
(こんにちは)
 みなもの身体から、薔薇色のオーラが広がる。
(あたしには、闘う意思はありません。ここは、いい温泉ですね)
 ヒュドラはひたりと止まり、すうと向きを変えた。そのままみなもの視界から去っていく。
(わかってくださって、ありがとうございます)

【左通路・デューク/シュライン/月弥】

 3人で並んで歩けるほど、広い通路だった。
 先刻から月弥の身体は、蒼い燐光を放ち始めた。そんな自分に驚いて、思わず両手を見る。
「おかしいな。今夜は満月だけど、直接月光を浴びているわけじゃないのに」
「月光の力は、異界通路を突き抜けるようです」
 デュークが言い、シュラインは眩しげに月弥を見て、はたと額に手を当てた。
「あらっ。私としたことが。お願いするアイテム、ひとつ忘れちゃった」
「シュラインさんでも失念することがおありとは。どんなものがお入り用だったんですか?」
 意外そうに問うデュークに、シュラインは肩をすくめる。
「生物系のはぐれモンスターの接近なら、呼吸とか心音とか足音で、かなり早めに事前察知できるんだけど、無生物だとちょっとね。だから、危険が近づいたら反応して光るアイテムがあればいいなって思ったの――でも仕方ないわね」
「宜しかったら、これをどうぞ」
 デュークは懐から小さく光る何かを取りだし、シュラインの手のひらに乗せた。
 猫目石に似た、宝石のようにも見える。
「これは……?」
「〈闇のドラゴンの目〉と言われています」
「え!」
 思わずびくっとしたシュラインに、デュークは微かに笑った。
「私の目というわけではないですよ。そういう商品名なんです。エル・ヴァイセ東部の特産品でしてね。所持者に危険が近づくと、それが生物であれ無生物であれ反応して知らせます」
「でも、それじゃ公爵さんが」
「私は平気です。急ぎましょう」
 歩を早めた3人だったが、やがてデュークに異変が起きた。
 いきなり、足を押さえてうずくまったのである。
「……うっ」
「どうしたの?」
「デュークさん?」
 駆け寄った月弥は、デュークの足を見て顔を曇らせた。血が滲んでいたのである。
「大丈夫です。ちょっと古傷が開いただけで」
「動かないで。今、回復治療をしますから」
 賢者の石のかけらを左手に握りしめ、月弥は右手をそっと傷口に当てる。
 青ざめていたデュークの顔に、少し血の気が戻った。
「おかげで楽になりました。ありがとうございます」
「その傷……。聖女マリーネブラウにつけられた傷ね。幻獣につけられた傷が開くということは――その幻獣が近くにいるのね」
 シュラインは目を伏せる。手のひらの〈闇のドラゴンの目〉が、危険を知らせていた。
 デュークはふっと息を吐いた。
「――あなたには、何も隠せませんね」
「マリーネブラウは金髪で長身の女性なんでしょう? 弁天さんが、男だと思い込んだくらいだから。そして蓬莱さんは、弁天さんのことを聞いた金髪の人が『男』だとは言わなかったし」
「シュラインさん。それじゃ」
 月弥がはっとしてシュラインを見た。
「ええ。弁天さんをさらったのはマリーネブラウよ。公爵さんをおびき寄せるためにね。公爵さんは薄々気づきながら、それでも光のドラゴンだと思いたかった」
 シュラインはいったん言葉を切ってから、短く言った。
 
「来るわ」
 
 そして。
 炎、が。
 灼熱の炎が現れ、異界通路はかき消えた。
 
【合流!】

「久しぶりね。デューク。会いたかったわ」
 サラマンダーは激しい炎の息を吐きながら、甘く優しい乙女の声で囁く。
「マリーネブラウ! 弁天どのを返してもらおう」
 デュークはバスタード・ソードを抜き、サラマンダーに対峙する。
「あの時と逆ね。あなたは巨大なドラゴンで、私は選ばれた聖女だった。――ねえ、デューク。あなたを倒してみたけれど、あなたのいないエル・ヴァイセはつまらないわ。光のドラゴンには私から話をする。あのひと、私の言うことなら何でも聞くんだもの。だから、戻りましょう?」
「デュークさん。気をつけて!」
 月弥はデュークの腕に手を触れながら、再び賢者の石のかけらを握りしめる。
「とんでもない聖女ね!」
 シュラインが、グリフォンの盾を構えて炎を防ぐ。
「あんたなんか、私のバッグにしてやるわ!」
 ケルベロスの長刀とフェンリルの短剣の二刀を用い、しえるは接近する。
 遮那は『審判』のカードを具現化し、激しい稲妻をサラマンダーに叩きつける。
 
「待ってください」

 薔薇色のオーラを放つみなもは、柔らかくサラマンダーに話しかける。
「そんなにデュークさんがお好きなら、マリーネブラウさんがこの世界にいらっしゃればよろしいんです」
「……何ですって?」
「マリーネブラウさんも、井の頭公園の動物園でお暮らしになりませんか? みんなでお花見をしたりして、楽しいですよ」
「冗談じゃないわ。あんな傲慢で図々しくてわがままな女神に頭を下げるなんて、まっぴらよ。あの女神、いったい何なのよ。あんな女の世話になってるデュークの気が知れないわ」

 サラマンダーの回りの空気が、歪み始める。炎の力が弱くなっていく。
 思いも寄らぬ事を言われ、どうやら戦意喪失したらしい。
 
「……それは、そうかも知れませんねぇ」
 少々手持ちぶさたなので、とりあえずサラマンダーに同意してみた蛇之助だった。

ACT.5■EPILOGUE

「ほっほっほ。皆の者、大儀であった。わらわはこのとおり元気じゃ」
 宴会場『始皇帝の間』で、弁天は高らかに言った。密かに気に入ったらしく、女性用浴衣プロトタイプ5番を着ている。
「ご無事で何よりです。ご心配申し上げました」
 デュークが頭を下げたとたん、シュラインはぼそっと言った。
「公爵さん。臨時勇者としての報酬5名分は、休暇返上料金上乗せで、弁天さん支払いって事でいいかしらね」
「待ちや! どうしてどうなるのじゃ。わらわは被害者じゃぞ?」
「でも、サラマンダーさんは、何だか弁天さんを持てあましてたみたいだし、その気になればどうとでも出来たんじゃないの。それでも幽閉されたまま、公爵さんが来るのを待ってたってことは」
 弁天の耳に口を寄せ、シュラインは囁いた。
「公爵さんに高峰温泉で静養させてあげたかったんでしょ? 普通に言っても行こうとしないから荒技で。いいとこあるじゃない」
「えー。あー。こほん。みなもっ!」
 弁天はいきなり立ち上がった。
「はい、何ですか弁天さま」
『PINK HAUSE』のワンピースを着こなしたみなもが小首を傾げる。
「今から露天風呂に行くぞえ! 水芸のレッスンじゃ!」
「わーい♪」
「水芸はやめなさいよ……と言いたいところだけど、面白そうだから見物に行くわ」
「あとで皆さんで写真も撮りましょうね」
「露天風呂の水芸シーンを? まあ、18禁に抵触しない程度にね」
 シュラインも立ち上がりがてら、月弥の手を取る。
「一緒にどう? あなたなら女湯でもいけるしさ。滅多に見れないわよ」
「それはそうだけど、でも」
 ちょっと月弥はためらっている。
「水芸……?」
 何のことだかわからない遮那はきょとんとし、その肩を蛇之助がぽんぽん叩く。
「あー、いいんですいいんです遮那さんは知らない方が」
「そうですか? ……水芸……」
「じゃあ、私たちは遮那さんと男性用露天風呂の方にでも行きましょうか? 公爵さま」
「……そうだな」

 天空の満月は、未だ高い。
 露天風呂の入口で、デュークはふと自分の足を見る。
 かつて憎からず思っていた聖女に斬られた傷口は、もう痛まなかった。
 
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0506/奉丈・遮那(ほうじょう・しゃな)/男/17/占い師】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13/中学生】
【2269/石神・月弥(いしがみ・つきや)/無性/100/つくも神】
【2617/嘉神・しえる(かがみ・しえる)/女/22/外国語教室講師】

【個別ノベル】

【0086/シュライン・エマ】
【0506/奉丈・遮那】
【1252/海原・みなも】
【2269/石神・月弥】
【2617/嘉神・しえる】