●学園最後の日に
 9月30日。
 放課後を知らせるチャイムの鳴り響く中、草間・武彦は一人、帰宅していく生徒達の流れの中を逆に歩いて、校舎の屋上へと来ていた。
 そして、其処に一人いた男子生徒の前に立つ。
「君ならここまで来ると思っていたよ。探偵」
 学生服ではなく、狩衣を身に纏った繭神・陽一郎は、少し苦笑しながら言った。
 そんな繭神に、草間も苦笑混じりに答える。
「知りたがりな性分だ。あんたが何か知ってるってのだけは確実そうなんでね」
「記憶が無くても、本質は変わらないか‥‥隠すつもりはない。だがまずは、君の持っている要石を出してくれないか」
 言われて草間は自分のポケットに手を突っ込み、中にあった石を手に取ると繭神に放った。
 繭神はそれを宙で受け取り、屋上の片隅に歩いて移動した。其処には既に小石が積み上げられており、夕暮れの空に浮かぶ白い月に反応してか微かな光を放っていた。
 その小石の山に、繭神は草間から受け取った石を置き足す。
「ここは夢の中だが、現実にも繋がっている。失われた要石を通じてね」
 言って繭神は手で印を組み、真言を呟く。
 直後、繭神と草間を囲う風景が一変した。
 そこは石室‥‥明かりはないが、積まれた石自体が月光に似た淡い光を放っているので、薄暗くはあるが部屋の中を見通す事が出来る。
「学園の地下、数百m程に位置する石室だ」
 石室はかなり広い。円錐形をしているらしく、床は真円を形作っており、天井は上に行くに連れてすぼまって終わっている。
 石室の中心には水が張られており、その水の底に一糸まとわぬ月神が眠っていた。
 そして‥‥その月神の傍らに立つ、いつも通りの制服姿の月神。
「月神が‥‥二人?」
 怪訝げに呟く草間に、月神が水から上がって歩み寄りながら、少し困ったような笑みを浮かべて言った。
「やあ‥‥よく来たね」
「起きているのは分身。寝ているのが、月神‥‥いや、月詠の本体だ」
 そんな月神を哀れむような目で見ながら、繭神は誰に聞かせるともなく語り始める。
「月神・詠子‥‥彼女の真の名は月詠。遙かな昔、陰陽師、繭神の一族が生み出した月の化性。鬼だ。当時、月詠は、血を求める邪悪な性に駆られ、多くの人々を殺した」
 “殺した”その言葉に身を震わせる月神。一方で繭神の言葉は、自嘲の色を強めていく。
「先祖は愚かだったよ。自らに余る力を生み出し、制御できず。殺す事も出来ず‥‥封印したは良いが、その封印も永遠ではなかった」
 草間はその繭神の言葉を笑い声だと聞いた。
 自らを、自らを生んだ先祖を、自らに繋がる子孫を笑う声だ。
「月詠を生み出し、封印した我々一族は、この墓所に自らも縛り付けられたのだよ。月詠在る限り永遠に‥‥自分の子も孫も、未来永劫、ずっと。自由の無い生。定められた人生。生きながら死んでいるようなものさ」
 言い終えて、繭神は深く息をつく。そして、全て諦めたかのような口調で続けた。
「かといって、定めを捨て去るわけにも行かない。月詠の封印が完全に解かれれば、再び殺戮が為されるだろうからね」
「月神は、人を殺すような奴には見えないぞ」
 月神は今も草間の傍らにいる。そう言った草間に月神は、少しだけ嬉しそうな笑顔を見せた。
 しかし、笑顔に混じるかげりが、月神自身が繭神の言葉を否定しない証となっている。
 繭神は草間に答えた。
「封印の解け方が半端だっただけさ。本性は醒めぬまま、目覚めた一部が無邪気に遊んでいた。封印されていたこの場所に建った学園に興味を持ち、夢の中に同じような学園を作って、眠りに落ちた人々を呼びこんで‥‥だが、それも限界が来ている。本性が、彼女を蝕んでいるんだ。彼女の正気は、あと何日も保たないだろう」
 そして‥‥繭神は、月神に歩み寄る。
「最初は、無害なら放置しても良いと思った。どうせ、封印しようとすまいと何も変わらないのだから。だが、人に害を為すなら仕方がない。彼女が人を殺す前に、再封印を行う。それが、墓守である自分の使命だ」
「‥‥嫌だ」
 繭神に掴まれた腕を払って、月神は子供のように頭を振った。
「ボクは‥‥もっと、みんなと遊びたい! 友達だって言ってくれたんだ! 仲間だって言ってくれたんだ! ボクはみんなと一緒にいたい! 別れたくなんて、ない!」
「僅かでも気を緩めれば、本性のままに人を殺めるお前がか?」
 泣いている子供のように声を上げる月神に、繭神は冷ややかに言う。
 月神は一瞬、言葉を失い‥‥それから、繭神に縋るようにもう一度、声を上げる。
「何とかしてみせる! だから‥‥」
「何とか? 出来ていないだろうに。実際、怪我をさせたくらいの事件なら幾度も起こしている。弾みがつけば殺していたかも知れない」
 繭神の並べる言葉から逃れようとしてか、月神は耳を押さえて目を固くつぶった。もっとも、そんな事をしても真実からは逃げられない。
 そんな月神を見る繭神は、まるで自分に言い聞かせるように言葉を吐き出す。
「鬼は、やはり鬼だった。墓守は永遠に墓守だった。それが、この事件の結末だ」
 そして繭神は真言を唱え始めた。月神を再封印する、一族秘伝の真言を‥‥だが、
「繭神。お前、本当は‥‥変わる事を期待していたんじゃないのか? 鬼である月詠が‥‥お前の墓守の定めが」
 黙って話を聞いていた草間の発した言葉。
 根拠のない思いつきに過ぎないが、その言葉を受けて繭神は真言を止め、寂しげに笑んだ。
「‥‥変わらないものさ」
「変えないと変わらない」
 草間は言って、それから肩をすくめて台詞を続ける。
「もっとも、俺が今更、少々言ったからって、お前を変える事は出来ないだろう。お前がやりたいようにするしかないんじゃないか?」
「投げ出したみたいに言うじゃないか」
 草間の中途半端な物言いに気が抜けたのか、笑みを消して繭神は言葉を返す。それに応えて、今度は草間が寂しげに笑った。
「俺が月神を救えるなら繭神、お前を殴り倒してでも救ってる。繭神、お前の苦悩を取り払えるなら、俺が代わりに墓守になってやっても良い。だが、俺にはそんな力はない。今、ここにいる俺は、証人でしかない‥‥というか、そのつもりで連れて来たんじゃないのか?」
「そうだな‥‥ああ、そうだ」
 繭神は笑った。微かにではあるが、楽しそうに。

●封印は為された
「では、始めようか」
 言って繭神は、抵抗の素振りは見せていないが繭神を睨むようにしている月神を一瞥し、それから石室の中心を目差して歩き出した。
「何をする気だい?」
 自分を封印するのではないのか‥‥と、不思議に思って聞く月神に、繭神は答えて言った。
「結局、封印しても何も変わらない。一族は永劫に墓守を続けなければならないんだ。なら、その定めをここで絶つ」
 繭神は水に足を入れ、狩衣の裾を濡らしながら水に沈む月詠の本体の方へと歩み寄る。
「月詠の邪悪な本性を封じる。私を要としてな。この新しい封印在る限り、邪悪な本性は眠り続ける。君は月神・詠子としていられるだろう」
「そんな事したら、君が‥‥」
 月神のかわりに、繭神が封印される事になってしまう。その想像に、月神は戸惑いの表情を浮かべた。
 そんな月神に構わず、繭神は水に手を入れて、月詠の本体の手を取り‥‥苦痛を感じたのか顔をしかめる。
「封印されていてもこの力か‥‥よく抗っていたものだな月神・詠子」
 そう言った後、繭神はそのまま月神に向けて話し始めた。
「どうせこのまま生き続けても、何も変わりはしない。今度は封印されたお前を監視して生きるだけだ。もう墓守はうんざりでね。替わってもらう。繭神一族は自由になるんだ」
 話を続ける繭神の、月詠に触れていない残された手は目まぐるしく動き、様々な印を結んでいく。また、言葉の継ぎ目には真言を唱え、術を完成させていった。
 印が一つ結ばれる度、真言が一つ詠唱される度、繭神と月詠の周りに、太陽の光のような金色の糸が現れる。それは折り重なり、絡み合って一つの物を作ろうとしていた。
 それは繭‥‥繭神の作ろうとしている物。
「繭神! 止めろ。閉じこめられる!」
 繭神を止めようと、彼に向かい走ろうとした月神。しかし、その身体を草間が掴んで止めた。
「よせ‥‥奴の選択だ。それに、奴を止めたなら、お前が封印されるしかなくなるぞ」
「でも!」
「良いんだ。生きる希望を持つ者こそが、未来を得るべきだ。それが、どんな未来だろうと‥‥」
 繭神は月神に言う。
 まるで、呪いを授けるかのように。
「お前は永遠にここに縛られる。我々の一族がそうであったように、永久に墓守を続けなければならない。自らの命が果てるその時まで」
 月詠の本体と繭神は、金色の薄い膜に包まれていた。
 未だ金糸の生まれるのは止まず、透かし見えていた繭の中の二人の姿も、次第に見えなくなっていく。
「それを考えるならば、眠るだけの自分はまだ楽かもしれない‥‥」
 姿が見えなくなると同時に、繭神の声は止んだ。そして、其処にはただ一つ、金色の繭が残される。
 ただそれだけ‥‥あっけなく封印は終わった。
 残されたのは、草間と月神。二人。
「どうして‥‥封印されて眠る事に、何も良い事なんか無いのに。何も楽しい事なんて無い。本当に何も無いんだ。それなのに」
 呆然とした様子で、震える声で言った月神に、草間は呟くように言った。
「苦しみもない‥‥からかな」
 生きる事は楽しい事ばかりではない。それを月神はまだ知らないだけだ。
 繭神は自分の生を月神に譲った。
 それは月詠の封印の為に生きなければならなかった繭神という男の、皮肉に満ちた贈り物なのかも知れない。
 そう考えるのは、ひねくれた草間の性分故か? 単純に考えれば、繭神は月神に最高の贈り物をしたとも言えるのだが‥‥
「ボクにはわからない。長く人として生きたら、わかってくるのかな‥‥」
「? 月神、お前、泣いて‥‥」
 草間は、月神を見て驚く。
 月神のその目に光る物‥‥しかし、確かに見ない内に草間の視界は霞んで閉ざされていった。

●転校生
 朝‥‥肌寒さに震え、草間・武彦は目を覚ました。
「寒‥‥あれ?」
 いつも通り夜中に仕事から興信所に帰って、零の奴に服に皺が寄るとか小言を言われながら、応接セットのソファに転がった所までは覚えている。
 が、今、目の前に広がる風景は興信所のそれではなかった。
「どこだ、ここは‥‥学校?」
 草間が寝ていたのはグラウンドの真ん中、校舎が草間を見下ろしている。
「おいおいおい、何でこんな所で寝てるんだ? まさか夢遊病って奴か?」
 立ち上がり、土に汚れた服を払う草間。
 が‥‥服?
「学生服か? これ」
 服は、いつ着たのか学生服に変わっていた。
 こんな服を着るのは十数年ぶりだ。一生、着る機会もないだろうと思っていたのだが‥‥
「参ったな‥‥何が何だか」
 言いながら草間は、懐から煙草の箱を出し、一本取り出して口にくわえ、火を付けた。
 焦げ臭いにおいがして、解けたチョコが雫になってたれる。
「て‥‥チョコ?」
 口の中に広がった甘い味に顔をしかめ、それを吐き出す。煙草と思ったのはチョコだった。
 チョコ嫌いというわけじゃないが、煙草の味を想像していた所に襲い来た甘い味は、なかなかのパンチ力だ。
「いよいよ、何なんだ?」
 わからない事だらけで混乱する草間は思わず天を仰いだ。と‥‥背後に足音を聞く。
「お兄さん、何やってるの?」
 かけられた声に振り向いた草間は、其処に立っていた制服姿の少女を見て目を細めた。
 その少女の顔は、何処か見覚えがある‥‥
「君は?」
「ああ‥‥」
 少女は悪戯っぽい笑みを浮かべて答える。
「ボクは月神・詠子。今日からこの学園の生徒だよ」