あやかし荘は、私鉄沿線から裏手の山に向かって徒歩15分ほど進んだ辺鄙な場所にある、霊山といって良い程の霊気に満ちた森に囲まれた、冗談みたいに巨大なアパートだ。
元々は女子専用男子禁制だったのだが、近年になって男性の入居も許可された。
トイレ共同。調理場共同。上下水道設備無し。古井戸は多数あり。風呂も共同で、天然温泉の広大な露天風呂がある。ただし、男湯は女湯に比べてもの凄く狭く、間欠泉がついているのでおちおち入浴してられない。
主に普通の住人が住む本館と、狐狸妖怪魑魅魍魎の類が住んでいる旧館、そして本館と別館をつなぐ全長1km程の夢幻回廊と呼ばれる廊下とで構成されている。
築数百年。総木造。部屋数無数。あかずの間も多数。長年にわたる増改築の結果、内部はほとんど迷宮状態。本館、旧館、無限回廊、場所問わず怪奇現象が頻発する。
とまあ、あまり普通の人間が住みたいと思うような条件ではない。
それでも、物好きにも住んでいる連中はいて‥‥その内の一人が、三下・忠雄(みのした・ただお)だった。
今日の激務に疲れた足を引きずり、森の中を貫く山道を登ると、あやかし荘が見えてくる。
「あ、おかえりなさい」
あやかし荘の正門‥‥路上を掃き清める箒を手に、三下に声をかけたのは、あやかし荘の管理人の因幡・恵美(いなば・めぐみ)だった。
「あ、はい‥‥ただいまです」
酷い扱いをされる事の多い三下にとって、恵美の分け隔て無い優しさは泣ける程ありがたい。が‥‥その感動は長くは続かなかった。
「とりゃぁ!」
かけ声とともに、門柱上から何かが三下に躍りかかる。
「うひゃあ!?」
情けない悲鳴を上げ、背中にしがみついたそれを慌てて振り落とそうとする三下。その背中で、少女が明るい笑い声を上げる。
「さんしたぁ! ボクと勝負だ!」
柚葉(ゆずは)‥‥妖狐の少女。考え無しで、勝負好き。とはいえ、三下以外の相手には、あまり勝てていない。
「そんな、勝負って‥‥痛い、痛い。止めて、止めて」
背中にしがみつかれたまま、柚葉にペシペシと頭を叩かれながら逃げまどう三下。
そのまま正門を抜け、あやかし荘に入っていく三下と柚葉を見送り、恵美は小さく微笑むとまた掃除を始めた。こんなのは、日常の事にすぎなかったし、柚葉がじゃれているだけなのはわかっていたから‥‥
一方で三下は柚葉を背中に乗せたままでヘロヘロと逃げ歩き、玄関の前で倒れた。
と、その前に綺麗なお御足が下ろされる。
その足に沿って上を見上げると‥‥そこには、天王寺・綾(てんのうじ・あや)が呆れた様子で見下ろしている姿があった。
常識外れの金持ちで、いつも金を豪快にばらまく変わった娘。性格は結構きつい。
「何やっとんのや自分」
綾が三下にした質問。それに、柚葉が答えた。
「今日もボクが、勝負に勝ったんだよ」
綾は、勝利の喜びいっぱいの柚葉を見、その下敷きになっている三下を見て溜息をついた。
「アホな事いうて、さんしたイジメとらんと‥‥そいつ、弱虫やから泣くで?」
「ううっ、泣かれるのは嫌だなぁ」
泣くと言われて、慌てて三下の上から降りる柚葉。そんな柚葉の手を取り、綾は三下を見捨ててさっさとあやかし荘の中へと入っていった。
「時価一千万円のイチゴ生八ツ橋があるねん。一緒に、お茶にしよやないの」
「わぁ〜〜〜い☆」
綾に答える無邪気な柚葉の声。それが、玄関のガラス戸の向こうに消える。
哀れにも捨てられていた三下は、ややあってから身を起こし、スーツの泥を払うと玄関のガラス戸を開ける。
「ただいま‥‥」
「おかえり‥‥と言いたい所ぢゃが、よくもまあ、おめおめと帰ってこれたものぢゃのう‥‥」
玄関‥‥帰ってきた三下を待っていたのは、このあやかし荘に君臨する座敷童様。嬉璃(きり)だった。
男嫌いで悪意たっぷり。大のTV通販好き。
嬉璃は、力無く玄関に入ってくる三下をニヤニヤ笑いで出迎え、さらに嫌みな言葉を投げかける。
「くくく‥‥小娘一人にも勝てんか。おんし、男として情けない限りぢゃのう」
「うう‥‥もう、良いですよぉ」
ペンペン草の間(元は『薺の間』だったが、嬉璃に強制改名された)に、三下はトボトボと帰っていく。その背中を見送り、三下が部屋に入ってから嬉璃は言った。
「おお、言い忘れておったが、その部屋‥‥誰もおらん筈なのに、ガサゴソと音がしておった。なんぞ、化け物でも入り込んだのではないかと思うのぢゃが‥‥」
言い終わらないうちに、部屋の中から三下の悲鳴が上がる。
その悲鳴に、外を掃いていた恵美が顔を上げた時、悲鳴を消すかのように歌声が流れた。
黒髪に着物姿の少女‥‥歌姫(うたひめ)。
歌以外の言葉を口に出す事は出来ないが、その歌声は何よりも美しく響く。
その姿には似合わない流暢な外国語で一曲を歌った歌姫は、恵美に向かって少し苦笑めいた笑みを浮かべながら、歌の最後の方の一部分を日本語訳で歌い足した。
「友達よこれが私の一週間〜♪」
「‥‥そうですね。いつもの事ですもんね」
歌姫の言いたい事を何となく悟り、恵美は落ち着いた気分でまた掃除を始めた。三下の悲鳴はまだ続いていたが、もう気にする者はいない。
こんな騒ぎが、あやかし荘の一週間‥‥まあ、毎日の事なのであった。
[看板イラスト:まゆ]