│東京怪談INDEX│コミュニティトップ│新宿駅│OMC│OP│人物登録│シナリオ登録│ |
高峰研究所│草間興信所│月刊アトラス編集部│ゴーストネット│アンティークショップ│あやかし荘│ |
![]() │第1話│第2話│第3話│最終話│ ![]() |
![]() |
![]() |
< 第 3 話 >
●行ける人、行けない人 「過去に行きたい‥‥過去に行きたい‥‥過去に行きたい‥‥‥‥ダメか」 三角田藍子は、強く念じてみていたが帰昔線への道は開けなかった。 「もっと、具体的に絞らないとダメなのかも知れない‥‥」 過去に帰りたいと思うだけでは、漠然としすぎているのだろう。行き先を決めずに電車に乗ろうとしているかのように。 「私もダメみたいだ。過去に魅力を感じていないようじゃダメみたいだね」 風見璃音も諦めて息をついた。 過去を変える事に‥‥過去に思いを募らせる事に否定的である事が、帰昔線をも拒む結果となっているのか? ともかく、璃音にも異変は訪れない。 「‥‥他の人達は行ったみたいだね。仕方ない、しばらく帰ってくるのを待ってみよう」 璃音は藍子を促し、座れる場所を探して歩き出す。草間達が帰ってくるのを待つために。 二人の黒服‥‥祓い屋と葬儀屋という奇妙な組み合わせの二人、闇乃部神威と糾薙誓破もまた乗る事は出来なかった。 過去の失敗‥‥とは言え、既に過去として受け止め、何とも思ってはいなかったものを擬似的な後悔として利用し、帰昔線へ乗り込もうとしたのだが‥‥やはりそれでは、帰昔線の切符は手に入らないようだ。 「重要なのは、過去に帰りたいと願うことではなく過去への執念なのかもしれませんね。私達の中で、あの事件は既に終わっていますから」 誓破が言うのに答え、神威が残念そうに言う。 「欲しくもない物を、形だけ欲しがって見せても無駄だと言う事か‥‥儀式のようなものなのだろうが、融通がきかないな」 「心残り‥‥ねぇ」 インターネットを見て、話のネタと暇つぶしに帰昔線を見に来た倉実鈴波18歳男“浪人生”は、とりあえず過去に帰りたいと願う為に、今までの人生でもう一度巡り会いたいものを思い浮かべてみた。 つきたてのきなこもち(幼稚園のイベント)。給食の揚げパン(小学校)。注文制だったパン食、チーズパン(中学校)。十日煮込んだカレー(高校文化祭)。 「あ‥‥でももし、昔にもどって、勉強なんかして、現役で受かったら、寮で出るバイキング式のこんなうまい朝食、食えなくなんだよなぁ。食いすぎて3キロ太るくらいなのに。なんか、やだなぁ」 ふと、そう思う‥‥もちろん、こんなじゃあ一生かかったって帰昔線に乗れるはずもない。こんなで乗れてたら、新宿駅から人が居なくなる。 そんなわけで、倉実は路線を変更してみることにした。 「帰昔線に乗りそうな人の後ついてけば、いけるんじゃないかなぁ。表情を良く見て、何か思いつめていそうな人の後をこっそりつけてみよう」 いそいそと、何か思い詰めてそうな人を捜して歩き出す倉実は、確実に来年も浪人になる事が決まっていそうだった。 月影龍慈と水薙霜夜の前で、風峰刹那は消えた。いや‥‥消えたのではなく、いつの間にか居なくなっていたと言うのが正解か。 居なくなる前と居なくなった後。 その境目を認識できない。目を離していたわけでもないのに、気がつけば彼は居なかった。 「‥‥他人と同行するという手はダメか」 刹那の記憶を探す名目で一緒に行く予定だったのだが、自分の事でないとダメらしい。 また、消える瞬間を知覚できない以上、その後をつけると言うことも不可能だった。 龍慈が言うのに、霜夜は特に興味も無さそうに相槌を打つ。 「そのようですね。まあ、風峰君も子供じゃないんですから。自分でやるでしょう」
●帰昔線は行く。 客は皆無言で、ある者は椅子に座り、ある者は吊革に身を預けながら、電車の振動に身を任せていた。 座席の一つを占拠した草間は、からかおうとでも言うのか鬱陶しく話しかけてくる風峰刹那に、完全無視を決め込んで窓の外の闇を眺め続けている。 草間の思う事は一つ。 タバコを吸いたい‥‥‥‥車内は禁煙なのだ。 怪奇現象なんだから別に良いかとも思うのだが、車内禁煙の文字が車内にしっかりあるのが気に入らない。 タバコ一本でおかしな現象に襲われても困るので、ここは一つ我慢する。となると、やっぱりイライラしてくるので、目の前の馬鹿ガキを殴ってやろうかとも思う。 だが車内での喧嘩は喫煙以上にやばいだろうと判断し、それに年ばかり取って背は高くなったが未だにオムツが取れて無く夜な夜なママのオッパイを欲しがって泣いているガキと殴り合って自分の価値を下げる気にもなれなくて、やっぱり草間は完全無視を決め込んだ。 いや‥‥実際には風峰は、そんな坊やなんかではない。かなりイライラしている草間は、思考が非常に危険な事になっていた。 と、その時、電車の中にアナウンスが流れる。 『思い出〜、思い出〜、下り口、左側になります。お忘れ物の無いよう、お気をつけください。思い出です』 ●思い出の駅 ドアが開いた。そこには、ごく普通の駅のホームが広がっている。駅名は『思い出』と読めた。 ただそれだけ‥‥奇妙と言えば、この駅から外に出るための通路が見当たらない事だろうか。それ以外は、何の変哲もない駅に見える。 しかし‥‥ある者にはそれとは別なものが見えていた。 「へ‥‥嘘だろぉ、おい。ありゃあ‥‥30年前、俺が婿養子に入った酒屋だ」 渡橋十三の声は震えていた。 彼に見えたのは、彼の思い出の中の風景。 電車は、かつて彼が住んだ酒屋の前に停車していた。 思わず電車のドアをくぐり、飛び出した彼の前‥‥酒屋の引き戸が開く。 「あら‥‥貴方、帰ってらしたんですか?」 そこに立つ女性‥‥渡橋のかつての妻の芙美が、渡橋の顔を見て微笑んだ。それは、渡橋にとって最も美しい思い出の中の笑顔そのままだった。 「わかるのか!? 俺は、あれから‥‥」 そう言った渡橋は、自分の体の異変に気付く。 若返っていた。かつての思い出の中の自分と同じ姿になっていた。 「沙耶は‥‥居るのか? 俺の娘は」 「居ますよ? 今朝も会ったじゃないですか」 渡橋のその問いに、芙美は怪訝な表情を浮かべる。それはそうだろう‥‥本来の時間の中の渡橋は、今日もこの二人と共にいたのだ。それが、どんなに輝かしい時間だったのかにも気付かずに‥‥ 「まて‥‥今は‥‥沙耶は5歳か。そうだ‥‥憶えている。憶えているぞ」 渡橋はゆっくりと歩みを進めた。そして、酒屋の引き戸に手を伸ばす‥‥と、渡橋の手が届く前に、引き戸がカラリと開く。そこに現れた幼い少女は、渡橋の顔を見て笑った。 「あ、お父さん! あれ? どうして泣いてるの‥‥‥‥」 渡橋の背後‥‥遠くで声が響く。 『間もなくドアが閉まります。駆け込み乗車など、ご遠慮ください』 ‥‥ドアが閉まった。 渡橋が出た筈のホームには誰もいない。 渡橋が足を踏み出した瞬間に、彼の姿は消失していた。後を追い、草間も外に出てみたが、何の変哲もない地下鉄のホームに出られただけ‥‥結局、何もできないままに電車に戻ってきていた。 「‥‥なるほどな。用のある駅につくと、呼ばれるわけだ」
●人生の転機の駅 そこで下りたのは一人、烏丸紅威だけだった。 彼に見えていたのは、400年以上昔の風景。 遙か昔の事ゆえに帰れないかとも思っていた烏丸だったが、帰昔線は彼を、彼が人ではなくなる前へと送ってくれていた。 電車から降りてみると、自分の体が人間のものになっている事に気付く。だが、記憶も、憶えた技の類も残っていた。 「今なら‥‥人として生きる道を選べますね」 数百年分の知識が在れば、己が身に悪霊を封じずとも全てを終わらせる事が出来る。今度は‥‥人として、愛した人と普通に生きて死ねる。 烏丸は歩みだした。封じるべき悪霊の待つ都へ‥‥その背後で遠く声が響く。 『間もなくドアが閉まります。駆け込み乗車など、ご遠慮ください』 ●後悔の駅 「僕の降りる駅が来たようです」 四ノ宮雅欄は、そう言って草間に笑いかけた。 「祖父の死を‥‥止めたいと思うんですよ」 「そうか‥‥頑張ってくれ」 「ええ‥‥今度は、何を言われようと祖父の所に行きます」 決意を固める四ノ宮‥‥その時、ホームに電車は滑り込んだ。四ノ宮は迷う事なく、ドアの前に立ち‥‥そしてややあってドアが開く。 四ノ宮の前にあったのは、四ノ宮の家の中、父親の部屋のドアだった。 「‥‥親父に呼ばれた直後‥‥このドアの向こうに、待っているのは‥‥」 そう、父親と母親が待っている。そして、祖父の元へ行こうとする四ノ宮を妙な理屈をこねて止めるのだ。 結果、祖父の元へと旅立つのは一日遅れてしまう。そして、今夜‥‥祖父の家は炎に包まれる。一日の遅れが、取り返しの付かない遅れとなり‥‥祖父は炎の中で死ぬのだ。 四ノ宮は‥‥父母の待つドアに背を向けた。 どうせ、話すだけ無駄だ。このときは確かそうだった。 この頃はまだ、父親と話をしようと思うくらいの関係だったと思う。随分と親子の関係が冷めたものだと思い、四ノ宮は苦笑した。 四ノ宮は自分の部屋に行き、荷物を持ってさっさと祖父の元へと旅立つつもりで歩く。 これで、祖父の元へ行けるはず。祖父の死も止められるはず‥‥ 四ノ宮の背後で声が響く。 『間もなくドアが閉まります。駆け込み乗車など、ご遠慮ください』
大沢巳那斗は、彩也のすぐ後にドアをくぐった。そこは、思い出の中そのままの風景‥‥幼い頃に旅行に訪れた場所だった。 「こんな、過去に浸ろうだなんて、俺馬鹿みたいだ‥‥情けねえの」 そう言いながらも歩きだした大沢は、少し自分の身長が低くなっている事に気付く。そう言えば、この頃はまだ‥‥ 色々な思い出が、沸き上がり、また消えていく。 その思い出の中で最も輝くべきものが目の前にあった。それは‥‥普段忙しく、ほとんど家にいない両親。 過ぎ去りし今日この時だけは、二人が共に大沢と一緒にいてくれたのだ。 大沢は‥‥思わず駆け出す。そして、まっすぐに両親の腕の中へと飛び込んでいった‥‥ 過去へ旅立った二人の背後で、遠くアナウンスが鳴る。 『間もなくドアが閉まります。駆け込み乗車など、ご遠慮ください』
●過去の中の草間 新宿駅‥‥草間がかつていた頃の新宿駅は、現在のモノとは様相が少し違う。草間は、駅内のソバ屋に入り、キツネソバをすすりながら競馬新聞を眺めていた。 「‥‥さすがに覚えてないな」 記憶を頼りに買った馬券の的中率は半々といったところ。やはり、よっぽど印象に残っているレースでもなければ、当たりを思い出す事は難しそうだった。 「しょうがない。さっさと元の世界に戻るか」 帰り方など知る筈もないが、何としてでも探し出す。草間はそう決めると、残りのキツネソバを平らげにかかった。 と‥‥そこに、コップが一つ差し出される。 草間の視線はキツネソバから水を満たしたコップから移り、さらにそのコップを持つ者へと移っていった。 そこに立っていたのは若い女性‥‥和泉蓮。彼女は、苦笑めいて微笑むと草間に言った。 「‥‥久しぶり」 「‥‥俺とはまだ会っていない筈だ」 草間は記憶を探り、答える。 そう‥‥彼女と会うのは、これからだいぶ後の事。恋人の死に自暴自棄になった彼女が引き起こした事件が発端で‥‥ そこまで思い出し、草間はある事に気づいた。 彼女の雰囲気がまるで違う。草間の知っている彼女は、常に死への憧憬を秘めたようなところがあった。だが、今、目の前にいる彼女にはそれが全く見受けられない。 草間は蓮に聞いた。 「俺を知っているのか?」 「ええ‥‥でも、まさか‥‥」 蓮も驚きに言葉を失い、草間としばし視線をぶつけ合う。そして‥‥蓮は一言一言、確かめるかの様に言った。 「そう、私は帰昔線の元乗客。貴方に、この意味がわかる?」 草間は何も言わずに頷く。それだけで十分だった。連は全てを納得したように息をつく。 「帰昔線も‥‥たまには線路が交わる事があるのね」 「偶然とは言えないだろう。俺は、君も気になっていた。ある日消え、幾ら探しても見つからなかった君を‥‥帰昔線とは気付かなかったけどな」 完遂できなかった仕事の一つ。ただ、蓮の様子が尋常ではなかったために気になっていた。実際、今日会うまでは、自ら命を絶ったのではとさえ考えていたのだ。 「‥‥複雑な気分だわ。じゃあ、私は私の世界の私なのかしら? それとも、貴方の世界に投影された私という存在なのかしら?」 「どう言う事だ?」 謎かけのような蓮の言葉に草間は戸惑う。 蓮は、苦笑混じりに言った。 「帰昔線に乗って過去を変えると、その度に新しい世界が生まれるの。元居た現実から私が消え、私が生んだ現実に私は導かれる‥‥それが、帰昔線で過去を変えると言う事。だからきっと、私は貴方の世界の中に生まれた、私の写し身なのね。考えてみれば、無限に分岐する世界の中で、巡り会うなんて事は有り得ないわ」 つまりは‥‥今ここにいる蓮は、本物の蓮ではない。草間の世界の中に存在する、過去に渡った蓮という存在‥‥だが、偽物ではない。 同じ命を持ち、同じ体験をした蓮‥‥ここにいる蓮は、草間が過去に渡ったことにより生まれた世界の蓮だというだけだ。 「まあ良いわ。貴方が私に会いたいと思ってくれていたと言うだけで嬉しいもの‥‥じゃあ、私は私の役目を果たさなくちゃね」 蓮は、改めて草間に向き合い、真摯な表情を浮かべる。 「‥‥私は幸せよ。この現実には、あの人が居る。あの人と共に失った全てがある‥‥たとえ夢であっても、それは否定できない。この気持ちは、本物の私も同じ筈よ」 連の表情は、微笑みへと変わった。 「本当に夢みたいよ。今も、たまに思うわ‥‥夢を見ているのかもって。最初に帰昔線に乗ったあの日から、醒める事の無い夢を‥‥」 「醒めない夢ならそれは夢じゃないさ」 返す草間の言葉‥‥草間は、口元に僅かに笑みを乗せ、立ち上がる。 「それが聞けて良かった。これで‥‥思い残す事は無い」 「‥‥帰るのね? 途中まで送るわ」 「送る?」 怪訝そうに見返す草間に、蓮は言った。 「‥‥帰昔線に乗る所までは行けるの。この時代の新宿駅からでもね」 ●答 「黒服‥‥ねぇ。それだけじゃ、何もわからないわね。私の研究所とも何の関係もないし」 エマの問いに答え、沙耶は言った。 沙耶は今、応接セットのソファに座り、草間の関係者から問われるままに答を返している。 薄く笑みを交えているため、どうもその言葉は信用できない。 黒服の件については、少なからず知らないわけではないが、自分達に教えるべき事でもないと‥‥おそらくはそう言う事だろうとエマは推測した。 「そうよ。賢いわね」 エマに、沙耶はニッコリと微笑みかける。まるで、心を読んだかのように。沙耶の胸の中の黒猫が、エマの目を見据えて小さく鳴いた。 「で‥‥聞かせて欲しいんだけど」 璃音は、何故かその小さな黒猫の瞳が怖くて目をそらしながら、沙耶に核心をつく質問をする。 「あんたは帰昔線を知ってる‥‥そうだね? あれは、いったい何なんだい?」 「‥‥それを調べるのも、貴方達の仕事でしょう?」 「草間が帰ってこないんだ! そんな悠長なことを言ってる場合じゃない!」 静かに答えた沙耶に、璃音は怒鳴り返す。 殺しかねない勢いのその怒声を受け‥‥だが、沙耶は一向に堪えた様子もなく言葉を返した。 「迷い家を知っているかしら? 山奥で道に迷った人の前に現れる家。帰昔線はあの一種よ。つまり、人の願望が集合した存在」 古い妖怪を例えに出され、璃音は頷く。 同じ山に住むアヤカシ‥‥知らないわけではない。お目にかかった事は無いが。 「確かにそう言ったアヤカシも存在した‥‥でも、あれは霊力に満ちた山の中の話だ。人の行き交う新宿駅に何故‥‥」 「新宿駅に一日何人が訪れると思う? 75万人‥‥それだけの人が、限られた土地の上を通過する。当然、大量の人の気が集うわ。そして線路‥‥道は人外のモノの通り道でもある。なら、数十の線路が集まる新宿駅には、多くの霊的存在も集うと言えなくて?」 言われてみるとそんな気もする。特に帰昔線が人々の想念で生まれたとするなら、人々が多く集うというのは必須の条件だろう。 「何か霊障があるわけじゃないし、霊気の様な形もとらないから誰も気付かないけど‥‥恐ろしい程の力が新宿駅には蓄えられているのよ。とは言え、そう言う場所は、新宿駅に限らず何処にでもあったりするのだけど」 クスクスと笑い声を漏らして、沙耶は笑んだ。 と‥‥そこへ、藍子が聞く。 「そんな事、どうでも良い。草間さんを帰昔線の中から連れ戻す方法は無いの?」 「‥‥帰昔線を消すしかないわね。そうしないと、草間探偵は‥‥そして、この世界から消えてしまった人は帰ってこない」 沙耶は軽く答えた。だが、帰昔線を消せと言われても、何をどうすればいいのか‥‥ 皆の困惑を見てか、沙耶は勝手に答えだした。 「帰昔線の先頭‥‥全ての夢が集う所に核となる存在があるはず。それを、今私達が居るこの現実の住人である誰かが壊せばいい。そうすれば他の現実は砕け散り、その現実の住人となっていた人々は帰ってくるわ」 「危険は? 危険が予想されるなら、その話くらいは聞かせてくれて当然よね」 沙耶の答を受け、エマが疑問をぶつける。 ‥‥最初の時は、何も教えなかったのだから‥‥さすがに、その言葉は心の中で握りつぶした。 エマの前、沙耶は哀れみの色を添えてクスリと笑う。 「危険なら止める? そんな考えなら止めた方が良いわ。それに‥‥帰昔線に乗って過去を修正して幸せな自分の現実を生き始めた人々を、元の現実に引きずり戻してしまうと言う事だけは忘れないようにね」 帰昔線で過去に帰った者達は、過去を修正し、多くは幸福を得ている筈だ。そんな彼等を、再びこの現実に引き戻す事は、正しい事なのだろうか? 偽りの幸福と決めつけるのは容易い。過去に耽溺する者として嘲るのもまた‥‥だが、彼等を裁く権利が誰にあるというのだろうか? 沙耶はそんな問いかけを皆に発していた。 ●時の樹 運転室。その前に雫は立った。 電車を色々と探り回りながら先頭車両にまで歩いた雫は、ついにそこについたのである。 「ここが最後ね」 言いながら、雫はドアに手をかけた。そして、一気に引き開けようとする‥‥と、その時、ポンと雫の肩が軽く叩かれる。 「ねえ」 「うきゃああああああ!?」 「わ、なになに!?」 驚いて振り返った雫の後ろにいたのは紫月六理だった。だが、雫は六理の事を知らない。 「えと‥‥誰?」 「ああ、雫ちゃんだよね? あたしは紫月六理。チャットで、今日一緒に帰昔線に乗るって約束したよね?」 六理が自己紹介し、それでようやく雫は相手に思い当たる。 「あ! ああ、ああ、ああ。そっか〜紫月さんだね?」 「あ、六理って呼んで。で‥‥何してたの?」 六理は、自分の呼び方の事をちょっと訂正してから、雫の手元を覗き込む。雫の手は、まだしっかりと運転席への入り口にかけられたままだった。雫は、ばつが悪そうに笑う。 「入れないかなと思って」 「怒られるよ〜?」 言いながらも六理は、雫の手に自分の手を重ね、一緒に入り口に手をかけた。 「でも、覗いてみたいよね」 「だよね〜☆」 二人は、一緒になってドアを引っ張る。次の瞬間、ドアは激しい勢いで開き、大きく口を開いた。 そこには‥‥終わりのない広大な空間が広がっていた。 果てしない遠くを見通せるのに、闇が泥濘のごとく空間を満たしている。何かが渦巻き、うねっていた。だが、そこには何一つ存在していない。神々しさと、禍々しさを同時に感じた。 「何‥‥これ?」 雫は呟く。 その空間にあるものは、全てが知覚の範疇の外に存在していた。存在はしている‥‥だが、それはあまりにも巨大過ぎて認識する事が出来ない。 呆然としながらも足を踏み出す雫。後に続く六理。二人は、背後でドアが閉まったのにも気付かないまま、呆然と辺りを見回していた。 闇が確かにそこに存在しているのを感じる。無色透明な闇が‥‥ 手を伸ばすと、手の先が透明な闇に閉ざされ見えない。 六理が無意識のうちに雫の手を握って呟く。 「ここ、いったい何処?」 「赤の王様の夢の中さ‥‥アリス」 小さくマッチをする音がした。何もない闇の中、黄色い光が草間の姿を照らし出す。 火はタバコに移され、辺りにまた闇が戻ると小さな赤い光だけが見えるようになった。 草間がタバコを吸う。その時だけ強くなったタバコの火の放つ光が、草間の顔の下半分だけを浮かび上がらせる。 「じゃあ貴方は、タバコ好きのチェシャ猫?」 「そんな上等なものじゃないよ」 言い返した雫に、草間の苦笑する声が聞こえた。 「ここも不思議の国じゃない。過去と未来のつながるところ‥‥夢と現実の狭間。そんなところだろう。明かりをつけてみな‥‥面白いものが見られるぞ」 雫は言われた通り、ポケットの中からペンライトを出して光をつけてみる。光は無色透明な闇を払い、見えなかったものを照らし出した。 巨木‥‥全てを覆い尽くすような巨木がそびえ立っている。僅かな光を受けただけで、それはその全身を淡く光らせた。 無数の枝を伸ばしたそれは、圧倒的な存在感を持ってそこに存在している。 「これ何‥‥」 六理は呆然とそれを見上げ、それが宇宙の全てを覆っているのだという半ば馬鹿馬鹿しい直感を、確信として得ていた。 「時の樹です。無限に存在する枝の一つ一つが、『有り得た時間』を現しています。無論、観念的な存在でしかありませんが」 六理の漏らした言葉に答えたのは、見えない闇の中からその姿を現した車掌。彼の纏う闇は、見えない闇の中で彼の姿をくっきりと浮かび上がらせている。 彼の答を受けて、雫は言う。 「時の樹‥‥世界を支える樹。ユグドラシル」 「何だ?」 「神話。何にも知らないのね、おじさん」 雫は、草間に向かってさも絶望的だと言わんばかりの溜息をついて見せた。 「神話‥‥ね。何でも良いさ。ともかく、ここまで来た以上、これから先はない‥‥ここが、帰昔線の終着駅だ。そうだろう?」 「‥‥そうですね。お客さんは、四つから一つを選択する事が出来ます」 草間に問われ、車掌は答える。あくまでも事務的な態度は崩さないままに。 「一つは、このまま皆さんの作り替えた世界に戻る事。一つは、このまま電車へと帰り、新たに過去を変えに行く事。もう一つは、ここで永劫に時を過ごすことです」 「ちょっと待って! 六理はどうなるの? まだ、六理は過去を変えてないよ?」 六理が話に割り込んだ。そう、六理はまだ過去を変えてはいない。それよりも先に、ここに入り込んでしまったのだ。 彼女に、車掌は指を4本立てて見せ、一つ一つ折り曲げながら言った。 「‥‥お客さんは、元の現実に戻る事が出来ます。もちろん、電車に戻って過去へ行く事も。そして、永劫にここに残る事も出来ます」 「で‥‥最後の一つは?」 六理が更に問う。車掌は、何と言う事もなく答える。 「お客さんは、この時の樹を切る事で、この帰昔線の存在を消し去る事が出来ます。そして、他のお二人は、同じ事をする事で、皆さんの書き換えた過去で現実を織り直す事が出来ます」 ‥‥改変された過去を寄り合わせ、現実を織り直す。それを成せば、過去を変えた全ての人々は新たなる世界の中で生きる事が出来る。不安定な『枝葉の世界』が揺るぎ無い幹に取って代わるのだ。 しかしそれは、草間達がかつて居た現実の崩壊と消滅を意味する。そこに住まう人々が消滅し、新たな歴史の中を生きていた同じ人々が生まれる結果となる。すなわち‥‥全ての人間が、強制的に歴史の変革に巻き込まれるのだ。 自意識のないままに、不幸に身を落とす者も居るだろう。今まで幸福だと感じていた事を、気付かぬまま奪われる者もあるだろう。場合によっては、消滅する者もいるかも知れない。 過去を変えた者達に、他者を巻き込む権利があるだろうか? それは‥‥どうなのだろうか。 「変えられた過去が、現実となる‥‥か」 草間の脳裏に、和泉蓮の最後の笑顔がよみがえる。夢は醒める。醒めない夢ならそれは夢じゃない‥‥なら、夢の中の彼女にとって、夢は確かに現実だったのだ。 草間は思考に耽る。そして‥‥決めた。 「で‥‥どうやって切れば良いんだ? 時の樹という奴を‥‥」 「ちょっと待って! そんな事して良いの!?」 雫は驚いた。勝手に、そんな事をして良いのだろうか? でも‥‥みんなが幸せならそれでも良いのかも。でも‥‥ 「‥‥‥‥みんなが幸せにはならないのかな」 雫と同じく、六理も迷っていた。彼女は、過去を変えに来たのだ。結局、それは大本の現実を変える事にはつながらない。変えるなら‥‥それは、大本の現実を巻き込まざるを得ない。 その時、車掌が最初の草間の問いに答えた。 「時の樹は意志の力で切ります。時の樹に触れ、貴方が望めば‥‥樹は倒れるでしょう。ですが、今まで誰も時の樹を倒した者はいないのです」 車掌は‥‥言う。 「無限の時間の奔流の中、誰が正気を保っていられます? 時の樹を切る者には、それに打ち勝つ強い意志が必要なのです」 |
![]() |
|
![]() |
■次回東京怪談 帰昔線を消す/現実を織り直す <作者より> 帰昔線はタイムパラドックスを、パラレルワールドを無限に派生させる事によって解決してます。って、SFかこれは。 さて、次回は最終回。すべき事は選択です。 現実を守る為、そして過去に消えた人々を呼び戻す為、現実に残った者が時の樹を切る。 改変した過去を真実の歴史と変える為、過去へ戻った者が時の樹を切る。 どちらが正しいだなどと野暮な事は言いません。どちらも誰かを犠牲にします。誰かを不幸にします。そのどちらかを選択するのが、次回に求められる事です。 ●過去へ消えた人達へ 過去で何が待っていたのか‥‥それには敢えて深く触れませんでした。ただ言える事は、そこに暗い運命は用意されていないと言う事です。 より良い過去を掴むのも、過去で更に挫折するのも、皆さん次第です。帰昔線は、そこにまでは一切関与しません。 なお‥‥草間達のいる場所、つまり時の樹の元まで行く事は可能です。新宿駅(もしくは、これから新宿駅の出来る場所)へ行き、帰昔線に乗って電車の運転室を目指せばよいのです。 ●悲しい事。 トップページイラストで、高峰沙耶のオマケの黒猫は目立っているのに、碇麗香のオマケの三下君は何処にも居ない。 碇:「‥‥人間が猫に負けるなんて、うちの雑誌の恥よ。さんした君、やっぱりクビ」 三下:「へんしゅうちょおおおおおおおおおおぅ!(爆泣)」 |
![]() >>第1話│第2話│第3話│最終話│ |
![]() | |
![]() |